-cinema diary-

2002年8月の映画日記


 

2002.8.6 目指した方向

「アトランティス・失われた帝国」

監督:ゲイリー・トルースデール、カーク・ワイズ
声の出演:マイケル・J・フォックス、レナード・ニモイ、ジェームズ・ガーナー、他

鑑賞日:2002.7.10


 言語学者マイロ・サッチ(マイケル・J・フォックス)は、探検家だった亡き祖父の夢であるアトランティスの存在を証明しようとしていた。周囲にはまったく聞き入れられない中、祖父の親友ホイットモア氏の援助で、探検隊の派遣が実現する。
 苦難の旅の末たどり着いたアトランティスでは、滅びに瀕した文明を今もなお守って暮らすアトランティス人達がいた。王女キーダは失われたアトランティス文字を解読出来るマイロの助けを得て衰退を食い止めようとするが、探検隊の隊長ロークらには、とある企みがあった……。


    *    *    *


 劇場で見逃した本作、DVDにてやっと鑑賞いたしました。
 しかし、この作品も散々でしたなぁ……。ディズニー生誕100周年作品と銘打ちながらも興行は散々な結果に終わりましたし、DVDには音が出ないとかいうトラブルが出てましたし(笑) ウチのプレイヤーでは音は大丈夫だったんですけど、チャプターの切れ目ごとに一瞬映像が静止するというイヤな症状が出てましたし(爆)
 それでなくても……この作品の一番イタイ所はやはり、「ふしぎの海のナディア」パクリ疑惑がまことしやかに囁かれていた、という事実でしょうか(爆)
 実際「ナディア」もアトランティスがどうのこうの、というお話でしたし、主人公やヒロインのキャラデザインや、その他各種設定が酷似してましたし……ううむ。
 ま、それをここで検証し始めてもキリがないのでやりませんけど(笑)、実際それら似ている要素に関しては、パクったにせよ偶然の一致にせよ、非難を受けてもしょうがないんじゃないかな、と思います。だって実際ソックリなんだもん!(笑)
 実際、パクリ問題に関しては「ナディア」のみならず、その「ナディア」の元ネタである「ラピュタ」との類似まで言われていますし……いやホントに、キリがないんですよ(笑)
 ともあれ本作の場合、この種の冒険活劇ものとして、「ラピュタ」などの日本製アニメを大きく意識していたのは確かだと思います。細部の設定が似ているかどうかとは関係なく、「ラピュタ」「ナディア」に並びうる作品を目指したという事は間違いない……と思うんですけどねぇ。
 でもまぁ、実際に見てみると、似ているのはデザインとか設定とかそういう細部だけで、ストーリーなんかは全然違っているんですよ。そこらへんをホントにわざと似せたかどうかっつうのもアレなのですが、何だか微妙に、「ラピュタ」「ナディア」のような定石を、うまい具合に踏み外しているような感じなんですね。
 なんでやろ、と考えてみたんですけど、一番大きな要因は、この作品が「ボーイ・ミーツ・ガール」なお話ではない、というところにあるような気がします。ひいては、この種のジュブナイル的冒険活劇における魅力がどこにあるのか、という解釈において、日米の嗜好の差異みたいなものが如実に出ていた作品なんじゃないかなー、と思うのですよ。
 以下、その辺りを若干ややこしい感じで考察していきたいと思います。



 「ラピュタ」にしろ「ナディア」にしろ、物語の全ての発端はボーイ・ミーツ・ガールにあります。
 少年が少女と出会い、恋に落ちる。二人がお互いのために、何かをしよう、何かしたい、という想いがあって、そういう気持ちが物語を動かしていくのですね。
 もちろん「ラピュタ」は完璧にそういうノリの作品になってます。「ナディア」ではやや不発気味に終わっているものの、そういうノリを目指して作られた作品には違いないです。
 でも、「アトランティス」にはそれがないんですよね。
 物語の発端は、アトランティスを探したい、という主人公の前に、それを実現する人物が登場する事にあります。……じゃあヒロインとはいつどこで出会うのかというと、それは冒険の結果としてアトランティスにたどり着いて以後の話なんですよね。ようするに、男女の出会いが発端なのではなく、発端からある程度経過した、物語途中のひとつの結果としてヒロインとの出会いがあるのに過ぎないのです。
 もちろん、主人公とヒロインの間にロマンスはあります。お約束ですからね。本作の主人公マイロは設定では32歳。日本のアニメファンのセンスではオヤジですが、アメリカ映画の主役としては「若者」の年齢です。ヒロインは不老長寿なので年齢がアレなんですけど、外見は一応20代くらいの若い女性です。……しかしまぁ何にしてもこの二人は、「少年と少女」というジュブナイル世界の主役では無いのは確かだと思います。



