-cinema diary-

2003年9月の映画日記


 

2003.9.12 キワモノじゃないのに……(笑)

「ザ・コア」

監督:ジョン・アミエル
主演:アーロン・エッカート、ヒラリー・スワンク、デルロイ・リンド、他

鑑賞日:2003.7.11

公式サイト:http://www.thecore.jp/


 電磁波の乱れから頻発する謎の怪奇現象。しがない地球物理学者のキース(アーロン・エッカート)は異常現象の原因が地球の中心核=コアの流動の停止にある、という推論を立てたことから、やがてコアの流動を再開させるための特別プロジェクトのリーダーに抜擢される事になる。キースと同じく地球物理学者のジムスキー(スタンリー・トゥッチ)、コアへの潜行のための特殊船の開発者ブラズルトン博士(デルロイ・リンド)、キースの親友であり核反応の専門家であるサージ(チョッキー・カリョ)、スペースシャトルの乗員で、特殊潜行船の操縦担当のアイバーソン船長(ブルース・グリーンウッド)と航行士のレベッカ(ヒラリー・スワンク)ら専門家が集結し、彼らは潜行船「バージル」に乗り組み、地球の中心への未知の冒険へと出発していくが……。


    *    *    *


 というわけで「ザ・コア」です。予告編やテレビCMなどを見る限り、ハズレ的な予感がビシバシしていた本作ですが(爆)、見てみると意外な拾い物どころか結構イケてましたねぇ(笑)
 まぁ予告編やテレビCM等では頻繁に「人類滅亡!」的な煽りが盛んだった事もありますし、やはりそもそものシチュエーションがソックリという事もあって、どーしても「アルマゲドン」の二番煎じ、という印象は拭えないものがあるかと(苦笑) ただ、実際に鑑賞してみると実は「アルマゲドン」とは違った魅力は当然ありますし、それに何と言っても科学考証というか、SF考証が比較的しっかりしていたのには感心しました(笑)
 何せ「アルマゲドン」は、誰がどう見ても乱暴な話でしたからねぇ(苦笑) 地球に墜落してくる隕石にスペースシャトルで乗り付けて、穴掘って核爆弾埋め込んでドカーン、というストーリーのアウトライン自体がそもそも乱暴なのですが(笑)、そのミッションに当たるのが石油の油田掘りの荒くれ男達ってのも無謀ですし、その他科学考証・SF考証があまりにずさん過ぎることでかなり有名な作品でもあります(笑) 宇宙ステーションの爆発シーンを引用して、「宇宙に空気が無い、という事を知らないのだ」と揶揄されてもしょーがないっつうか何というか(苦笑)
 スペースシャトルを近接距離で2台同時打ち上げというアクロバットを展開したり(うっかり2機の打ち上げ軌道が交差してしまったら人類の未来はアウトですし(爆)、本来片方はバックアップチームで、片方が失敗してから、その原因を見据えた上でようやっと打ち上げになるものでは)、軌道計算も何も考えずにいい加減に隕石を爆破して、それで何となく成功してしまうというアバウトさ。こんなのSFじゃねぇ!と叫んだ人が当時大勢いたものです(笑)
 それに比べると、本作はかなり趣きが違っておりました。地球のコアが停止というネタは相当キワモノ的でありますが、これにも一応ちゃんと説明はついていましたし、そのコアへ潜行するための船の仕組みなども、科学的に正確かどうかはさておきSF的にはかなり凝った趣向になっておりまして、割合充分な説得力があったように思います。
 そういう意味ではこの作品、「地球滅亡の危機を回避する」というパニック映画としての魅力よりも、純粋に「地球の中心へと未知の冒険に出かける」というSF冒険アクション物として、実に優れた映画だったんじゃないかな、という気がしました。
 ただ、実際「人類滅亡!」とかいうニュアンスを意図的に強調させていたのも確かなんですよね。映画を見た宣伝担当者が、ああいう形で広告展開させたくなる気持ちも分からないでもないっつーか(苦笑) ですけどあれはちょっと強調させすぎというか……その辺りややしくじっていたかな、という気もしないでもないです。
 何と言いますか、科学的・SF的に説得力があるのは確かなんですが、地球規模のやたらスケールのでかい作品なだけに、SF考証がしっかりしていればしっかりしているほど、胡散臭さが逆に強調されてしまってたような気がするんですよねぇ……(苦笑) 「アルマゲドン」の場合、隕石が落ちてドカーン、というのが絵的に非常に分かりやすかったですし、むしろその方が映画としては充分もっともらしく見えてたんですが……。鳥がバタバタ落ちてきたり、ペースメーカーをつけた人がバタバタ倒れたり、本作の場合ビミョーに「ノストラダムスの大予言」的な胡散臭さを感じてしまうんですよねぇ(苦笑)
 ですので、そういうセンセーショナルをウリにした方が宣伝展開としても分かりやすい、というのは分からなくも無いんですが……。むしろ実際にコアへと向かう冒険が、割と新鮮な映像的驚きに満ちたものになっていただけに、そっちの印象を強調出来なかったのが、ちょっと残念だったかな、という気がします。



