景気回復策と高齢化対応を切り離すべき
橋本恭之
昨年来の懸案であった税制改革は、1994年9月22日に政府・連立与党の税制改革大綱が正式決定されたことにより、ようやくその具体像が明らかにされた。税制改革大綱によると、1994年度の減税は税率表の見直しと課税最低限の引き上げによる恒久減税3.5兆円と15%の定率減税による2階建て方式となり、消費税率は97年4月から5%に引き上げられることになった。
今回の税制改革大綱を読んで感じる第一の問題点は、所得税の減税方式が恒久減税と定率減税の組み合わせという極めて不自然かつ複雑なものとなったところにある。2階建て減税が実施されることになったのは、7%への消費税の税率の引き上げが必要とされてきた状況のなかで、5%への引き上げで抑制することのみで、安易な政治的妥協が図られたためである。消費税の税率を抑制するために、所得税の恒久減税部分の内容は、高齢化社会における勤労世代の過重な負担を防ぐという長期的な目標を達成するには不十分なものとなった。すなわち、政府税調において議論されてきた最高税率の引き下げなどは今回の大綱においては見送られることになり、税率表の見直しも極めて小幅なものにとどまっている。
所得税減税が2階建て方式となったことにより、大蔵省の試算によると、恒久減税と消費税率引き上げは、減税と増税が完全に実施される平年度では差し引き1.6兆円の増収になると見込まれている。今回の税制改革がその出発点においては、平成不況脱出を目的としていたことは周知の事実である。国民の関心が景気回復のための所得税減税に寄せられている間に、将来の高齢化社会に備えた増税が組み込まれることになったのである。確かに、わが国では確実に高齢化が進行し、将来税負担を引き上げざるを得ないことは、大方の意見の一致するところである。しかし、平成不況の中で緊急的に所得税減税が必要とされているこの時期において、高齢化社会における負担と給付のあり方についての十分な議論がないままに、増税型の税制改革をおこなうことには問題があろう。
景気回復のための税制改革と高齢化社会を見据えた税制改革は、両立が難しいものと言える。むしろ、景気対策としての税制改革と高齢化社会を見据えた税制改革は、切り離して考えるべきである。当面は、景気回復を目指した定率減税のみを実施し、景気が回復した時点で定率減税を打ち切るべきである。幸い、日本経済は今年に入って景気回復の兆しがみえてきている。したがって、定率減税の先行は94年と95年の2年間のみで済む可能性がある。2年間の減税先行分の財源程度であれば、景気回復後の自然増収や行財政改革による歳出削減により、十分賄えるものとなろう。高齢化社会を見据えた税制改革は、景気回復後に税収中立型でおこなうべきである。所得税の減税を上回るような消費税率の一層の引き上げは、高齢化社会の進展とともに歳出削減の努力をしてもなお税収が不足するようになった段階で行えばよい。いまの時点で、早々と高齢化社会に必要な財源を確保することは、歳出削減の努力を希薄にする恐れもあるだろう。
次に、今回の税制改革大綱に示された改革案の個別の問題点を指摘しよう。所得税の改正としては、給与所得控除の見直し、課税最低限の引き上げ、税率区分の見直しがおこなわれた。給与所得控除は、前回の抜本改革の際に特定支出控除が採用され、給与所得控除と領収書による実額控除の選択が認められたことにより、サラリーマンにとっての必要経費としての性格が強められた。しかし、この給与所得控除の金額は、かなり大きなものであり、実際に実額控除が選択されることはほとんどない。したがって、給与所得控除については給与収入の一定割合とし、この概算経費を超えるサラリーマンには実額控除を認めるようにすべきである。政府案のように、現在でも高すぎる給与所得控除の水準を引き上げることは、 青色申告の専従者給与に対しても給与所得控除が認められているために、サラリーマンと自営業者の間の税負担格差を拡大することにもつながる。課税最低限の水準については、すでに世界的にみてもわが国の課税最低限は高すぎるとされており、今回の改革においては据え置くべきあっただろう。課税最低限を据え置けば、税率区分の見直しにおいては、最高税率の引き下げなど思い切った税率構造のフラット化ができたであろう。
なお、税率表の改正などの陰に隠れて、ほとんど議論されることもないが、現行の所得税制にはひとつの欠陥がある。それは、前回の抜本的税制改革の際に導入された配偶者特別控除に関するものである。配偶者特別控除は、合計所得金額が1000万円以下の納税者にしか認められない。 したがって所得金額1000万円のところで、収入の増加を税負担の増加が上回る逆転現象が生じることになる。この欠陥の是正は、今回の税制改革大綱においても一言も触れられてはいない。収入の増加につれて少しづつ控除を減らす、消失控除制度を採用すべきであろう(妻の収入の増加に対しては、配偶者特別控除の消失控除制度がすでに導入されている)。
一方、消費税の改正については、評価すべきところが多い。限界控除制度の廃止、簡易課税制度の適用上限の4億円から2億円への引き下げについては、「益税」解消への第一歩として積極的に評価したい。さらに、今回の改正により、「仕入税額控除の要件として、取引の事実を帳簿に記載するほか、請求書、領収書、納品書その他取引の事実を証する書類(インボイス)のいずれかの保存を求める」とされたことを高く評価したい。高齢化社会がピークに達するころには、消費税の税率をヨーロッパなみに10%をはるかに超える水準まで引き上げざるをえなくなる可能性は十分に考えられる。 その際には、逆進性緩和のための複数税率化への必要性が高まることになる。複数税率への対応は、ヨーロッパにおいて採用されているインボイス方式による課税が不可欠である。今回の改正は、将来的なインボイス方式への移行の準備段階としても評価できよう。なお、免税点については、現行のまま据え置かれることになったが、これについては、今後の課題とされるところである。
最後に、今回の改正において導入されることになった「地方消費税」についても一言触れておこう。今回、地方分権化の一環として「地方消費税」が創設されることになったが、その仕組みは、国が徴収し、地方に配分するというもので、現在の譲与税方式と実質上は同じである。 このような帰結は、消費税のような多段階課税が地方税になじまないことから当然予想されたものである。地方消費税としては、アメリカのように小売売上税の採用も、検討の選択肢に入れるべきであろう。