-cinema diary-

8月の映画日記。


 

2000.8.10 良質のSF?



「ジュブナイル」

監督・脚本・VFX:山崎貴
主演:香取慎吾、酒井美紀、鈴木杏、他


鑑賞日:2000.8.9



 ごく当たり前のことですが、特撮……最近ではSFXとかVFXとか呼称されるものの一番の基本は、観客に「どうやって撮ったのか」を分からせないことにあります。
 特撮を使っていることは見ればすぐに分かります。というより、「すごいことをやっている」と記号的に分かりやすくなくてはなりませんから、特撮を使っている事が知られるのは別に悪いことではないのです。ただし、それをどういう風に撮っているのか……トリックがすぐに分かったり、想像がついたり、「チャチな仕掛けを使っている」と思わせてはいけません。「うわあ、これ一体どうやって撮っているんだ!」という驚きを引き起こさなくてはいけないのです。
 ハリウッドあたりでは、「スターウォーズ」等でSFXが日の目を見るようになってからは当然のように行われて来た事です。しかし日本では、東宝怪獣映画やTVの東映の戦隊ものなど、予算がそうさせるのかマニアのこだわりがそうさせたのか、「トリックを見破られないようにする」という当たり前の事が、まったく出来ていませんでした。また、そうしないのが日本の特撮なんだ、という悪しき慣例が、結局それらの作品によって作られてしまった感さえあります。ま、そういう「悪い」慣例は他にも色々あるんですが(笑)、それを破ってきた平成ガメラシリーズでさえ、特撮のクオリティに関しては「ガメラ3」でようやく手が回ったくらいです。
 そういう意味では、この「ジュブナイル」の完成度はまさに完璧に近いものがあります。まずCGIのデキがよく、それと実写との合成も巧みです。また特撮ばかりではなく、本編の方もシナリオに破綻がありません。「ジュブナイル」のタイトルが示すように、物語は子供達が主人公の軽い作品ですが、構成に破綻がない上にセリフなどにも未熟な部分、未消化な部分がほとんどありません。子役の演技も納得出来る範囲で、かなり巧いと感じました。あと肝心な事ですが、大人の役者の方にも手抜きがありません。これは役者だけではなくてスタッフにも言えることなのでしょうが、「子供映画だから」という甘えや手抜きがこの作品には一切ないのです。子供が主人公だったり、暴力やセックスを描写していなかったり、シナリオに難解さがなかったりと、単に「子供でも充分に楽しめる」映画になっているだけで、決して子供だましではないのです。
 そう考えると、「ジュブナイル」というタイトルが、とても重要な意味を持ってはこないでしょうか。ボクらがかつて読んだSF……「ジュブナイル」は、常に良質なSFであり続けました。この映画に、人間の深淵に迫るような深いテーマ性など望んでもありえないでしょうが、いい映画である、という事にそういうものがあんまり関係はないのだ、と言うことをこの作品は充分に証明していやしないでしょうか。