 個人的には、役者陣が結構いい顔ぶれだったんじゃないかな、という気がしますねぇ。いかにもスター!という感じの人は誰も出ていませんけど、なかなかクセのある顔ぶれが並んでいるのではないかと……。デルロイ・リンドが刑事でもマフィアのボスでもない役を演じているのを初めてみたような気がしますし(爆) ヒロインを演じているのが何げに「ボーイズ・ドント・クライ」でアカデミー主演女優賞に輝いた若手演技派ヒラリー・スワンクだったりするんですよねぇ。「007」のハル・ベリーなんかよりもよっぽどいい仕事してましたよ(苦笑)
 まぁそんなこんなで、個人的には結構お気に入りの作品だったんですけどねぇ……なんかこのレビューを書くのに色々ネットでの評価とかも見て回ってみたんですが、かなり酷評の嵐でございました(苦笑) どうもSF考証に凝りすぎたせいか、理解がついていかない人も多かったみたいですねぇ……(苦笑)



おすすめ度:☆☆☆☆(こだわりすぎて逆にB級に……(苦笑))




2003.9.12 「やぱ富士」的映画批評(笑)

「マッスルヒート」

監督:下山天
主演:ケイン・コスギ、加藤雅也、哀川翔、橘実里、他

鑑賞日:2003.7.6

公式サイト:http://www.amuse-pictures.com/mh/

 近未来の日本。長引く不況から廃墟となった工業地帯には、いつの頃からか海外からの不法入国者達が住み着くようになり、犯罪都市を形成していた。
 アメリカ特殊部隊・SEALSの元隊員であるジョー(ケイン・コスギ)は、日本の特務機関の桂木(哀川翔)に拾われて、新型麻薬「ブラッドヒート」を追う任務についていた。そのブラッドヒートを売りさばいているのは、犯罪都市を牛耳る中国系マフィアのライ(加藤雅也)という男。任務中に桂木は囚われの身となり、組織の持つ闘技場「マッスルドーム」にて、公開処刑同然の目に合わされてしまう。相棒の雪辱を晴らすために一人街を彷徨うジョー自身、いつかマッスルドームに立つ事になるが……。


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 うーん。WOWOWの無料放送の日にやってたんで、何とはなしに見てしまいました。ケイン・コスギ主演の近未来格闘アクションものです。一通り見た感じでは、心配していたほどしょぼしょぼな駄作、というわけでもなかったんですけどね……(苦笑)
 近未来の無国籍無法都市、というまぁ要するに「スワロウテイル」の円都みたいなところが舞台なのですが、一番心配そうなこの近未来都市の描写に関しては、実は意外にもバッチリ合格点を付けられる出来映えでした。監督の下山氏は元はミュージックビデオの監督さんだそうで、この辺りのビジュアルセンスに関しては、確かな手腕を持っていたんじゃないかなぁ、と思います。
 まぁ何と言いますか、こういう感じで「セットにお金をかける」、ないしはセットにお金のかかっていそうな絵を見せる、というのが、これまでの日本映画ではニガテ項目でしたからねぇ……。
 肝心のアクションに関しては、クレジットを見る限り香港からスタントチームを呼んであるみたいで、その辺もぬかりのない、いいアクションを見せてくれておりました。ケインのクンフーも結構さまになってましたしね。格闘系以外にも、銃撃戦とか、まぁとにかくアクションは全般的にそこそこイケてる感じでした。脇を固める哀川翔とか、悪役の加藤雅也とか、こちらもそれなりにいい味出してましたし……。
 うーん。一見何の不都合もないように思えますね。

