氏名 | 橋本恭之 |
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現職 | 関西大学経済学部教授 |
学位 | 博士(経済学) 大阪大学 |
専門分野 | 財政学 |
所属学会 | 日本財政学会、日本地方財政学会、日本経済学会、日本NPO学会 |
主要研究テーマ | 応用一般均衡分析、税制改革 |
研究経歴 | 研究テーマ「税制改革の応用一般均衡分析」では,わが国における租税政策の影響評価のためのより現実的なモデルの作成をおこなってきた。現在研究中のテーマは、「税収関数の推計」「多部門世代重複モデルによるシミュレーション分析」などである。 |
学歴 | 昭和54年3月 関西大学第一高等学校卒業 |
昭和54年4月 関西大学経済学部入学 | |
昭和58年3月 関西大学経済学部卒業 | |
昭和58年4月 関西大学大学院経済学研究科博士課程前期課程入学 | |
昭和60年3月 関西大学大学院経済学研究科博士課程前期課程修了 | |
昭和60年4月 大阪大学大学院経済学研究科博士課程後期課程入学 | |
平成元年3月 大阪大学大学院経済学研究科博士課程後期課程退学 | |
職歴 | 平成元年4月 桃山学院大学経済学部助教授 |
平成 7年4月 関西大学経済学部助教授 | |
平成11年4月 関西大学経済学部教授 | |
現在に至る | |
社会的活動 | 平成12年〜 大阪商工会議所税制幹事会委員 |
平成15年6月〜平成16年3月 豊中市公共事業再評価委員 | |
平成15年7月〜平成20年3月 財務省総合政策研究所特別研究官 | |
平成17年〜平成18年 大阪府課税自主権WG委員 | |
平成19年〜平成22年6月 経済産業研究所ファカルティフェロー |
私がはじめて出会ったパソコンは、大学生の時に購入したシャープのMZ-1200でした。z80という当時の最先端の8ビットのCPUを搭載したパーソナルコンピュータです。当時は、64kバイト(メガでなくね)という広大なメモリ空間を使用でき、カセットテープによりシャープオリジナル、ベーシックをロード(約10分ぐらいかけてプログラムを読み込みます)することでベーシックが走るという画期的な商品でした。当時のパソコンにはいまのエクセルのようなアプリケーションソフトは存在せず、ベーシックという初心者向きの科学技術計算用プログラム言語を使って、自分でプログラムを作成しなければなりませんでした。わたしがパソコンを購入した理由は、当時はやっていたインベーダーゲームを自宅でしたかったからです。ファミコンもなかった時代なもので・・・。ゲームのプログラムは、自分もやってみたのですが面倒なので断念しました。いわゆる落ちものは比較的簡単ですが・・・。つまり敵のキャラクターが画面上から下へ移動していくのは、座標を計算しながら少しずつ画面表示と消去を繰り返します。すると目の錯覚で動いているように見えます。そして下からレーザーガンを発射して、ちょうど同じ座標に到達したときに、命中音をだして爆発マークを表示させればできあがりです。
でも原理はわかってもゲームを作るには、プログラムよりむしろデザインのセンスが要求されます。自分で作ったゲームはちっともおもしろくなかったのでゲームデザイナーになる夢は、すぐにあきらめました。そこでマイコンベーシックマガジンやI/Oという雑誌に掲載されているベーシックやマシン語(16進数で記述されたプログラムコード)をひたすら打ち込んで遊んでました。当時の雑誌にはあのチュンソフトの社長(当時は中学生か高校生だったような)の作ったプログラムなどが掲載されてまいた。あのときあきらめずにゲームをつくっていたらいまごろエニックスに入社していたかもしれません・・・。
まあ、ゲームだけをしていたわけでもなく、苦手だった数学の問題をとくプログラムの自作などもしてました。あまり役には立ちませんでしたが・・・。MZ1200は、ソフトがほとんどなかったので逆に自分でプログラムをするようになりました。いま思うとwindowsなるものがあったら自分でプログラムをしようとはおもわなかったでしょうね。MZ1200は2年ぐらいは使ってました。でも、何しろグリーンディスプレイ、別に環境保全型のディスプレイではなく、緑一色しかでないモノクロディスプレイでグラフィック機能がないという代物だったので、カラーパソコンが欲しくなりました。
