-cinema diary-

2003年7月の映画日記


 

2003.8.14

「ハリー・ポッターと秘密の部屋」

原作:J・K・ローリング
監督:クリス・コロンバス
主演:ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン、他

公式サイト:http://harrypotter.warnerbros.co.jp/

鑑賞日:2003.2.27


 ホグワーツ魔法学校での二年目を間近に控え、叔父夫婦の元に一時帰省していたハリー(ダニエル・ラドグリフ)の元に、屋敷妖精のドビーが押し掛けてくる。彼はハリーに対して、「ホグワーツに戻ってはいけない」と不可思議な警告をしに来たのだった。新学期が始まり学校に舞い戻ったハリーだったが、時折不思議な声が聞こえるようになって……。


    *    *    *


 えー、というわけでちまたで大人気の「ハリー・ポッター」第二弾であります。勿論、原作の二巻である「秘密の部屋」の完全映画化、という事になってますが……。
 前作「賢者の石」も二時間半強というかなりの大作でしたが、今回それ以上に上映時間が延びまして、ついに三時間に達してしまいました。うーん、お子さまの動員を狙った作品のハズなんですけど、そんなんで大丈夫なんでしょうか……(苦笑)
 そんなこんなで、ASDも見に行く前は結構不安に思っていたのですが、実際見てみますと、三時間が特別長く感じられる事もなく、長丁場を充分に堪能できる内容になっておりました。
 こういう長い映画を、長さを感じずに楽しめるというのはよほど演出とか編集とか、そもそもシナリオ自体の構成がしっかりしているという事でして、実にいい仕事をしているな、という風に思います。もちろん、金に糸目をかけない贅沢な特殊効果の数々も見物でして、見ていてまるで飽きる事が有りません。スバラシイ!
 ……と、諸手を上げて誉め倒してもいいんですけど、どーにもこーにもそう言い切るにはちょっと抵抗が(苦笑)
 確かに、三時間の長丁場を一切飽きさせないというのは素晴らしいと思いますし、潤沢な予算を投じた、いかにも大作らしい豪華な映像の数々も必見モノなのですが、それだけの超大作の割に、実際の鑑賞後の感激が大きかったかというと、実はあんまりそんな事はありませんでした(爆)
 ぶっちゃけた話、映画全体のノリが、良くも悪くも「第二話」以上でも以下でもないんですよねぇ。前作は一応シリーズの導入部ということで、凡人として育ったハリー少年が、ホグワーツという非日常の世界に一歩ずつ入っていく過程に、いかにもファンタジーらしい感動があったりなかったりするわけですが、本作ではそういう前作の「非日常性」が、すっかり「日常」として定着してしまっているんですよね。
 映像的な驚きとか、ちょっとした小ネタとか、見ていて「ふーん」と思いこそすれ、全体的に映画という娯楽の一番のポイントである「非日常性」を体験できたかというと、イマイチそうでもなかったなぁ、というのが、残念と言えば残念でした。
 つうか、ホグワーツを舞台に、ハリーとロンとハーマイオニーの三人が、時には先生方の助力を借りつつ、学園内で起きる怪事件を解決していく……という基本フォーマットがすでに確立されていて、本作はそれを忠実になぞっているだけなんですよ。本編に目を向ければ、壁に血文字が書かれているおどろおどろしさとかも悪くはありませんでしたし、ハリー本人も泥まみれの奮闘を見せたりして、結構ガンバってたとは思うんですが……。
 うーむ。
 これがもっと低予算で作られた、TVシリーズの第二話とかだったらまだ許せる内容だったんですけどねぇ。そういうシロモノと言い切るには、予算規模といい各スタッフ・キャストの頑張りといい、ネガティブな要因がひとつもないだけに、なんでこんなに物足りないのか、ものすごく理解に苦しんでしまうような内容だったかと……(苦笑)



オススメ度:☆☆☆(まぁ取り敢えず話題に乗り遅れないために見とけ、て感じですか(爆))




