-cinema diary-

2002年10月の映画日記


 

2002.10.15 あだでかえすな

「猫の恩返し」

原作:柊あおい
監督:森田宏幸
声の出演:池脇千鶴、袴田吉彦、渡辺哲、前田亜季、丹波哲郎、他

鑑賞日:2002.8.1

公式サイト:
http://www.nekonoongaeshi.com/(映画の公式サイト)
http://www.ntv.co.jp/ghibli/(スタジオジブリのHP)


 高校生ハル(声:池脇千鶴)は、ある日トラックに轢かれそうになった一匹の猫を助ける。ところがその猫、なんと二本足で直立して、お礼の挨拶をしたのだ……。
 そんな不思議な体験をしたハルの前に、今度は猫の国の王様が現れ、ハルにお礼がしたいと言い出す。だが猫の恩返しはハルには極めて迷惑。挙げ句の果てに彼女は猫の国へ連れられていって、王子の妃になることに。困り果てた彼女の前に現れたのは、しゃべる猫の人形、バロン(袴田吉彦)だった……。


    *    *    *


 同時上映の「ギブリーズ」は相当ぶっとんだ内容でお客さんを遙か彼方に置き去りにしていましたが(爆)、こちらは実にオーソドックスなセルアニメに仕上がっておりました。
 まぁこの映画を見に来るお客さんのほとんどは、「安心して見られるジブリアニメ」を期待してやってくるわけで……そういう意味では、観客の期待を実にソツなく満たしてくれる一作だったと思います。
 まぁ90分弱とかなり尺も短いですし、所詮は「耳をすませば」のサイドストーリーですからね。イマイチ盛り上がりに欠ける内容だったと思いますし、手放しで誉めるにはちょっとどうかというところですが……夏休みの子供向けアニメと考えれば、あまり深くツッコむ事なく、素直に誉めておいて差し支えはないと思います。
 ……ですけどまぁ一応、もうちょっと意地悪な視点で見てみましょう(笑)



 そもそもこの作品、実は何げに従来のジブリ作品と大きく異なるアプローチが為されているのですよ。
 普通ディズニーと言えば、誰しもいかにもディズニーらしい絵柄を想像すると思います。ミッキーやドナルドといった固有キャラもそうですけど、長編アニメの登場キャラとか、日本のアニメにはない、ディズニーならではの絵柄ですよね。
 同様に、ジブリに関しても非常に「ジブリらしい」絵というものがあるように思います。
 まぁハッキリ言えばそれは宮崎駿の絵柄なんですけどね。何故かジブリのアニメーターって、宮崎氏がきっちりとしたキャラデザインを起こしているわけでもないのに結局ジブリっぽい絵を描いてしまうんですよ。なんでかと問われるとASDも返答に窮するのですが……。
 しかしながら、本作「猫の恩返し」を見た方ならすぐに気付いたと思いますが、本作ではそういう絵柄ではありませんでした。原作者柊あおいの絵柄を尊重しているのか、それとも監督の森田氏のテイストなのか……なんか非常に「ジブリらしからぬ」、むしろマンガっぽい絵柄になっていますよね。
 これは表面的な絵柄の問題だけではなく、動きの質感などにも関係する話です。
