-cinema diary-

2003年8月の映画日記


 

2003.8.14 

「魔界転生」

原作:山田風太郎
監督:平山秀幸
主演:窪塚洋介、佐藤浩市、麻生久美子、長塚京一、中村嘉葎雄、他

鑑賞日:2003.6.1

公式サイト:http://www.makai.jp/


 島原の乱で命を落とすも、秘術「魔界転生」にて現世に蘇った天草四郎時貞(窪塚洋介)。彼は徳川幕府を崩壊させ世に戦乱をもたらそうと、三代将軍家光に呪いをかけ、将軍の座を狙う紀州大納言に接近し、さらに荒木又右衛門、宮本武蔵ら死せる剣豪を魔界転生の秘術で次々に蘇らせるのだった。陰謀に気付いた剣客・柳生十兵衛(佐藤浩市)は、その企みを阻止するために紀州へ向かうが……。


    *    *    *


 嗚呼……。
 というのが鑑賞しての率直な感想です(苦笑) 見ればそうため息をつくより他に何も言いたくなくなる事必至、という事で(苦笑)
 本作は、故深作欣二監督の代表作のひとつである「魔界転生」のリメイクであります。当時沢田研二が演じ話題になった天草四郎の役を、今が旬の窪塚洋介が演じております……以上。
 本作に関して言える事は大体そのくらいで、他に何か特別ウリがあるのかというと、残念ながらありません(苦笑)
 ……てゆーかですね。
 ご用とお急ぎでない方は、この映画日記からトップに戻って、ASDのプロフィールのページを確認してみて下さいまし。そこにお気に入りの作家として「山田風太郎」の名前を挙げているASDですが、この「魔界転生」はそもそも山田風太郎が書いた忍法帖シリーズの中でも1、2を争う屈指の名作なのですよ。その映画化作品として、本作はあまりにもぬるい! ぬる過ぎます! 入場料返せ! とマジで言いたくなるくらいです(笑)
 うーむ……マジで何がウリなのか、見ていてゼンゼン分からない、というのはかなりツライものがありますよ。
 そもそも、天草四郎=窪塚洋介というのが大きくクローズアップされているわけですが、「魔界転生」と言えば天草四郎、というのは深作欣二版が生んだイメージなんですよね。原作は、魔界転生(「てんせい」ではなく「てんしょう」と呼びます。念のため)によって次々と蘇る名だたる剣豪達と、我らがヒーローである柳生十兵衛とが大激突を果たすという、剣豪小説的なニュアンスが強い作品なんですよね。宮本武蔵、荒木又右衛門というビッグネームが揃う中、天草四郎もそんな魔界衆の一員、という扱いに過ぎないのです。本来は。
 で、その天草四郎を大きくクローズアップしたのが深作版です。深作版は原作にあった大型エンタテインメント的なニュアンスよりも、死者が怨念で蘇る、というおどろおどろしいオカルト風味、ホラー風味に着目して、映画版ならではの魅力を追及していたわけで……。
 ……要するに、今回のリメイク版って、それを安易になぞっているだけなんですよね(苦笑)
 実際、何を見所としてみせようとしているのか、非常に散漫な印象です。天草四郎の怨念の強さを描きたかったにしては、窪塚洋介の演技は、つかみ所のない曖昧なキャラになってましたし……そもそも幕府転覆とか、戦乱の世に変えるとか、言うことは立派ですがじゃあ具体的にどういう計略が用意されているの?という部分がさっぱりだったような気が(苦笑) 家光危篤、紀州大納言がどーのこーの、というのはまぁ原作の通りなんですが、肝心の魔界転生に関しては、一体どういう狙いがあってやっているのか皆目見当も尽きませぬ(苦笑) のらりくらり、行き当たりばったりに剣客を転生させては、一人ずつ敗れ去っていくだけ、という地味っぷりですし……(苦笑) 肝心の大納言にまで、別に何もしとらんじゃないか、と愛想つかされてますが、観客であるASDもほぼ同じ所見を抱きました(苦笑)
