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左端の数字はフル挑戦回数−完走回、タイムはすべてネット


52-48)
第7回 掛川・新茶マラソン
 15 Aprl.'11 4 °13′30″

41qを過ぎて、つま恋の会場に入る、上りが始まっている、3時間50分台前半、力を尽くして駆け上がり、4時間を切る・・・これが僕の描いていたフィナーレ。
実際にはヨレヨレと歩を進めながら、自分のこの姿が、声援を送っている人達から、或いは自分自身がこの姿を見ていたいたら、どのように見えているかを考えたら、一瞬だが可笑しさがこみ上げてきた、思い描いていたイメージとの落差、俯き上体を屈め、つま先は見苦しいくらい外側を向いていだだろう。

30km過ぎて、2か所でそれぞれ2台の収容バスを見遣った、運転手達が煙草をふかしながら、談笑し、おそらく1時間以上はあるだろう、自分たちの出番を待っていた。「乗るかい?」と聞かれたら、僕は間違いなく乗っていただろうが、
一方で、「乗りたい」と申し出ても、「ここまできたのだから頑張れ、歩いてもこのバスに乗るよりは、ゴールに早く着きますよ」返事をも予想できた。

収容バスに乗っても歩き続けても、切符を買った新幹線には間に合わないことになる、微かな頭痛と顔から血の気が薄れているのが感じていたけれど、それでもやはり走り続けることにしたのは、最後の数qを歩いての完走は、ないだろう、という思いだけは、残っていたから・・・



51-47)第1回京都マラソン 11 Mar.'12  4 °03′06″

タイムは、公式のグロスでも、ネットでもありません。
9km地点で、「緊急車両が通過する」とのことで待たされ時間・・・2、3分のようでもあり、4、5分のようでもあった・・・は、公式に個々のランナーのタイムに反映することはできないですから、auto stop にしていた自分のガーミン計測にしました。
ただし、1か所あったトンネル内の往復通過の、およそ2分半から3分、と推測できる時間は含んでいません。
4時間05、06分と考えています。

「どうしてこうなっちゃうのかな?、<神戸>では颯爽と走れたし、次週の<つくば>ではまあまあ自分の予想どおりの走りができた、<六無月>ではレース前には思ってもなかったベストを出した、その後も練習は続けてきたのに・・・」
30km過ぎ予想外の6分を悠に超えて、項垂れて走っているとき思いました。
でもそれまでのラップを見れば、坂の状況が全く理解できていないでの、オーバーペースが原因。
このオーバーぺースには、二面あることがレース後解ってきました。
ひとつは、坂の状況をつかんでいなかったので、行ける所まで行って後は頑張れるだろう、という楽観と自信過剰。
もうひとつは、調子は良くないことはわかっていたので、早くレースを終わらせたかったこと。

調子が良くない・・・@;前夜掛け蒲団が薄く、エアコンを入れないと寒そうだったので 20℃に設定して寝ようとしたが、エアコンの音が気になって、また暑くて眠れなかったこと/A;ウェアが厚着だったこと、七分袖にアームウォーマー+薄手のウィンドブレーカー+ネックウォーマー 5km時点で汗をかいた/B;トイレロスがもったいないと思い、当日は朝から水分を控えめにしたこと/C;5日から10日まで 6日の水泳7日半日の出勤以外は引きこもりだった(体を動かしていない)こと/D;やはり足が重たかったこと/E;CとDと関連し、2月は殆ど仕事をしていない=身体自体を動かしていないこと?

京都ほどの坂ではない掛川では、サブフォー


50-46)第49回東京六無月喜多(北)マラソン 15 Jan.'12  3 °45′42″

6年と2か月ぶりにベスト更新です。05年にベスト、08年に30秒と迫ったあと、3年間はもう無理とあきらめていました。
金哲彦のメニューをこなし初めて5か月、効果ありました。
5分22秒/kmでベストが出る、と思ってのスターでした。結果的にはそのとおりになりましたが、前半は5分22秒前後に抑えるのに苦労しました。どうしても10秒台に突入してしまいます。追い風でもない。10年のつくばマラソンの二の舞で、大崩れするのだろうか、でなければベストが出るのだろう。ならば尚更20秒を切ってはいけないと考えながら走りましたが、ダメでした。追いついたらその人に着けば、ペースを上がらない、と考えましたが、着いていると30秒台、40秒台に落ちます。何度か繰り返したあと、33km過ぎ、もう大崩れはしないだろう、との確信から「もういい、前のランナーを見て=前のランナーに追いつくことだけを考えて走ろうと、もう抑えるのをやめました。もう10秒台はさすがに出にくくなってはいましたが。
最後の4kmは、スタート時刻に間に合わず、後ろから猛スピードで距離を挽回する速いランナーのような、「場違いの」スピードでしたが、これはトイレ時間をオートストップにしていたこと、ガーミン表示は1分速かったのこと、を忘れて、もしや43分〜42分台も狙ったためでした。
あのやけくそ走りがなかったら、ベスト前後きわどいところだったかもしれません。08年の30秒の不足も、何か計算違いだったような・・・

49-45)第31回つくばマラソン 27 Nov.'11  4 °07′18″

繰り返しになりますが、収容車に乗らないこと、4時間30分で完走すること、4時間15分以内(≒6分/km )という、3段階の目標を立てました。
サブフォー 5分40/km は後半はきつい、と考えてはいましたが、もしや、という気持ちもなかったわけではないが、
5km、10qと走るうち、早くもハムストが痛みだし、からだ全体も徐々に重く感じてきたのは、気のせいではなく、事実であって、10秒台への突入を抑えながら走っていた、前週の5分20秒台/km がなかなか出ません。前週は平均ペースが5分22秒/km(1分と少し遅れて押したため実際は、5分24位?)をずっと指していたガーミンっも、今回は、5分35秒/km..。
収容車も、チラッと考えうかびましたが、もう二度と2週連続のフルを走る経験はないだろうと、思い治し、25kmからの辛い17kmが始まりました

