-cinema diary-

映画日記:番外編


 

2002.1.24 たたかえぼくらの防衛軍

 さて、こちらではちょっとややこしいお話を。
 それはずばり、「防衛隊」に関してです。
 金子修介監督は「ガメラ2」でも、怪獣から日本を死守する自衛隊をかなり英雄的に描写していました。
 もちろん、怪獣と対決する軍隊組織、というのは旧来の怪獣映画ではお約束な描写ではあるのですが……やっぱり、ちょっと自衛隊をカッコよく扱い過ぎなんじゃないかなー。という気もします(笑) 実際、「自衛隊の宣伝映画」という意地の悪い意見もどこぞで挙がってましたし。
 「ゴジラ」の場合、「防衛庁」は「防衛省」になってましたし、そもそも「日本が軍隊を持っている」という設定自体、冷静に考えたらかなりスゴイ設定ではないか、と思います(笑)
 さらに、ゴジラは「英霊の亡霊」で、モスラやキングギドラは「護国」聖獣として「クニ」を護る存在です。実際、登場人物の多くは防衛隊の軍人達ですし……そんなこんなで、本作では「国を守る」という事の是非が、かなり直接的に問われているような気がしました。
 まあ、娯楽映画にこのような解釈を当てはめるのは極めて失礼ではないのかとも思いますけどね。まさかゴジラを見に来て、こういうメッセージを受け取るだなんて誰も想像しませんよね、普通(笑)
 そういう意味では、見方によっては説教くさく見えるのも事実でして……その辺り、もしかしたら賛否が分かれそうだなあ、と思わないこともなかったです。
 まあそれを欠点と捉えても、近年にない傑作には違いないんですけどね……。



 まあ軍隊を英雄視していると言っても、金子監督は別に一方的に軍備を礼賛しているわけではないんじゃないかな、とASDは思います。防衛隊は圧倒的な火力を有しておりながら結局ゴジラには太刀打ち出来ませんでしたし(出来てない事もないんですけど、あれはほとんどまぐれでしょう(笑))、「ガメラ」シリーズでも自衛隊はガメラの邪魔をする、物語上の障害として扱われてたりしますからね(笑)
 恐らくは「ゴジラ=英霊」という要素を最初に盛り込んじゃったので、必然的にそういう思想っぽいニュアンスが防衛隊がらみで感じ取れるようになってしまったんじゃないでしょうか。そういう意味では金子監督らが自覚しているかどうかもホントはよく分からないんですけど、仮に自覚していたとしたら、そのゴジラに東京の土を踏ませなかったのは、「娯楽映画」監督としての良心だったのかもしれません。
 まああくまでも、1作目へのオマージュが目的だった、ということでいいんじゃないでしょうかね。少なくとも「反核」という点を取り上げれば、1984年版「ゴジラ」よりは絶対にマシだと思いますし(笑)
 あの作品の場合、ゴジラ退治に核兵器の使用を主張する米ソに対し、日本側が非核三原則を自慢らしく解く、というシーンが盛り込まれてまして……あんなシーンごときで社会派を気取られても困るんですけどね(爆) 結局その後の展開で、誤射されたアメリカの核ミサイルが成層圏で爆発してましたし(おいおい……)
 ……まぁ金子監督の話をしますと、「ガメラ2」という前歴もありますので、どうだとも言い切れないのですが……(苦笑)



 このテの考察云々という話をしますと、ゴジラ関連では「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」(佐藤健志:著)というすごいタイトルの本がありまして(笑)、この本の中でゴジラ・ヤマト・ウルトラマン、はては安彦良和やら押井守やら宮崎駿やらを引っ張り出してきて、特撮・アニメのクリエイターの意識を通じて戦後日本における民主主義のあり方、捉えられ方を模索しようという、すごい事をやらかしてます。
 ま、その考察に全面的に賛同できるかどうかはさておき、切り口はかなり面白いと思います。一度読んで損はない……と思うんですけど、何せ現時点で入手するのはかなり困難かと……(爆)
 もひとつ佐藤氏の著作には「さらば愛しきゴジラよ」というのが有りまして……以前「++Text Junky++」でも紹介させてもらいましたが、こちらはゴジラをイデオロギーから切り離した形で、「ゴジラ=近代恐怖映画」として解釈するなかなかに読みごたえのある一作です。というか、ASD自身も、怪獣映画に限らず小説・映画全般の批評姿勢など、かなりこの本から影響受けてます(爆)
 これらの本、どっかで入手出来れば、もっと堂々とオススメするんですけどね……(って、誰が読むのやら(笑))



 


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