-cinema diary-
2003年6月の映画日記・復活篇(笑)
2003.6.14 |
「ジョン・Q」 監督:ニック・カサヴェティス 主演:デンゼル・ワシントン、ジェームズ・ウッズ、ロバート・デュバル、他 公式サイト:http://www.john-q.jp/ 鑑賞日:2003.1.10 ※ネタバレあり※ ジョン・Qことジョン・クインシー・アーチボルト(デンゼル・ワシントン)は、勤務している工場の経営不振から、労働時間を削減されるなどして、苦しい生活を強いられていた。 そんなある日、彼の息子が心臓発作を起こして倒れてしまう。実は彼の心臓には、今まで発見されていなかった重大な欠陥があったのだ。心臓移植以外に治療方法は無かったが、その移植費用25万ドルは、生活難のジョンにはとてもまかないきれない金額だった。無情にも息子の退院が迫る中、追いつめられたジョンは、ついに銃を手にして病院に立てこもるのだったが……。 * * * 「トレーニング・デイ」でアカデミー主演男優賞をゲットした、デンゼル・ワシントンの最新作です。今回も彼の超オーバーアクトは健在! いやぁ、素晴らしいですよ! ……なんですけど、実際のところ映画の内容自体は、どっかで観たなぁ、という既視感が激しく漂っていたように思われます(笑) 善人が確信的に、銃を手に立て籠もりを働くっていうシチュエーションは、サミュエル・L・ジャクソン&ケビン・スペイシー主演の「交渉人」にかなり似てる気がしますし、同様の立て籠もり物(そんなジャンルあるか?)において、事件を転がしていくのが犯人や警察じゃなくて世論とメディアである、っていう辺りはジョン・トラボルタ&ダスティン・ホフマンの「マッド・シティ」っぽくもあります。また、犯人と人質が一致団結して外の包囲者達と拮抗する、という意味では、金城武の「スペース・トラベラーズ」なんかも思い出してみたり。 そういや「絶体×絶命」なんてのもありましたっけか。刑事の息子に臓器移植が必要になって、そのドナーが凶悪殺人犯で、手術前のどさくさに紛れて逃げた犯人が病院に立て籠もって……とかなんとかいうお話だったかと(かなりうろ覚え)。 デンゼルの演技は今回も確かにすごいんですけど、彼の場合どの出演作を観てもたいがい熱演してますので、ある意味いつも通りっちゃいつも通りですしねぇ(笑) 脇を固める皆さんにしても、心臓外科医役のロバート・ウッズはこのテのちょっとイヤ味で小心な嫌われ役、ってのは最近板についてきた感じですし、ロバート・デュバルの飄々とした印象も「シビル・アクション」とか「ディープ・インパクト」でもおなじみな感じです。レイ・リオッタのアホ署長も、「ハンニバル」のアホ上司ととても良く似ていますし……(苦笑) そもそも、ストーリーに目を向けても、冒頭の交通事故のシーンの時点でオチが読めてしまいますしねぇ……(笑) (まぁそこで伏線貼っとかないといけないのは分かりますが) そんなこんなで、全編がそういう感じなので、これと言って誉める所が、実は無いのではないか、という気もしないでもないです(笑) まぁだからと言っていろんな映画のオイシイ所を切ってつないだだけってわけでもないですし、ありがち感こそありますがそんなにやる気の無い映画かと言えばそうでもないですし……うむむ、どうなんでしょうかね。デンゼルの演技力にダマされているわけでもないと思いたいですが……(笑) それでもつらつらと考察していってみますと……。 この作品、結構言いたいことをあれやこれやと詰め込みすぎであるように見えます。 例えばジョン・Qの息子が心臓移植出来なかったのは、結論から言えばお金がなかったから、なのですが……何故お金が無かったのかと言えば、会社や世の中が不景気で生活が苦しかったからだったり、保険会社による怠慢があったり、医療費自己負担という医療制度の問題だったりするわけなんですね。 これを並べていくと、ひとつは貧富の差という社会の根元的な問題であり、ひとつは保険会社の手落ちという人為的なミスであり、ひとつは現代のアメリカ社会が「今」抱えている社会問題なわけです。 ううむ。