エイドでは、ゆっくり給水給食するようになり、6分/kmでよし、とする、ことにしました。

48-44)第1回 神戸マラソン 20 Nov.'11 3°48′18″
ベストが出る!?
この錯誤は、ガーミンのボタンを2回押しそこねのたことの、動揺から始まった。
ゴール後の確認でわかったのだが、3度目に成功するのは、スタートゲートを1分15秒が経ってからだった。
この動揺、元来数字が絡むと頭の回転が更に遅くなるぼくだが、ガーミンの表示タイムに<数10秒から1分>をプラスしなければいけない、
と考えたところまでは、正しかった。
なぜだろう、区切りのkm表示でで見ることのできる正式計時とガーミン計時の差<3分**秒>を、グロスとネットの差と考えてしまった。
つまり、ガーミン計時に<数10秒から1分>を足してから、3分**を差し引いたのが僕のネットなのだ、と。
なんと、ゴールするまで、ゴールしてしばらく経つまで、そう思い込んでいたのだ、
ゴール時のガーミン計時が47分03秒だったから、この3時間47分03秒に<数10秒から1分>をプラスして、<3分**秒>をマイナスする、これが僕の正式ネットタイム、だと。
ぎりぎりベストが出たかもしれない、と。・・・・・・・・・
この歓びをブログにどう表現しようか、愚かにも考えていたのだ。
さてレース、いきなりだが尿意をもようしたのが10km、15〜6kmでいつもは右だけのハムストが左右両方痛み、
5本指入りのソックスに、左小指がキチンと入っていないと気づいてしまったのものもすぐそのあとだった。
尿意はぎりぎりまで我慢しよう、トイレのあるところには、「次のトイレまであと**q」と表示がある、初めての経験だが、これは親切だ
ハムストの痛みは、「足が痛いのは気のせいだ」という、観衆の看板に励まされた
ペースは自分でも驚くくらいきちんと刻めていた
序盤の細かいカーブも、それまでの坂も僕には、苦にならず ロングスパートに備えていた、備えているつもりだった。
20kmと過ぎても、全く息あがることがなく、このままのペースでゴールしたら、
逆に頑張ったことにならない、追い込まずに終わることになる、きっと後悔するだろう、と考えるようになる
でもペースアップは30kmから、いや35kmから、いやいやあと5kmの37qから、などと決断のつかないままうちに市街地に戻り、坂が始まる。
自分の中の「バカの壁」ならぬ「弱気の壁」だな
終盤の坂、阪神高速の坂は辛かったが、このあたりに、高校生が左右等間隔にいて 励ましてくれたのは心底嬉しかったが、筋力がない、
結局スパートは、最後の3kmだけ、
中盤に、35kmまえに、もう少し追い込んでおくべきだったか、追い込んでいれば、最後の坂は、もっと悲惨なことになったか?検証のしようがない・・・
ほかの人のブログを読んでいると、どうも僕は体力限界までいかないところで、「これでいっぱい」と判断して、諦めているのではないか、と思うことがある。
【沿道】 
ランナーは走り、観衆は応援する。見知らぬ土地ということもあって、逆にランナーの僕が見ていることも多かった。
このレースも仮装して走るランナーは、少なからずいた、仮装ランについての僕の意見は云わないが、観衆に仮装している人が多いのが印象に。
極めつきは、40q手前、学生服姿の中年女性。10人くらいは1列横隊で並び、傍らに「楽ラン***」の幟

初め、体形、髪型からして中高生には見えず注視したらおばちゃん、とわかったが、その際一人と目が合ってしまった。
しまった!瞬時、夢に出てきたらどうしよう、と思っているが、未だ。
他にもいくつか書いておきたいことがあるが、省略するが、
沿道のみなさん、神戸のみなさん、路面にたくさん痰やつばを吐いてごめんなさい
【ペースメーカ】
西脇工業高校の生徒が、務めた。4:00、5:00、6:00の背中と胸に書いベストを身に着けていたが、さすがに3:00はいなかった
10km過ぎ
5分30分を切って走っていたのに、4時間のペースメーカーに抜かれた。
隣の、ランパンランシャツの、おそらくは同年代の男性ランナーに話しかけた 「あの4時間速くないですか?」
「速いよな」彼は、自分の時計を見ながら、その理由を丁寧に説明してくれたし、そのすぐ後ろを走っていた女性ランナーも大声で同意している。
そのペースメーカ抜いた記憶がないが、いつしか後退したのだろう
【中山君】
優勝は、
中山卓也(ご存知中山竹通の長男、早大4年)。有望な1年生が入部した、と瀬古がうれしそうに話していたのが4年前。
有望と言われた3人いたうちの彼だけは駅伝などで、見たことない。
期休部しているそうだが、マラソン優勝 2時間24分台はすばらいい
そうなると、気になるのは休部の理由
僕の推測、世界に通用するマラソンランナーなるには、学生駅伝とりわけ箱根駅伝が障碍になっている、という見解があるが、それに沿った休部か。
どこで誰と練習をしているのか。
推測2 卓也入部後の練習方法などその他についての、瀬古と中山の確執かな。
瀬古の衰退期と中山の伸長期が、一時期だが重なり、ライバルでもあった
片や大学入学前の浪人中に陸上留学し、中距離で挫折し失意のうちに帰国するのだが、その後の活躍はご存知の通り、
陸上長距離界のエリートコースを歩む、柔道界の山下には、当て嵌まる「重鎮」ということば、瀬古には少し躊躇いがあるのだけれど
ひとりは旧国鉄長野鉄道管理局管内でバイトをしながら、練習に励んでいた青年・・・(その後富士通長野 ダイエーと歩むことにななるのだが)
いつかどこかのイベント会場で二人が和解した、と聞いたことがあるが、演出だったのかな、
瀬古と中山竹通の関係なんかどうでもいい
「卓也君の箱根」が見たい!が、休部中ではエントリもできないだろう、残念だ

