-cinema diary-

9月の映画日記・その2


 

2001.9.5 SFじゃないよ

「猿の惑星」

監督:ティム・バートン
主演:マーク・ウォルバーグ、ヘレナ・ボナム・カーター、ティム・ロス、他

鑑賞日:2001.9.1


 西暦2029年。宇宙飛行士のレオ(マーク・ウォルバーグ)は探査ポッドで単独航行中、磁気嵐に遭遇し、とある惑星に不時着する。不時着するなり捕われの身になったレオ。その星は、猿が人間を支配する世界だったのだ。レオは人間達の解放を訴えるアリ(ヘレナ・ボナム・カーター)の助力を得て、他の奴隷達と共に脱出を図る。
 その一行を追うのは人間を憎悪する将軍セード(ティム・ロス)と、その腹心の部下アダー(マイケル・クラーク・ダンカン)率いる軍勢。そんな中、レオ達一行は猿たちの聖地を目指すが……。


   *   *   *


 さて、「猿の惑星」です。この作品の場合、どうしても旧作あの衝撃のオチを忘れるわけには行きませんよね。そんなこんなで、あれから30年以上が経過しましたが……21世紀にリメイクされたこの新作、果たしてどのようなSF的アプローチ、どのような衝撃のオチが用意されているのでしょうか……?
 ……と、誰もが期待するところなのですが、いざフタを開けてみますと、その辺りはほとんど全くと言っていいほど無視されておりました。旧作はオチもさる事ながら、「猿=支配者、人間=被支配者」という関係の転倒から、どこか社会風刺的なニュアンスを持っていた作品だったのですね。そういう風刺・批判行為はある意味SFならではの要素であるわけですが……何故か新作では、そういうメッセージ性はほとんど盛り込まれておりませんでした。
 うーむ、ティム・バートンは何を考えていたのでしょうか。というより、何も考えてなかったか、何か考えるのがイヤだったのかも知れません(爆) 彼の作品は、そういう社会的なメッセージというものはほぼ皆無な作品ばっかりです。映画はあくまでも娯楽作品として完結しているべき、というのが彼の考えなのかも知れません。
 つうことで、この作品は「猿が支配する社会」というネタを、SF的なメッセージ性の追求ではなく、ファンタジー方向での、イマジネーションの豊かさを追求する方便としているわけですなあ。
 猿のメイクを担当しているのはリック・ベイカー。猿を知り尽くした(爆)彼のメイクによって、役者はもう猿そのまんまにしか見えなくなってますね(笑) それを武器に、猿達の世界を魅力たっぷりに描き出す……バートンが目指したのは、そういう方向性だったもようです。
 要するに、この映画では猿と人間が支配関係の中で対立する、という事に、なんの意味も追求していないのです。一人の男が猿の世界に紛れ込み、人間の味方になって猿と戦う……そういう活劇物としての魅力を、純粋に追求した作品だったなあ、と感じました。
 もちろん、そこは「猿の惑星」ですから、ショッキングなオチも確かに用意されてはおります。しかしそれはむしろ、旧作のようなマジな衝撃を狙ったというよりは、旧作のパロディというかオマージュというか、そういう意味合いを表明するためのオチだったように思いました。つまり、「猿の惑星」らしさを追求するための演出に過ぎない、というわけで。
 そういう意味では……本作は、「スターウォーズ」のような単純なSF冒険活劇として見るのが一番正しい見方だったのかも知れません。衝撃のオチを期待する向きにはまったくの肩すかしではありますが、SFファンタジーとしては、いかにもバートンらしい、豊かなイマジネーションを堪能する事が出来るかと思います。
 ちなみに主演のマーク・ウォルバーグですが、彼の出演契約は続編と合わせてのものであるらしいので、そこから考えれば20世紀フォックスとしては続編を作るつもりのようです。しかし、あのオチのあとどう続けるっていうんでしょうねえ……(笑)



 ちなみに、旧作で宇宙飛行士を演じたチャールトン・ヘストンですが、本作にも実は出演していたりします(爆) どこに出ているかは、見てのお楽しみということで……(いや、でもあんなの言われなきゃ絶対に気付かないだろう!)



おすすめ度:☆☆☆☆(SFらしいヒネッたオチさえ期待しなければ……)



 

 


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