-cinema diary-

11月の映画日記。


 

2000.11.21 二人のヒーロー

「黒いジャガー」

監督:ゴードン・パークス
主演:リチャード・ラウンドトゥリー

鑑賞日:2000.11.19




 「シャフト」の元ネタです。これで不勉強も一つだけ解消です。ありがとうWOWOW!(笑)
 さて、その内容ですが……「シャフト」とゼンゼン違うじゃん!(爆) というのがASDの第一印象でした。
 サミュエル・L・ジャクソン主演の「シャフト」は、典型的な刑事モノでした。主人公は一匹狼のコワモテ刑事。犯罪者には容赦無く、上司にも平気で楯突き、弱きを守り強きをくじく……まさに典型と言えるでしょう。
 で、「黒いジャガー」です。リチャード・ラウンドトゥリー演じるこちらのシャフトは、私立探偵です。容赦無く迫れるほどに敵はヤワくはありません。盾突く上司どころか、彼を守ってくれる、所属する組織すらありません。弱きを守り強きをくじく前に、ジョン・シャフト自身が、強者にくじかれつつある弱者の側の人間であるのです。他人よりも、まず自分。探偵シャフトは、そういう厳しい状況に置かれている人間なのです。
 思えば、2000年版の刑事ジョン・シャフトは、随分と理想主義者です。彼が執拗に追いかける白人の殺人犯ですが、彼は凶悪な犯罪者ではありません。事件はあくまでも、行きがかりで起きた偶発事件に過ぎないのです。彼は悪事を働こうとしているのではなく、あくまでも自分が果たすべき社会的責任から免れようと立ち回っているだけなのですね。
 考えてみれば、2000年版シャフトの登場人物はそんなヤツばっかりです。麻薬密売組織のボス・ピープルスは外国からの移民で、組織のボスという割にその組織も割と弱小だったりします。彼は犯罪に手を染めていますし、実際容認しがたい悪党なのですが、彼は彼なりの方法で、這い上がっていこうと望んでいる人間なのです。話をややこしくする裏切り者たちもそう。より良い生活のためにお金が必要、とつい悪事に手を伸ばしてしまった小心者です。
 そう、そんな人物の間で、シャフトだけが、自ら信じる正義を具現化しようと張り切っているのです。彼の強大な正義感が、弱っちい小悪党どもを圧倒する……そういう意味では、強弱の関係がまったく逆である、と言えるかも知れません。
 そう、刑事ジョン・シャフト……彼はヒーローとして、実に理想的な存在ではありませんか。弱きを助け強きをくじき、権力には決してなびきません。刑事の身分で理想を追求できないとあれば、平気で辞めてしまってまで悪人を追う、そんな理想主義者なのです。
 これが、1971年版となると話はがらりと変わってきます。
 ジョン・シャフトはニューヨークの探偵。かれはとある犯罪組織のボスから、誘拐された娘を探し出して欲しいという依頼を受けます。調査が進むうち、事は縄張りの拡大を企む黒人犯罪組織と、それに反発する白人マフィアとの抗争に発展していって……という話。それに巻き込まれたジョン・シャフトは、娘の奪回のために決死の活躍を繰り広げるのです。
 2000年版シャフトでは、どこか理想論を語っているような部分がありましたが、ここではそれ以前に、現実的な危機が存在しています。犯罪組織同士の衝突、組織間の思惑が絡んだ誘拐事件……組織の間に板ばさみにされたシャフトは、彼らに利用されるべき手駒に過ぎないのです。そんな危機的状況の中、ジョン・シャフトは頼れる数少ない仲間とともに、無謀とも思える人質奪回作戦に挑むのです。弱きを助け強きをくじく……言うのは簡単ですが、巨大な犯罪組織を前に、無力な一個人に出来る事は限られています。本当は、彼は弱者に差し伸べるべき手など持ち合わせてはいないのです。それでも彼がヒーローであり得ているのは、彼が弱者を食い物にし、その争いに弱者を巻き込もうとする強者……巨大な犯罪組織を前に、一歩も退かずに自分の主張、スタイルを貫こうとすること……それが間接的に、彼を「弱者の声を代弁する」ヒーローにしているのでしょう。