47-43)第6回 掛川・新茶マラソン(旧小笠掛川マラソン 17 Aprl.'11 4 °06′14″

3月の練習量からして、6分/km で、20kmまでで余裕があれば、前回の<湘南>、そうでなければ前々回の<つくば>を想定していましたが、スタート後、1km〜2kmまで下り、5km手前でも下りがあり、6分/kmを切れるペースで走ることができ、20kmでも余裕がありました。
さあ、これからはひたすら我慢だ、そして25kmを過ぎた、5分20秒/km は、35kmからと思った矢先
<小笠掛川>時代の最後に走ったのが、2000年、28kmからのアップダウンは記憶にないので、、たぶんコースが変わったのでしょう、最後のつま恋の会場までの1kmは覚悟していましたが、きつく、下りになって追い風でも全くペースが上がりませんでした。しかし、絶対に歩かない、と心に決めて、歩幅をせまく、しかしピッチを変えずに気持ちだけも淡々と走ることに努めました。
随所に紛れもない地元の人たちの応援はあたたかく、障害者施設、老人ホーム、を通過するコース内に入れたのも主催者の粋な計らいかな、良かったです。
風力発電の風車のそばを通ることにしたのは、今回の震災後の計らいではなかったでしょう。
タイム的には、欣喜雀躍として家路に着く、ということはないですが、満足のいく走りでした。
恒例の「もう二度とフルなんか走るまい」と考える、こともありませんでした。


47-42)第5回 湘南国際マラソン 23 Jan.'11 3 °55′02″

何を考えていたのか、<つくば>での前半5分10秒/q台の反省と、近年当然と考えていたサブフォー狙いから折り返しまでは、5分45秒/kmを考えていましたが、下り基調のためか、30秒を切り、20秒台に入ってしまうのを、<つくば>と同じ轍は踏むな、を胸の裡で反芻しながら、抑えて走りました。
でも折り返しまでは5分25秒/km 。
後半徐々に落ちるペース、だが、qラップが5分40秒/kmは超えることはない、という確信は、足の疲れ(なさ)具合から、あった。
前半予定通りの5分40秒/q台前半であったら、後半もう少しペースアップでき、もう少しいいタイムが出たのか、否5分25秒/km台だったからこそ、35kmからのペースアップはできなかったものの、前半「貯金」が効いたのか、どちらかはわからない。
とまれ、5レース続けての落ち目のタイムを留めることができました。

46-41)第30回つくばマラソン 28 Nov.'10  4 °21′50

折り返しまでは、5分10秒台基調でした。1時間53分中間点,3時間40分ペース、このままでいくはずがない、
速い、速すぎることはわかっていながら、それでもペースを落とさなかったのは、今年の練習量への過信と、それでいながら後半の追い込み、粘りができる確信が持てなかったので、「貯金」を考えていたのだと思います。
前回のかすみがうらでは中間点折り返しで4時間のペースメーカーが先にいて追いつこうと努力はしましたが、今回29q地点で抜かれたときには、追う気になりませんでした。せっかくのガーミン、今度は有効=実力に合ったペースに。

45-40)第20回かすみがうらマラソン 18Apr..'10 4 °05′04″  

40回目の完走を4時間切りで飾れませんでした。
突き飛ばされることもなく、突き飛ばすこともなく、序盤はゆったりと走りました、二度目のリタイアだけは避けようと。目標はベスト更新ではなく、4時間完走、2月東京・11月つくばの結果と、今年はまともに一度も30km走ができていない・・・これを云っちゃえばお終いよ、なのだが・・・「寄る年波には勝てず」、謙虚に4時間完走としました。
15km過ぎ隣を走る二人の若い男性の会話「ちょっと足にきたみたいだな」「無理はするなよ」「いや、無理はするよ、無理はするさ」。フルを走ること自体、無理をすることなのだ、と云いたいのだろうか。なかなかいい若者だ。
30kmから徐々にペースアップ、35kmからも、二段構えのペースアップを考えました。(身の程知らずが!)
中間点の折り返しで4時間のペースメーカーが見えました。1分と少し、2分とない距離だ。こちらのロスは約3分だから、4時間は行けるかも。
あの時追いついておけば・・・と後になって思うが、徐々に詰めている感じはあったので、やがて追いつくだろうと。
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30km過ぎ、アミノ****のユニフォームを着た女性が縫うように走っていく、「これだ、これについていこう」頑張ってみたが、1kmと続いたか?言い訳を言うと道が狭いというか人数が多い、縫うようにしか走れないから、追いかけるのは、目立つのだな、本人も気づいてしまう。
35km過ぎ、もう力が残っていないのに、残り5kmでペースアップしようと、まだ思う・・・・37kmもうダメこの辺りからずっと歯を食いしばる走りになる。
しかし、今回も東京に続いて、「もう二度とフルなんか走るまい」とは、レース中思わかなったし、昨年のつくばほどのダメージはなかった。
大崩れするのが怖くて、頑張れなかったのだろう。

44-39)第4回東京マラソン 28Feb.'10  3 °58′31″

「また雨かよ」・・・04年アテネ五輪で、前年のパリ世界陸上に続いて5位入賞だったときの、油谷選手の開口一番「また5位かよ」の口調を真似て・・・
調べたら、彼は01年のエドモントン世界陸上でも5位、07年の福岡国際でも5位です

07年と同じ、いや07年はスタート後小雨に変わり、一時やみ、再度降り出しても小雨でしたが、今日は本格的に降っていたのが恨めしく、またゴール直前で晴れ間が見えた今回と、着替え終わったら晴れてきた07年とは、僕のゴールが数分遅かったことを考えると、晴れ間が見えてきた時間帯は殆ど同じなのも、皮肉なものだ。
「今年は5時間を目指すんだ、去年は6時間だったからな」「30kmは走れるんだ、この間20km走れたので」整列中に携帯電話や、仲間と話している内容を聞きました。スタートしても遅い遅い・・・絶望的に遅い。スタート地点からは前のランナーの中を縫うように走りました・・・これが消耗の原因かな。ひとり分くらい走れるスペースは空いている沿道側を走る、声援もよく聞こえる。楽しそうにのんびり観衆とハイタッチしながら走る仮装ランナー、給水所付近や走っているとき、斜めから、或いは横切りするランナーを、僕は何人手のひらで突き飛ばしたことか。僕の前に寄ってきたので押したら、と同時によけた僕とその女性も同時に左に寄ったので、また押したら「何よあんたもう・・・」と言われました。
そんな走り方をしながら、後半バテるだろうな、と考てはみたが、心のどこかで「いやいや大丈夫、頑張るのだ!」という自分がいた。
でもなんとか頑張れたのは30km手前の折り返し浅草まで、あとは辛い辛い10kmでした。35km、残り5km、残り2km・3kmで、気持ちだけでも持ち直し、ペースを少しでも上げるのがいつもですが、今回はダメでした。シューズを厚底にしたので足のダメージが少なかったのがせもてもの・・・

