三仏生遺跡:遺跡中央部で白い蛇紋岩の平たく薄い磨石を拾いました。表裏面ともあきらかに手が加えられており、玉造りの途中品かもしれません。光を当ていろいろ調べましたが、穿孔痕は認められませんでした。石鏃と石錐は南東の畑です。途中で農家の方が見えたので北側の畑はあきらめました。

1.2019年春の表採結果

この冬は昨年とは正反対の小雪となり、小千谷の三仏生遺跡も雪が融け、春の表採は今日(3/6)終わりました。藤橋遺跡以外は、一番乗りができ、まあまあの結果でした。

6.2020.4.13  荒屋遺跡を訪ねてきました。

 
今春の表採は終わりましたが、時間が空いたので、川口町の荒屋遺跡を訪ねてきました。数十年ぶりに来てみたら、周りに家が増えたような気がします。旧石器時代の基準遺跡として有名な遺跡ですが、表採はせずに写真だけ撮ってきました。

三十稲場遺跡は、いわゆる南三十稲場といわれる遺跡南側の一部しか耕作が行われておらず、10分ほどで表採は終わりましたが、かろうじてヤジリ1本と表面が風化した磨製石斧を拾うことができました。また墨石を見つけたのでついでに拾ってきました。

別当山遺跡:石墨を久しぶりに拾いました。過去に10本以上拾ったことがありますが、いつも捨てていました。大正生まれの父からは「石版と対になって使うもので、雨でも使えるため、農家の方が現在のメモ帳のように使っていた」と聞かされていました。しかし現代のものか古代のものかは決着がついていないので、拾ってみることにしました。そのほかこの遺跡特有の足の長い形態をした完形の黒曜石製石鏃と半分に割れた白い石鏃も拾うことができました(完形ならみごとなものだったと思われます)。

石匙のようなものかもしれません。写真上部に取っ手がついていたのかもしれません。

上記、尾立遺跡の翡翠。全身に研磨がほどこされていますが、耕作機器との擦れでできた茶色の擦過痕が痛々しいです。

大型でほぼ完形の粘板岩性石鏃が、浮き上るように落ちていました。

尾立遺跡:ぽかぽか陽気のなか、翡翠原石のほかたくさんのヤジリも拾えました。

2.2019.4.28~29

 平成最後の大型連休を利用し、かねてから行きたかった信州の遺跡めぐりをしてきました。
 まずは茅野市の尖石縄文考古館を訪ね、念願だった「縄文のビーナス」にお会いしてきました。TVやネット等で何度も見てはいましたが、実物が放つ存在感は格別でした。(撮影の許可はいただいています。)

三仏生遺跡

「尖石」のいわれとなった石です。以外にも遺跡南側の崖地の中腹にあります。上部に磨製石斧等を磨いたと思われる
研磨痕が残っています。

三仏生遺跡:まだ若干雪がありましたが、ほぼ融けました。上段2本の矢じりは遺跡北側の段丘上で拾ったものです。50年近い表採人生で初めてアメリカ矢じりを拾いました。欠けないよう手に握り持ち帰りました。その他はいつもの南東側の畑で拾いました。黒い完形の玉も拾うことができ、ついてるときは重なるものです。

新潟県の土器は2対の取っ手(飾り)が特徴ですが、信州の土器は対になる取っ手がないものが多く、より洗練されている気がしました。

藤橋遺跡:2月の雪解けとともに作業をする方がすでにいらっしゃいました。他の表採者と思われる足跡も付いていましたが、2本拾えてよかったです。

尾立遺跡:昨年降雪前の表採ができなかったため、どうしても一番乗りしたかった遺跡です。毎日雪解けを見に行きながら、無事一番乗りできました。以前、このような小さな遺跡は数年に一回程度の表採でしたが、昨今大きな遺跡が拾えなくなってきているため、拾える畑として貴重です。

鎌田山遺跡:土器は落ちていますが、矢じりが拾えない遺跡です。右端の翡翠らしき原石はなかなか大きなものですが、専門家の鑑定が必要です。

横滝山遺跡(寺泊):2月の上旬には表採ができましたが、一番拾える畑が耕作放棄となり、狭い範囲でしたが、成果があってよかったです。黒い矢じりは黒曜石です。

3.2019.12.24
 令和元年最後の表採はさびしい結果となりました。年々耕作放棄の畑が増え、拾える畑がなくなってきました。また12月であっても、天気がいいと作業をされる方がいつもいらっしゃるので表採はあきらめます。年末の表採でまともなヤジリが一本も拾えなかったのは初めてです。とはいえ尾立遺跡で攻玉途中の翡翠を拾えたのは、ゆいいつうれしい一品でした。残念ながら穿孔はされていませんが、全面に研磨がほどこされており、写真ではわかりにくいですが、光を当てるときれいなロウカン質の翡翠です。