 この作品が作られたのは1971年です。まだまだ人種的な偏見も根強かった時代です。そしてこの映画づくりもまた、冒険であり革命であったのでしょう。黒人監督・黒人スタッフが中心となって、黒人を主人公に撮る黒人のためのエンターテインメント。この映画の中で描かれる「組織の犠牲になる個人」「強者の犠牲になる弱者」というのは、言うまでもなく黒人の事です。はっきり言って、リチャード・ラウンドトゥリーにはサミュエル・L・ジャクソンほどの貫禄もカリスマもありません。それでも探偵ジョン・シャフトがヒーロー足り得るのは、劣勢の中であくまでも自分の主義を貫いていこうという、その姿勢があるからこそではないでしょうか。作中の彼は金にもオンナにも貪欲で、けっしてヒーローとして清廉潔白ではありません。しかし、そういうものに貪欲であるということは、この映画で描かれる世界においては生きることに貪欲であるということと同義であると言えます。その前向きなバイタリティこそ、彼をヒーロー足らしめている要素に他ならないのでは、と思います。
 考えてみれば、刑事シャフトは探偵シャフトに比較して、随分と「いい人」だったりします。自分にとっての利益よりも、正義を貫くことを優先する男です。金にうるさくはありませんし、女性にもモテモテとは言えベッドシーンはほぼ皆無です。金にもオンナにも無欲で、ただ正義という理想だけを追求する……そういう意味では、彼はヒーローとして理想的でも、人間として現実的ではありません。そこが、この2作の大きな違いなんじゃないかな、と思います。
 70年代当時から見て、黒人の地位は大きく向上しました。この映画の監督、ジョン・シングルトンのような黒人のクリエイターが、充分に評価される時代でもあります。
 そこに、大きな差があるのでしょう。1971年は、黒人の手になる映画を作ることそのものが革命だったのに、現代ではそれは決して困難な事ではありません。あくまでも映画として、真摯にエンターテインメント性を追求しなければならないのでしょう。探偵シャフトはその生き様そのものがヒーローであった男ですが、刑事シャフトはどちらかというと、人為的に作られた理想上のヒーロー、というニュアンスが強いように思えます。
 それは両者の外見にも現れていると思います。頭を剃り上げたサミュエル・L・ジャクソンは一見コワモテですが、彼は常に余裕のスマイルを忘れません。正義への信念という強力なバックボーンがあればこその余裕でしょうか。それに対して、リチャード・ラウンドトゥリーは終始ヘラヘラとニヤけてはいるものの、その目は決して笑ってはいないように見えます。どこか油断のない雰囲気を漂わせているのです。
 そう言えば、このリチャード・ラウンドトゥリー演じる探偵ジョン・シャフトは、実は2000年版「シャフト」にも出演しています。カメオ出演のレベルではなく、刑事ジョン・シャフトの叔父、探偵ジョン・シャフトとして出演しています。そう、事実上二人のシャフトが、同じスクリーンの上で共演しているのです!
 これはファンサービスでも何でもないでしょう。叔父ジョン・シャフトはまさに「黒いジャガー」における探偵ジョン・シャフト本人であり、後継者とも言える甥っ子を影ながら暖かく見守っているのです。
 そう考えると、刑事ジョン・シャフトがどこか理想主義者なのも、なんとなくうなずけはしないでしょうか。そう、彼には人生のお手本である、偉大なる叔父がいたからこそ、あれだけの強い正義漢に育ったのではないでしょうか。恐らく探偵シャフト本人には、自分がヒーローである自覚も、ヒーローであろうという心がけも存在しないでしょう。刑事シャフトはそんな彼の生き様を目の当たりにして、自らをヒーロー足らしめることに貪欲な人間であろうとしているのではないでしょうか。そしてそんな彼の正義へのあくなき信念は、傍らに真のヒーローの存在があればこそ、なのではないかなあ……そんな事を考えてしまいました。