43-38)第29回つくばマラソン 22 Nov.'09  3 °53′14″

膝裏の痛みが限界に達して走れなくなる不安で、レースは中途半端に、38回完走のうち、8番目の、ありふれた平凡な、でも言い方を換えると、まずまずの記録でした。
30kmまでは我慢の、そこからのペースアップ、できなければ最低でもペースを落とさない、現状維持の展開を目指すことにしました、
寒空の下、リタイヤだけは避けたい気持ちでした。
ハーフ付近で、このままペースで終わっては何のために練習をしてきたのかわからないし、ひょっとすると、終盤潰れて4時間も切れなくなるのではないかと・・・
少しペースを上げました。給水給食は助かるのですが、慣性の法則で、一度止まる身体をもとのスピードに戻すのにかなりのエネルギーを要するのが辛いです。25km、31km、35kmと3回気持ちを切り替えました。4時間は切れることは間違いない、といってベストも50分も切れないことがなんとなく判ってしまった35km過ぎから「あと5km地点」までの僅かな距離だけは昨年並みの頑張りができました。

42-37)第28回つくばマラソン 30 Nov.'08  3 °47′31″

総括の難しいレースです。
確かに2nd ベストタイムが出ました。(この2ndベストと言うのは、和製英語でないかと直感します、2ndとベストは形容矛盾のような気がします)
タイムは良かったですが、前半の「貯金」を使い果たす、というか時間の経過で5kmのスプリットが落ちていくというレース展開は僕の理想とするところではないです。〜5kmより〜10kmの方か、〜20kmより〜25km、のそれぞれの5kmが僅かに早くはなっていますが、25kmまでは、しり上がりに伸びるのが僕の走りのパターンですから。
もうひとつの理由は、4時間を切れるときは、25〜35の間でペースメーカーを見つけ追走5km位を続けるシーンがあるのですが、今回は3kmほどで終わり(追走対象の女性に気付かれ、横に逸れられ、さっと前を空けられてしまいました、追走していただけで他に何もしていないのですが)、それも中途半端なスピードでした。〜5kmをそもそも26分30くらいで入るのが5分30 〜10kmが5分ちょいでしたから、どこかで行き詰ると思い、怖くて大胆な追走が出来ませんでした。ただ、31km手前で横中の久粂さんを抜いた時は、06年2月の神奈川ハーフの相似形で、もしやベスト?、という予感もしました。

41-36)第3回湘南国際マラソン 16 Nov.'08  4 °03′27″

平坦なコース、かと思いきや、長い緩やかな上りと長い緩やかな下りの繰り返すコースです。
再来週に、<つくば>があるので10km1時間づつでいき、 最後の5kmか7kmでペースアップの予定で、4時間10′位、と予想していました。
いざスタートするとそうもいかず、10km57分、20km1時間51分。良いペースメーカーがたまたま見つかれば、或いは<つくば>を頭から外し3時間50分を狙いにいったかもしれませんが、と中途半端。ペースメーカーは見つからなかったのか、その努力をさしてしなかったのか。最後まで中途は半端な走りになりました。
最後の4kmが折り返しの2kmづつで、あとの2kmは会場からの応援の人だかり、ここで無様の走りが出来ないので、38kmから40kmで歩いたりして最後の2kmの備え(ここは本当に辛かった)・・・結局ペースアップは最後の2kmだけでしたが、「ナイスファイト」の声援が嬉しく、自分でもこんな元気あったのか、と。また、31.5km地点の給水所過ぎて、すこしだけ元気になりホンの数百mを膝を高くあげてピッチを上げたら「グッドラン」という掛け声もありました。

番外編 第9回東京夢舞マラソン 12 Oct.'08  5 °41′09″

毎年コースが変わります、’05年5時間15分01分、’07年5時間27分35分。タイムとしては着実に落ちています。
ひとつには、信号を守って歩道を走るフル、タイムを競うものでないこの大会の主旨に慣れたこと。
もうひとつは今年は銀座通り(有楽町から歌舞伎座くらい)を正午頃の通過のため、歩くように指示されました。
同様に月島のもんじゃ通りと、もう一箇所ゴールまで8kmの下町の通りでも催ものをしていたので、合計30分は歩いたでしょうか。
km表示の入った地図を持っていましたが
「あと13km」です、のコールがだれしも唐突に感じ、その反応が、「もうそれしかないのか」という達成感のなさ・・・
終盤は皇居小川町靖国神社駿河台下神保町水道橋・・・と、ロングスパート、あと2kmのコールでは、同行のITHさんに「2qを10分で走ります」と言い残してトップギアに入れ替えました、’03年高橋尚子がアレムに抜かれた水道橋から四谷にかけてのあの坂も難なくクリアしました。同行のITHさんをどこで待とうかと、振り返るとゴールしていました。信号ひとつくらいの差でした。