2003.8.14

「マイノリティ・リポート」

原作:フィリップ・K・ディック
監督:スティーブン・スピルバーグ
主演:トム・クルーズ、マックス・フォン・シドー、コリン・ファレル、他

公式サイト:http://www.foxjapan.com/movies/minority/

鑑賞日:2003.2.13


 2054年、ワシントンDC。予知能力者《プレコグ》による犯罪予知システムによって、すべての殺人事件は未然に防がれていた。だがある日、犯罪防止局のチーフであるジョン・アンダートン(トム・クルーズ)は、自らが殺人を犯す事をプレコグによって予知されてしまう。本当に殺人を犯すのか? それともこれは何者かの陰謀なのか? ジョンは部下達の追跡から逃れながら、自らの身に何が起ころうとしているのかを探ろうとするが……。


    *    *    *


 えー、というわけでスピルバーグ監督&トム・クルーズ主演、の組み合わせがおおいに話題を呼んだ、近未来SFサスペンスアクションでございます。まぁビッグな組み合わせというか、単にスピルバーグが長らく大スター起用をウリとするような映画作りをしてこなかったというだけで、近年は誰と組んでもある程度トピックには成りうるのですが(苦笑)
(スピルバーグがトム・ハンクスと組んだ! スピルバーグがディカプリオと組んだ! ……などなど(苦笑))
 ところで、そんな事よりもASD的に注目だったのは、本作がスピルバーグにしては極めてめずらしい「追われる男」系のサスペンスアクションを撮った、というところだったんですけどねぇ。その昔は「激突!」「ジョーズ」などの硬派な映画を撮っていたスピルバーグですが、「ET」「未知との遭遇」辺りから、SFX大作……それも家族で安心して楽しめるファミリー路線にシフトしてしまいましたしねぇ。こういう傾向が強かった80年代はASDも小学生とか中学生とか、そういう「ファミリー路線」のメインターゲットだったわけで(苦笑)、むしろ近年芸術的に高い評価を受けているスピルバーグ、という方が違和感バリバリだったりするのですが(爆)
 まぁスピルバーグの場合、昔から芸術的に優れた映画(「カラーパープル」「太陽の帝国」「オールウェイズ」等々)も撮れる一方で、子供っぽいSFXメインの娯楽大作を連発して(「フック」「ジュラシックパーク」等々)そういう評価をぶち壊しにするという傾向があったわけですが(爆)、「シンドラーのリスト」でアカデミー賞を受賞して以来、その評価も変わりつつあるように思います。「プライベート・ライアン」や「A.I,」など、割と難解で評価が分かれるような内容の作品も割とフツーに発表してますし。
 そういうところで、はっきりとした娯楽路線である本作のような作品が出てきたわけですが、「子供っぽい路線に逆戻りだ!」というのでもなしに、娯楽路線でも割と大人っぽいムードは維持できているという辺り、スピルバーグも変われば変わるものだなぁ、と思ってみたり……(笑)