単にお涙頂戴な悲劇ではないのはいいのですが、理由がとっちらかってますなぁ(笑) 2つは社会派ドラマですけど、1つは医療サスペンス?ではないですか(笑) そういう風に、社会問題を痛烈に批判する一方で、どこか娯楽映画的なサスペンス要素も忘れちゃいないわけです。ラストの「間に合うのか!」的なタイムリミットサスペンスも、実に効果的であると同時にあまりにもベタかつ単純ですしぃ……(笑) そういう意味では、骨太の社会派映画のように思わせながら、意外にあざとい娯楽映画であることが分かります。 まぁ、これをとっちらかってる、未整理な寄せ集め映画と言うのは簡単ですが、個人的には無理に落としどころを作ろうとしなかったのは潔かったと思いました。社会派で考えさせるところは考えさせて、単純にサスペンスを楽しむところは楽しませて……という風に、一応やりたいことはおおむねハッキリしていたんじゃないかと思いますし(笑) あと、臓器移植に関する提言も何となくなされていない事もないのですが、遺体から臓器を提出するシーンがちょっとイヤーンな感じだったりとか(笑)、心臓移植の胸開のシーンを敢えて直接的に描写してみたりとか、そういうあれやこれやの良し悪しの判断はとにかく全部観客任せで、悪く言えば全部丸投げしてます(笑) うーむ、ここまで誉めてるのかけなしてるのか……(笑) あとですね、潔いと言えば(以下ラストに関するネタバレ)、最後にジョン・Qをちゃんと裁判で有罪にしたのは潔かった! 彼の行動は父親としては大変に正しかったわけですが、社会のルールを破ったという意味ではゼンゼン正しくなかったわけです。結果的に心臓移植が実現したのが「正しい」事であるように、ジョン・Qが有罪になることも「正しい」事なのです。 ここでジョン・Qが無罪になってたらかなりメチャクチャな映画になってたと思いますが(笑) そういう「正しさ」がキチンと抑えられているからこそ、あざとい欲張りなこの映画が、いかにもハリウッド映画らしい感動の押しつけにならずに済んだんじゃないでしょうか。 そういう意味では、決してそんなにヒドい映画ではなかったなー、と個人的には思いました。本作の監督のニック・カサヴェティスは、ジョン・カサヴェティスというインディペンデント系の有名な映画監督の息子なのですが……決して七光りには陥らずに結構ガンバってるじゃないか、と感心したりしてしまいました(笑) オススメ度:☆☆☆☆☆(何だかんだ言うて面白かったんですよー(笑)) |
2003.6.14 |
「ギャング・オブ・ニューヨーク」 監督:マーチン・スコセッシ 主演:レオナルド・ディカプリオ、キャメロン・ディアス、ダニエル・ディ・ルイス、リーアム・ニーソン、他 公式サイト:http://www.gony.jp/ 鑑賞日:2003.1.1 19世紀。大陸から新天地を求めてニューヨークへとやってきたアイルランド移民たち。だが開拓時代からその土地に住んでいる者達は、自分達の住む家や職を守るために、流入してくる移民達を迫害した。移民たちのリーダーだったヴァロン神父(リーアム・ニーソン)を目の前で殺された息子アムステルダム(レオナルド・ディカプリオ)は、15年後に父の復讐のために街に舞い戻り、父の仇であり土地の者たちのリーダーであるビル(ダニエル・ディ・ルイス)に接近していく。仲間を装い、やがて無二の右腕として取り立てられていくアムステルダムだったが、彼のリーダーとしての人柄に惹かれ、みずからの復讐心との間で揺れ動く。 だがやがて事態は変わっていく。南北戦争が激化する中、アメリカ史上初の徴兵制の実施に、ニューヨークもまた揺れ動いていた。暴動が頻発する中、街の移民たちの暮らしを守るために、アムステルダムは父が率いていた自衛組織を再結成し、ビルとの対立の道を選ぶことになるが……。 * * * 不思議と言えば不思議な疑問。キャメロン・ディアスはカタカナでは「ディアス」と表記するのに、実際のつづりはdiazとなっています。これは正確には「ディアズ」と書かなくちゃイカンのではないか、と思うのですがいかがなものでしょうか。 (いや、いかがとか言われてもな……(苦笑)) まぁそんなこんなで、お正月いっぱつめに鑑賞しましたのは、マーティン・スコセッシ監督、我らがレオ様主演の3時間に及ぶ歴史超大作「ギャング・オブ・ニューヨーク」でありました。 というか、いきつけのシネコンで一番大きなスクリーンにて、前から2列目という恐ろしい席で見たので、まともに鑑賞できたとはちょっと言えないのですが……(苦笑) 見終わったあとにはすっかり眼精疲労→頭痛、という恐ろしい事態に見舞われたりもしました。しかもそのままの足で友人と連れ立って遠方に初詣に出かけたりとかしましたし……(汗) まぁそれはそれとして。 ニューヨークでギャングっつったら、これってマフィアとかそういう話なんだろうなー、と迂闊にも安易な想像をしていたASDですが、実際に見てみましたらばこれがゼンゼン違っておりました(笑) まぁ広い意味では、間違ってなくもないんでしょうが……。つまるところ、あらすじにも書いた自衛組織=ギャングってことでありまして。「ゴッドファーザー」とかで描かれているイタリアマフィアに関しても、あれも結局はイタリア系移民の互助組織なわけですからね。 本作ではCGを使わず、実際にローマ郊外に超巨大なオープンセットを建造して19世紀のニューヨークを表現しているわけですが……本編を見てみましたらば、はっきり言ってこれのどこがニューヨークなのか!と仰天されられる事必至の、ものすごい映像になっております(汗) 作中で描かれている暴力と殺戮の渦巻く混沌とした無法地帯、我々が一般的に思い描く現代のニューヨークの姿とはゼンゼン結びつかんのですが……(苦笑) こんなニューヨーク、これまで誰も見たことないよー(爆) ちなみにローマのセットをかのジョージ・ルーカスが訪れたさいに、なんでこれをCGでやらずにわざわざセットを建てたのか、と仰天していたそうです(苦笑) ……で、ですね。 ASD的に本作の一番の見どころと言えば、やはりダニエル・ディ・ルイスの、熱演とも怪演とも付かぬ、圧倒的な存在感でしょう。靴職人になる、と言って俳優業を引退したはずの彼ですが、監督のスコセッシが、是非にと拝み倒して出演が実現したんだそうです。いやーホント、実現して良かったですよ(笑) 本作でも大きなポイントとなるのが、アムステルダムとビルの関係ですが、復讐に苦悩する青年、というのをわれらがレオ様が繊細に表現できていたかどうかはちょっとビミョーなところでして(苦笑)、むしろそのドラマを支えているのは、ダニエル・ディ・ルイスの複雑なキャラ造形なのではないかと思います。アイルランド移民たちにとっては恐ろしい、憎むべき敵であり、仲間達にしてみれば頼れるボスであると同時に、怒らせるととてつもなく怖い、恐ろしい支配者でもあり……また、サイコな暴力野郎としての側面もあります。どういうキャラなのか、というのを言葉で説明するよりも、とにかく見てくれ、というしかない、圧倒的に複雑怪奇なカリスマキャラなのですな。受賞こそ逃がしたものの、アカデミー主演男優賞にもノミネートされたのも納得の、超怪演&熱演でありました。なんでまた演技を捨てて靴職人なのか、理解に苦しむのですが……(苦笑) まぁそういう意味では、大きく宣伝されていた、レオ様&キャメロン・ディアスの「タイタニック」風大型恋愛ロマンス、というニュアンスは、実はたいしたこと無かったりするんですけどね(笑) さすがに3時間は長いというか、ちょっとラスト辺りで失速気味というかまとめ切れてないような印象もなきにしもあらず、ですが、血と暴力と愛憎渦巻く歴史大作ロマン、という路線では割合うまくまとめられていたんじゃないかな、と思います。 まぁ本当はここからさらに踏み込んで、現代のアメリカが抱える人種問題とか、テロだの戦争だのという「暴力」にまつわる各種の問題に対する何らかの提起である、という解釈にも対応しているんでしょうけど、まぁ素直に娯楽映画としてみておいても大丈夫かと。 おすすめ度:☆☆☆(結構流血はどぎつい感じ(汗)) |
2003.6.14 |