 極論を言ってしまえば……ジュブナイルの世界では、「少年少女の恋心」は、物語世界において、物語を、そして世界を充分に左右しうる力を持っています。持っているからこそ、そういう「想い」が美しく、素晴らしく見えるのではないでしょうか(あくまでも基本精神としてそういう事だろう、っていう話ですので深くツッコまないでください(笑))。
 もひとつ極論を言ってしまえば、ジュブナイル世界では問題を解決しうるのは少年や少女でなければならないのですよ。何故なら、解決しうる力とは彼らの純粋かつひたむきな想いであり、それを持たざる大人には、基本的には対処能力は備わっていないのです。
 ……というのが、「ラピュタ」などの作品で描かれてる、日本的なジュブナイルの発想だと思います。
 しかるに、「アトランティス」に限らずディズニーアニメの場合においては、その辺りの解釈に大きな差異があります。
 例えば「アラジン」という作品を見てみましょう。
 主人公アラジンは魔法のランプを発見し、ランプの魔人の力で不可能を可能にしていきますが、結局最後にはランプを敵に奪われ、自らの力だけで問題に対処しようとします。ランプに頼らない事で、彼は人間的に成長を遂げるわけですよ。
 つまりディズニーアニメにおいては、物語上の問題を解決するのは、未熟な少年少女ではなく、大人に成長し未熟さを払拭できた人間なのですね。それゆえに、作中の主人公達は「成長」を強いられるわけです。
 つまるところ先述の日本的ジュブナイルにおける、未熟さゆえの信念とか、そういうものの持つマジックは、実は否定されているのではないかと思うのです。
 これが日本の場合、少年が大人に成長すれば、そういうひたむきさが消えてしまい、ひいてはマジックも消えてしまうわけですから、彼らはそこで万能では無くなってしまいます。つまり若者が大人になることは「成長」ではなくて、「喪失」なのですね。
 そういう「成長」と「喪失」という概念の差異が、実際のところ日米のアニメ文化の大いなる差なのではないかな、と思うのです。
 この「喪失」という概念は「ラピュタ」に限らず、日本製のアニメ・コミック、それに付随する周辺文化では普遍的に描かれている事ではないでしょうか。
 例えば「ガンダム」においては、主人公は常に大人を敵視するティーンエイジャーです。これに限らず、その他多数の作品において、主人公は大抵の場合十代の少年少女であり、大人は敵か脇役でしかありません。「大人ではない」という事が、如実にポジティブに描かれているのですね。
 しかし、アメコミのヒーローは大抵がすでに大人になってしまった人物達ですし、ハリウッド映画にしても大抵の場合は大人の主人公が人間的成長を遂げてハッピーエンドを迎えます。
 一方の日本のコミック・アニメでは、主人公は永遠に少年少女のまま、連載や放送も延々継続されて、彼らは成長しないままにエンドレスに活躍し続けるのです。
 もちろん「ラピュタ」も「ナディア」も物語としては完結してますけどね(笑) 「ナディア」では大人になった主人公達のその後について触れられていましたけど、「ラピュタ」ではラピュタを巡る物語としては完結していても、パズーとシータを巡る物語としてはまだまだこれからな感じもします。絶対あるはずないのに、一部のファンに続編が望まれたりするのも、そういう風に考えれば何となく分からないでもないですよね。
 つまるところ、「ラピュタ」のような物語は、「喪失」の概念が無ければ描き得ない物語だったのではないでしょうか。その本質を知らぬままに、漫然と「冒険物語」としての表面的な部分をなぞった結果、「アトランティス」は失敗作に終わってしまったのではないでしょうか。