評価:☆☆☆☆





2000.8.10 人・狼・イヌ


「人狼 JIN-ROH」

監督:沖浦啓之
原作・脚本:押井守
アニメーション製作:プロダクションIG
声の出演:藤木義勝、武藤寿美、他


鑑賞日:2000.8.8



 「マトリックス」にパクられた事で一躍有名になった日本製アニメーション「攻殻機動隊」。その監督として知られているのが押井守です。その押井監督の最新作が、この「人狼」です。
 とは言っても、今回押井はシナリオを手掛けただけで、実際の監督は前述の「攻殻機動隊」で作画監督を務めた、沖浦啓之が手掛けています。ま、アニメの場合「監督」という役職にある人間が作品の作家性にまで責任を負うとは限らないのですが……。似たような例で言うと、スタジオジブリの「耳をすませば」という作品があります。この作品で宮崎駿は監督はやってませんが、シナリオと絵コンテを手掛けている関係上、「宮崎作品」と呼んでまったく差し支えのないものになっています。
 ま、宮崎駿の場合は彼も元々はアニメーターですし、演出上重要な絵コンテを彼が書いてしまっているのでそういう風に言えるのでしょうが、押井守となるとちょっと事情は違います。彼は元々アニメーター出身の演出家ではありませんし、この「人狼」の場合あくまでもシナリオだけですから、沖浦監督のテイストもかなり入っているでしょう。
 アニメーションの制作はプロダクションIG。前述の「攻殻機動隊」、「エヴァンゲリオン」劇場版など、国際競争力のある(笑)ハイクオリティな作画技術を持ったスタジオです。
 正直な話、日本のアニメというのは相当に「苦しい」現場で作られている、というのはアニメファンなら誰しも持っている認識でしょう。とにかく人出がない。予算がない。制作費がない。そんなナイナイづくしであるという台所事情は大体ファンも分かっている事なので、多少クオリティに問題があっても、ちょっとくらいならカンベンしてやるか、となってしまうのが実状です。本来劇場でかかるアニメともなれば、前述の3つ……ヒト、カネ、時間……そういうものを潤沢に費やして、ハイクオリティなものを作らねばなりません。デッサンが狂っていたり、動きがぎこちなかったりするのは本来はあってはならない事なのです。
 また、日本のアニメファンの嗜好というのはとにかく特殊です。そういうクオリティに問題のある作品でも商品として受け止められるというのも奇特ですが、例えばキャラクタのデザインだったり、例えば出演している声優さんだったりと、本来のアニメの存在意義である所の「絵を動かす」こと意外の部分に価値観を見出す人種であったりもするのです。裏返して言えば、「絵」が「動かない」作品でも商品価値が有り得ると言うわけです。そんな状況がありますから、「絵を動かす」事に価値感を見出そうという作品づくりは、どちらかというと少数派です。なによりそういうふうに作品を作ると言うことは、前述のヒト、カネ、時間がふんだんに費やせなければなりませんから、そういう作品を作るスタジオにもかなりの体力が要りますし、それを支えるスポンサーにも理解が必要です。
 ジブリはアニメファン以外の一般の観客を相手にする事で、そういう「理解」を得られました。プロダクションIGのの場合……というかこの「人狼」の場合、海外市場に需要があるという判断から、「理解」を得る事が出来たのでしょう。


 さてこの作品、押井作品としては、ライフワークとも言える「ケルベロス」シリーズの最新作という位置づけになっています。
 ここで少し「ケルベロス」シリーズについて説明しておきますと、この「人狼」にも登場した首都警特機隊、通称「ケルベロス」……特殊装甲服を身にまとった彼らの活躍を描いているのが、このシリーズです。とは言え、本作のように実際に銃火器をばんばん繰り出す戦闘を描いているのは、映画としては本作が初めてでしょう。シリーズの前2作はなんと実写映画で、特機隊解散後のエピソードとなっています。2作で共通して描かれているのは、特機隊解散時の事件。解散に反対した一部隊員が蜂起を起こし、逃走するという事件です。第1作「紅い眼鏡」は、国外に逃走しつつも再び帰国した元特機隊員・留々目紅一のお話です。彼は再開を約束したかつての仲間の元を訪れますが、彼らの裏切りに合い、公安局に追われるハメになります。装甲服を持って逃げる彼と、それを追う公安局との追走劇を、白昼夢のような不条理さとともに描き出した怪作です。続く2作目「ケルベロス・地獄の番犬」では、国外に逃走した留々目紅一の部下・乾が、彼を追って台湾の地を迷走する、という話。
 2作品とも、非常に難解な作品であります。装甲服……この段階ではプロテクトギアと呼ばれていますが、そのビジュアルから連想するアクション映画らしいイメージを裏切って、1作目ではカフカ的な不条理感覚を描き出し、2作目ではロードムービーに徹します。
 そういう意味では、初のアニメ化である「人狼」は、初めて「アクション映画」として描かれている作品でもあります。
 とにかく、こだわりはハンパではありません。何しろ銃火器関連だけで専属の作画スタッフを立てているくらいです。銃火器のリアリティもさることながら、その威力をあらわすバイオレンス描写にも容赦がありません。肉が引きちぎれるような凄惨な描写こそ避けられていますが、血糊の量をケチるつもりはまったくない様子です。
 アクションも初めてならば、ドラマ部分にもこれまでの押井作品とは違う部分があります。劇中で描かれる特機隊潰しのための公安局の策略など、陰謀渦巻く筋立てはいかにも押井守ですが、それに巻き込まれる主人公とヒロインの微妙な距離感は、これまでの押井作品には見られなかった要素です。この男女間の微妙な関係が、この作品には重要なものになっています。
 人間はどこまで暴力に忠実でいられるのか。また、人間はどこまで人間性に忠実でいられるのか。本作の重要なテーマはそれだと思われます。テロリストを殺すことに何のためらいも持たない非情な武装集団として描写される特機隊。その隊員である主人公。しかし彼は、目の前に現れたテロリストの少女を、撃つ事が出来ませんでした。自分が必要と信じていたはずの「暴力」に、忠実に成り切れなかった主人公。彼はヒロインとともに陰謀に巻き込まれていくことで、再び同じ事を問われます。暴力に忠実であるべきなのか。人間性に忠実であるべきなのか。
 映画の中で、重要なモチーフとして登場する「赤ずきん」。主人公は、暴力に忠実であるべき「狼」なのか? そこから抜け出して、「人間」になる事は出来るのか? 
 押井作品は常に難解なテーマを観客に提示しますが、ここまで「人間性」について問いかけてくるのは、この作品が初めてでしょう。押井作品に限らず、こういったアプローチをしてくるアニメーションというのは、とにかくお目にかかった事がありません。
 余談ではありますが、押井守はその作品において、常に難解なテーマを問いかけてくる作家でもあります。ただ、「人狼」に限って言えば、押井守ばかりに手柄があるわけではなさそうです。前述の、押井作品にはあまりみられない濃密な男女の関係。彼らの恋愛がきちんと描かれているおかげで、先の「人間性」の問いかけが非常に生々しく見えてくるのです。この生々しさは、シナリオを書いた押井守の持ち味ではなく、監督を担当した沖浦啓之の持ち味によるものでしょう。