 



2000.11.19 黒いジャガー'00

「シャフト」

監督:ジョン・シングルトン
主演:サミュエル・L・ジャクソン、バネッサ・ウィリアムズ、クリスチャン・ベール、ジェフリー・ライト、他

鑑賞日:2000.11.17



 本作は70年代のヒット作「黒いジャガー」のリメイクです。が、例によって見ていないので何とも言えません(笑) 最近不勉強さが露呈しているなあ。
 で、感想。一言で言えば、思いっきり古臭いです(笑)
 元々の「黒いジャガー」が刑事モノっていうか、探偵モノなんですけど、そういう古き良き時代の刑事モノのスタイルに、どこまでも忠実なんですよねえ。70年代テイスト、と言ってしまえばそれまでなんですけど、それをイマ風にスタイリッシュに料理してあるのではなく、ホントに70年代そのまんま、と言った感じなのです。
 ストーリーも思いっきり地味です。主人公シャフトはニューヨーク市警の刑事。とあるバーにて、黒人学生が撲殺されるという事件が発生。シャフトは現場にいた白人青年ウォルター・ウェイドを逮捕するものの、彼の父親は不動産王。彼は莫大な保釈金を積んで自由の身になるや否や、国外に逃亡してしまうのでありました。2年後、密かに帰国した彼を捕らえるべく、シャフトは執念を燃やすのだが……というお話です。
 どうですか、めっちゃ地味でしょう。
 暗躍する謎の巨大犯罪組織も、主人公を追い詰める冷酷極まりない犯罪王も出てきません。映画はただ、この地味ぃーな事件の顛末を丹念に追いかけていきます。銃撃戦もカーアクションも、ゼンゼン物足りなかったりします。ううむ、実にぱっとしないなあ。
 それでは、この映画がつまらないかというと実はそうでもないんですね。この後映画は、裁判の証人となる当時の目撃者を巡って、このシャフトとウォルター、ウォルターが拘留中に知り合った麻薬組織のボス・ピープルス(どっちかってえと小物ですけど)、彼らに買収されている裏切り者……こういった面々の思惑が絡み合って、結構ねちっこくこんがらがっていきます。そのこんがらがり具合が、エルモア・レナード的というかタランティーノ的というか……「ジャッキー・ブラウン」とか「アウト・オブ・サイト」とか、あるいは「ゲット・ショーティ」とか「ペイバック」とか、その辺りのちょっとトボけながらもスタイリッシュな犯罪映画たちを想起してしまいました。上に挙げたタイトルがそうであるように、この「シャフト」もひと癖ある、くろうと好みの一作に仕上がっています。ま、しろうとはお断りって感じでしょうかね(笑) カッコいいのか悪いのかよく分からないテーマソングもクセになりますし(笑)
 そうそう、キャストもひとクセもふたクセもある連中が揃っています、主演のサミュエル・L・ジャクソンはまあ、カッコいいんですけどいつも通りです。バネッサ・ウィリアムズも、あんまり目立ってませんね(笑)
 個人的には、クリスチャン・ベールとジェフリー・ライトが良かったです。クリスチャン・ベールはうっかり人を殺してしまいながらそれにまったく臆する事のない冷徹な白人青年を実に憎々しく演じております。そして特筆モノがジェフリー・ライトでしょう。変な訛りでオカマっぽくくねくねと迫る彼の、あんまりお近づきになりたくない凄みのある変人っぷりは、一見の価値アリです(笑)




おすすめ度:☆☆☆☆(意外とイイ感じです)