そこで父を騙して購入させたのがNECの8800マークUでした。当時は初代のNEC9801が出たところだったのですが、ゲームソフトに関しては8800マークUの方が多かったもので・・・。はじめは外付けでカセットレコーダーをつないで、プログラムをロードしてゲームをしていました。当時はやっていたゼビウスもどきのソフトを買いました。640×400の8色のカラーが表示可能でまさにゲームセンターなみのゲームが可能になりました。ここまで進化すると逆に、ほとんど自分でプログラムを組むことはなくなりました。
この8800マークUを仕事で使うようになったのは、大学院に入ってからです。フロッピーディスクドライブ(5インチのディスクです。最近始めた人は3.5インチのフロッピーしか見たことないでしょうね)を購入してからですね。ワープロなどのビジネスソフトをカセットレコーダーで20分も30分もかけてロードしていたのでは仕事になりませんから。確かNECのワープロソフトを使っていたような?修士論文用の参考文献を整理するためにN88BASICでデータベースソフトを自作してました。プリンターを始めて購入したのもこの頃です。16ドットで漢字が表示できるNECのドットプリンターでした。20万円近くしたような。しかも無茶苦茶やかましいので夜中はプリントアウトしませんでした。
本格的に仕事でパソコンを使うようになったのは、NECの名機PC9801VM2からです。CPUにインテル8086と互換性を持つV30を搭載したマシンです。16ビットのパソコンで、640MBもの広大なメモリ空間を使用可能になりました。フロッピーディスクは5インチでディスクドライブを標準で2機搭載してました。いまだと1機しかないのが普通ですが、昔のマシンはフロッピーディスク1にアプリケーションソフトを入れて、2に文書などの保存用のフロッピーを入れて使ってました。ハードディスクがなかったからです。というか非常に高価でした。最初に私が購入した、正確にいうと日本租税研究協会(お世話になってます・・・)の委託研究の研究費で購入したハードディスクは20MBのドライブでした。確か10万円以上したはずです・・・。最近は20ギガという世界ですからね・・・。この頃から本格的にパソコンがビジネスで使用できるようになったわけです。当時はMS-DOS上で一太郎、マルチプランなどのアプリケーションソフトや、N88BASICでプログラムを組んでました。そのころ作成した膨大なプログラムは今は研究室の片隅で眠ってます。いまどき5インチのフロッピーは読めないし、98専用ソフトだったので、現在のDOS/Vマシンでは走りません。わたしはもしもの時に備えていまでもNECのマシンを保存しています。いまのWINDOWS98でもDOSモードがありますが、MS-DOSはいまでもよくできたOSだと思います。ほとんどの操作はキーボードでおこないます。ソフトを立ち上げるのもマウスでクリックするのでなく、直接、プログラム名を打ち込んでいました。実はこの方が操作になれるとはるかに早いわけです。それにいまのマシンは操作可能になるまで1分以上待たされるのですが、MS-DOSなら数10秒で立ち上がります。最近LINUXが流行っているのはやはり立ち上げが早いからみたいですね。WINDOWSの遅さはいつになったら改善されるのでしょう。
VM2は、わりと長く使ってました。といっても2年、ないし3年ぐらいだったと思います。VM2の次の購入したのが98VXというマシンです。これは、80286というインテルのCPUを使用していました。NECはこのマシン以降、独自CPUの採用をあきらめたようです。このマシンまでは、16ビットのCPUでした。このマシンはあまり長く使いませんでした。すぐに80386という32ビットのCPUの時代になります。しかし、考えてみるとパソコンのCPUはいまだに32ビット止まりですね。ゲームマシンの方が高性能ですね。NINTENDOは64ビット、プレステ2は128ビットだったかな・・・?プレステにキーボードとハードディスクをつけてくれたらいまのスーパーパソコンができると思うのですが。SONY考えてくれないかな。