40-35)第27回佐倉朝日健康マラソン 30Mar.'08  3 °52′54″

自己最高どころか、50分の壁を破れません。立ちションを2回したので、差し引けば・・・もしやと言うところです
20kmまでは快調、15km付近から抜きつ抜かれつしていた女性
(仮にAさんとします)に30kmまで密着追走、立ちションの間に見えなくなりました。戻ると別の見覚えのあるもうひとりの女性(仮にBさんとします)が通り過ぎようとしたところでしたので密着追走。どうもAさんより軽快な走り、Aさんのところまで連れて行ってくれそう、辛かったけれど付いていくとやはりAさんに追いつきました。でもここで僕は心変わり、大いに悩みました、密着追走はAさんにすべきかペースのいいBさんにすべきか・・・結局無理したくないのと、お尻の形でAさんに決めましたが、Aさんはペースダウンしていきます。前方に目を遣りBさんを捜しましたが、すでにかなり前にを走っていて、34q過ぎの向かい風の直線で見えなくなり、また以降40qまで僕もかなりペースダウンしましたが、Aさんが再び上がってくることはなかったです。
仕事の知り合いのHさんが5q、10q、26qで声援を送ってくれました、ありがとうございます。
同行にKNDさんは、20q地点で大会役員の「悪魔の誘い」まけ、リタイヤでした。

39-34)第27回つくばマラソン  25Nov.'07  3 °58′31″
25kmまでは3時間50分を切れるペース。30kmを過ぎて徐々に減速・・・歩いたり走ったりで1〜2km・・・4時間半を覚悟していました。
35km手前で4時間のペースアドバイザーとその集団に抜かれ、な。ぜか今回は奮起。ちょうど抜かれたばかりの「後姿美人」(最後まで顔見ないようにしていました)に追走、39kmあたり給水している間に、気がつけば50m近く離されやがて見えなくなりましたが、諦めずに走り続けました。ゴール後大の字に仰向けに倒れ暫く動けなくなったのは、初めての経験。「頑張り度」は、自己最高でした。

番外編 第8回東京夢舞マラソン 10 Oct.'07  5 °27′35″(−10分)

あの東京マラソン開催に先鞭をつけた大会で、消滅したのかと思っていたらまだ開催していたのですね。歩道を走る、横断歩道などで信号を守る、というルール。で、この記録。記録狙いのハーフが次々週あるし、昨シーズンから梅雨明けにかけての故障もあったのでゆっくり事故のないように!を心掛けました。05年は6時間を超えた、と記憶していたので、「大幅な記録更新!」に欣喜雀躍として家路につきましたが、調べてみたら05年は5時間15分でした。
30q過ぎからピッチを上げることが出来ました、水道橋を過ぎたあたりで同行の I さんが、点字ブロック警告用に足を滑らせてコケル35kmまでは。<−10分>はコンビニで濡れティッシュとバンドエイドと包帯を買い、応急処置に要した時間ですから、ほぼ前回と同じ記録であったと思います。スピードさえ出さなければ、膝も痛みを感じないことが改めてわかりました。(スピードの程度と時間が問題)今シーズンのいいスタートがきれたと思います。


38-**)第40回東京六無月喜多(北)マラソン 3 Jun.'07  ハーフ終了時リタイア
記録どころか、完走で飾れませんでした。何も言うことはありません、只々暑さにやられました。膝の痛み止めにバファリン2錠、効目は分かりません。逆に間違いなく両膝のグラグラ感は増していたようです。エピソードと言えば、また尾籠なことですが、その後ろを走っていた女性が放屁。あわてて抜き、振返ったら睨まれました。メガネをかけた妙齢の女性でした。加害者が被害者を睨むとは。

37-33)第9回長野オリンピック記念長野マラソン  19 Apr.'07  4 °07′56″

15km過ぎにあのクリスチャンセンに追いつかれ、何とか中間点で追いつき、必死に食らいつきました。33km過ぎについに力尽きそのあとは歩いたり走ったりの繰り返しで何とか最後の2kmくらいはきちんと走り、上記の結果です。気分としてはリタイアした気分で、実際35km過ぎにあった収容車に乗ろうとしましたが、たまたま誰も乗っていなかったので通り過ただけでした。
前後しましたが、クリスチャンセンは4時間のペースメーカーです。ゴールタイム3時間45分くらいのペースで走っていたことが、そのペースで走って追いつかれたランナーが「抗議」していたこと判りました。通訳も兼ねた日本人女性のもうひとりのペースメーカーが抗議を受け、
「後半ペース落ちますから・・・」と言っていましたが、33kmまでの時点では落ちていなかったです。18kmの間二人の後ろを走っていて二人の間の様子がおかしかったのは、日本人ペースメーカーは4時間を目指し、クリスチャンセンが4時間以内を目指していた、その微妙な「齟齬」が原因かもしれません・・・とにかくクリスチャセンに攪乱された次第です。

36-32)第1回東京マラソン  18Feb.'07  3 °51′20″
昨年10月初め、シーズンこれから、というときに膝を痛め、今年1月に入って漸く何とかまともな練習をしただけなのですが、いい記録が出ました。3km過ぎに右ふくらはぎが痛みましたが、ウォーミングアップの不足と理解し、そのうち何とかなる、と無視して走り続けました。5km、10kmは6分/kmを少し切るペース、10kmから20kmまでは少しあげました、ダメージがなかったので32、3kmまでは極端にペース落とさずにいけたと思います。すべの5kmが26分台と27分台だったことは、今までにない収穫でした。沿道の応援がこんなに力になるとは、初めての経験です。どんなに疲れても、「上体を垂直に保ち、あごを出さない」、を心掛けて走りました。歌舞伎町入り口、新宿2丁目の交差点で「紺碧の空」がなぜかランナーに向けて演奏されていました、ちょっとジーンとしました。マスターしてないのに買ったフラット走法用のシューズも良かったです。

35-31)第26回つくばマラソン  26Nov.'06  4 °21′47″

1週間前までは棄権するつもりでした。25kmまで、5kmのラップが28分代、26分代が2〜3回ないと4時間きりは厳しい。それよりも25km過ぎは、練習不足からのスタミナ切れでした。膝の故障もあり、25kmからの耐える走りも、最後5kmくらいからのラストスパートもできませんでした。ロングタイツの後ろにある小さなポケットに飴をしのばせていたのは正解でした。途中子どもに板チョコのかけらを貰ったり、ケバイ化粧のおネェさんに黒糖を貰いました。