 じゃあ剣豪ものとして、十兵衛VS剣豪オールスターズ、という豪華絢爛さがあったかというと、そもそもオールスターというほどずらりと勢揃いもしていませんしねぇ……。気が付くと述べ人数はそれなりに揃ってましたが、蘇っては破れ、蘇っては破れの繰り返しで、結果的に豪華絢爛たる布陣で顔を並べてたりはしませんでしたねぇ。各剣豪に扮する役者さん達の演技も、なんかやっつけ仕事っぽい感じですし。殺陣に気合いが入っていたかというと、そんな事もないですし……。
 うーむ。そもそも柳生十兵衛が、何故天草四郎や魔界衆と関わりを持って、陰謀阻止に動いたのか、その動機付けや必然性も曖昧でしたし……。
 第一、柳生十兵衛と言えば、隻眼、という有名なトレードマークがあるはずなのですが、何故か本作の十兵衛は、両目の揃ったフツーの人なのですよ。それがASD的にはどーしても納得いかなかったり。
 ありがちだから、と判断して止めたのかも知れませんが、ならばそれなりに隻眼ではない理由付けが欲しいように思います。例えば作品の後半、十兵衛の父である柳生但馬守宗矩が、おのが息子と存分に剣を交えたい、という理由から魔界転生を果たすのですが、その辺りの親子の葛藤がいまひとつ表現仕切れていなかったように思います。
 そもそも十兵衛が隻眼なのは、幼少のみぎりに稽古中に宗矩によって怪我を負わされたからなのですよ。十兵衛の剣の腕前が思いのほか強くて、手加減しきれなかったから、というのがその理由。その目の負傷を巡る経緯が、十兵衛と父との関係において、お互いにとっての複雑なコンプレックスを抱かせる要因になっているのですね。そういうコンプレックスを抱いているからこそ、魔界衆へと転生した父と、息子との壮絶な戦い、というシチュエーションが生きてくるわけじゃないですか、本来は。
 なのに、「隻眼」という設定を奪った時点で、これらのドラマが一切無かった事になっているんですよ。「ありがちだから」という根拠レスな理由で、物語からドラマを奪い、あまつさえそれに変わるドラマをこの脚本はまったく用意しようともしないのです。そりゃ親子で殺し合うってんだから普通の事態ではないのは確かでしょうが……「親子が剣を交える」というだけでドラマ的に盛り上がってくれることを、何となく期待しているだけなんですよね(爆) プロの仕事としてそれはどーなんだ、と問いたいです(苦笑)
 もう一つ言えば、「隻眼」という分かりやすいトレードマークがあったればこそ、柳生十兵衛というキャラはある意味「正義の味方」的なキャラ足りえているのではないか、という気もします。実は魔界衆と戦う動機云々という話をすれば、別に原作の方でも何かしら強い動機付けがなされているわけでもないんですよ(苦笑) そういうところで、剣豪だし、ヒーローだし、悪いヤツと戦ってもいいじゃん、と思えるのは「隻眼の剣豪」という分かりやすい記号性があったればこそ、という気がするんですけどねぇ……(笑) 隻眼という設定を奪ってしまう事で、十兵衛=フツーの剣客としてしか描けていないが故に、ヒーローとしてではなしに、普通の一個人として戦う動機付けが必要になってくるんじゃないでしょうか。その上で、隻眼にまつわるドラマ性まで失ってしまったら一体どーすればいいんでしょうか(汗)