2000.11.19 トホホ。

「バトルフィールド・アース」

監督:ロジャー・クリスチャン
主演:ジョン・トラボルタ、フォレスト・ウィテカー、バリー・ペッパー

鑑賞日:2000.11.10



 この映画のトホホぶりについてはあちこちから漏れ聞こえてきてましたが、そのトホホぶりがいかなものであるかをぜひ劇場で確認せねば! という、ヘンな使命感に駆られて、見て来ましたよとうとう。
 で、結論を言えば、やっぱりトホホでした
 何がトホホって、やっぱりジョン・トラボルタでしょう。何かものすごい事になってます。まるっきりクリンゴン星人みたいな扮装をして、鼻からはチューブなんぞぶら下げております。そして、やたらと高笑いを繰り返します。はっきり言ってヘンです。
 彼は一応、サイクロ星人という、地球を征服している宇宙人の、その司令官です。司令官といっても現場の責任者で、本部には彼の上役がいるわけですから、ようは中間管理職ですね。地球何ぞと言う僻地に流され、その鬱憤を払うかのように悪事で私服を肥やすことに執心するその姿、れっきとした小悪党に過ぎません。そんな小悪党を嬉々として演じるトラボルタ、はっきりいってステキです(爆)。
 舞台は西暦三千年。いきなり、「人類は絶滅寸前の種だった」というエラソウなテロップと共に、文明が後退し牧歌的な生活を送る地球人の姿が描かれます。主人公ジョニーは(千年たっても変わらんネーミングだなあ)村の貧しい生活に活路を見出そうと、禁を破り新天地を求め旅立っていくのです。彼がそこで見たものは、崩壊した過去の文明の都市……そして彼はそこで、地球を支配しているサイクロ人に遭遇し、囚われの身となってしまいます。サイクロ人は地球の資源を採掘、収奪するために、あちこちから捕えて来た地球人たちを、強制労働に従事させているのでありました(20世紀の現時点で、資源の枯渇が叫ばれてますが……)。
 地球人をまるっきり家畜同然に扱う彼ら。しかしサイクロ人は知らなかったのです、地球人が知能のある生き物だと言う事を……。トラボルタ演じる司令官は本部にナイショで金鉱脈を掘るために(宇宙人も金が好きなのかー)地球人に密かに学習させ、採掘を任せようとします。それに選ばれたのがジョニー。彼はここで、敵の言葉のみならずさまざまなものを学習し、やがて人々を率いてサイクロ人と戦う指導者になっていって……。というお話。
 見所は何と言ってもトラボルタです。身長3メートルの宇宙人を演じる彼ですが、地球の支配者でありながら貫禄ゼロというのがものすごいです(笑) 部下からは疎まれ、視察に来た上官には媚びへつらい、それでも折あらば出し抜こうとする。せこい権謀術数でのし上がっていこうというその姿……まさに中間管理職、サラリーマン的な悲哀に満ち満ちております。酒場でクダを巻く姿なんかサイコーです
 ……とまあ色々言ってきましたけど、この映画は基本的には、支配から立ち上がる地球人の姿を描いた、独立戦争モノなのです。そう、ハリウッドの大好きなアレですよダンナ! 西部劇の昔から描かれ続けて来たであろうこのパターン、SFでも結構取り入れられてますね。「スターゲイト」とか「ウォーターワールド」とか「ポストマン」とか……うーむ、そんなのばっかりしか無かったっけか?
 でも、そういう見方をしてもこの映画は面白くないです。冒頭5分くらいでさっさと村を出ていく主人公ジョニー君(演じるのは「プライベート・ライアン」の信心深いスナイパー、バリー・ペッパーです)ですが、村人や恋人との対立つうかドラマが全然描けていないので、彼が未知の土地へと旅していくさまが「ふーん」でしかないのですね。行く先々で遭遇する20世紀の遺跡も、その地で出会った仲間も、ストーリーをなぞるだけで、キャラクタが理解出来るような描写は一切ナシです。フィルムのムダ、ということらしいです。その割にはやたらスローモーション多いですけど。「ブロークン・アロー」「フェイス・オフ」とジョン・ウー作品に立て続けに出演したトラボルタが、「もっとゆっくり回せ!」とか指図してたんでしょうか。
 それはそれとして、そんな感情移入も出来ない連中が反乱をおこし、命がけで戦っていても、全然ワクワクして来ません。うーむ、困った。
 じゃ、見どころって何でしょうか。やっぱりトラボルタ様のトホホっぷりでしょうか。サイクロ人に捕えられた当初からやたら反抗的なジョニー君と、彼に悪事の片棒を担がせようとするお茶目なトラボルタさん、この二人の間には、結構奇妙な友情っつうか、ライバル関係っつうか、そういう空気が流れているので、そこをプッシュすれば奇妙に面白い映画になってたんじゃないかなー、という気はします。ま、今でも充分愉快なんですけど。
 前述のように、サラリーマンの悲哀は十二分に描けております。あまりにもセコ過ぎて、悪い意味で人間くさい彼らのコテコテのかけ引きがちょっと面白いかも知れません。なんつうかね……映画を作った人間が、どこがみどころなのかイマイチ分かってないみたいで、ちょっともどかしい映画でした。ま、それであるがゆえに愉快なんですけど。
 それと、トラボルタも愉快ですけど、実はその副官役のフォレスト・ウィテカーもなかなか愉快な演技で笑わせてくれます。こんな愉快な宇宙人たちに無能呼ばわりされる地球人って……地球人って一体!(笑)
 ところでこの映画見終わって、「誰か止めるヤツはいなかったのか」と、誰しもが思うことでしょう(笑) 実際、映画の愉快っぷりの割りにはめちゃめちゃお金のかかってそうな作品で、CGIもこれでもか、ってくらいふんだんに使われております。
 何と言っても圧巻なのは、プロダクション・デザインを担当するパトリック・タトプロスの仕事っぷりでしょう。ハリウッド版ゴジラで、問題のゴジラのデザインを手掛け東宝のお偉いさんを唸らせたあの人です。物語の舞台となる敵のドーム都市や、メカのデザイン、サイクロ人のコスチュームなど、彼のデザインセンスが随所でバクハツしています。いや、冗談抜きで結構いい仕事をしているだけに……逆にこの映画のトホホっぷりが加速してしまう始末です。
 誰だこんな映画を作ったのは! と思っていると、プロディーサーとしてこんな人物が名前を連ねていました。そう、ジョン・トラボルタ本人です。