 ……というわけで、ここで実際に「アトランティス」という作品の問題点を検証していきましょう。
 まず前述のように、この作品はヒロインと主人公の出会いを発端としません。
 少々余談ではありますが、「ラピュタ」の場合主人公パズーにとってラピュタは確かに憧れの地ですが、物語上の直接の動機は「ヒロインであるシータを、悪い奴の手から助け出す」というものだったりします。
 「シータを助ける」→「悪い奴らの企みを阻止する」というロジックが働いているわけですね。ヒロインであるシータはラピュタの秘密を持ち、それを悪役が狙っているわけで……悪役がラピュタを狙っているからこそ、先んじてたどり着こう、企みを阻止するために自分達もそこへいこう、という展開になるわけです。
 これは「ナディア」もそうで、主人公ジャンとナディアが冒険を繰り広げるうちに、いつの間にかアトランティスを巡る陰謀に巻き込まれてしまうだけで、そもそも主人公達は別に事の最初からアトランティスを目指していたわけでも何でもありません。
 ……つまり、ラピュタやアトランティスを目指すのは、あくまでも物語の結果として、なのですね。
(てゆうか考えてみたら「ナディア」では別に何処を目指しているわけでも無かったような気が(爆))
 しかし、「アトランティス」ではこれがまったく逆になって、アトランティスを目指す、というのが一番の目的とされています。その結果として、ヒロインに出会っているわけですね。
 そもそも、何で主人公一行はアトランティスへの探検に出たのでしょうか。実は確たる理由があったのは主人公マイロだけで、後のメンバーには動機がありません(悪役には動機がありましたが、それは物語の動機とはまた別ですし(笑))。
 そこで、その他のメンバーを「プロフェッショナルな冒険家」という事にしておくのですよ。冒険家が冒険に出るのはごく自然ですからね(笑)
 しかし、この設定には問題がないわけではありません。まず一番の問題として、ある程度大勢のキャラをいっぺんに登場させて、そのキャラ一人一人を観客にアピールしていくっつうのはなかなかに面倒なプロセスを踏まなくてはいけません。一人一人にそれなりに見せ場を用意して、じっくりとイメージを固めていかなくちゃならないわけで。
 しかしながら、実はこういう地道なキャラ描写というのは、アニメではけっこう難しかったりするのではないかと思います。テレビのシリーズものなら1話ずつ丁寧に描いていく、という事も出来るでしょうが、90分しかない単発の長編映画で、しかもディズニーアニメでは前例のない演出を強いられているのではないでしょうか。
 これが実写作品だったりすると、普通に人間が演じるだけで、その役者の演技力とか役柄の解釈とかでキャラのパーソナリティはなんとなく伝わってきたりもするんですけどね。
 ともあれ……解釈は分かれるところでしょうが、ASD的にはこのアトランティスにたどりつくまでの前半部分でのキャラの印象付けは、成功しているようには見えませんでした。そんな彼らがようやく印象づいてくる後半に至ると、ヒロインである王女キーダが登場した後とあって彼らの印象は非常に希薄になってしまいますし……。
 だったら、本来はアトランティスにたどり着くまでの前半部分をもっと丁寧に描かなくちゃいけないんじゃないかと思いますが……本編はミョーに駆け足の展開になってたりします。ものものしく登場した潜水艦ユリシーズ号とか、その搭載メカとか、本来はもっと派手な見せ場があってもいいんですけどねぇ。ほとんどがろくに活躍のないまま撃沈されてしまったりして(爆)
 何でこうなるのでしょう。ぱっと思いつく原因としては、「実際にアトランティスに到着しない事には、ヒロインが登場しない」という事なのではないかと思います(笑) 物語のキモになるアトランティスの秘密云々という要素に関しては、ヒロインが登場しない事には動き始めないわけですからね。
 となれば、その肝心のヒロインをさっさと登場させる必要があるわけですよ。
 そのためにはアトランティスに一刻も早くたどり着きたい。けれど、その過程をはしょったら探検隊のメンバー達の描写があっさりしたものになってしまう……というジレンマを、本作は抱えているのですな(笑)
 結果的に、開始40分で到着したのは両者のバランスを考えた結果でしょうが、中途半端なのは否めないように思います。
 例えば、アトランティスの様子と冒険家たちの様子を並行して描く、という手法もアリだったでしょうし、物語そのものを探検家側ではなく、アトランティス側から描写するのもアリだったでしょう。けれど前者ではやっぱり尺の問題が出てきますし、後者だと物語のニュアンスが大幅に変わってしまいますし……。
 とまぁ、そういうストーリー構成上の問題もありますし、キャラ描写に関しても物足りないものがあります。ディズニーアニメの鉄則として90分を大きく超える事が許されない以上、ストーリーを優先してキャラ描写をはしょらざるをえないのかも知れませんけどね。