 これまでのジブリアニメは、とにかくリアリズムにこだわっていました。日常的な風景、日常的な芝居、ごく自然な仕草……そういうものを突き詰めていった所にある、「リアルな質感」を強く追求していたのですね。
 これは写真を引き写したように写実的だ、と言っているのではありません。あくまでもアニメらしいディフォルメされた絵柄の中で、現実的な物理法則だったり、人間や自然物のナチュラルさを「実感として感じる事の出来る」絵の表現にこだわってきたわけです。
 そんなリアルな質感をもった世界の中で、空をばびゅーんと飛ぶような非現実的なアクションを展開したり、トトロのような非現実的なクリーチャーが登場したり、ラピュタのように架空のメカがバンバン登場したり……そういう映像が展開されていたわけです。
 そんなまったくの空想の産物、普通ならありえない事象であっても、そういう物までもが丹念に積み重ねてきた「リアルな質感」に基づいて表現されているために、ジブリアニメの中ではとてもリアルに感じられるというわけですね。
 記号として「空を飛んでいる」という絵を提示するのは簡単です。が、描いた絵を提示して、実際に風を捉えているような雰囲気を、あくまでも感覚的にダイレクトに感じてもらうのは、実はそんなに簡単な事ではありません。
 絵はあくまでも記号であり、極めて論理的に「ああこれは空を飛んでいるシーンなんだな」と観客に理解させていたのが、従来のアニメ……というかごく一般的なアニメでした。ところがジブリアニメの場合、「浮いている」「飛んでいる」事を論理ではなく、感覚で訴えかけているのです。
 宮崎アニメの浮遊感覚が語り草になっているのは、宮崎氏やスタジオジブリのアニメーターが、そういう質感をどうやって表現できるのか、というノウハウを実際に会得しているからこそ、なのですよ。「もののけ」「千尋」と最近の作品はそのリアル感の出し方にちょっと違和感を感じはしましたが、基本的にはそういうスタイルなわけです。
 ところが、本作「猫〜」はそういう観点から見てみると、全編においてヒジョーにマンガ的です。作品の根幹をなすはずの「リアル感」そのものが、極めてマンガ的=非日常的なのです。映画そのものが全然リアルっぽくないんですよ、ぶっちゃけた話(爆)
 例えばキャラデザインもそうですし、背景描写なんかもそうだと思います。「耳をすませば」の、まるで自分もそこに行けるかのようにリアルな街並を思い出して下さい。ですがこの映画の場合、マンガの背景画のような、極めて平板な背景画が用意されているだけです。猫の国に到着してすぐ、草原のシーンがありましたが……「魔女の宅急便」の冒頭のような、風がそよぐ美しく繊細に萌える草原は、本作では再現出来ていたでしょうか。
 そんな風に、世界観そのものがコミック的な質感に寄り添っているというか、「リアルな質感」を放棄しているために、主人公ハルが飯を食って学校へ行って、という日常生活と、猫が立って歩いたり、猫の国のような非日常の世界が、「リアルじゃない」レベルでもって、非常にフラットに統一されているように感じられるわけですね(爆)
 そういう、リアル感覚、リアルな質感の欠落こそが、この作品と従来のジブリアニメの一番の違いなんじゃないかな、と思います。



