-cinema diary-

2004年5月の映画日記


 

2004.5.8 巧い!

「アダプテーション」

監督:スパイク・ジョーンズ
脚本:チャーリー・カウフマン
主演:ニコラス・ケイジ、メリル・ストリープ、クリス・クーパー、他

鑑賞日:2003.10.17


 「マルコヴィッチの穴」で高い評価を受けた脚本家チャーリー・カウフマン(ニコラス・ケイジ)。彼は次回作として、「ザ・ニューヨーカー」誌の記者スーザン・オーリアン(メリル・ストリープ)の著作「蘭に魅せられた男」の脚色を手がける事に。蘭の魅力に取り付かれるあまり、法律で採取が禁じられている希少種に手を出した男ジョン・ラロシュ(クリス・クーパー)に取材したドキュメンタリーだ。だがシナリオの執筆は難航し、チャーリーはスランプに陥っていく。その一方で、チャーリーの元に居候していた双子の弟ドナルド(ニコラス・ケイジ)が、見よう見まねで映画のシナリオを書き始める。シナリオ教室に通い、ものすごく安直なサイコスリラーを手がけるのだったが、これが意外にも好評で……。


    *    *    *


 「マルコヴィッチの穴」で奇想天外な世界を見せてくれた監督&脚本家コンビによる最新作です。
 ……つうか、今回もある意味すごい話になっておりますなぁ(笑)
 「マルコ〜」で何よりも目を引いたのは、俳優ジョン・マルコヴィッチの意識に侵入して彼になりきる事が出来る、というその奇想天外なアイデアでしょう。有名な俳優ですが超有名なスターという程でもなく、まず「ナニユエにマルコヴィッチなのか」というところから微妙にオカシイわけですが、そんな彼になりきるというのも奇想天外なわけで、予測不能な、いかにも曲者な展開が用意されておりました(笑)
 そういう意味では本作は、ネタ自体のインパクトとか奇想天外さは前作ほどではありませんが、曲者な印象はより強くなっていたんじゃないかと……(苦笑)
 何せ、主人公が他の誰でもない、「マルコヴィッチ〜」のシナリオを手がけた脚本家チャーリー・カウフマンその人なのですよ(笑) 40近くにして独身、デブでハゲで神経質で自意識過剰な小心者というかなり困った人なのですな。映画のオープニングが「マルコヴィッチ〜」の撮影現場から始まるのですが、脚本家であるにも関わらず、通りがかったスタッフから「部外者は出ていけ」と注意される始末(爆) チャーリーのトホホぶりをしょっぱなからよくアピールしていたと思います(笑)
 そんなトホホ男のチャーリーが、新たに脚色の仕事を引き受ける事になりまして。蘭の希少種の収集に情熱を燃やす男ジョン・ラロシュに取材したドキュメンタリーなのですが、ドキュメンタリーだけにストーリーらしいストーリーはなく、作業は当然難航します。
 で、「困った、書けない……」てな状態に陥っているところに登場するのが、チャーリーの双子の兄弟ドナルド。二人ともサエない容姿なのは一緒なのに、彼はチャーリーと違って明るくて社交的で、女の子をナンパしては結構よろしくやってたりするわけで、ドナルドの存在はチャーリーにしてみればイライラの種なのです。
 そんなドナルドがある日唐突に、シナリオ教室に通って映画のシナリオを書くと言い出すのですなぁ。そのうち彼は陳腐で安易なサイコ・サスペンスを実際に書き始めるわけですが、安易かつ陳腐なアイデアを「名案だ!」とか言いつつ喜々として並び立てる彼の姿にチャーリー大迷惑(笑) スランプによけい拍車がかかっていくわけです。
 ……てな具合で、映画はそういうチャーリーの「書けない」日々と、チャーリーが本を読んで想像している(のだろうと思われる)実際にラロシュに取材しているスーザンの姿を綴った3年前の姿とが並行に綴られるわけですが……そうやって想像上のスーザンに惹かれつつ、チャーリーは試行錯誤を続けていくわけです。
 結局チャーリーは映画の中盤で「そうだ!自分を主人公にしよう!」と思い立つわけですが、この辺りの過程が何げに興味深かったりします。彼が口述筆記のためにテープレコーダーに吹き込んでいる内容が、実際に観客が見ている映画の内容の、ついさっき見たはずの序盤のシーンそのまんまなのですよ(笑)
 その後チャーリーとドナルドは実際にスーザンに会うためにニューヨークに行く事になり、そこからなんだかんだでとんでもない方向に流れていくわけですが……最終的にこの映画は「チャーリーが仕事を引き受けてから、シナリオを脱稿するまでのお話」を書くチャーリー・カウフマンの姿を、実際に仕事を引き受けてから脱稿するまで綴っているのですな(笑)
 つまり、「観客が映画館で見ている映画の内容」と、「その映画の登場人物が作品の中で執筆しているシナリオの内容」が、限りなくシンクロしているわけですよ(笑) 要するに……作中でチャーリーが執筆していたシナリオをそのまま映画化したものが、観客が実際に見ている映画そのもの、という風になっているわけです。映画本編と、劇中で書かれていた作中作とが、全く同一の内容である、というわけです。
 いやー、これはなかなか不思議な体験ですよ! 全編が作中作であると同時に、その作品の執筆にまつわる裏話を綴ったストーリーでもあるわけです。「裏話」でもあり「裏話の映画化作品」でもあり……うう、説明していて混乱してきました(笑)
 しかも、作中の登場人物であるチャーリー・カウフマンも、彼の前作である「マルコヴィッチの穴」も、架空ではなく現実に存在しています。作中では実際にこの次回作のシナリオを試行錯誤しながら執筆する過程がつづられているわけですが、途中ドナルドが通っていたシナリオ教室の先生にチャーリーも結局助言を受け、ストーリーの後半部分はそこで受けたアドバイス通りのまとめ方になっていたりもします。となればただの裏話ではなく、書いた当人の作為的思惑もそこにはあるわけでして……(笑)
 まぁいうまでもなく映画っつうのはフィクションなのですが、見ている観客にしてみればある種の仮想現実でもあるわけで、目の前のスクリーンで繰り広げられているのは「信じられるウソ」、つまりフィクションはフィクションとして、もっともらしい出来事として受け止めるのが通例です。しかも本作にはチャーリー・カウフマンという実在の人物が出てくるわけで、ノンフィクションめいた説得力がある一方で、「作中作と同一の内容」という要素が、「結局は良くできた作り話なのだ」というウソっぽさも持ち合わせているわけです。その辺り、実に巧みに作りこまれておりまして……。