その昔、セガはゲーム機にキーボードを載せたこともありましたが。インテルの最初の32ビットのCPUは80386でした。このCPUを搭載したマシンとして私は、NECの98DAというマシンを使ってました。このマシンは結構長く使ってました。このころはちょうどwindows3.1が発売されたころです。当時はまでMS-DOS全盛時代で、windows3.1は使えるソフトがエクセルだけという状況でした。私が就職したのもこの頃です。大学の研究費が使えるようになったのですが、自宅用のパソコンはほとんど私費で購入しています。大学には公費で購入したエプソンのNEC互換機を置いてました。桃山時代にはあと公費で、ノートパソコンを2台購入しました。最初に購入したのが、東芝のダイナブックJ3100です。これはいまのDOS/vと違い、東芝独自の方法で日本語の表示をしていました。このマシンにwindows3.1を搭載して利用していました。液晶ディスプレイはモノクロでした。重さは2キロ程度で何とか持ち運べる程度です。桃山のときは、教授会や委員会の議事録をその場で打ち込むのに活躍していました。関大の教授会は、事務職員が議事録をつけてくれるので助かります。もう一台のノートは桃山を退職する直前に購入したエプソンのノートでペン入力対応のやはり白黒ディスプレイのパソコンでした。本体とディスプレイを分離してディスプレイ部分はPDAとして利用できるというものでしたが、結局ペン入力というのは、あまり使い勝手はよいものでなく、主流にはなりませんね。やはりキーボード入力が一番です。
関西大学に移ることになり、エプソンのパソコンは桃山学院に返却しました。ダイナブックはさすがに古かったので返却不要だと言われたので、関大の研究室に注文したパソコンが届くまでの間使用していました。関西大学に赴任した平成7年はパソコンの世界が劇的に変わった年、そうwindows95が発売された年でもあります。平成7年のはじめにNECの名機PC9821Xaのフレームモデルを購入しました。そして大学の研究室にはPC9821Xa16を購入しました。このときはいずれもあこがれのペンティアムマシンをゲットして喜んでいたのですが、windows95モデルになってからパソコンの世界は大きく様変わりしてしまいます。windows全盛時代となり、NECの牙城が崩れていったわけです。研究室のパソコンはともかく、自宅のパソコンにwindows95を導入するのは無茶苦茶大変でした。何しろケチってフレームモデルを購入したため、ハードディスク、CD-ROM、サウンドボード、SCSIボード、グラフィックボードのすべてが別売りで割安なサードパーティの製品を購入したため、windows95用のデバイスドライバをすべて自分で組込む必要がありました。動くようになったのはほとんど奇跡でした。でもとても遅くて使い物になりませんでした・・・。そのころはniftyでパソコン通信をしていたのですが、書斎に電話線がなかったので、ダイナブックを電話の近くにおいて使用していました。このころからノートパソコンにカラー液晶が使われるようになってきました。白黒のダイナブックに不満を持っていたのでIBMのシンクパッド530を衝動買いしてしまいました。でもSTN液晶で見にくかったので結局ほとんど使いませんでした。この年は95発売により空前のパソコンブームとなり、わたしのパソコン歴でもっとも無駄遣いをした1年となりました。その年の暮れにインターネット専用パソコンとして東芝のBrezzaを購入しました。windows95をインストール済みで喜んでいたのですが、内蔵ハードディスクの容量が小さく、しかも各種ソフトがインストールされているため空き容量が数10メガという悲惨なマシンでした。一太郎とエクセルをのせるために、いらないソフトを削っていたら、必要なファイルまで消してしまい起動しなくなってしまいました。で、windows95を再インストール使用としたらバックアップ・フロッピーが壊れてました。いまのパソコンは必ず工場出荷段階に戻すCD-ROMが付属しているのですが、なぜか東芝は当時別売りだったので、東芝に連絡してバックアップCD-ROMを取り寄せました。こういう状況のなか東芝のパソコンにも失望し、新しいマシンを購入することにしました。さすがに95年は我慢しましたが。96年になって我慢しきれなくなって購入したのがゲートウェイのマシンです。