 うーむ。
 うーむ。
 と考え込んでばかりですが(苦笑)
 けなしてばっかりで何か誉めるところはないのかなー、と思って考えてるんですが……やはり誉めようは無い感じです(爆) 上に語った欠点は欠点として、例えば時代劇として、ビジュアルイメージとか殺陣のつけ方とか世界観解釈とか、なんか斬新に思える要素があったかというと、全体的にはテレビの時代劇そのまんまの、安易な絵づくりでしかなかったような気がしますし……うーむ、劇場のスクリーンよりもテレビ画面で合間にCMを挟みながら鑑賞した方がしっくりするような内容だったかも知れません(汗)
 やはり、内容的に安易過ぎる、というのが問題ですよねぇ。例えば深作版の場合、原作の剣豪小説的な枠組みからは確かに逸脱していましたが、日本映画らしいおどろおどろしい淫靡な闇の世界へと物語をキチンと誘導出来ていたんじゃなかろうかと思います。なんか呪いをかけてみたりとか、剣豪やお家転覆とは違うところで、魔界衆の魔界っぷりを表現できていたんじゃないかと思いますし。
 天草四郎をクローズアップしたところは深作版の影響としても、実際の平山版のストーリーというのは、紀州大納言による幕府簒奪計画だったり、柳生十兵衛の剣豪的活躍だったり、原作の展開に割と忠実でないこともないんですよね。そういう両者の方向性の違いなんかを全く意識しないままに、美味しそうな設定や展開だけ切り貼りして繋いでみました、という印象で、平山版ならではの創意工夫がほとんど見られなかったのが何ともかんとも……。



 うーむ。ひとつだけ評価出来るのは、天草四郎=窪塚洋介に常に付き従っている麻生久美子がやたら美人だったという事ぐらいでしょうか(笑) 実にいわくありげな存在感を放っていて、ASD的には結構気になるキャラだったのですが……存在感を放っている以外に、作中でこれといって目立った活躍をしていたわけでも無かったりするのが何とも……(爆)



オススメ度:☆(正直、渡辺裕之主演のVシネマ版の方がよっぽど面白かったです(爆))




2003.8.14 

「007/ダイ・アナザー・デイ」

監督:リー・タマホリ
主演:ピアース・ブロスナン、ハル・ベリー、トビー・スティーヴンス、他

鑑賞日:2003.4.18

公式サイト:http://www.foxjapan.com/movies/dieanotherday/



 北朝鮮での潜入任務に失敗し、捕虜になってしまった007ことジェームズ・ボンド(ピアーズ・ブロスナン)。政府の交渉によって無事に生還は果たしたものの、その間に別の潜入スパイが北朝鮮で死亡、ボンドが機密を漏らしたのでは、という嫌疑がかけられる。身の潔白を証明するために独自に行動するボンドは、自身の身柄と引き替えに釈放されたテロリスト・ザイを追ううちに、やがてダイヤモンド富豪グレーブス(トビー・スティーヴンス)の存在に行き当たるが……。


    *    *    *


 うーむ。
 個人的にピアース・ブロスナン主演の007は、当たりとハズレが一作おきになっているような気がするんですが、どーなんでしょうかね?(笑) 個人的に前作「ワールド・イズ・ノット・イナフ」は当たりだっただけに、ちょっと心配していたんですが……何だか心配が現実になっちゃったみたいです(爆)
 そもそも本作は、スタートからしてかなり意外でしたねぇ。いきなりボンドが任務に失敗して、敵に囚われの身になってしまうという、何げに衝撃的な展開からスタートするのですよ(苦笑) 実はこのことが、その後の展開に大きく影響を及ぼしているんですよねぇ。このオープニングによって、本作のボンドには「密告者としての嫌疑を晴らし、汚名を撤回する」という、どちらかと言えばエージェント・007としての職務上の活躍ではなしに、ジェームズ・ボンド個人としての動機が与えられてしまっているんですね。
 そもそもは、任務に失敗などしない優秀なスパイだからこそ、007は007というヒーロー足り得ているわけで、そこに「失敗の汚名を注ぐ」という人間味を与えてしまった事は、ちょっと失敗だったんじゃないのかなー、と思わざるをえない感じです。
 ところが。
 じゃあ今回はそういう人間的なボンドがウリなのかというと、決してそうではないのですよ(苦笑) 例えば冒頭、北朝鮮に潜入するためにボンドは日本海の荒波をサーフィンで突破するという荒技を見せつけてくれたりします。いくら有能なスパイだからと言って、サーフィンの神様のようなテクを持っているなんて、そんなのアリか!と思わず叫んでみたり(笑) まぁサーフボード自体に特殊な機能がある、という設定なんでしょうが、それにしても、ねぇ(苦笑) いくら007がヒーローだからと言って、そういう意味でのヒーローとは、また別なんじゃないかという気がしますが……(汗)
 そういう意味では、今回はそれ以外にもことさら漫画ちっくな描写や設定が目立っていたように思います。例えば前半、キューバに逃れていた北朝鮮側のテロリスト・ザイは、「DNA治療」とかいう手段でまったく別人の顔を手に入れようとしていましたが……それじゃまるでSFじゃないですか(苦笑) 後半のボンドカーの活躍も、近作のBMWの地味な扱いから比べると胸がスッとするような大活躍でしたが、これもトランクからロケットランチャーが出てきたり、透明になったり、そのままマンガちっくなガジェット満載でしたしねぇ……(苦笑) まぁこのボンドカーの活躍だけを見れば、結構頑張ってたんじゃないかと思いますが……。久々にイギリス車がボンドカーに!と話題になったアストンマーチン・ヴァンキッシュはさすがにカッコ良かったですし、同じくイギリス車であるジャガーとのハデな氷上カーチェイスなど、尺を割いてじっくり描かれていただけに、かなりの見せ場でありました。前作のBMW・Z8なんか、ろくに活躍もしないままに真っ二つでしたしねぇ……(苦笑) あと、マンガちっくという話をすれば、クライマックスの巨大飛行要塞のくだりはマンガちっくとかを通り越して、そのまんま「未来少年コナン」のギガントと同じノリでした(笑)
 あのー。「リアリティ」って言葉、ご存知ですか?(笑)



