-cinema diary-

映画日記:特別編


 

2000.5.23 グリーンマイル:贖罪篇?

※ネタバレがあります。未見の方はご注意!



 さて、ここからは「グリーン・マイル」を観た方限定、ネタバレありのコーナーです(笑)
 3時間にも及ぶ大作であるこの映画の、その最大の見所は何と言ってもやはり、トム・ハンクス演じる看守長ポール・エッジコムと死刑囚ジョン・コーフィとの交流でしょう。
 ジョンは2メートル近い大男、死刑囚というコワそうな人物ながら、その性格は小心者で無邪気そのもの。彼の純粋さと、彼が持つ「奇跡」の力。法によって死に導かれようとしている彼と、任務として彼を処刑しなければならないトム・ハンクス。
 「僕たちは、この世で最も純粋な魂を握り潰そうとしていた」……この映画のキャッチコピーです。実際は、このコピーに反してジョン・コーフィの死刑執行は実行されています。彼が実際は無実であることは劇中でも明らかになりますが、その無実の彼を処刑しなければいけないことで、トム・ハンクスは苦悩します。そんな彼に、ジョンは言います。「この力を持って、生きていくことはとてもつらいことだ」と……。そして純粋な彼は、まるで殉教者のように死んでいきます。彼の本性を知る看守たちに、惜しまれながら……。
 キリスト教に疎い日本人には、こう言ったジョンの心境、あるいはトム・ハンクスの心境は少々理解しにくいものがあるのかも知れません。まあ、「えー? 何で死んじゃうの〜?」という部分で涙を誘うというのは何気に浪花節で日本人的なのですが(笑)
 ところで、このジョン・コーフィは二人の白人少女をレイプし殺害したとして死刑判決を受けたわけですが、これには真犯人がいます。その犯人ウォートンは別件で死刑の判決を受け、ジョンと同じ死刑囚棟に後日送られて来ていたのは観た方ならご存知かと思います。ジョンはそのワイルド・ビルの心を偶然にも読んでしまい、その真相を知ってしまいます。そんな彼が取った行動……彼は、トム・ハンクスの上司の奥さん、メリンダから吸い取った「何か」を悪玉看守に飲み込ませる事で、彼を使って真犯人ウォートンを射殺させました。
 この行為は一見、純粋な勧善懲悪……悪い奴が当然の報いを受けた、ただそれだけの事のように見えます。けれど、考えてみて下さい。看守パーシーの手違いで苦しみながら死んだドラクロアは、実際もともとが死刑囚でした。どんな死に方にせよ、彼は一応はそれに見合った罪を犯した人間のはずなのです。そしてウォートン――彼も同様です。少女殺害が明るみに出る出ないに関わらず、彼はすでに死刑が決まっているのです。つまり、別にジョンが手を下さずとも、ウォートンは社会的に制裁を受けるはずの人間だったのです。そして、パーシーの善悪を判断するのは、他ならぬ「神」のはずです。……ジョンが神の使いで、トム・ハンクスがそれを処刑する事で裁きを受けるというのならば、パーシーに関しても同じ事のはずです。
 にも関わらず、ジョンは自ら手を下しました。「社会」でも「神」でもなく、自分の判断で人を裁き、復讐を果たしたのです。そんな彼が、本当に純粋でイノセントな存在であり得るのか? ……その答えは、やはり「ノー」ではないでしょうか。
 ……そう、もし彼が、「苦しみからの解放」以外に自ら死を選ぶべき理由があるとすれば、それはこの「復讐」行為に関する罪の意識からに他ならないのではないでしょうか。




 と、もしここまで考えてあるのであれば、この「グリーン・マイル」という映画、捨てたものではないと思います。でもやっぱり、考えてはいないのではないかと思います。
 上記のような考え方は、ひょっとしたらキリスト教的というよりは仏教的な思想なのかも知れません(因果応報、とか)。ただ、人の命を扱う映画として、「イイヤツが死ぬ」から泣ける、というのはあまりにトホホなのではないかな〜と、愚考するしだいであります。




 ……かわばたさん、ケナしてしまって申し訳ない(笑)

 


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