 ……とまぁ、つらつらと語ってきたわけですが。
 全体的な印象として、これまでと違う事をやりたい、という熱意だけは、充分に伝わってくる作品だったと思います。そこは評価出来るんですけどね。
 色々と文句つけてはいますが、その他の部分は結構頑張っていると思うんですよ。実際のアトランティスの秘密とか、ラストのクライマックスの描写とか、そんなに大きくへたれているという事はないですし。また、メカ描写やアクション描写など、さすがディズニーだけあって絵を動かす局面では、きっちりと動かしてくれます。特に「セル画タッチのCGアニメ」によるメカ描写など、日本のアニメを見慣れた目で見ても、唸らされるものがあるかと思いますし。
 しかしながら、やはり最初の掴みが思いっきり弱いために(前半が長い&キャラの魅力不足)、かなり退屈な作品になってたんじゃないでしょうか。パクリ疑惑を横においても、色々と問題の残る作品だったなぁ、というのがASDの率直な感想でした。



オススメ度:☆☆(しかしここまで文句つけておいて、DVD買ってしまったASDの立場は……(爆))




2002.8.6 年齢不詳

「ナインス・ゲート」

監督:ロマン・ポランスキー
主演:ジョニー・デップ、フランク・ランジェラ、レナ・オリン、エマニュエル・セイナー、他

鑑賞日:2002.7.2


 コレクターのために希少本を探し出してくる「本の探偵」であるディーン・コルソ(ジョニー・デップ)は、「影の王国への七つの扉」という書物の真贋鑑定を依頼される。それは悪魔自らが著作したと言われるいわくつきの古書だった。現存するのは依頼人のコレクションを含めてたったの三冊。コルソは残りの二冊の持ち主を訪ねるためヨーロッパへ向かうが、行く先々で事件が起こるのだった……。


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 ジョニー・デップ主演のオカルトサスペンス物です。……てゆうか、他になんか言うべき事ってありましたかね(爆) 
 最終的に明らかになったオチから言えば、一部の登場人物の行動に少々疑問が残らない事もないのですが(笑)、あまり細かいところに突っ込みを入れなければ、ラスト近くまで明らかにならない謎がグイグイと展開を引っ張っていく、良質のオカルト物だったのではないか、と思います。
 ジョニー・デップは珍しくも、髪に白いものの混じるフケ役を演じております。……というか、彼がニコラス・ケイジと同い歳だ、という話をするとほとんどの方がマジかっ!?と驚いてくれるので、覚えておくといいかも知れません(笑)
 で……結局これのラストって、どうなっちゃったんでしょうかねぇ? 見終わってから思い返してみてもイマイチ良くわかんないんですけど……。


おすすめ度:☆☆(雰囲気はいいんですけど)




2002.8.6 交通ルールを守ろう

「ロスト・ハイウェイ」

監督:デヴィッド・リンチ
主演:ビル・プルマン、パトリシア・アークエット、ロバート・ブレイク、他

鑑賞日:2002.7.2


 ミュージシャンのフレッド(ビル・プルマン)は、妻のレネエ(ロザンナ・アークエット)が浮気をしているのではないかと疑っていた。そんな彼の元に届けられる差出人不明のビデオテープ。最初の一本は当たり障りの無いものだったが、次々と届けられるごとに内容はショッキングなものになっていく。その後フレッドの身に起きた出来事とは……。