 ところが実際の話、「リアル感覚」「リアルな質感」というものをアニメーションできっちり表現出来ているのって、実はほとんどスタジオジブリに限った話なんですよね(爆)
 一般のアニメ作品では、大体「アニメではこうなっているんですよ」というエクスキューズの元、アニメ作品なりのおざなりなリアル感覚しか描けていなかったように思います。観客もそれは承知の上で、敢えて触れなかった部分だったりして……。そのうちにアニメ独特の記号論みたいなものが、いつの間にか極まってしまったような観さえあります。
 言ってみれば、作品の頭からおしまいまで終始マンガ的なリアリズムが支配している「猫」は、そういうごく一般的なアニメ的リアリズムにかなり近い感覚の作品になっている、と言えるのではないでしょうか。
 それが良いとか悪いとかいう話はここではしませんが、それが従来のジブリアニメの方向性とは、敢えて異なる方を向いているのだ、という事は何げに重要なのではないでしょうか。
 そういう従来との違いというのが、とても新鮮に思えるのは確かだと思います。逆に猫が立って歩くというちょっといいかげんな世界観が、マンガ的な描写ゆえに許容され、魅力的に映っているのではないか、という事も言えるような気がしますし。



 ふと振り返ってみれば……現在ではジブリブランドはすっかり、一枚看板として一人立ちしてしまいました。同じ日本のアニメなのに、ガンダムのようなロボットものや、東映動画お得意のコミック誌とのタイアップ物や、その他「萌へ〜」とかわめいている特殊な世界(笑)とは、一線を画するものになってしまったように思います。
 ディズニーアニメを日本のアニメと同列には語れないように、昨今のジブリアニメもまた、ある意味「別物」になりつつあるのですね。
 そんなジブリが、「ジブリらしくない」アニメを作った……素直にアニメらしいアニメを作った、というのは、実は何げに大事件なのかも知れません。
 面白いのは、この作品が「ギブリーズ」と同時上映だった、という事でしょうかね(爆) あちらの方はどこがジブリやねん、という風にぶっとんだ内容だったわけですが(お気付きの方がいられるかどうか解りませんが、「ギブリーズ」のエンドクレジットによれば、制作元はあくまでも「スタジオギブリ」です(爆))
 あちらの方を先に見せられた観客が、「おれたちはジブリアニメを見に来たはずなのに……」と落胆しているというか、ちょっと動揺しているところに、本作のいかにもセルアニメ的な絵柄を見せられて「ああ、そうだ、こういうのを見に来たんだ」と、観客は安心してしまうのではないかと思います。
 ところが……先述のように、本作も実際は従来のジブリとは違う方向性を提示しているわけですよ。実際のところ随分違和感を感じてしかるべきなのに、ギブリーズの存在に撹乱されて、意外に素直に見れてしまうのでは……という風にASDは思いました(笑)
 本作はジブリの劇場公開作品としては珍しく、宮崎駿や高畑勲といった大監督が内容にタッチしない(企画に名前は上がってますけどね)作品であります。それを鑑みれば、「ジブリイズム」にとらわれない(言ってしまえば宮崎駿イズムにとらわれない)作品だった、という事で、本作は今後のジブリにとって非常に重要な意味をもった作品だったのではないでしょうか。
 まぁ、手法としてそういう「ジブリイズム」を貫き通しても良かったんじゃないかな、とも思いますけどね。少々古い作品になりますが、「海がきこえる」という作品は、監督がジブリとは縁もゆかりもない望月智充氏だったにも関わらず、作画に関してはジブリイズム全開で、望月氏お得意の丁寧なドラマ演出をしっかりと支えておりました。つまりはその気になれば、別に宮崎氏が監督やプロデューサーでなくとも、「ジブリイズム」は表現可能なわけですよ。
 ということは……この「猫の恩返し」もまた、ジブリがジブリ的なもの以外のものもちゃんと作れるのだ、という事を証明するための、ある種の実験作だったのかも知れません。
 ……つまりはこの作品も、「ギブリーズ」と似たり寄ったりの作品だった、という事で(そ、そうだったのか!)



おすすめ度:☆☆☆(あれこれ言ってますが点数はこんなもんだったり(笑))




2002.10.15 壮大なるムダ使い

「ギブリーズ・エピソード2」

監督・脚本:百瀬義行
アニメーション製作:スタジオギブリ

鑑賞日:2002.8.1

公式サイト:http://www.nekonoongaeshi.com/ghib/

 アニメーション制作スタジオ「スタジオギブリ」。そこに集うスタッフ達の日常をユーモラスに描く、30分弱の短編映画です……まぁ別にあらすじ書く程の内容でも無いので、書きませんが。
  同時上映の「猫の恩返し」と一括で感想書こうかと思いましたけどね。やっぱそれなりに独立して言いたい事もあるので、別々にしてみました。
 しかしこの作品、ちまたの評価がすこぶる悪い! 何故だ、こんなにすげぇ映画なのに! ……と、ツボにはまったASDさんは思うのですが、冷静に考えりゃまぁ納得かも知れません。某映画批評サイトでも、5点満点で3点以上つけてる人、一人もいませんでしたし(笑)
 まぁ今回は、そういう不評への反論込みという事で。