 ……と言ったところで、肝心の内容に関する評価ですが。
 うーん、どうなんでしょうね(笑) このテのSFサスペンスアクションものとしては、特に面白くもくだらなくもない、及第点的な内容だったんじゃないでしょーか(爆)
 色々難点を指摘しますと、まず主人公が追われる境遇に陥るまでの過程が、ビミョーに長いです。映画の導入部分をちょっと過ぎた辺りで追跡劇に突入するので、「やっとかよ!」とついつい思ってしまったりとか(笑)
 それから、この種のサスペンスものでは2段オチというか、ドンデン返しというか、そういうのも当たり前な感じですが、2段目のオチがつくまでの下りが、これまたちょっと間延びした印象で……1段目のオチのあと、息も付かせぬ、どころか充分に息をつく間が有りすぎたような感じでしょうか(爆)
 そういうわけで、このテのサスペンスものとしては、実はそんなに優秀な作品というわけでも無かったかな、という気はします。ジェームズ・キャメロンとかの方がよっぽどこのテの作品は巧く作れるんじゃないでしょうか(笑)
 ただ、逆にそういう間延びした感じが、この作品独特の味というか、そういう印象に繋がっていない事もないんじゃないかと思います。ASD的には、そんなに嫌いでもなかったりしますが……。
 それから、本作の大きなポイントになるのが、SF的な近未来世界の作り込みでしょうか。近作では「A.I.」なんかでもSFっぽい世界観が描かれてましたけど、スピルバーグってばこういうのかなりスキですよねぇ(苦笑) 見る人のSF観?によって評価は別れると思いますが、これまたASD的にはツボでした。面白かったのがクルマ関連の描写で、自動制御でしっかり交通の流れが整理されている自動車社会、ってのが何げに興味深かったですねぇ。ああいう形ならば交通渋滞も起きないでしょうし……。
 でもって、そういう形ですのでその辺を走っているクルマ達というのは規格が統一されているかのようにどれもこれも似たような形状をしているのですが、作中で華々しく登場する2054年モデルのレクサスクーペだけは、それらと比べて随分かけ離れた意匠になっているのですな(笑) コイツの疾走シーンはコイツ単独で田舎道を走ってたりとかするんですが、もしかしてそういうところ以外じゃ走っちゃいけないクルマなの……?(苦笑)



 とまぁ、ここまでつらつらと書いてきましたが、肝心の主演であるトム・クルーズはどうだったったんでしょうか。
 彼の主演作品として見た場合、主人公が追いつめられて逃亡して云々……という役回りは実は「ミッション・インポッシブル」なんかですでに見た事ありますので、本作に関しては既視感バリバリで、逆に困ってしまいました(苦笑) うーん……それ以上なんか言うことあったかなぁ……うーん……。
 まぁトム・クルーズが好きで好きで、という方には、特に止める理由は見あたらないかなー、と言ったところでしょうかねぇ(笑)



 えー、まったくの余談。どうでもいい話ではあるんですが一応ネタバレっぽくもあるので以下反転して読んで下さい。大した話じゃないんですけどね(笑)
 本作は一応スピルバーグらしくというかハリウッド映画らしくというか、主人公が事件を通じて、息子の死をきっかけに疎遠になってた元奥さんとの絆を取り戻しひいては家族の絆のようなものが復権を果たすという、そういうオチというかテーマだったわけですが……。その中で夫婦にとっての子供の位置づけになるのが、ジョンの殺人を予知した、プレコグの少女アガサなのですね。
 物語の後半、ジョンは彼女を連れ回して逃避行を繰り広げるわけですが……この映画のプロットをライトノベル的な文脈で捉えなおした場合、彼女はやはり萌え萌えヒロインとかになってしまったりするんだろうなー、と愚にもつかないことを考えてしまいましたとさ(笑)
 ……いや、ホントにどうでもいい話ですが(苦笑)



オススメ度:☆☆☆




2003.8.14

「K-19」

監督:キャスリン・ビグロー
主演:ハリソン・フォード、リーアム・ニーソン、他

公式サイト:http://www.k19movie.jp/

鑑賞日:2003.2.1


 1961年、アメリカとの軍事的緊張の中で核兵器配備の拡大を急ぐソ連は、ワシントンを射程距離に収めるために、原子力潜水艦「K-19」を建造する。国の威信をかけたミサイル発射テストを成功させるために、軍の上層部はボストリコフ大佐(ハリソン・フォード)を新たな艦長に任命する。人事の都合から元の艦長であるポレーニン中佐(リーアム・ニーソン)が副長として残る事になるが、任務遂行のために部下に厳しい要求を課すボストリコフと、部下に慕われているボレーニンとの間に少しずつ軋轢が生じ始める。そんな中で、K-19はやがて深刻な原子炉のトラブルに見舞われるが……。


    *    *    *


 昔から潜水艦映画にはハズレが少ないというような事がたびたび言われておりますが、この作品は……どうなんでしょうかね?
 というわけで、「K-19」です。本作は1961年にソ連で実際に起こった原子力潜水艦の事故の顛末を映画化したものです。普段は役者に徹しているハリソン・フォードが初めて製作に口を挟む気合の入れようですが、某映画雑誌のゴシップ記事によれば、この映画を見たK-19の元乗組員の証言として「史実通りなのは、進水式でシャンパンのボトルが割れなかった事と、原子炉にトラブルがあった事だけ」てな事も書いてあったりして、実際どこまで史実通りなのかはちょっと分からないんですけどね(笑)