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 ううむ……これまた何を書いていいのかよく分からない映画ですね(笑)
 新作「マルホランド・ドライブ」がアカデミー賞にノミネートされていたりした、デビッド・リンチ監督のサスペンス映画です。
 ん、サスペンス映画? まぁ、ジャンルとしてはそうなんでしょうけど……内容の方ははっきり言ってかなり意味不明です(爆)
 妻の浮気を疑う主人公の元に届けられてくるビデオテープ。届くたびに、その内容は当たり障りのないものから、ちょっとどうよこれは、というものに。
 で、衝撃の映像が映っていたかと思うと、その後主人公の身には急転直下の変化が起こるわけですが……お話が進むうちに、突然物語は、自動車修理工の青年ピートのお話に移っていくのです。その移行の仕方もすげぇ意味不明。その後あれやこれやの末に迎えた衝撃の結末も、これまたやっぱり意味不明……ううむ。
 なんかねぇ。どうヘンなのかをお伝えするのがなかなか難しいのですけど……ここに詳細にあらすじを書き出したとしても、うまく伝わらないように思います。何せ本編を見たASDからして、このお話の謎は意味不明なままですし(笑)
 ASD的になんかおかしかったのは、ピート編に出てくるマフィアのボス・エディでしょうか。このおっさん、キレると怖い怖い(笑) クルマが大好きで修理工のピートにも親しげに声をかけ、手下と出かける時もハンドルを握るのは自分、なのですが……。アオってきたクルマを無理矢理引き止めて、ドライバーを引きずりおろして、「てめぇは車間距離ってものを知らないのか! 交通ルールを守れェ!」とか言ってしばき倒すわけです。いやいや、それすごいよくわかります(笑)。車間距離はあけなくちゃいけないですよねぇ。ASDも、アオられるのがあまり好きじゃなかったりします……さすがにこんなキレ方はしませんが(笑)



おすすめ度:☆☆☆




2002.8.6 ロック様大活躍

「スコーピオン・キング」

監督:チャック・ラッセル
製作・脚本:スティーブン・ソマーズ
主演:ザ・ロック、スティーブン・ブランド、マイケル・クラーク・ダンカン、ケリー・ヒュー、他

鑑賞日:2002.7.1

公式サイト:http://www.uipjapan.com/scorpionking/


 五千年前のエジプト。砂漠を支配しようと企む支配者メムノン(スティーブン・ブランド)は、預言者カサンドラ(ケリー・ヒュ―)の予言によって常に無敗を誇っていた。彼と対立する砂漠の部族達は暗殺者を雇って予言者を殺そうとする。
 雇われたのは暗殺を生業とする古き一族の末裔マサイアス(ザ・ロック)達。だが部族の内部に裏切り者が出た事から暗殺は失敗し、マサイアスは兄を失う。復讐を誓ったマサイアスは砂漠の都市ゴモラの、メムノンの宮殿に潜入。成り行きからカサンドラを連れ去ることになって……。


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 「ハムナプトラ」の番外編です。
 というか、ハムナプトラ本編との繋がりってのは実際のところ特別なんもなかったように思いますけどね(爆) 2に登場していたスコーピオンキングが実際に活躍していた時代を描く剣戟活劇というわけで……他にどの辺りが「ハムナプトラ」なのかというと、ちょっと返答に窮するような感じです(笑)
 この映画の見所は、とにかくザ・ロック様のアクションです。現役プロレスラーであるロック様のアクション、肉体美、スマイル(爆)が存分に堪能出来る一作でありました。
 まぁ要するに、ロック様を主役に迎えた直球のスター映画、もしくはアイドル映画だと思えば分かりやすいのでは。一応アメリカではバリバリに知名度があるのでしょうが、日本では……ねぇ。ツラは意外にハンサムですけど、マッチョ過ぎる体型はビミョーに悪役風な気も(笑)
 実際のところ「ロック様大活躍」意外に何か見せ場を作ろうとしているようなフシがまったく見られないので、ロックさまカッコいい!と思える人には、何の過不足もない素晴らしい一作だったのではないかと思いマス(笑)
 個人的には、ロック様と並んでもなんら違和感のないマイケル・クラーク・ダンカンが何げにすげぇなぁ、と思ってみたり。つうかその彼と並んで違和感のないロック様の方が凄いのか? どっちがプロレスラーだ、というどこかの雑誌記事のツッコミも実にもっともな二人なのでありました。



おすすめ度:☆☆



 


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