 その他どーなのよこれは?という点を指摘してみますと、アカデミー女優のハル・ベリーをボンドガールに迎えておきながら、彼女の扱いがホントに酷い感じです(爆) 前作のソフィー・マルソーなんかヒロインかと思わせといて実は悪役だったりして、かなり複雑なキャラだったわけですが、本作のハル・ベリーはまんま添え物ヒロインでしたしねぇ……。
 せめて能書き通りスゴ腕スパイに見えるように描写して欲しいところですが、何せラブシーン以外に見せ場のないヒロインってどうよ?と本気で首を傾げてみたり(笑) アクションでミシェル・ヨーを超えろ、とまでは言いませんけど、色仕掛けで男を騙す安易な手法、割とあっさりととっ捕まって助けを待ってるヒロインなんて、男の観客であるASDがみても、どーなんだそれは、と思ってしまいます……(苦笑)
 あと、今回は悪役が北朝鮮の軍人という設定になってますけど、これって意味あったんですかね?(汗) 確かに「ゴールデン・アイ」以後の007は「ポスト冷戦時代のスパイ映画」という事で、悪役の設定に毎回苦心しているフシが見られます。スパイが裏切ってテロリストになったりとか、武器商人だったりとか、メディア王の陰謀とか、毎回色々凝った設定を見せてくれますけど、そういう意味では今回その辺りちょっと安易だったような気がします。
 まぁ何といいますか、日本人にとっては北朝鮮ってのは近くて遠い国、というか地理上は確かにそんなに遠くないですし、ミサイルも飛んでくるかも知れませんし、割とリアルな存在なわけですが、欧米の映画人にとってはそんなに現実味のある存在じゃないんでしょうなぁ……。