 が、しかし!
 そういう長所を補ってあまりある欠点が!(爆)

 まず致命的と言えるのが、ケイン当人の演技力でしょう(苦笑) 日本語のセリフが堪能でないのはまぁしょうがないとして(英語のセリフは一応堪能です)、ヒロインのおねーちゃんとかよりも明らかに演技がヘタに見えるのはどーなんだろうか、と思います(苦笑)
 うーん。でもねー。そもそもケインの演技がヘタに見えるのは、ケインの演技力がどうのこうのという以前に、シナリオにも一因があると思うのですよ。犯罪無法地帯にルール無用の格闘技場という、何でもアリな舞台を用意した上で、ケインのアクションをこれでもかとばかりにたっぷりと見せる……という映画の企画意図は、充分に理解出来るんですが。
 が、そもそもその中で、ケインが何のために悪役と戦おうとするのか、本編をざっと見る限りその動機付けに決定的に失敗しているように思えました(爆) こういう単純なアクション映画ですから、その辺は本来はシナリオ上で単純明快にはっきりさせておかなくちゃイカンのでしょうけど……その「何故」が台本に書いてない限り、それは個々の役者さんが演技アプローチの中で追い込んでいかなくちゃならないわけですが、幸か不幸か、ケインにそれを期待するのは、少々酷な感じでありました(苦笑)
 そもそもケインは特殊捜査官として無法都市にやってきたはずですが、作中の彼は特殊部隊SEALに所属していたという経歴こそあれど、犯罪捜査に関してはしろうと同然なんですよね。誘われるままやむを得ずに……というニュアンスで任務についていたのに、そんな彼がその地に執拗に留まろうとするのは、敵に倒された相棒の仇討ちをする、という確固たる目的があるからです。
 ところが、彼の作中の行動は、必ずしもストレートに「復讐」という方向には向かわないんですよね。ぼんやりと街をさまよってみたり、倒れた相棒が大事に思っていた妹に一目会おう、と思い立ってみたり、どっちかっつーと執念に突き動かされてアクティブに立ち回る、というよりは未練がましくうじうじと消極的に放浪している、という感じですな(笑)
 じゃあ、いざ会ってみた相棒の妹が、ケインの代わりに兄の復讐=犯罪組織の打倒、という風に行動するかというと、彼女はむしろ、兄の相棒と名乗る謎めいた男の正体を知ろう、という方向に行動してしまっているんですよね(苦笑) うーん、この組み合わせだとむしろ二人がお互いに興味を持っているわけで、恋愛もの的な方向に持っていくしかないと思うのですが……。
 じゃあこの二人を主軸に据えて、アクションロマンス的な逃避行を繰り広げればいいのでしょうが、その後も物語は「復讐に燃えるケイン」というシチュエーションにどーしてもこだわりたいのか、妹と特に行動を共にさせるでもなしに、一人で犯罪都市をうろつかせるのですよ。その後麻薬ブラッドヒートの研究に携わる研究者とその家族のエピソードとか、犯罪都市の地下に暮らすストリートチルドレン達とケインとのあれやこれやとか、さらにはケインの特殊部隊時代の、子供のゲリラとの間のどーのこーのというトラウマだとか、結構欲張りにあれやこれやと盛り込んでくれてますが、最終的にはどれもこれも未消化なままに終わってしまうのでありました。
 その後死んだはずの相棒が中途ハンパに蘇ってみたり、ラストの決戦に妹が中途半端に紛れ込んできてむしろストーリー的には邪魔だったり(笑)、それまでどっちかってぇと頭脳派だった悪役・加藤雅也がいきなり格闘戦のラスボスになって肉体派に転向したり(笑)、とっちらかった印象が最後まで拭えない展開でしたねぇ。あっそう言えばブラッドヒートがらみの新薬がどーのこーのって話が途中からすっかり忘れられてたような気がっ(爆)
(その研究者が囚われの身なので助けなきゃ!という話にはなるんですがそもそも何でとっつかまる羽目になったのか最後まで説明がなかったように思うんですが……(汗))