 ここで、作品の舞台背景にも触れておきましょう。
 舞台となるのは昭和30年代の日本。ただし、「架空の」という注釈がつきます。首都警特機隊なるものは当然ながら架空の存在ですし、彼らのような組織の設立が必要だった程、政治闘争・学生闘争が激しかったわけでもないと思います。
 ま、学生闘争という言い方をするとちょっと時代がずれるのかも分かりませんが……押井守という人自体はそういう学生闘争などがあった世代の人ですので、本作で描かれているようなテロなんかはその影響なのでしょう。まったくの余談ですが、こういうゲリラが火炎瓶を投げていたり、地下の下水道を伝って逃げ歩く、という描写は大友克洋の「AKIRA」でも描かれており、冒頭の地下水路での制圧戦などはほとんど「AKIRA」における西暦2019年のネオ東京と全く同じ光景です(笑)
 ちなみに前2作の実写では、この30年代という時代背景は特に言及されていないので、これはアニメ版オリジナルの設定だと思われます。そうなると、実写とアニメには繋がりがないのでしょうか? もっとも、実写の2作でも留々目紅一の逃走経緯に食い違いがありますので、シリーズ3作はすべてパラレルワールドの別個の物語、と解釈する事も可能だと思われます。
 また作画の方も、この時代感を出すためにすごい苦労しています。背景画などはもちろんですが、初代クラウンやブルーバード、三輪トラックと言ったクラシックな車が随所に出てきますし(クレジットによれば、銃火器同様に専門の作画スタッフを立てているようです)、衣装や小道具なんかもそれっぽく描かれています。実写作品ではプロテクトギアと呼称されていたものが特殊戦闘服、と日本語に改められたのもその世界観あっての変更でしょう。
 