 まぁ過去のシリーズを振り返れば、ボンドが宇宙に行ったりとか、謎の勘違いニッポンを訪問していたりとか(笑)、充分にマンガ的でありましたので、今回みたいなのもアリなのかも知れませんけどね。
 そもそも現状の007シリーズは、いわゆるスパイアクション物としては格段にアナクロなしろものだったりします(汗) たった一人のスパイが、個人の勘や直感で世界の危機を救う、というのはトム・クランシー原作の「ジャック・ライアン」シリーズ辺りで完全に否定されたスタイルでありまして、それをあくまでも貫くからには「古き良き」伝統を守る、という風に意図的にマンネリにならなくちゃいかんのでは、と思うわけです。ですがそれだけではどーにもこーにもなので、時には敵の捕虜になってみたり、かと思えば宇宙に飛び出してみたり、いろんな試みをやっているわけで。
 まぁ何といいますか、007が職業スパイとして活躍し続ける限りは、理論的にはいくら続編を作っても破綻する事がない、というのが本シリーズなわけですが……今の007シリーズは、スパイものとして、あるいはアクションものとして優れているか否かよりも、「007」らしさが表現できているのかどうか、というのが魅力として優先されてるんじゃなかろーか、という気がするのです。まぁこの辺は、コアな007マニアではなくて一般のしろうとのお客さんが何となくイメージしている「007らしさ」が表現出来ていればいいんでしょうけど。
 しかし、果たしてどういうのが「007」らしいか、というのは見る人によって変わってきます。つくる側もそれは意識しているんでしょうか、近年のシリーズでは、スピーディでめまぐるしい現代的なアクションものと、前時代的ないかにも大仰なスパイアクションものと、1作おきに傾向を入れ替えているような気がするんですよね。冒頭に「一作おきに当たりとハズレが……」と書いたのは、多分そういう事なんだろうとASDは思います。
 うーん。とすれば、次の007は面白いと信じたいんですが(苦笑)



おすすめ度:☆☆(ハル・ベリーは出演作をもっとよく選ぶべきだと思います(爆))




2003.8.14 

「レッド・ドラゴン」

原作:トマス・ハリス
監督:ブレット・ラトナー
主演:エドワード・ノートン、アンソニー・ホプキンス、レイフ・ファインズ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エミリー・ワトソン、他

公式サイト:http://www.uipjapan.com/reddragon/

鑑賞日:2003.3.1


 FBI捜査官グラハム(エドワード・ノートン)は、今では一線を退いて家族と平和な暮らしを送っていたが、とある一家惨殺事件の捜査のために再び現場に呼び戻される事になる。彼はプロファイリングによる犯人像の特定のために、獄中の殺人鬼ハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンス)に助力を求める。元々精神科医としてFBIの捜査にも協力していたレクターを逮捕したのは、一緒に捜査に当たった経験もあるグラハム自身だった……。


    *    *    *


 うーむ。
 「羊たちの沈黙」が名作なのはASDも認めますし、アンソニー・ホプキンス演じるハンニバル・レクターというキャラの魅力ってのも、まぁ分かります。ですけど、だからと言ってレクターが出てりゃ何でもいいのか、というと、ちょっとねぇ……(苦笑)
 まぁキャストは豪華ですし、原作の面白さは折り紙付きですし、そういう意味ではソツ無く作るだけでもそこそこいい作品にはなるはずなんですが、どーにも「ソツなく」という以上にぱっとしない印象が拭えないのはなんででしょうか(爆)
 うーん。「羊たちの沈黙」よりも前日譚に当たるのにアンソニー・ホプキンスが老けているのには目をつぶるとしても、実際主役と言えるほど大した活躍をしているのかというと、あんまり活躍していなかったような気も(笑) 出番は確かに少なくはないんですけどね。
 そもそも、監督がジャッキー・チェン主演「ラッシュアワー」シリーズを撮ったブレット・ラトナーというところに、大いに不安を感じたのはASDだけでしょうか(爆) 実際見てみたところ、その辺の不安はズバリ的中していたっぽい感じでしたし……(苦笑)
 うーむ。
 そもそもサイコサスペンス物として観た場合、映像的にスタイリッシュでもなければ、ちっとも怖くない、というのがものすごい大問題であるような気がしました(爆) 血まみれの犯行現場のセットとか、かなり頑張ってた方だと思いますが、撮ってる側のセンスの問題なのか、それとも年齢制限的な配慮でどぎつい描写を避けたということなのか……どっちなのかは分かりませんが、前2作ほどには、血なまぐさいムードは希薄だったかと。
 俳優陣は、顔ぶれこそ豪華ですが演技そのものはうーんどうなんだろう、てな感じです(爆) エドワード・ノートンは本来はもっと演技派な役者のはずなんですけど、こういうスターっぽい扱いをされるといまいちパッとしない印象ですし、そもそも肝心のアンソニー・ホプキンスの演技が手抜きっぽい感じです(爆) 何でも出演契約のさいに、「レクター博士の邪悪な側面を忠実に表現する事にのみ全力を尽くす」とか何とかコメントしたらしいのですが、それって要するに「レクターは悪役キャラなんだから、人間的な内面の表現とかはまったくしないで、ベタっぽく悪役としてしか演じない」って事なのでは……?(汗) エドワード・ノートンの上司役をハーヴェイ・カイテルが演じてますが、このキャラってそもそも「羊〜」でスコット・グレンが演じてたのと同じ人物だと思うのですが、何で配役代わってるの……???
 とまぁここまでの説明だとかなりぐだぐだな印象ですが(笑)、犯人役のレイフ・ファインズは意外に頑張ってましたね。なんか、かなりの熱演というか怪演(笑)でありました(笑) が、しかし……本人は頑張ってたんですが、やはり撮る側のセンスの問題なのか、演出力の問題なのか、ゼンゼン怖くないと言うか……ファインズが頑張れば頑張るほどギャグにしかなっていなかったのが、ちょっとどーなんだ、という印象でありました(爆)