34-30)第39回東京六無月喜多(北)マラソン 4 Jun.'06  4 °07′51″ 

ひと月前のぎっくり腰で練習不足、腰痛(坐骨神経痛らしい?)、でもリタイヤできない理由がありました。@5月の皇居30kmでリタイヤしていて、2回続けてリタイヤになってしまうこと A前日の練習で2.45q×3回で帰ろうとしたら、突然現れたK氏に14q走を誘われて走り、リタイヤすればK氏に責任を感じさせてしまうこと B当日朝6時から仕事をしながら応援します、と言ってくれたひとがいること。
昨年並みに完走できれば4時間30分位を考えていました。ゆっくりスタート、20q過ぎから「イチニハイハイ」「イチニソウソウ」と掛け声を掛けながらリズムに乗って走りました。この掛け声は箱根駅伝で、大学ごとに伴走車が着いていた頃、順天堂の沢木啓介監督(当時はコーチ?)が選手におくった掛け声です。36q付近では4時間を切れるペースではありましたが・・・諸条件を考えればまあまあかな。

33-29)第9回東京・荒川市民マラソン 19Mar.'06  3° 53′55″
走る前着替えながら、バナナ2本、どら焼き2個を口に押し込みました。20km過ぎても、空腹感がない。
20km地点「まだいける、25km〜35kmでロングスパート!の気分で、スピードと緊張の維持を」と決意。25kmで2時間05分。向かい風もそこそこなら45分は切れるか?胸ワクワク・・・35km以降はその勢いで・・・、しかし、BUT!江北橋を過ぎる32kmから突風になり、ついに緊張の糸が切れかかりました。ペースメーカー兼「風避け」を利用しながら、風向きの変わるのを待ちましたが、人の風除けなどまったく無意味な強風。35km付近で鶴見RCのN氏を抜きましたが、そこまで。このあたりで自己最高は諦め、最悪の4時間切りに目標を変更。


32-28)第25回つくばマラソン 27Nov.'05  3° 47′09″

春先からのスピード練習の成果を試す・・・10月のタートル、前週の多摩川ハーフで見えていたけれど、予想最高気温17℃(実際には20℃になったらしい)、前週の疲れと右太ももの裏側のバンテリンの効かない痛み、不安はありましたが、9年ぶりの自己最高を記録しました。10kmまでは押さえ気味に10kmからペースアップ、なぜか素直に同行のIさんの助言どおりにしようと考えましたが、途中ラップはご覧の通りです(はっきり覚えてはいないのですが大体)。膝を前へ、膝を前へと呟きながら走りました。
例の箇所の痛みでペース上がらなかった20kmまでを反省、20km〜30kmまでの10kmは、残りの12kmを6分/kmで行けばネットで96年の記録を超えるところまで堪えに堪えました。さらに30kmから35kmはペースメーカーに若い女性を見つけてはペースアップしましたが、その後の終盤の追い込みにすこし不満が残りました。30回目の完走を自己最高で飾れ、嬉しくてメールしまくりました。練習やレースに誘ってくれたり、楽しくレースで走ったりしてくれる仲間のおかげでmotivationを維持できています、感謝、感謝。

番外編 第6回東京夢舞マラソン 10 Oct.'05  5 °15′07″ 

歩道を走る、横断歩道などで信号を守る、というルール。で、この記録。記録狙いのハーフが次週あるので、ゆっくり事故のないように!を心掛けましたが、同行の年配のひとりが先行したため、こころ穏やかでいられなくなり・・・20km、25km、30kmの節目や、35km以降とペースアップを試みましたが、追撃なりませんでした。きっとリタイアして電車で帰ったのでしょうか、人騒がせな人です。
せっかく抜いた連中に信号で追いつかれ、青になった瞬間に横断歩道をスタートダッシュして離される、またその連中を追いつき追い越すのだが、次の信号でまた同じことが繰り返される。慣性の法則で、止まっているものを動かすにはエネルギがいる、動いているものをすこしだけ早く動かすにはさほどエネルギは必要としない。
膝をあげて走る、走り方はやはり腹筋、背筋が強くないと駄目なのがあらためて解りました。足首より下以外は痛みもなく、「上手」な走りができ、16日のハーフにはいい練習になったと思います。次回つくばで、フル完走30回になります。17年かかりました。100回は無理として50回は何とか、3回/年として7年か、無理か?

番外編 第12回奥武蔵ウルトラマラソン 6 Aug.'05 10 °07′54″
どのくらいのタイムで走れるのか、検討がつかないので、気にしないことにしてゆっくり走り始めました。それでも中盤以降の上りは殆ど歩き、下りは走るの繰り返しに「こんな走りではつまらない、後悔しそうだ」と感じたので55kmからの下りで「ロングスパート」・・・残り20kmでのスパートはロング過ぎる!と思ったが・・・を決行。10km持たなかったけれど、贅沢にも、快走する箱根駅伝の6区のランナーの気分を味わうことができました。数十人は抜いたはずです。自分自身で実況中継もしちゃいました。
タイムは自分として良いのか悪いのかわからないです。
各エイドは等間隔、内容もばらつきなく標準化していて安心して走れました。次のエイドではあれを食べようとか、それがなかったりして・・・ 


31-27)第38回六無月喜多(北)マラソン 5 Jun.'05  4 °24′15″ 

20km過ぎに歩いたり、走ったりを繰り返しながら考えました、完走して自己最低記録を更新するか、暑さを理由にリタイアするか。前回霞ヶ浦では後者を選びましたが、その雪辱として暑さを承知でエントリした手前それを理由にリタイアはできない。結論がでないままスタート地点の33kmに戻り着いてしまい、流れのまま残り9kmに。記録は良くないですが、収穫は、33km以降は抜かれることなく抜くだけだったことか。
ゴール後は、またしてもこの大会こだわりの?りんごとポカリスエットでした。