 お話のポイントとなるのは、やはり核の脅威、でしょうか。
 近作では「トータル・フィアーズ」なんかでも核戦争の危機云々というネタを扱っておりましたが、あちらの作品では核爆発の描写がかなりショボかった……というかあまりに能天気すぎただけに、描かれていたはずの核の脅威ってヤツが、相対的にかなりショボくなっていたんですよねー(笑) まぁそういうのと比べりゃ、かなりストレートに表現できていた方なんじゃないかと思います。
 核そのものの物理的な脅威も良く伝わってくる映画だったと思いますが、そんな核の扱いに対する当時のソ連のずさんさも相当スゴかったですねー(苦笑) そもそもK-19自体がかなり欠陥のありそうな潜水艦。何せ想定以下のごく浅い深度で、水圧でボコボコへこんでましたしぃ……(汗) 部品の手配も適当だし、乗組員は新米ばっかだし……。
 そんな状況下、ソ連軍の上層部はアメリカに対抗するっていうだけの目的で、欠陥潜水艦にミサイル持たせて、ちょっと撃ってこいや、と送り出してみたり(無論テストですけど)……何かトラブルが起きないほうがおかしいでしょ、というノリなんですよ(汗) うーむ。要するにそういう危機管理の甘さを、この映画は非難したかったんでしょーかね、やっぱり。
 ASDならずとも見ている人の大半が戦慄したでしょう、原子力機関で動いている船なのに、炉内作業用の放射能防護服を一着も積んでなかった、というのには、映画とは言え見ていて真っ青になってしまいました(汗) うわー恐ろしい……。
 そんなこんなで、はっきり言えばそこだけでも充分恐ろしかったので、そこに絞ったお話に小さくまとめておいても良かったんじゃないかと思うんですけどね。ソ連はこんな調子だったとして、アメリカ側はじゃあ万全だったのかというと、もしかしたらそうじゃなかったかも知れないわけで、核という恐ろしいものをお手軽に扱ってきた、人類の無知の恐ろしさがひしひしと伝わってくる良作でありました……。



 ……というところでまとまっていれば良かったんですけどね(笑) 実はそこで収まっていないから話がややこしくなるんですが。
 あらすじを読めばお分かりになるかと思いますが、この映画のもう一つのポイントになるのが、艦長であるハリソン・フォードと、副長であるリーアム・ニーソンとの対立です。軍上層部の意向を徹底させようとする艦長、身勝手な決定に振り回される部下を守ろうとする副長、この二人が対立・衝突を繰り返す中で、原子炉トラブルという最悪の危機に直面していく男の熱いドラマ……というようなニュアンスが見え隠れしているわけです。
 っていうか。
 それって、なんか蛇足っぽい気が……(汗)
 一見、こういう「男のドラマ」をメインに据える、という手法はごくオーソドックスなもののように思えます。しかし、物語の焦点を人間ドラマの方に当てた場合、上で語ってきた原子炉トラブル、核の危機、という要素が、ドラマを展開させるための背景の事情に留まってしまう、という事情があったり無かったりするんですよね。
 この辺りの話は、以前「突入せよ!あさま山荘事件」の時にちょろっと書きましたが、かの映画は昭和史に有名な「浅間山荘事件」を、危機に直面する男達の姿を描くための「方便」として描き、肝心の事件そのものの歴史的な意味合いには敢えて触れなかったわけです。
 これと同じことが、本作の場合にも言えるのではないでしょうか。せっかく核の脅威云々という方向で強い説得力のある内容になりそうだったのに、それが敢えて薄れさせられているように見えるのは否定できないかと……。