「ラスト・キャッスル」 監督:ロッド・ルーリー 主演:ロバート・レッドフォード、ジェームズ・ガンドルフィーニ、デルロイ・リンド、他 公式サイト:http://www.uipjapan.com/lastcastle/ 鑑賞日:2002.12.6 陸軍中将ユージン・アーウィン(ロバート・レッドフォード)はとある作戦にて大統領命令に背き、結果8人の兵士を死なせた事から、軍法会議の結果、軍刑務所に送られる事となる。その軍刑務所では、所長のウィンター大佐(ジェームズ・ガンドルフィーニ)が独裁的な管理体制を敷き、囚人たちに過酷な待遇を強いていた。はじめは諾々と従っていたアーウィンだったが、やがて疑問をもつようになり、彼を慕う囚人達を率いて立ち上がるが……。 * * * しかし、やたら扱いの小さい映画でしたなぁ。公開期間もかなり短かったですし。 それでASDさんも恐る恐る見に行ったわけですが(笑)、結構な拾い物だったように思います。 ……まぁでも考えてみれば、こういう感じの刑務所映画ってのもありきたりっちゃありきたりのような気もしますけどね(笑) 刑務所を舞台に、やくたいもない囚人達が何かのきっかけで人間的に成長を遂げたりとか、あるいは囚人というよりも人間以下のとんでもない扱いを受けて、自由のために立ち上がって云々、とかなんとか……。まぁそもそも、囚人=犯罪者に自由も何もあるかい、てな感じですけどね(笑) というわけで本作は、実はその「ありがち」パターンを結構直球で突いてしまっているような映画だったかと思います(苦笑) じゃあどの辺りが面白かったのかといいますと……ポイントになるのは、レッドフォード演じるアーウィン中将とガンドルフィーニ演じるウィンター大佐、二人のキャラ造形にあるように思われます。 アーウィン中将は、そもそも8人の部下を死なせたことに対して、裁判でもろくに釈明もせずに有罪をみずから進んで認め、率先して刑務所にやってきた、高潔な人物として描かれております。数々の戦場を経験し、捕虜になって拷問を受けた経験もあり、まさに歴戦の英雄!てな描かれ方なのですね。それに対する所長はろくな実戦経験もなくずっと後方の事務畑の人間で、軍刑務所長などというあんまり華々しいとは言い難い職についている身だったりします。その二人の、そもそもの軍人としての資質、指導者としての資質……そういう部分の差に着目すると、なかなか興味深い作品だったんじゃないかなー、と思いました。 そもそも生まれついてのリーダー気質たるアーウィン中将は、オチこぼれの集まりである刑務所内においても、どれほどの間もないうちに多くの人望を、ごく自然に集めていたりします。対する所長はと言えば、どちらかと言えばリーダーの器ではないがゆえに、囚人に厳しい規則を強いたり、規則以上の、ルールにない刑罰を強要したりする事で、囚人を無理矢理押さえつけようとするわけです。そんなウィンター所長は、アーウィン中将に対してもあからさまに嫉妬心をあらわにし、何かにつけて嫌がらせ試みたり何だり……。 が、それに対する中将の態度ってのが、あくまでも淡々としているんですよね。アーウィン中将は本編中では終始そんな印象で、囚人として、あるいは軍人として、規律正しい行動を淡々と取っているだけなのですよ。後半暴動を起こすのも、所長への怒りがあったりとか、自由とか開放とかを高らかに謳っているとかそういう話ではなしに、単に所長の管理能力に支障があり、手落ちがあった結果を、イコール暴動としてあらわしてみました、というような感じなのですな。 ただ、その辺りASD的には大変面白かったわけではありますが、最後まで貫かれてはいなかったりする辺りちょっと残念と言えば残念でした。ラストは囚人達が軍人的なプライドを取り戻すことで、いかにもアメリカ映画らしい健全な価値観、健全な精神を快復していく……というようなテーマに無理矢理こじつけられていたような気がします。 でもねぇ……ASD的に着目したのは、もっと単純な因果律なんですけどね。実際レッドフォードは、罪を犯したから刑に服する、囚人である以上は更正に励む、というごく当たり前の事をしているだけなんですよ。対するガンドルフィーニの方は、刑務所の規定を逸脱した、虐待めいた事を囚人に強要しているわけで、そういう人が結果的にずっこける、罰をくらう、という……正しい事をしている人が勝ち、悪い事をしている人が負ける、という実にシンプルな因果関係だと思うのですが、それ以上に欲張ってあれこれ盛り込もうとするから、逆に言いたいことがズレてくるんじゃないかなー、とふと思ってしまいました。 オススメ度:☆☆☆(ASD的にはそこそこ面白かったんですけど地味っちゃ地味ですよね(苦笑)) |