 うーむ。
 まぁやりたい事は分かんないでもないんですけどね。ストリートチルドレンがどーの、という要素と特殊部隊時代のトラウマ云々を上手く絡ませたかったんだろうな、というのは何とか推測つきますし、仇討ち、というシチュエーションにこだわるのもこのテのアクションものではそれが一番盛り上がるからでありまして、何がやりたいのかはおぼろげに見えてくるんですが……うーむ。
 ASD的にビミョーに納得いかないのは、実戦の殺し合いの場でトラウマを受けた人間が、「戦うことで自分を確認する」という一種の格闘技幻想みたいな方向でアイデンティティを回復しようとするって部分でしょうか。何げにどーなのよ、という気もするんですが……(爆)
 何と言いますか、悪い言い方をすれば、所詮は「ケインが大暴れすればオッケー」なわけですから、トラウマの克服か、相棒の仇討ちか、相棒の妹との関係か、その3つのうちどれかひとつ、欲張っても2つまでに絞って、残りはばっさりカットしてしまっても良かったんじゃないでしょうかねぇ。
 例えば、ケインは最初から最後まで純粋に捜査官としての職務から加藤雅也を追っていたという事にしておいても構わないような気がしますし、元海兵隊特殊部隊という設定が格闘の才能の説明にしかなっていないのなら、捜査官などという設定は持たせずに、食い詰めて無法都市にやってきた流れ者、というのでも構わないんじゃないでしょうかね。その上で、街で知り合った謎の男=哀川翔と友情を深めていくが、彼は実は日本公安局の捜査官で、犯罪組織に殺されてしまい、ケインは友情から復讐を誓う……とかいう展開でもいいんじゃないでしょうかねぇ。流れ者のケインは当初ストリートチルドレン達に拾われて、その縁で彼らもケインの復讐に力を貸してくれる、とか何とか……。
 あるいは上に挙げたように、残されたケインと相棒の妹との関係性に重点をおいても良かったような気がします。そこで二人微妙にひかれあいつつ、兄が追っていた新型麻薬を巡る謎に徐々に巻き込まれていって……という展開にしておけば、本編では宙ぶらりんになってしまった新薬云々という要素も生きてくるような気がします。ないしは、ブラッドヒートは既存の存在ではなく、物語開始時点では未知の存在という事にしておいて、研究者が偶然開発してしまった新型麻薬=ブラッドヒートを巡る騒動、陰謀、というノリにしておけば、いまいち位置づけの曖昧な研究者一家の話も生きて来るんじゃないかと思いますが……。



 冷静に考えればこんなに字数を割く必要があるような作品でも無いな、とは思うのですが(笑)、ここまでとっちらかったプロットがもう少し単純明快に整理されているだけで、本作は意外な傑作になりえていたんじゃないか、という気がするんですよ。画作りの方は満点に近いデキなだけに、シナリオのマズさで大減点というのがものすごく残念なところでありました。
 ケインに関しても、まぁ演技力云々はともかく面構えなんかは割とアクションスターらしくて、そんなには悪くはなかったんですけどね。肝心のアクション自体も結構頑張ってましたし。
 むしろ「自分自身」以外のキャラが演じられない役者さんなんて、実際は他にも大勢いるわけですし……。暴言のように聞こえますけど、むしろ自分を120%偽って、まったくの別人になりきれるような、そんな才能のある人の方が少ないですよ。むしろ演技の引き出しの無いところにシナリオが無茶な要求をするんじゃなくて、役者個人に本来そなわっている「個性」をシナリオや演出の方で巧く誘導して、作中のキャラクタと合致させることで、キャラの魅力=役者さんの魅力を発揮させてあげるものなんじゃないでしょうか。そういう工夫をするのが、シナリオライターや演出家の仕事だと思うんですが……。



 というか、この映画自体の完成度がどーの、というよりも、プロのつくったシナリオがまるでオンライン小説をばっさばっさと斬るように批評出来てしまう、という事実の方がASD的にはビックリなんですが……(汗)