 実はこの作品、同じジブリの長編作品「となりの山田くん」とやっている事がほとんど一緒だったりします。
 「山田くん」のときも、作品としては他愛の無い4コママンガのアニメ化でありました。ストーリーやテーマに関しては高畑勲監督らしくやけに説教くさい感じでまとまっており、作画は作画で、ストーリー、テーマとは何の関係もなく、水彩画風アニメーションという前人未到の離れ技をこなしているという……細々としたシーンでとにかくアニメーターのセンスや技術が暴走しまくりという、何げにものすごい怪作だったわけですが……。
 ……まぁ、こちらの方もやはり、映画としてはまったく評価されてませんでしたね(爆)
 「こんな絵が動いていいのか!」「そんな絵をわざわざ動かすのか!」という驚きの連続で、ASDもアニメーションとしては高評価ですが……まぁ映画としては、つまんない部類の作品だったな、と思います(爆)
 で、この「ギブリーズ」に関しても、実はまったく同じ事が言えると思います。
 ツボにはまったASDから、見所としてオススメ出来るのはとにかく映像です。水彩画風、色鉛筆風、はてはマジックのらくがきみたいな絵まで、普通のアニメならまず動かないはずの絵がもうとにかく動く動く動く(笑) 背景画も一枚絵だと思ったら、不意にカメラが三次元的な移動を開始して、一枚絵ではなくてCGで書かれた3D作画である事に気付くわけです。「何もそこまでやらなくていいじゃん!」と激しくツッコんでしまうような、スゴイ絵の連続なのですよ!
 まぁ、ここで「技術のムダ使い」と言えばまったくその通りなんですけどね(笑) ストーリー自体は、カレー屋さんに行って激辛カレーに挑戦したとか、電車で美人に寄りかかられてドキドキとか、実にしょーもないシロモノで……そういう意味では評価出来るのは確かに絵「だけ」だったと思います。それもストーリー比で言えば何の必然性もない、ヒジョーに無駄な事をやっていると、ASDも思います。
 が。
 批判意見の大半がそこを指摘しているわけですが、なんかそれってマズイ事でもありますかね?(爆)



 言うまでもない事ですが、基本的にアニメーションとは、現実には動かないはずのもの――絵とか、人形とかを、フィルムの上で動かすという「芸術」です。
 考えてみれば手描きの絵やぬいぐるみの人形をわざわざコマ撮りして動いているようにみせる事に、何の意味があるのでしょうか。
 今でこそディズニー→日本のアニメという流れで、アニメ=劇映画、ストーリーがあってナンボ、という認識が強いですが、元々アニメなんて「動いている、すごい!」という実に単純な感動を狙っただけのシロモノに過ぎないわけですよ。
 例えばフレデリック・バックの「木を植えた男」というアニメは、バック氏がたった一人で、膨大な数の動画を色鉛筆で描いております。わずか30分の短編作品ですが、5年半の歳月をかけて2万枚の動画を一人で描いたとか。
 アレクサンドル・ペトロフ作の「老人と海」http://www.imagica.co.jp/VW/LF/oldmansea/という短編アニメは、ガラス板の上に絵の具で描いた絵を1コマずつ撮って、絵画風アニメーションに仕上げておりました。これも一人の作家が、4年がかりで完成させたものです。
 で、それらの作品のどこがスゴイのかというと、単に「絵が動いている」のがスゴイのです。前者はひたすら木を植える男の話を、後者は有名な文学作品を、それぞれ映像化したに過ぎません。
 はっきり言えば、ものすごいムダな映像なのですよ。
 ……ですが、元来アニメーションって、そんなものなのではないでしょうか。
 まぁ上記ニ作のような真面目な芸術作品と比較するのもちょっとアレですが(笑)、この「ギブリーズ」もまた、ストーリー性を追及する劇映画ではなくて、単に「映像を極める」事を目的につくられたショートフィルムに過ぎないのではないでしょうか。
 はっきりと、ただのデモンストレーション映像に過ぎない、と言っても差し支えないのかも知れません。
 そういった映像にストーリーが無い、あるいはショボいと文句をつけても、あんまり意味はないのと違いますでしょうか……。



 余談ですが、ジブリ作の長編「もののけ姫」には、おおよそ20万枚近い動画が一本の映画に投入されているそうです。
 30分のテレビアニメの場合、1話あたり2000〜3000枚ぐらいが一般的で、多い場合でも5000枚ほどです。正味20分として、テレビと同じクオリティで2時間の映画を作るとなれば……その6倍で120分と計算しても3万枚程度で済むんですよね。
 ですから、いかに「もののけ姫」がオーバークオリティなのかは理解していただけると思います。「千尋」も大体そのくらいという話ですから、ジブリクオリティというのは実に途方もないシロモノなんですよねぇ。
 と、ついつい思ってしまいますが、「ナウシカ」「ラピュタ」「トトロ」という過去作の頃は5〜6万枚くらいでやりくりしていたという事です。
 以前「千尋」のレビューにて、オーバークオリティっぷりに苦言を申し立てたASDですが(笑)、「千尋」はあくまでも劇映画ですので、ストーリー比で言えばASD的には確かにオーバークオリティに思えましが、「ギブリーズ」は純粋に技術実験の映画ですので、際限を考えないのもアリかな、とも思います。
 とは言え、これはASDの個人的な所見である、という事は念押ししておきます。
 まぁそれでも、「ギブリーズ」をムダと言い切る意見も、分からないでもないんですけどね。確かにムダ使いに見えるのは事実ですし(笑)
 実際のところ、この作品のムダ使いっぷりって、全編に渡ってちっともさりげなくなかったりするんですよね(笑) むしろ「技術をムダに使ってますよ」という事は、確実にアピールされていたのではないでしょうか。
 失敗ではなく、むしろ確信犯的に「ムダ」に作ってある、という風に言えるのではないでしょうか。