30-**)第15回かすみがうらマラソン 17 Apr.'05 31km地点リタイヤ

気温20℃を超える快晴、とはいえ、湿度は低い。桜の花びら散る会場でのストレッチ、走り始めても心地良い風・・・なのに31km地点で、4年ぶりの4回目のリタイアでした。最悪の記録を残したくない、というケチな考えがありました。自分なりの練習量が増えたことに過信し、体重のことを気にしていなかったのかもしれません。・・・マラソンは1に体重、2に忍耐、3、4がなくて5に練習?!かな。マラソンを走り始めて17年目、過去を冷静に振返りそんな気がしました。今季ほど練習したことはないのに、このレースでの自体は後悔してはいないものの、コンディション調整などいろいろな面で勉強になりました。マラソンは奥が深いなと感じた次第。

29-26)第8回東京・荒川市民マラソン 20 Mar.'05  4 °07′19″ 

絶好調宣言も虚しく。@トイレに行くロスタイムを無くす為、殆ど水を飲まずにスタート、4kの給水まで咽が渇いてしまいました。がぶ飲みすると腹をこわすので、その後の給水も自分の適量を飲み続けましたが、thirsty 状態に変化なし。A前日のスピード練習(400mインターバル*5本)で脚腰が若干痛んでいました。居合わせた小学生に、生を享けてより半世紀!初めて「速い」と言われ調子にのってしまい・・・B毎年この時期飲んでいた花粉の薬が「今年は売ってない」と家人に言われ、鼻が詰って夜よく眠れませんでした。
何レースかぶりにもうフルマラソンは走らない、と決意したっけ。自己記録更新に時間的にすこし焦りを感じてきました。次回霞ヶ浦にかける。

28-25)第24回つくばマラソン 28 Nov.'04  3° 51′44″
ナイキの鉢巻、ナイキのシャツ、ナイキのタイツにナイキのシューズ、自己最高が出ないはずはナイキ。しかし52秒及びませんでした。ひとつ靴下がナイキではなかったからか。横浜鶴見RCのペースメーカーお二人がいたのですが、27〜8`までに一人消え、30`過ぎにまた一人消え、急激に目標を失い、力が抜けてしまいました。
スタート直後沿道からの「マイペースでね!」美しく可愛らしい声の方角を見ると、増田明美がいました。「ギョッ!」・・・天はニ物を与えず こんなことばが脳裏を掠めました。失礼、あなたはかつての日本記録保持者であり、ロサンゼルスオリンピックの壮行会をボイコットしてからの、悩み多かった青春時代を経験しているからこそできる、選手を温かく思い遣る解説、僕は大好きです。


27-24)第17回 小笠掛川マラソン 18 Aprl.'04 4°  28′08″
30キロまでは、自己最高を狙えるスピードでした、オーバーペースではなく。右足首、足の甲との境目あたりが傷み走れなくなりました。気温は23℃くらいでした。後ろから来たランナー、その<悪魔の囁き>に負けました。「ゆっくり行きましょうや、ここから歩いたって、制限時間内完走になりますよ」。お前はどこの誰だったんだ?何故僕に、そんな囁きをしたんだ。でもあの時はホッとしたことも事実。4月はフルマラソンの季節ではない!

26-23)第7回東京・荒川市民マラソン 21 Mar.'04   3° 56′39″ 
6年ぶりに、4時間をきりました。左手の平に書いた10キロごとの設定タイムどうりに走れました。昨年の3レースでは、いずれも4時間の一桁台だったので、密かに狙ってはいました。掛川は自己最高を目指すレースに!
アテネオリンピックの選考にもれた「傷心」のQちゃんが、来ていました。スタート地点の舞台の上で、椅子に腰は浅く背は深々とすわり・・・分りやすく言うとフンゾリ返っている、ように見え、リラックスしていたのが印象的でしたが、「交流を深めたい」なら、舞台から降りてランナーと同じ地面に立って、応援してほしかった。

25-22)第23回つくばマラソン 30Nov.'03 4° 05′34″

イーブンペースが1番。4時間と4時間半のペースメーカーの間よりやや4時間に近いところで終始しました。30キロ過ぎの踏ん張りと35キロ過ぎのペースメーカーがいれば・・・25キロ過ぎから40キロの間でバナナを7本食べました。今年の前2回のレースに比べれば不満、近年では満足といったところ。同行した同年代の女性が前年は4時間50分だったのが、16分まで短縮したのは、驚きでした。

24-21)第5回長野オリンピック記念長野マラソン(旧信毎マラソン) 20Aprl.'03  4°01′35″

雨上がりのスタート、途中カンカン照り、再び雨。4時間は切れませんでしたが、悔いもいい訳もないのは、珍しいことです。これくらいが限界か?と納得しています。でも次回は4時間を切れるかな?

23-20)第7回東京・荒川市民マラソン 23 Mar.'03   4° 02′16″ 

98年以来の4時間に近いタイムで走れました。30`までは、「我慢、我慢」と呟きながら走り、徐々にペースアップ(周囲のランナーのスピードに相対的にです)35`からは、ロングスパート!昨年つくばでの30`からの追走の実績が自信になっていました。・・・いるわ、いるわ。「なんで、俺はこんなデブのおばサンたちより後ろを走っていたのだろう」。この勢いで、来月の長野は4時間を切れるでしょうか。

22-19)第22回つくばマラソン 24Nov.'02  4° 25′37″

4時間半のペースメーカに追走。十`過ぎに少し前にでました。30`で追いつかれるも、残り十`を必死でついて行きました。この記録を不満に思うほど、今の実力を知らない自分ではありません。弱気というか、謙虚というか。コース途中の焼肉屋、匂いたまらなかった。


21-18)
第4回長野オリンピック記念長野マラソン(旧信毎マラソン) 14Aprl.'02  4°31′04″

「ペースアップは30`過ぎ、それまで我慢、我慢」と繰り返しながら、走りました。気温23℃、ほぼ無風状態になり、ペースアップすることなくのゴールでした。感覚的には、15分か20分位でしたが・・・
テレビ中継があり、放送時間の2時間34分過ぎのエムウェーブの周回コースでちらっと映りました。メールいただければ無料でお貸しします。ダビングもOKです。