2003.6.14 |
「WXIII PATLABOR THE MOVIE 3」 原作:ヘッドギア 総監督:高山文彦 監督:遠藤卓司 スーパーバイザー:出渕 裕 脚本:とりみき 音楽:川井憲次 アニメーション制作:マッドハウス 声の出演:綿引勝彦、平田広明、田中敦子、大林隆之介、他 公式サイト:http://www.bandaivisual.co.jp/patlabor/ 鑑賞日:2002.12.5 昭和75年。東京湾干拓事業「バビロン・プロジェクト」によって、人型汎用機械「レイバー」が急速に普及した近未来。 米軍の輸送機が東京湾にて墜落事故を起こして以来、東京湾周辺区域では、特定メーカーのレイバーおよび乗員を狙った謎の連続殺人事件が発生するようになる。いずれも遺体はバラバラにされた挙げ句、ごく一部しか現場には残されないという凄惨な事件だった。久住武史(綿引勝彦)と秦真一郎(平田広明)の二人の刑事は、事件を追ううちにやがて謎の「怪物」に遭遇する事になる。 やがて事件が警察の手を離れた事態へと発展していく中で、秦は捜査で知り合った女性科学者・岬冴子(田中敦子)に惹かれていくが、彼女にはとある秘密があった……。 * * * WOWOWにて鑑賞。今や懐かしい「機動警察パトレイバー」の劇場版最新作です。 というか、この「パトレイバー」シリーズがせっせと作られていたのは80年代末から90年代頭にかけての事で、最近になってDVD化とかもされてますが、基本的にはもうすっかり過去のものとして押しやられているような印象があります。それが何で今更……という思いはどーにも拭いきれないものが。 確か1994年だか95年ごろに、脚本を手がけたとりみき本人が某アニメ雑誌のエッセイにて、「シナリオ手がけました」という事を堂々と書いてましたので、その時点ではすでに制作は開始されていたはずなんですけどね。何だか色々表には出せないややこしい事情がありそうな感じです(笑) えーと。 もしかしたら今となっては「パトレイバー」を知らない人の方が多いのかも、というわけで、かいつまんで説明しておきます。 「機動警察パトレイバー」はまず1987年に週刊少年サンデー誌上にてコミック連載がスタート、翌88年に全7話のビデオシリーズという形でアニメ化され、89年には劇場映画化されました。その後TVシリーズなんかも作られ、93年に劇場版第2弾が作られ……原作も長期連載されましたしその後も細々と続いていたような気もしますが、大体その辺で一段落はしてたんじゃないでしょうか。 原作コミックを手がけたのはゆうきまさみ。アニメーターの出渕裕(「ラーゼフォン」の監督、その他各種ロボットアニメのメカデザインを手がけている人です)と一緒に立てた企画にゴーサインがかかって、脚本家の伊藤和典、監督の押井守らがのちに参加してアニメ版が作られました。 今でいうメディアミックスの一環……というか動く映像とコミックの同時進行ってのは子供雑誌でよく展開されてた手法ですが、大きいお友達をターゲットに、アニメ本編のビデオソフトをメイン商品にして、何でもかんでも出しては買わせ、出しては買わせるという意味でのメディアミックスとしてはこの作品がまさに皮切りになったんじゃなかろーか、と思ってみたり(笑) 何せ最初のビデオシリーズ、1本の収録内容がわずか1話30分で、価格が4800円もしましたからね(笑) まぁ当時はオリジナルアニメといっても、単発もので一本一万円ぐらいはザラにしてましたので、これでも破格のバーゲンセールだったんですけど。 