 お前かい!

 まあ、本人にとって悲願の企画だったのは分かるんですけどね……原作はL・ロン・ハバード。ハリウッドにも信仰者というか信奉者というか、そういう人の多い「サイエントロジー」の教祖、というか提唱者です。宗教じゃないっつっても、まあ新興宗教みたいなもんですな。そしてトラボルタもまた、その熱烈なる信奉者の一人。本作はハバードがSF作家時代に書いた作品の映画化なのでした。何ですか、東映が大川隆法をアニメ化しているようなものですかね? ……もう、勝手にしてくださいって感じです。
 ということで、ここまで散々言ってきましたけど……皆さん、ここまで読んですっかりみる気を無くしているかも知れませんけど、見なきゃダメですよ、絶対。何せこの作品、ゴールデンラズベリー賞受賞確実と言われてますからね(笑)




おすすめ度:☆☆☆☆(悪口で盛り上がれること必至(爆))
真のおすすめ度:☆





2000.11.11 深く静かに潜行せよ

「U−571」
監督:ジョナサン・モストゥ
主演:マシュー・マコノヒー、ハーヴェイ・カイテル、ジョン・ボン・ジョヴィ、他

鑑賞日:2000.11.1


 関係ないんですけど、このタイトルがO−157に似ているなあと思ったのはASDだけですね(笑) もしO−157だったら? 「アウトブレイク」みたいな映画?(笑)
 
 ……という前置きはどうでもいいのです(笑)。タイトルのU−571というのは、あのUボートの事です。そう、この映画は潜水艦映画なんですよね。
 Uボートとなると、どうしても避けて通れないがかの「Uボート」。だがご安心あれ、不勉強なASDは「Uボート」を見ていないのでした(笑)


 第2時世界大戦中。負傷し、漂流する1隻のUボート。連合国側は解読不能の暗号機「エニグマ」の奪取のために、救助部隊を装い敵潜水艦を強襲する。この作戦にかり出された、潜水艦部隊の運命は……?


