ROCK ARTISTS BIOGRAPHICAL DEPARTMENT
JAPANESE ROCK ARTISTS SECTION



チェッカーズ

「確信犯」
   SHINGO

「涙のリクエスト」。チェッカーズが一気にブレイクしたのはこの曲だった。その直後♪ちっちゃな頃から悪ガキで〜15で不良と呼ばれたよ〜〜♪でお馴染みのこのデビュー曲がセカンドを追うという奇妙な形で売れ出し、甘いルックスのアイドルバンドとしてチェッカーズはお茶の間に完全に定着した。

当時の女子中高生はチェッカーズ派か、もしくはこれも抜群のルックスをもったボーカリストとして売り出した吉川晃司派かの二つの派閥に分かれ、一様に黄色い歓声を上げていた。男共もこれに伴って吉川スタイルを真似る者と、刈り上げヘアーに前髪の一部をアゴまで伸ばした藤井郁弥スタイルを真似る者に分かれていた。

その頃、クールスや横浜銀蝿などの“日本の不良ロック”に傾倒していた中学生の私はその状況を鼻で笑い、一切興味を示さなかった。そんな時「絶対いいから聴いてみろ」と友人に渡されて「まあ、よく聴きもしないで笑うのもナンだから一度聴いてみるか」とラジカセに放り込んだのが「絶対!チェッカーズ(※1)」とラベルが貼られたカセットテープだった。それがナント「いい!!」のである。ルックスとは裏腹にこれは・・・ロックンロールじゃないか!!サックスガンガンのロックンロールにDooWop、アカペラまで聴かせてくれる!(3人ボーカルは伊達じゃなかったのか・・)。

そうなってみていろいろ情報を集めてみると、世間に見せているあのバンドスタイルはデコレーションであることがわかった。そもそもこのバンドは博多でR&Rやロカビリー、DooWopなんかのコピーを演っていたバンドで、その頃のメンバーは全員リーゼントだったという。スタイルとしては完全にクールス等と同様だったわけだが、プロデューサーの芹沢廣明の意向であのスタイルが出来上がったようであり、そうして見てみるとテディーボーイスタイルの進化形に見えなくもない。私はそれを知って「ルックス重視の軽いバンド」と見られることについてのジレンマが当然あるだろうと考えていた。

しかしそれは思い違いだったようだ。彼らはそんなことまったくおかまいナシの「確信犯」であり、その姿勢はスタイルだけにこだわる陳腐なバンドよりはるかに潔く、ロックだ。その後もロックンロールなそのサウンドを引っさげアイドル街道を驀進して行き「チェッカーズ作品ならなんでも買う」という市場を完全に確立した上で自分たちの好きな音楽を自由に表現していったわけである。その後セルフプロデュースを始めた5thアルバムあたりから「大人になった不良」の世界を表現していたようで、世間の評価も「アイドル」というものではなくなっていったようだ。

そして1992年、10枚のアルバムを残し解散。5thアルバム以降の作品は残念ながら私の嗜好に合わずアルバム全曲を通して聴くことはなくなったが、名曲“俺たちのロカビリーナイト”を収録した4thアルバム「FLOWER」(※2)までの4枚のアルバムは私の中では間違いなくロックンロールであり、現在も携帯プレーヤーで持ち歩くCDのラインナップに入っている。

う〜む、今でも十分のれますよ。


☆これを聴け!☆

チェッカーズ 「絶対 チェッカーズ」 チェッカーズ 「絶対 チェッカーズ」
記念すべきデビューアルバム。1曲目から50'テイスト溢れるロックンロールで腰が揺れること間違いなしだ。最後の“ムーンライト・レヴュー50's”ではアカペラまで聴かせてくれる。
チェッカーズ 「FLOWER」 チェッカーズ 「FLOWER」
アイドル絶頂期に発売された4thアルバム。だいぶオールディーズ色がなくなってきており、 私の中では彼らの最後のロックンロールアルバムだ。



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