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岡林信康 「見るまえに跳べ」        ごりまつ
東芝EMI TOCT-6872


岡林信康「見るまえに跳べ」俺の先生は気がふれた。
一人は家庭教師。もう一人は高校教師。
今日はその前者、家庭教師の先生のお話。

先生との出会いは俺が中2の冬の事。
神戸大学在籍中は学生運動に明け暮れ、出会った当時も左翼系雑誌の出版社に勤めていたという先生だったが、移り変わった世の中で左翼系の本がバカ売れする筈もなく、薄給の先生は自宅で個人授業を開く事によって得た収入を生活の足しにしていた。

授業は常にマンツーマン。2時間ある授業の内の半分は、学校での授業の復習。そしてもう半分は不味いインスタントコーヒーを飲みながらの雑談。

勉強嫌いの俺はその雑談の長さが気に入り、週に2回、休む事なく先生の家へと通うようになった。世間話からエロ話まで。さすが出版社に勤めているだけあって先生の知識は豊富で、雑談の内容はガキだった俺を飽きさせはしない。そして更に気の利いた事に、雑談時間には必ずBGMが流れていた。メインに流れていたのはジョン・コルトレーン。いつも甲高いトランペットの音色が先生の声に絡んでいた。しかし当時の俺にジャズを理解出来るわけがなく、日が経つ内に俺は自分から先生のレコード棚を勝手に漁るようになっていた。
 
その中で見つけた数枚のフォークのレコード。もちろん俺は、即座に一枚(ライブだったと思う)を取り出し針を落とした。当時の俺が聴いていた曲といえば、ギター・ギンギン!!ベース・ブンブン!!な曲が多かっただけに、スピーカーから流れる生ギターの音と語り口調な歌声は古臭いなりに新鮮だった。その声の主が「岡林信康」。尋ねると先生は「ボブ・ディランと岡林はフォークの神様や!」とキッパリと答えた。それほどの人らしい。そんな偉人さん???とは知らないながらも、歌声が妙に気に入ってしまい、その日を機にBGMはジャズからフォークへと替わった。そしてそれだけでは物足りず、親の給料袋からコッソリと抜いた金で自らレコードを購入。それを先生の家へと持ち込み、BGMに指定するようになった。

岡林の「見る前に跳べ」そしてこの中にある「堕天使ロック」。俺は雑談時のBGMで、この曲がお気に入りだった。(元々は彼の曲ではないが・・) 「見つめる前に跳んでみようじゃないか〜♪」というフレーズ。このフレーズが、ガキだった俺の心にグシッと突き刺さった。

「見る前に跳ぶ・・エエ言葉やなぁ・・。」と、先生もそう言ってくれた。そして先生は俺に同名の一冊の本を俺に手渡した。大江健三郎、「見る前に跳べ」という奇妙な顔の書かれた本。とんでもない代償に面食らった俺だったが、一応は手渡された本を家へと持ち帰り目を通したが、内容が重すぎて困ってしまったのを記憶している。

けれどもこの「見る前に跳べ」という言葉が、俺の人生に影響を与える事になろうとは思ってもみなかった。

この四月で俺も39才。
先生のお陰か?俺の努力なのか?公立高校に入学し、卒業し、そのまま就職し、家族もでき、今では責任者という立場にもある。
 
世間は、言わずと知れた大不況。流されるままでいれば、何もかも失くなってしまうような厳しい世の中だ。だがしかし、そんな中だからこそ、何かをしなければならない状況だからこそ、実行できる事がある。
 
「見る前に跳べ」

じっとしていても、考えてばかりいても始まらないなら、ゴチャゴチャ言っている前に実行すべし。

「見つめる前に跳んでみようじゃないか。俺たちにできない事もできるさ。」

岡林の歌声が俺の背中を押し、先生の言葉が俺を奮起させる。

残念ながら先生は重度の精神分裂症で廃人となってしまったが、先生には本当に感謝している。
先生、ありがとう。

長い昔話になってしまったが、とにかく聴いてみてくれ。
歌は世につれ、世は歌につれ・・時代を超えて受け継がれる岡林の声を。




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岡林信康「いつかまたきっと何処かで」



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