 というあらすじ。実は予告編でこのあともうひとつどうなるかまで堂々とバラしていましたが(笑) 「そこまでバラしちゃつまんねえだろ」と文句垂れながらも渋々見に行きましたよ。ええ。
 その予告を見る限りでは「メンフィスベル」風戦争青春物というか、友情物というか、困難を乗り越えて生還を試みる若者たちのドラマ……的なものに思えましたが、本編を見てひっくり返ってしまいました。
 確かに映画のノリはそんな所です。主人公は、潜水艦の若き副長。艦長への昇格を希望しながら、「お前にはまだ早い」と艦長にたしなめられてしまいます。そんな彼の成長物語というか、困難な作戦下でのその他の部下達との対立と信頼っつうか、確かにそういう側面を強く打ち出した作品だと思うんですよ。あと、暗号機奪回の秘密指令という、往年の戦争映画のようなノリも忘れては行けません。「プライベートライアン」だの「シン・レッド・ライン」だのといった近年ブームの第二次大戦モノとしては、割とストレートに戦争映画の醍醐味を訴えていたと思います。
 でもね、そんなのは後半、どうでもよくなるんですよ(笑)
 後半、無事に暗号機を入手した彼らは、敵に追われながら帰途に着くわけですが、そこで敵の巡洋艦に発見されてしまいます。ここで映画は雰囲気が一変し、傷ついた潜水艦とそれを執拗に追い詰める巡洋艦との、行き詰まる攻防戦を描き出すのにすべての労力を注ぎ込んでいるわけです。印象として、おおよそ上映時間の半分くらいは(実際にはもう少し短いかと)この海戦シーンに裂かれているのです。
 ここまで来ると、前述の人間関係とか、成長もの云々というのはもはやどうでもよくなって来て、水中で息を詰めて爆雷に耐える、閉塞感つうか緊迫感つうか、そういうものに圧倒されっぱなしのままラストまで連れていかれるわけですね。「Uボート」を見ていればまた評価も違うのかも知れませんけど(おそらく似たような事やっているんじゃないかなあ、と)、ここのシーンの押し潰されるような緊張感、緊迫感だけで、この映画は評価してもいいんじゃないかなあ、とまで思えるような、そんな名シーンでありました。
 監督のジョナサン・モストゥはインタヴューなどで、暗号機奪回の熱いドラマに主眼を置いた、みたいな事言ってますけど、絶対に違う。ヤツは潜水艦のバトルが撮れればそれでよかったんだ! とASDは確信しておくことにしますです、はい(笑)


 ちなみにこの映画、キャストがあんまりぱっとしませんね(笑) 主役の潜水艦副長を演じるのがマシュー・マコノヒーであることに、ASDは最後まで気が付きませんでしたし(笑) 途中退場する艦長にビル・パクストンは明らかに貫禄不足。逆に軍曹を演じるハーヴェイ・カイテルは貫禄有りすぎでした。逆の方がいいんじゃねえのかってくらいに(笑)




おすすめ度:☆☆☆☆(息詰まる海戦シーン、それがすべてなのだ)