 ……とまぁそれらも問題なのですが、ASD的に一番の問題だと感じたのは、肝心のレクター博士がゼンゼン怖くないっていう事でしょうか(汗) 前2作で見せたような悪役としてのカリスマ性は、本作ではかなり希薄だったかと。
 まぁむしろ、その辺りは前二作の監督であるジョナサン・デミやリドリー・スコットの配慮が行き届いていた、という事なのかも知れませんけどね。「羊〜」でのレクター博士は、クラリスに対し時に事件のヒントを与え、時に謎めいた言葉でクラリスを惑わせ……難にせよ「クラリスが事件を解決に導く」という展開の上に、様々な影響を投げかけていた人物であるのは間違いと思われます。続く「ハンニバル」でも、有能な捜査官として彼を追うクラリスしかり、賞金目当てで彼をFBIに売り飛ばそうとするイタリア人刑事しかり復讐を誓う大富豪しかり……多くの人物の命運が、レクター博士によって狂わされているわけで、その存在感をカリスマと呼ばずして何というのか、というほどに印象深いものがありました。
 では「レッド・ドラゴン」の場合どうなのかというと、まず冒頭でいきなりレクター博士は逮捕されてしまいます。うーむ(汗) しかも上記のような「レクターと他の登場人物との関係性」という話をすると、本作にはレクターを逮捕したグラハムというキャラがいて、彼がある意味レクターと同格のキャラとして扱われているんですよ。そもそも「逮捕」という事実からもそう思わせますし、レクター本人も、自分を逮捕した捜査官に対して、才覚や運気のようなものに、人間的な嫉妬を隠そうともしないのです。そう言った嫉妬心・敵愾心という心情を持つこと自体が、レクター=悪のカリスマ、という図式を否定してしまっているんじゃないかなー、という気がASD的にはするのでありました。
 では、エドワード・ノートン演じるグラハムが、レクター=悪のカリスマに対する、正義のカリスマ足り得ているかというと……そうではなしに、レクターやら犯人やらの計略を前に、汗をかいて奮闘するばかりの、一人の人間として描かれているわけです。
 うーん。結果、相対的にレクター自身もまた、=普通の人、というところに落ち着いてしまっているような気がするんですが……いいのかな、そんなんで(汗)



 うーん。
 考えてみれば「羊〜」はアカデミー賞をとっちまいましたし、「ハンニバル」もリドリー・スコットが「グラディエーター」でアカデミー賞を撮ったあとの受賞後第一作で、内容的にイマイチな面もあるとは言え脂の乗った時期の作品とあってかなり見応えはあったんじゃないでしょうか。それらの後に続く一作としては、かなり物足りない作品だったのは否めないかと。
 あー、そうそう。全くの余談ですけど、本作では当初、若き日のレクター博士を、ジュード・ロウが演じる、というウワサがあったんですけどねぇ。むしろそのくらい思い切った事をして欲しかったかなぁ、とも思うんですが……。



オススメ度:☆☆(取り敢えずレイフ・ファインズの怪演は見物なのかな……?)



 


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