 さらに脱線した話になるのですが、「フルデジタルアニメ」の技術では日本のアニメ業界の最先端を行くジブリです。それなのに、デジタル技術の導入された「もののけ」や「千尋」などをみていると、技術的には従来のセルアニメ的な手法で作られているわけで……あれらの映像がいまだに透明なセル板にちまちま筆で色を塗って描かれていると信じている方も、もしかしたら少なくないのではないでしょうか。
 さすがに20万枚近い絵を手塗りするよりは、CGでやった方が効率がいいですよね。要するにハイクオリティなデジタル技術も、大半は物量作戦を効率よくこなすためにしか使われていないような向きもあったように思われます。
 それでなくても、昨今のアニメ業界におけるデジタル化の流れには、彩色作業の省力化、セルやフィルムという物理メディアの廃止などによるコスト削減という意味合いが実に強かったりします。アニメーションとしては手抜きになっていく分を、デジタルならではの斬新な映像処理でごまかそう、という狙いも無いわけでは有りません。
 ……ですので、必ずしも「デジタル化」によって、アニメが「アニメーション」として充実するわけではないのですよ。
 そういう意味では、これまでのセルアニメの概念を超える作品を作るだけのポテンシャルを持っているジブリですから、その技術力を純粋にデモンストレーションする事には、充分に意義がある事なんじゃないのかな、とASDは思います。
 しかしながら、これまでのジブリアニメというのは、基本的には劇映画なわけですから、あまり斬新な技法が必要とされるわけでもないんですよねぇ。
 そういう意味では、宮崎駿のような偉い監督さんではなしに、現場のアニメーター達の主張として、「オレたちはこんな事が出来るんだぞ!」という風に、純粋に映像表現を主体とした映像を作りたい……という欲求が、やはりあったのではないでしょうか。
 そういうアニメーター諸氏の欲求が形になったのが、「山田くん」であったり、この「ギブリーズ」という作品だったのではないかな、とASDは思います。



 ……まぁ、要するにですね。そういう「映像表現が主体の短編作品」に対して、そもそもストーリー的な面白さとか感動を求める事自体、実はとてもムリのある事なのですよ(爆) ごく自然に、映像表現の斬新さや、クオリティの高さという、職人の技のような部分こそ、評価対象なのでありまして。
 つまるところ、この作品のナニがいけなかったのかといいますと、それは要するに「猫の恩返し」の併映という形で全国ロードショーにて公開されたという事自体が大失敗だったっつう事なのではないかと思います(爆)
 この作品を見た人の多くは、本来は「猫〜」を見に来たお客さんであって、それはつまり従来どおりのジブリテイスト、安心のジブリブランドという、見慣れた「劇映画としてのアニメ」を求めている人なのではないでしょうか。
 そういうお客さんにこんな作品を見せたところで、「素晴らしかった」「感動した」という意見が出てくるという風には、ASDにはとても思えませんでした(爆)
 しかしまぁ、確かにこれを全国公開したのはどうかと思いますけど……似たような感じで作画が暴走していた「山田くん」に至っては、あれ一本立てでしたからね(笑) ちゃんと本命である「猫」が後に控えている分、まだこちらの方が良心的だったのではないかな、と思うんですけど……(笑)


 というか、これが5分程度のホントのショートフィルムだったら、まだこれほど罵詈雑言を受ける事も無かったのではないかと思いますけどね。
 長すぎたのもまた、敗因という事で。



おすすめ度:☆☆☆☆(映像のクオリティに対して)


 


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