20-17)第6回東京・荒川市民マラソン 24 Mar.'02   4° 12′57″ 

僕にとってのペースメーカーは、この僕自身だ!そういう気持ちで走りました。前半押さえ気味30`からのペースアップの予定が我慢できず、25`で。32`からは地獄でした。浅井えり子、谷川真理、お天気の森田さん、プロレスのあらかわまことが来ていました。

19-16)第21回つくばマラソン  25 Nov.'01   4° 21′25″     
100m33秒ペース(4時間のペースメーカー)と35秒ペース(普段の自分の練習ペース)。2秒の違いはこんなに大きいとは。やはり25`から減速。35`走の練習だ。前夜になんでフランス料理なんぞ食わされなければならないのだ。朝食もパン食!なぜだ。走りながら「フルマラソンは金輪際走らない」と決意したっけ。

18-**)第34回六無月喜多(北)マラソン 03 Jun.'01  中間点でリタイア
ムナツキ(胸突き)と読むそうです。 マイナーな大会で油断、6:00前に朝食、補給せずに9:30スタートは無謀でした。リタイア後貰った林檎゙とポカリスェットの美味かったこと!でも何なんだ?この食い合わせは。やたら練習し過ぎ?たわけでもないけれど妙に自身をもって臨んだ大会でした。


17-15)第14回 小笠掛川マラソン 15 Aprl.'01 4°  12′55″

強風と坂道。17キロから追い風にのってペースアップ、25キロで減速。28キロで4時間のペースメーカに追いつかれ、必死にくらいつくも、33キロで諦め。股ずれの豆短躯の女性に抜かれたのは私のマラソン人生最大の屈辱でしょう。

16-14)第20回 つくばマラソン   26 Nov.'00    4° 13′39″     
10`付近での男女3人組の会話が参考になりまし た。「いま、スピード出しても出さなくてもどうせヘロヘロに なるんだ時間がくれば」「時間でキレるだよな」「キレた後の気持ちが大事なのよ」初めて、すべての5`をほぼイーブンで走れ、記録はさほどではないけれどすごく楽しい42`でした!

15-13)第13回 小笠掛川マラソン 16 Aprl.'00  4°  20′17″ 
体調は良かったのですが、15`手前で大便に5分(でも待っている時間が4分くらい)ロスで、気持ちが萎えました。肉体と魂は別個の物ではないので、やはり実力(練習)不足なのでしょう。意外な結果。齢を重ねているとはいえ、初マラソンより、悪い記録とは、ショックでした。


14-**)第24回 河口湖マラソン  28 Nov.'99  24`地点リタイア 

捲土重来、臥薪嘗胆、斎戒木浴、七転八倒、艱難汝を玉にす?言い訳が許されるなら、実は風邪をひいているうえに、空腹時にアミノヴァイタルの試供品を飲みやや下痢気味。止めてよかった。藤村信子みたいになりたくないもんな。

13-12)第23回 河口湖マラソン  27 Nov.'98  3° 52′19″
終盤5kmを夢遊病者のように走っているところを、見知らぬオヤジに激をとばされ、ついて行くも最高には及ばず。ゴール後握手をしました、感動的なシーン!だった、と思います。


12-11)第11回 小笠掛川マラソン 9 Aprl.'98  3° 59′20″

3時間30分のラビットについて行き失敗。自信過剰でした。半年前の失敗に学ばず。「それだけの練習をしているの?」
11-**)第22回 河口湖マラソン   26 Nov.'97   20`地点リタイア
晴天、記録ねらいが裏目。ストライドを広げて走ってみましたが、脚の付け根を傷めました。

10-10)第21回 河口湖マラソン  24 Nov.'96 3°48′54″ 
初めてたった一人での参加、氷点下のなかのスタート。1時間前からいいスタート位置を確保して、いいスタートができました。スタートから10`くらいまでは抜かれるくらいのスタート位置にいたほうがいい。常に、自分より少し速そうな人をペースメーカーとして探し、換えていくのがコツです。


9-9)第9回  小笠掛川マラソン  21 Aprl.'96 3° 54′21″

 ゴール後、思わずガッツポーズ。4時間きったら、フル はやめようと思っていたが・・・やめねぇぞ。3時間30分の市民ランナーを目指すぞ。

8-8) 第23回  ホノルルマラソン  10 Dec.'95   4°  03′25″
闇夜のスタート。マイル表示とキロ表示が混乱し、ペー スつかめず。ダイヤモンドヘッドの頂上付近から ロングスパートも・・・。途中ずぶ濡れの浅井えり子とすれ違いました。


7-7) 第8回 小笠掛川マラソン 16 Aprl'95   4° 00′21″

腹筋、背筋をさらに鍛えました。途中大便をしなければ・・・・4時間をきれたのに、糞!(フンではなく、クソと読んで下さい)ホテルの朝飯を食いすぎたのだ。



6-6) 第19回 河口湖マラソン 27 Nov'94  4° 05′31″

終盤、スパッツの美人のネェチャンについて行き。納得のできる快走で、自信がつきました。6年ぶりの更新。長距離は半分は気持ち?ぼくにとっては。


5-5) 第18回 河口湖マラソン 26 Nov.'93   4° 26′11″

この秋は仕事上の付き合い旅行が多く、全く練習できず。前年は左足側関節複雑骨折のため走れませんでした。1週間前に、20`大会に参加も影響か。言い訳を言うことは、次回の励みになるのだ。

4-4) 第16回 河口湖マラソン 24 Nov.'91    4° 33′16″

仕事の材料上げで、腰痛最悪。前屈みで、這うようにして、ゴール。次の日の通勤路で腰の辺りで骨が「ぐりっ」と音がしました。


3-3) 第15回 河口湖マラソン 25 Nov.'90   4° 19′20″

気合と練習不足。



2-2) 第14回 河口湖マラソン  26 Nov.'89   4° 35′59″

前回の記録を上回ろうと前半ペースあげすぎが祟り。大した練習もしていないし。


1-1) 第13回 河口湖マラソン  27 Nov.'88  4° 16′14″

初のフル。目標の4時間30分はクリア。以後4時間を切ることを目標に。完走はできると信じていましたが。やはり辛い。