何せこれだけの低価格で儲けを出すために、本編の合間にCMが挟まってたりもしましたからねぇ……(苦笑) わずか7話のためにサントラ盤が4枚も5枚もリリースされたり、今から考えてもかなりめちゃくちゃな事をやってたもんだ、と思います(苦笑) まぁ当時は今みたいに、深夜枠とかBS、CS放送とか、大きいお友達の細かいニーズに応えるような時代じゃなかったですからね。今までに無い面白い物が出てくるようになった、という事でアニメファンの間では、是正的に受け止められていたんじゃないかと思います。 (ちなみに当時のASDさんまだ中学生でした……(笑)) まぁそんな思い出話はさておき。 ややこしいメディアミックス展開の中で、これまたややこしくなってるのがストーリーだったりします。レイバーの発展した近未来社会、特車二課の超非日常的な日常……という設定やコンセプト、さらには主人公ら登場キャラもほぼ同一なのですが、実はコミック版とアニメ版はストーリー上の繋がりがありません。アニメはアニメ、コミックはコミックで、パラレルワールドとして展開されているわけですね。押井守が監督した2本の劇場版はアニメの方の設定で作られてましたが、三作目を謳う本作「WXIII」は、実は少々趣きが違います。 というのは、話をややこしくしているのがTVアニメ版の存在なのですよ。TV版は、実はビデオシリーズともコミック版とも関連の無い、第三の流れになっているのです。一応内容的にはコミック版のエピソードの忠実なアニメ化なんですが、設定が一部変わってたり、全てのエピソードを忠実に網羅しているわけではなく、それどころか途中からTVアニメオリジナルの展開になっていったりするからややこしいですね(笑) そんな中、コミック版のエピソードの中でアニメ化が実現しなかったものの一つが「廃棄物13号」編だったりします。 ……ふう、やっとここに話が繋がりましたよ(笑) 要するに、本作「WXIII」は、この廃棄物13号編をアニメ化したものだったりするわけです。 と言ってもこれも忠実なアニメ化ではなしに、かなりオリジナル色の強いものになっていたりします。特車二課やその周辺のキャラとはまったく無関係なオリジナルの主人公を立てて、原作のストーリーの事実関係を忠実になぞりながらも、全く独自の人間ドラマが展開されているわけです。ああややこしい(笑) しかも原作ではその前後に繋がる「グリフォン」編のエピソードの伏線も同時展開してましたが、当然これもカットされてます(当然と言えば当然ですが)。 ……まぁこれだけオリジナルになれば過去のシリーズとは別物と言わざるを得ないところですが、実はその他に、大きな理由があったりして。 そもそも「パトレイバー」は、製作された当時の1988年から10年先の未来を描いた「近未来」が舞台になっていました。年代に直せばズバリ1999年が舞台だったわけです。ところが、この「WXIII」が公開されたのは、10年先を微妙に過ぎた2002年……(汗) つまり、時代設定が今やすでに「現代」になってしまっているわけですね(苦笑) と言ってもまさか本物の現代を舞台にするわけにもいかず、かといってまた10年伸ばすのも無理(世界観をまた一から構築し直さないと)、というわけで……。 結局本作ではどういう解決を見出したのかといいますと、「昭和75年」というパラレルワールドに移行することで、この問題を回避したのでありました。なんじゃそりゃ(笑) ……そんなわけで本作は、過去に作られたアニメともコミックとも、さほど関係が無かったりします(笑) というか、関係あるものとして見ると色々と違和感も感じなくもないですし。パラレルワールドと言っても、10年前に未来予測を試みたオリジナルの世界観をそんなに大きく逸脱しているわけでもありません。これはオリジナルの未来予測が意外に大きく外れてはいなかった事が大きいのですが、そこに予測し切れなかった部分――例えば携帯電話やインターネットの普及とか、そういう箇所を多少踏まえて、修正してある程度なんですよね。無論、レイバーは当然のように闊歩してますし、東京湾干拓事業バビロンプロジェクトも健在ですが……。 