Selfassertion  Updata:2003/9/7

 
皆さんいかがお過ごしですか?
良い季節になってきましたね。ちょっと冷夏の影響で農作物が高くなっていますが
食べるものはおいしく、お月様は火星とランデブーして、
あとはブタクサの花粉症が起きないことと、早く肋骨が完治して
ブーメランが投げられることを祈るばかりです。あ、お金に困らないことも。

 お金といえば賞金稼ぎの名目で、年に何回か各誌の短歌賞へ応募しています。
あれは、20代の後半。初めて出した角川短歌賞で最終候補に残ったことが
僕を調子付けてしまいました。
その後毎年、コンスタントに発表するものの...あれれ?
ちょろちょろヒットは打つものの、ホームランがでません。
「三振前の馬鹿あたり」だったのかなぁ...と思うこともありますし
若葉マークが一回良い思いをしてズッポリ填まる競馬やパチンコのような
ギャンブルみたいになったのかなぁ...とも思います。

 しかし、よくよく考えてみればあの時、
「受賞作地味な歌ばかりだし、初心者だし、ちょっとインパクト強めで
 賭けてみようかなぁ〜」と通勤電車の四方山事に絞った歌50首、
この賭けで成功したんですね。
読み手に合わせること。そういえば公にはこれ以降やっていません。
 大学入試と赤本の関係のように、きちんと受賞者の作品をみれば
賞ごとの傾向がわかるんです。それで思うのが
大手の同人に入って、この傾向の作品を出せばそこそこはいける。
(選者所属同人持ち回り受賞事件もありましたし...)
では、なんでそうしないのか。
悔しいんですよね。
一度は良いかもしれませんが、何で毎回毎回、相手の顔を見て、
媚びた作品出さなきゃいけないんだろうと。
(何か負け惜しみみたいで、ちょっと落ち込んできました。)
確かに自分でも「読み手を考えて詠いましょう」なんてことを言っていますが
実際、極端に媚びるのは悲しいことです。

 だから、もう、いいかなぁ...と最近思うようになりました。
仮に賞を取ったとして何になるんでしょう?。
歌集を出しても所詮自費。適当に持ち上げられた評価が誌面を飾り
逆にこちらは誰かの歌の評価を求められて寄稿して...。
ストリート育ちのアーティストにクラシックを語れといわれるのも辛いし、
そんなことで金を貰うのはゴメンだし。

 とはいいながら、逆に対価がないと創作意欲も湧かないし、
歌に磨きをかけようという気にならないんですね。なぜでしょう...。
お金を払うということは本気の表れ。
読み手が本気にならないと、詠み手も本気にならない。
そういうことなんでしょうね。

 というわけで、物凄い落ちのつけ方ですが、僕の短歌売ってます
美作直哉
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