石錐

7.2020年最後の表採結果

 コロナ禍で明け暮れた1年でした。表採も自粛ぎみに少しだけ行ってきました。12月の上旬までは比較的暖かい日が続いていたため畑仕事が終わらず拾うことができませんでした。ところが中旬にドカンと雪が降りほぼ根雪になってしまい今年の表採はあっけなく終了ました。

4.2020.1.31 真冬に表採に行ってきました

 令和2年の冬は今まで経験したことのない暖冬になりました。正月に10cm程積雪がありましたが、それ以降は降雪もなく、暖かい日が続いており数か所の遺跡を回ってきました。
 今回、初めて柿町の山下(さんか)遺跡に表採に行ってきました。初期の火焔系土器が出土している縄文中期の有名な大型遺跡です。以前に何回か訪ねたこともありますが、農作業をされている方がいたため表採はしたことはありませんでした。さすがに1月に農作業する方はいないだろうと思い表採に行ってきました(しかし途中に農家の方がいらっしゃいましたが、やさしく声掛けいただきました)。山下遺跡は大半が田んぼになっているため、表採ができるのは畑地になっている斜面部の一部だけです。畑に入ってまずびっくりしたのは、土器片の多さです。10cm程もある土器片があちこちに散乱しており、15分ほどで石器もたくさん拾えました。

横滝山遺跡

三仏生遺跡

魚野川を眼下に見下ろすかなり高い段丘上にあるため眺めは最高です。

5.2020.3.10 春の表採は終わりました。
 
暖冬のため、この時期に表採はすべて終わりました。1月下旬に行けなかった三仏生遺跡の北側畑と三十稲場遺跡の2か所を回ってきました。
 
三仏生遺跡の北側畑は耕作放棄が進み、何も拾えませんでしたが、遺跡中央部の畑で滑石製の珠とヤジリ1本、磨製石斧1本を拾えました。ふだん積極的に表採はしていなかった畑ですが、今後に期待がもてる畑であるとわかりました。

計ったようにきれいな太さと表面は現代のもののよう感じがします。

石鏃と土器片

大きな土器の底がありましたが、平底なので拾いませんでした。

実物はきれいなロウカン翡翠ですが、加工痕はなしです。

土器片がほとんど見られない遺跡ですが、久しぶりに擦り消し縄文の入った薄手の土器を拾いました(東北系かな?)。

以前、中央の白い遺跡標識塔の近くで発掘が行なわれ、おびただしい土器片が出土し、土器捨て場といわれている場所です。

三十稲場遺跡

尾立遺跡

ふだんは拾わないチャートと玉髄(白瑪瑙?)の磨石ですが、成果がないので拾ってきました。

二日目は千曲市の「森将軍塚古墳」と長野県立歴史館を訪ねました。森将軍塚古墳は100mほどの大きさの前方後円墳が築造当時の状態に復元されたもので、ずっとずっと見たかったところです。この古墳は沖積層面から100mほどの高さの山の尾根を削り増築されたもので、一般的な平野部に造られる古墳とは違う、山全体を利用した壮大感増し増しの古墳です。一般車が入れない道を歩いても登れますが、時間がないので往復500円の送迎バスで行ってきました。

縄文のビーナスの隣にある「仮面の女神」です。本当に仮面なのか? いろいろの角度から見ましたがよくわかりませんでした。とにかく下肢の大きさには圧倒されました。

最後は長野県立歴史館を見学してきました。長野県内から集められたたくさんの収蔵物が目を楽しませてくれました。考古の部は質の高い遺物が多く展示してあり、特に黒曜石関連の遺跡や遺物が目を引きました。

尖石縄文考古館の次は、御柱で有名な諏訪大社本宮を訪ねました。ここもずっと来てみたかったところです。夕方になっていたため、いっそう神々しく見えました。

同館所蔵の土器や石器も多数展示してありました。新潟県の土器との類似点を探しましたが、全然見つかりませんでした。

先日魚沼市の遺跡発掘調査報告会を聴講してきました。気になっていた黒姫洞窟遺跡の発掘報告が聴講できよかったです。まだ発掘は完了していないそうなので、また次の報告を待ってます。

上段の三仏生遺跡で拾った磨製石斧と打製石斧、それと左端の磨製石斧製作途中品(?)。