 
 最後に……これはまったくの余談ですが、押井守は犬が非常に大好きなんだそうです。各作品にも犬が随所に出てきますし(具体的に絵として)、テーマ的なこだわりも相当あるようです。穿った見方をすれば、プロテクトギアを持って逃走した留々目紅一を描いた第1作は飼い主に見放された犬の物語と見ることが出来ますし、その紅一を追って台湾を駆け巡る2作目は、飼い主を探す犬の話、と解釈できます。では、この「人狼」は? 「赤ずきん」まで持ち出して人の中の「狼」的要素……暴力性を語った本作ですが、実際彼らが「狼」として存在し得るためには「組織」が必要不可欠……つまり、群れていたり、何かに従っていなければそのアイデンティティを見出せないのが彼らなのです。主人公がそこからの逸脱を試みて、結局適わなかった……その事実は、つまるところ孤高の狼になろうとして成り切れなかった、犬の物語だったのではないかな、と見終わってから考えてしまったASDでありました。第一、主人公の「伏」という名前自体、字に「犬」が含まれているじゃあないですか。


 ……ところで、ここまで長々と書いてきたこの文章ですが、見終わった人向けの映画評なのか、これから見る人のためのレヴューなのか……一体どっちなんでしょうなあ……はっきりしねえなあ(笑)



評価:☆☆☆☆




2000.8.9 60年目のバージョンアップ


「ファンタジア2000」


鑑賞日:2000.8.1



 うーむ……何のかんのと7月は一度もこの映画日記を更新しませんでしたね(爆) いや、勿論映画を観ていなかったわけではありません。ただ単に、ここをサボっていただけです。
 まあそんなわけで、新しいヤツから優先的に取り上げて行きたいと思います。放っておくとまたまた溜まっていくだけなので……。


 と言うわけで「ファンタジア2000」です。アイマックスシアターで先行公開されていたものがようやく一般劇場で公開になりましたので、見てまいりました。
 実は、ウチのライブラリには前作「ファンタジア」のLDがあるのですが、ASDはこれをまともに見通した事がありません。途中で必ず寝てしまうのです(笑)
 原因は簡単です。この作品、言ってみればクラシックの楽曲に対するミュージッククリップのようなものですから、多少ストーリー性があった所でセリフも一切ない(わけでは無くて幕間にはある)ですから、映像にインパクトを感じなければただ退屈なだけなんですよねえ……そんなわけで本作も見る前から不安はあったわけですが……。
 結果から言えば、ASDは寝ずに済みました(笑)。相変わらずセリフは一切ありませんが、ストーリー仕立てのある話が増えていますし、CGを多用した映像は充分にインパクトのあるものになっています。人間のイマジネーションの限界に挑むかのような映像……個人的には劇場版エヴァンゲリオンをちらりと想像してしまいました(笑)
 あと、上映時間がかなり短くなっている、と言うのもポイントです。前作は2時間近くありましたが、今回は1時間半もありません。ディズニーの長編アニメの平均的な長さです。それ以上長いとお客さんが退屈するということを、やっぱり分かった上での長さなんでしょうかねえ……。


 少し映像の事にも触れておきましょうか。1曲目「運命」は幾何学模様と色彩の嵐で、しょっぱなからよくぞこんな映像を思いつくなと感心させられます(もっともエヴァンゲリオンちっくなパートでもありました(笑))。2曲目「ローマの松」は何と言っても空飛ぶクジラの群れが圧巻。CGのクジラとは対照的に、水しぶきは手描きで丹念に描かれているのも興味深かったです。「ラプソディ・イン・ブルー」はおおよそディズニーらしからぬポップな画がユニーク、「すずの兵隊」は手書き風トイストーリー(それでもCGは使っている模様)といった趣き。「動物の謝肉祭」は前作のカバのバレエを連想しました。「威風堂々」は何と言ってもドナルドの活躍に注目。ASDのイチオシはラストの「火の鳥」。迫力満点の火の鳥は圧巻の一言。妖精がなかなか萌えるぞ、とアニメファンらしいコメントも残しておきましょうか(笑)


 ウォルト・ディズニーの当初のもくろみでは、この「ファンタジア」は数年置きに、パート単位で新作を作り、順番に差し替えていって徐々に「バージョンアップ」していくつもりだったようです。まあそれは結局は実現しなかったのですが……。そういう意味では今回の「ファンタジア2000」、アニメの……というかディズニーの60年分の進化を一気に見せ付けてくれた、いわば60年ぶりのバージョンアップに相応しい作品だったと思います。



評価:☆☆☆☆

 


鑑賞順リストへトップページに戻る