が、やはり特車二課が主役ではないので、見ていて、ああ廃棄物13号なんだな、という感じはしても、ああパトレイバーなんだな、という気はあんまりしませんでした(汗) 特車二課の後藤隊長もほぼメインキャラ扱いで登場はするんですけど、めちゃくちゃ浮いて見えましたね(爆) 別に無理に登場させる必然性も感じられませんでしたし……。 ただ、前2作の劇場版と比較すれば、実はかなり娯楽映画として無理のないものになっていたんじゃないか、とは思います。まぁ前2作が娯楽映画としては少々難解だったわけですけどね(笑) 押井守の手による劇場版は、パトレイバーという物語を「東京とはなんぞや」「戦争とはなんぞや」というかなり難しい命題に関する考察の場として勝手に利用してたような印象もありますので……。そういう意味では、「WXIII」ではすっぱり娯楽に振った内容になってたのは、評価すべきポイントなのかな、と思います。 で、肝心の内容の方はまるっきり怪獣映画でしたねぇ(笑) 実際、オリジナルの「廃棄物13号編」自体が、謎の大怪獣が東京湾に上陸! 特車二課がそれと激突! という感じで、いかにも年季の入ったマニアをわくわくさせるような内容だったわけですが(笑)、それでも一応はコミックの中のひとつのエピソードとして丁寧に収まっていた、という印象がありました。 (余談ながら、最初のビデオシリーズにも、謎の怪獣が東京湾に上陸、というエピソードがありました(笑) こういうのが好きなスタッフが揃ってたんですな……) 今回の劇場版では敢えて「パトレイバー」色を抑える事で、いかにも怪獣映画っぽい、趣味的な要素をより前面に押し出しそうとしたんじゃなかろうか、という気がします。コミック版の同エピソードに登場していたサブキャラはほぼ全員この「WXIII」にも登場してますが、ストーリー上の役回りや、顔や名前が同じというだけで、キャラクタそのものはほぼ別人になってしまってますし。本作のヒロインなんか、コミック版ではいかにもマッドサイエンティスト的な扱いだったんですけどねぇ……(苦笑) 原作の方では真面目に進めてたとは言え全体的にパロディ的・お遊び的なニュアンスは拭いきれなかったわけですが……かなりシリアスなニュアンスに変更になっていて、それもかなり意外だったかと。もちろん映画としては、その辺りをマジにやればやるほど、本編そのものが「パトレイバー」的なものから「怪獣映画」的なものになっていくわけで、その辺りはまぁ、確信犯なんでしょうね(苦笑) ……とまぁここまで語ってきたわけですが、せっかく旧シリーズとは色んな意味で別物になっちゃってたわけですから、無理に旧シリーズのキャラを登場させたりという事をしない方がよかったんじゃないかなー、という風には思いました。 やはりこの作品、「パトレイバーの映画化」ではなくて、あくまでも「廃棄物13号」を元ネタにしたオリジナル作品、というノリなわけですし。恋愛ものとしての側面もあったりして、オリジナルの主人公を立てたのはやはり正解だったな、と思います。 実際のところ、今見るとかつての「パトレイバー」に関する記憶もかなり風化してますし、その事も結構プラスに働いているんじゃないかと思います。技術的にも、「2」の直後では出来なかった事が、今では出来るようになってる、という部分があると思いますし。 ……何せ「2」のすぐ後じゃ誰だってデキを比べちゃうでしょうしね(笑) 押井守は「GHOST IN THE SHELL」が海外市場で高い評価を受けてブレイクしたせいで、かの作品が代表作・傑作という事になってるみたいですけど、ASD的には「パトレイバー2」がやはり最高傑作なんじゃないか、という気がしますし……。その1年後、2年後ぐらいに本作をみてたら、多分駄作と言い切ってたんじゃないか、という気がしますし(笑) そういう意味もあって、曲がりなりにも世代の違う映画として作られたからこそ、「WXIII」は結構イケてる佳作になり得たのかもしれないなー、という風に思いました。 ま、それもあくまでも結果論なわけですけどね。 オススメ度:☆☆☆☆(作風的には、「人狼」とか好きな人にはおすすめなんじゃないかと思います) |