 ……では、実際にこの作品がどこまで現実なのかといいますと……まず双子の弟ドナルド・カウフマンは架空の人物であるらしいです。チャーリー・カウフマン本人のインタビュー記事にそう書いてありましたので。となると彼の書いた「傑作」サイコサスペンスである『ザ・スリー』も……まぁ多分架空の存在でしょう。どんな映画なのか見てみたい気もしますが(笑)
 じゃあ作中のスーザン・オーリアンの著作はどうかと言いますと、これは実際に日本でも翻訳が出ています。映画の公開に合わせて書かれた「原作本」の体裁をとった関連書籍かというと(ツイン・ピークスとかブレアウィッチの頃にその手のやつがチラホラと……)、どうもそうではなさそうでして……日本では数年前にハードカバーで刊行され、本作公開に合わせて文庫化、という事になってますのでどうもこの原作本は本物の存在であるらしいです。……けど、その割には映画の作中に出てくる作者の扱いがヒドいような気もしますし……(爆) うーん……。
 あと、「アダプテーション」というタイトルも意味深ですよねぇ。直訳すれば「順応」という意味で、ラロシュが取材の中で語っていた、ダーウィンの進化論からの引用なのですが……言葉の意味を捉えるならば、ラロシュへの取材の中で自分に欠けている何かを模索しようとするスーザンの内面の動きを現しているようでもあり、もしくはスランプに陥ることで周囲の人間としっくり行かなくなっていくチャーリー自身が、そういうトホホな現状を改善しようともがいている状況の事を言っているようでもあり……何だかんだでいわくありげな感じです。あとアダプテーションにはズバリ「脚色」という意味もあって、要するにチャーリーの仕事そのものを指してもいるのですね。
 そう考えると、単に事実とフィクションがごっちゃになっているから面白いというだけではないのですよ。タイトルの意味以外にも、この現実←→フィクションのややこしげな構図を生むために用意された架空の兄弟ドナルドとチャーリーが、作中の事件を通じてお互いを改めて理解しあうという真面目なドラマ要素まで用意されていて、単なる悪ふざけというにはあまりにも周到に書かれたシナリオであります(笑)
 おおよそハリウッドのメジャー作品とは思えないほど淡々としている(失礼)スパイク・ジョーンズの演出も逆にシナリオの持ち味を引き立てていたように思いますし、一人二役に挑戦したニコラス・ケイジも良かったですし(彼はこういう神経質な役どころが何げに上手いですが、今回は特に素晴らしかった……(爆))、全体的に非常に完成度の高い、用意周到に計算された、スキの無い映画だったように思います。
 うーん。「マルコヴィッチ〜」はアイデアの奇抜さがまずものをいう作品でしたが、そういう奇抜さに頼った一発屋コンビではないぞ、というのが何げにこの映画で証明されていたように思います。いやー、さすがにこれは誰にも真似できないだろうなー(爆)



オススメ度:☆☆☆☆☆(シナリオがあまりにも綿密過ぎます(笑))



 


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