2000.11.11 松島菜々子がナニしに出てきたのか分かる人は手を挙げてください。

「ホワイトアウト」

監督:若松節朗
原作・脚本:真保裕一
主演:織田裕二、佐藤浩市、吹越満、松島菜々子

鑑賞日:2000.10.27



 ふう……何か映画自体がホワイトアウトしていきそうなデキ映えでした……。
 原作は読んでません(笑) 原作文庫本の解説を読む限りでは「傑作山岳冒険小説」となっております。ただ、映画を見る限りでは雪山版「ダイ・ハード」以外の何者でもなかったと思いました。
 ……となると、避けられないのが「ダイ・ハード」その他の、ハリウッド製アクション映画との直接的な比較です。可哀相ですが、どうしてもやってしまうのが人情という事で勘弁して下さい。
 ポイントは三つ。1に、舞台が限定されていること。2に、テロリストが完全無欠である事。3に、主人公が孤軍奮闘を強いられる事。以上のポイントから、この映画を見て行きたいと思います。
 まず舞台ですが、雪に閉ざされた巨大ダムと言うことで、難攻不落という点では申し分ないでしょう。唯一の通路である県道を塞いでしまえば、陸路では冬の間は誰も近づけません。実際、映画でも警察はダムの見える位置にすら近づけませんでした。
 ……しかし、ここで考えてみてください。そもそも、そんな誰も近づけないような場所、一歩間違えれば犯人グループにだって遭難の危機はあるのです。もし、犯行声明の無線が傍受されなかったら? ダムの破壊が究極の目的ならそんな事はどうでもいいんですけど、そうではなく彼らの目的はカネのはずです。カネの要求がシカトされた場合、彼らはどうするつもりだったのか、ちょっと疑問でした。腹いせにダム爆破って、映画的にはめちゃカッコ悪いと思うんですけど……
 次にテロリストについてですが、映画を見る限りではちょっとアマチュアくさいです。反抗するダム職員をバンバン殺している割には、冒頭で主人公富樫をいきなり逃がしてしまうという失態を犯すありさま。その富樫に撹乱される中盤以降も、ダムを完全に掌握し切れていないがゆえのミスを連発し、お世辞にも犯罪者として手際がいいとは言えません。はっきり言って、映画を見ていても彼らを脅威にはまったく感じられません
 そして問題なのは主人公・富樫です。彼は別にベトナム帰還兵でも実は元特殊部隊員でも何でもないフツーのニイチャンのはずなのに、なんで武装テロリスト相手に自分で何とか出来ると考えますかね。めっちゃ寒そうな雪山を徒歩でさまよいながら、逃げ伸びるたびにダムに戻ろうとする彼の執念が、そもそも理解出来ませんでした。というか、取り敢えず彼がどう行動すれば事態が好転するのか、場面場面でそれが明確にされていないように思えるんですね。場面ごとの彼の行動が、最善の選択とは思い難いことが多々あるために、「お前一体何がやりたいんだよ」と幾度もツッコみたくなります。もちろん、困難な状況に敢えて挑んでいくヒロイズムが分からないわけではないのですが、彼を演じるのは織田裕二なのです。その辺にいそうな、フツーのニイチャンにしか見えない彼だからこそ、そのヒロイズムにまったく説得力がないのでした。これが、テロリストのボスを演じていた佐藤浩市のような、寡黙なタイプの役者さんだったらもう少し説得力があったのかも知れませんが……。
 その他、トホホな要素は色々あります。例えば、ふもとでわいわいやっている警察ですが、はっきり言って無能の集まりです(爆)。唯一状況を理解している地元警察署長も、理解しているというだけで特別ナニをしているわけでもないですし(例の中継車のトリックを見破ったのは彼でしたが、観客に対してのサプライズである以外に、彼が見破って次にナニをしたというわけでもありませんし)。そしてもっと問題なのは松島菜々子の存在です。彼女は一体、ナニしに出てきたのでしょう?



 とまあ、ここまで悪口を(ホントに悪口だ)つらつらと述べて来ましたが……。映画のデキ、というか完成度そのものは、悪くはないと思うんですよ。日本映画でこの種のアクションものというと、おカネが足りなかったり撮影日数が足りなかったり、見ていて気の毒になってくる作品が過去にいくつもありましたが(敢えてどれとは言いませんよ)、この作品の場合、実際に雪山でのロケーション(あのでっかいダムは、富山の黒部ダムだそうで)を敢行しただけあって、屋外シーンの迫力はマジで圧倒的です。織田裕二は、多分何回か死んでいる事でしょう(笑) 銃器の使用シーンも、火薬控え目な日本映画ではどうしてもチャチに見えてしまいますが、割と頑張ってた方だと思います。それだけに、そうではないところでもっと頑張って欲しかった……そんな気がします。上に挙げた欠点も、もっと細かい描写の積み重ねで、いくらでもカバー出来たはずなのですから……。
 ひとつ残念だったのは、この少々難のあるシナリオは、原作者である真保裕一自身が手がけたものだ、という事。小説と映画は違う、という事なのかも知れませんが、彼は作家になる以前は、TVアニメの演出を手がけていた、れっきとした映像畑の人間のハズなのです。余談ながら、彼はこの映画に関してこんなコメントを寄せています。
「日本の映画界が、なぜか原作をやたらといじくり回して別物としか思えない作品に仕上げてしまいがちな傾向にも、正直言えば、辟易していた」(公式サイトより引用)
 ……という事なのですが、ASDさんに言わせれば、原作をうまく換骨奪胎して、映像作品としてメチャ面白く仕上がっているシロモノにお目にかかった事なんてまずありません。実写でも、アニメでも、です。どの作品も、原作を損ねないように、無難になぞろうと試みた挙げ句、こじんまりとまとまって原作のスケール感をだいなしにしているものが大半です。例外は「リング」ぐらいでしょうか。
 そのあたり皆様、どう思われるでしょうかね?




おすすめ度:☆☆(織田裕二の爽やかなスマイルを求める方へ)

 


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