2003.6.14 |
「ザ・リング」 原作:鈴木光司 監督:ゴア・ヴァーヴィンスキー 主演:ナオミ・ワッツ 公式サイト:http://www.thering.jp/ 鑑賞日:2002.12.1 新聞記者のレイチェル(ナオミ・ワッツ)の姪が謎の変死を遂げる。葬儀の席で、彼女は姪の同級生たちがまことしやかに噂する「見ると死ぬビデオテープ」の話を聞いてしまう。姪もまた、それを見てしまったのではないか、というのだ。 しかも姪だけではなく、同じ日の同じ時刻に、彼女のボーイフレンド達もまた次々と変死を遂げていたという。レイチェルは姪達が宿泊したモーテルに足を運び、そこで一本のビデオテープを発見する。そこに収められていたのは、グロテスクかつ不可解な映像の羅列……そう、そのテープこそ噂のビデオテープだったのだ。 元夫でカメラマンのノアの助力を受けてテープの謎を解こうとするレイチェルだったが、そのうちに一人息子のエイダンまでもがテープを見てしまって……。 * * * というわけで、鈴木浩司原作のホラー「リング」のハリウッド版リメイクです。 いやー、なんかねー、あらすじ書いてみると内容の方はほとんど日本版と変わりありませんね(笑) あらすじのみならず、実際に映画の中身は日本版に実に忠実だったりするのですが。 ちなみに、忠実にリメイクされているのはあくまでも中田秀夫監督による映画版の方で、本編にもこちらの映画の方が「原作」としてクレジットされております。 まぁ誰もが気になるであろう相違点を順番に挙げていきますと……まず日本版では、謎解きに協力する主人公の元夫にして大学講師で超能力者という肩書きの(肩書きか?)高山という男がいましたが、本作では元夫は単なるフツーの人になってしまってます(笑) よって謎解きに関しては完全にナオミ・ワッツが一人で奮闘するという形式に……。元夫も一応出番はありましたが、どちらかというと使い走り的な印象は否めませんでしたな(笑) ちなみに、鈴木浩司の原作では主人公の新聞記者は男で、高山は大学時代の同級生という設定でした(っけ?)。それが日本版で元夫婦という設定に改変され、ハリウッド版にも引き継がれているんですな。 余談ながら高山の設定は映像化のたびにころころと変わってます(笑) 中田秀夫版以前にTVドラマ化された際には主人公がかつて取材した大学教授、という設定で年齢が引き上げられてましたし。 まぁそんなこんなで、日本版では謎解きの特に肝心な部分を、高山のテレパス能力に頼っていたわけですが……ハリウッド版では超能力無しで、きちんと謎解きらしい謎解きを展開しております。 つまり、謎を解明していくプロセス自体はハリウッド版オリジナルになっているわけでして、日本版を見た上で鑑賞してもきちんと楽しめるつくりにはなっていたと思います。まぁ日本版の謎解きはいくらテレパス能力使ってたからって、ちょっとムチャな感じもありましたしね(笑) その辺りきちんと整合性を追求した、って事なんでしょう。 あと、日本版では怖い怖いと言いつつも直接的なグロテスク描写はかなり控えめだったわけですが、恐怖描写に関しては全体的に即物的になっているように思いました。テープの映像も直接的にグロくなってますし、死体の描写なども明確にホラーっぽい不気味ちっくなものになってます。日本版だと、死に顔なんか別にメイクでも何でもなくて、単に役者さんが頑張って表情つくって表現してましたしねぇ(笑) むしろ日本版は直接グロいものが写らないが故に怖かったわけですが、さすがにアメリカの観客はもうちょっと具体的なものを好むようです(笑) あと、貞子=サマラ役の女の子は怖いというより結構可愛かったですね……(笑) むしろ主人公の息子エイダンの方が、利発とか大人びているとかいうのを通り越してかなりオッサンくさい印象があって、こっちの方が不気味だったかも知れませんな(爆) それはそれとして、このハリウッド版のラストにはひとつとても大きなギモンが。ネタバレゆえに以下は反転して呼んで下さいまし。 オススメ度:☆☆☆(まぁなんだかんだ言ってそんなにヒドくはなかったかと(笑)) |