当時としては最速のペンティアムUマシンでした。初めてインターネット通販で購入したマシンです。注文してから1週間ほどで届きました。少しでも価格を抑えるために、内蔵CD-ROMのグレードを落として、サウンドボードなしモデルにしました。ディスプレイなしモデルにするつもりだったのですが、安かったので15インチディスプレイを付けて買いました。総額約30万円ぐらいだったはずです。例の牛のマークの段ボールに入ってました。そういえば、購入してしばらくしてからゲートウェイから電話があってユーザーアンケートに答えました。もし牛のマークを入れたパソコンを発売したら買いますかという馬鹿げた質問を受けて即座に買いませんと解答したのですが、まさか本気で発売するとはそのときは思いませんでした・・・。さすがに早いとはじめは喜んでいたのですが、やはり格安のディスプレイの性能はひどいもので画面がちらつくのでディスプレイは廃棄しました。ちょうど実家に使っていないNECのマルチシンクディスプレイがありましたし。ゲートウェイのマシンは、最先端のビデオカード、ハードディスクコントローラーを積んでいたのですが、それが仇になりました。わたしの場合、やたらとマシンを酷使するのでしばしば暴走させています。たぶんMS-DOSモードで自作のフォートランやベーシックのソフトを実行させるのがまずいのではないかと思います。暴走して最悪の場合には、windowsのシステムファイルを破壊して、再インストールするはめになります。ところが、ゲートウェイのマシンは出荷段階に直すのが大変です。マニュアルにしたがって、各種ドライバーをほとんど手動で組み込む必要があったのです。NECや富士通のパソコンだとリカバリーCD-ROMが付属しているので楽ですが・・・。それでも1年間ぐらいは、何度か、windowsの再インストールをしたものの、何とか動いてました。しかしちょうど保証期間が過ぎたあたりについに再インストール中に障害が発生してフロッピーディスクを受け付けなくなってしまいました。ハード的に壊れたマシンは、長いパソコン歴の中で初めての経験でした。やはり外資系は信用ならん!と思い購入したのが現在使用しているエプソンのマシンです。
エプソンのマシンは、通販で購入しました。ミニタワー型のペンティアムU搭載です。それまでデスクトップ型しか購入したことが
なかったのではじめてのミニタワーです。タワー型の利点は拡張性が高いとかいうけど、最近のパソコンはUSBもついているし、あまり拡張スロットの数は不要ですよね・・・
このマシンの最大の不満は、音がうるさいところです。最近のマシンはどれもかなり大きな放熱ファンがついているのでうるさいのですけど、このマシンの音は問題外ですね。
音がうるさいこともあって、あまり使ってません。そこで、1999年度に購入したのが富士通のBIBLOです。セレロン300MHz搭載のA4オールインタイプです。液晶ディスプレイは14インチと大画面です。一度液晶ディスプレイに慣れるとCRTには戻れなくなります。ちらつきがなく目にやさしいですから。
このマシンは、CD-ROMのユニット部分が取り外し可能になっていて、フロッピーディスクドライブユニットやスーパーディスクドライブに入れ替えることができます。スーパーディスクドライブを取り付けて使用していたのですけど、デジカメのメモリカードコンバータを読めるかどうか試して破壊してしましました・・・
この富士通のマシンはいま嫁さんが使用していますけど、よくフリーズするのが難点です。このマシンがフリーズすると、通常のCTRL+ALT+DELがきかなくなることが多く、本体裏にある小さなリセットスイッチを押さないと復帰できません。電源スイッチだけでリセットできるようにしてほしいところです。それに、キートップが1個はずれてしまったし、
本体を斜めにして打ちやすくするための、突起?の部分が破損してしまいました。プラスチックでなく超合金のマシンがあればいいのですけど。
続きはまたの機会に
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2007年5月11日 9:15:49