オススメ度:?(シナリオについて考える教材としては、良いサンプルでした(爆))




2003.9.12 悪口大会

「8マイル」

監督:カーティス・ハンソン
主演:エミネム、キム・ベイジンガー、他

鑑賞日:2003.7.1

公式サイト:http://www.uipjapan.com/8mile/

 デトロイトの貧窮地帯に暮らすジミー・ラビット(エネミム)は、ラップの才能で世に出ることを夢見ていたが、現実はみじめだった。恋人の家を追い出され、トレーラー住まいの母親の元に居候し、安月給でプレス工場に勤務する日々。仲間はその才能を認めてくれるが、ステージに立てば「白人が黒人のマネをするな」と激しくなじられ、声も出なくなる始末。ライブハウス「シェルター」で行われているラップバトルに一度は破れたジミーは、再起を賭けて再びステージに立つが……。


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 ヒップホップミュージシャン・エネミムが自ら主演する半自伝的な作品……という触れ込みの作品です。
 てな話をすると「グリッター」とかいうビミョーな前例が脳裏を過ぎってしまったりもしますけど(笑)、まぁ監督が「LAコンフィデンシャル」のカーティス・ハンソンでしたので、そういうアイドル映画っぽい安易な路線に陥ることなく、うまくまとまっていたんじゃないかな、という風に思います。
 とは言えあらすじを読む限りでは、一見主人公ラビットがアメリカンドリームを掴むまでのサクセスストーリーのように見えない事もないんですけどね。ラップ版「ロッキー」という紹介のされ方もどこぞでされてたのを見かけた記憶もありますが、ASD的には、そういうのとはちょっと違うんでないのかな、という風に思いました。
 んー。むしろそういう成功の華々しいイメージよりも、本作では主人公を取り巻く現実の重苦しさが、どこまでも付きまとって離れない、ってくらいに印象的なのですよ。夢に届いた達成感や爽快感よりも、夢みても届かない苦しく辛い現実を、映画はとにかく淡々と映していくのでありました。
 例えば冒頭、住む場所を追い出されたラビットはやむなく母親の元に転がり込むわけですが、母親には若いボーイフレンドがいて、しかもそいつが高校時代?のイヤな上級生だったりするわけです。いきなりこいつはヘコむシチュエーションです(汗)
 その後、一応ラビットにも新しく恋人らしき相手は出来るのですが最終的には裏切られてしまったり、デモテープを作るぞ、といううまい話にダマされそうになったり、ラップバトルに自分を推してくれる親友とも危うく喧嘩別れしそうになったり、工場の仕事も何だかんだで順調でもなかったり、そういうヘコみっぱなしの日常が、実に淡々と綴られているわけです。
 その全ての鬱憤を叩きつけるかのように、クライマックスのラップバトルに突入していくわけですが……じゃあそこでバトルに勝利して、何かしら栄冠を掴んだのかというと、ささやかな勝利の余韻にひたりつつ、残業を抜け出してきた工場へと彼は一人寂しく舞い戻っていくのですなぁ。
 その後に流れるエネミム本人歌唱の主題歌が、ナニが言いたいかを如実に物語っていたように思います。歌詞の内容に目を向けてみると、プロのミュージシャンになりたいのにプレッシャーに負ける弱い自分とか、いざプロになって人気も出たけどいつか才能も枯渇して売れなくなっていくんだろうという不安とか、そんなネガティブな事ばっか歌ってるんですよね(笑)
 まぁASDはこのエミネムというアーティストのことは良く知らないのですが、人気のミュージシャンを主演に迎えた安易な企画物、とばかりに簡単には斬り捨てられない、妙に余韻の残る作品でありました。



 ……とは言え敢えて一言言わせてもらうならば、実年齢は30過ぎのエネミムと、キム・ベイジンガーが親子というのはさすがに無理があるような気が!(爆)
 いや実年齢はともかく、見た目からして親子ほど歳が離れているようには見えんのですが……(苦笑)
 まぁそこんところだけやけに気になりましたもので……いやそれだけなんですが(爆)



オススメ度:☆☆☆(主題歌は大変にオススメです)



 


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