 更によく分からないのは「世界なんか、簡単に滅びる」というこの映画のキャッチコピーです。
 核が世界を滅ぼす、というのは、アメリカとソ連が核兵器をお互いしこたま抱えたまま睨み合ってた冷戦時代に、実際に世界が直面していた危機なわけですが。
 が、このお話に限って言えば、仮にK-19がトラブルから核爆発してしまっても、北海の真ん中での単独事故なわけじゃないですか(笑) 一応アメリカの駆逐艦が近くにいて、爆発すると攻撃と勘違いされる、というとってつけたような設定がありましたけど(史実通りだったらスンマセン(汗))、にしてもそれが引き金になって全面核戦争へ……というのは冷戦が過ぎた今の時代に想像するのはちょっと難しい気がします。
(この辺りは、同じ史実物でもキューバ危機を描いた「13デイズ」とかの方がよっぽど上手く描けてたかと)
 もうひとつ言えば、原子炉爆発→全面核戦争、というプロセスに説得力があったにせよ、それは結局「K-19に起きた深刻な原子炉トラブル」が、世界戦争(この際核はおいといて)の引き金になる、という「方便」になってしまうんですよね。結局その場合でも、K-19を見舞った悲劇そのものの持つ意味からは、遠ざかってしまうんじゃないかなー、とASDは思ってしまいました。
 一応映画の方では、K-19のクルーは原子炉爆発を防いだ事で、全面核戦争の危機を防いだヒーロー、というような描かれ方をしているんですけど……彼らはどちらかと言えば、上層部の政治的な都合でそんな欠陥船に乗せられて、危うく死にかけた被害者として描いた方がよっぽど自然だったのでは、という気がします。ソ連というすでに地上から消滅してしまった国家で起きた物語ですし、何に配慮する必要もないような気がしますが……。



 まぁ何と言いますか、ハリウッドがソ連の軍人を主役に映画を作る、っていう意味では色々不自然な点がバリバリに存在するのは否定出来ないんですけど(笑)、むしろ愛国云々、ヒーロー云々というアメリカ的な要素を無理矢理ソ連で起きた実話に当てはめている点のほうが、よっぽど不自然だったように思います。いっその事、史実じゃなくて歴史フィクションと割り切った上で、アメリカ原潜に起こった事故、という設定で描いた方がよっぽど説得力があったかと思いますが……(汗)
 本作の監督はキャスリン・ビグロー。昔ジェームズ・キャメロンのカミさんだった人なんですけど(今じゃ誰も覚えてないか?)、女流監督なのに、男性的な骨太アクション演出が大得意、というちょっと変わった人なんですけど(笑)、フィルモグラフィを見る限り、強盗団と潜入捜査官のビミョーな友情を描いた「ハートブルー」とか、過去の思い出に入り浸るあまりヴァーチャルリアリティの世界にハマり込んでいく男の悲哀を描いた「ストレンジデイズ」とか、愛国心やヒロイズムといった男性的センチメンタリズムとはまったく無縁な作品ばっかりなんですよねぇ(苦笑)
 そういう意味では、原子炉にトラブルがあって放射能で全員死ぬー、というような即物的な恐怖感はシャレにならないくらいスゴかったんですけど、「国のために」とか「世界のために」という話になってくるとビミョーに説得力を失い、どんどん失速していくのが、ちょっと興味深い現象だったかも知れません(笑)



 まぁ全体的には、それなりに気合もあるし志も高そうなんですけど、かなり思い切りよく空回りしているような……そんな感じの映画でありました。
 というか、ふと思ったんですけどこの映画で描かれている放射能の脅威って、アメリカ人の観客はどういう風に捉えてたんでしょうかねぇ? ASDの場合腐っても日本人ですから、放射能がヤバいってのは「ゴジラ」とか「はだしのゲン」とかで幼少の頃から刷り込まされてることですし(ってゆうかその二つを同列に語るのかよ(笑))、この映画恐ろしすぎて直視出来ませんでしたよ、実を言えば(汗)



オススメ度:☆☆☆(炉内作業のシーンは目を覆わんばかりの名シーンです(笑))



 


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