2013年からの表採日記

長い冬がようやく終わり、表採のシーズンです。昨年にくらべ1ヵ月くらい早い雪解けです。

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1.表採に行ってきました。 2013.3.24

 越路町の立矛遺跡が気になっていたので、朝の7:00に向かいました。
 行ってびっくり、一昨年発掘が行われた遺跡の中央部に、深さ5mくらいの切通し道路ができており、景色がすっかり変わっていました。畑にはまだ雪がありましたが、一部出ているところは誰かの足跡がすでにあり、めぼしいものは拾えませんでした。
 続いて、藤橋遺跡に行きましたが、雪が30cmほどあり、北側の一部雪の解けていた畑で石鏃を一本拾ってきました。次に三十稲場遺跡に行きましたが、やはり雪が半分ほどあり、畑が出ている所だけ回ってきました。石錘、石鏃、翡翠原石、瑪瑙原石などそれなりに拾えました。このシーズンはライバルとの競争ですので、駆け足で別当山遺跡に向かいましたが。一つも拾えませんでした。
 たぶん3日後くらいに長岡から越路地区にかけ、雪は解けそうです。次の日曜まで解けなければいいのですが・・・・・

8.雪が降る前に今年最後の表採に行ってきました。 2014.12.9

 12月の上旬に50cmほどの雪が降り、今年の表採はあっというまにシーズンを終えてしまいました。11月の後半、なんとか数か所表採をしてきましたが、他の表採者の足跡だらけで、唯一誰の足跡もついていなかった尾立遺跡で久しぶりにたくさん拾うことができました。三仏生遺跡で小さな珠の未完成品を拾いましたが、これ1個というさびしい結果でした。






7.今シーズン最後の表採に行ってきました。 2014.4.8

 先週、行ってきた三仏生遺跡は、すでに他の人の足跡があり、小さな翡翠片一個というさびしい結果でした。なんか気落ちし、HPのアップが遅くなりました。ついでにまだ残しておいた三十稲場遺跡の一角で蛇紋岩製の磨製石斧作りかけを一本拾ってきました。この二つが今シーズン最後の表採結果となります。

6.春の表採に行ってきました。 2014.3.23
 雪がようやく解けたので、1日遺跡巡りをしてきました。藤橋遺跡は足跡がすでにきれいに付いていましたが、他の遺跡は一番乗りでした。残念なことに小千谷(三仏生)は雪がまだ30cm程あり、表採はできませんでした。
  

写真中央の丸い山全体が耳取遺跡です。石器時代から縄文晩期までの遺跡が点在しています。隣に刈谷田川が流れ、豊かな水産資源にも恵まれたようです。
典型的な大珠の形態をしており、全体がきれいな白色に、緑色が半分もやもやと入っています。大変きれいな大珠です。 ※写真は館のリーフレットから

5.耳取遺跡の翡翠の大珠を見に行ってきました。2014.3.10
 見附市の耳取遺跡で昨年発掘された翡翠の大珠が、新潟県で見つかったものの中で最大級ということで見に行ってきました。場所は見附市のみつけ伝承館内に展示してあり、他の縄文遺物と併せ無料で見学できました。




4.久しぶりに表採に行ってきました。  2013.9.1

 しばらく仕事がいそがしく表採に行けませんでしたが、時間が作れたので朝早く起きて表採に行ってきました。まずは三十稲場に行って磨製石斧を一本拾い、そのまま三仏生にも行ってきました。小雨が降っていたので農家の人はいないかなと思いましたが、残念ながらどちらの遺跡も雨の中作業する方がいて、端っこの方で探してきました。この季節としてはまあまあの成果でした。
 そのあと、長岡市立科学博物館で開催されている個人収集家の表採遺物展も見てきました。いつもお世話になっているY先輩の遺物をはじめ、1,000点ほどの石鏃が展示されており、楽しませていただきました。営利目的でなければ「写真OK」と許可をいただきましたのでアップさせていただきました。

3.出勤前に表採に行ってきました。2013.4.9

 朝の4時起きして、三仏生遺跡に行ってきました。雪は若干ありましたが。ほぼ解けていました。許された時間は1時間のため、大急ぎで探してきましたが、それなりに拾えました。昨年春の表採日記に載せた網代文の付いた土器の底がまだ同じ場所にあったので、今回は拾ってきてあげました。その他、朱彩土器や石棒(石剣)と内容は多彩でした。






左の写真:鎌田山遺跡で見つけた石斧。

下の写真:鎌田山遺跡で見つけた石皿(砥石?)。この石皿の石材はよくわかりませんが、かなり硬く重い石です。翡翠の大珠を40数年前に拾った畑の道脇に落ちていたので、もしや大珠を磨いだ石だったりしてと、かってな想像をしてしまいました。

この一本は立矛遺跡でした
2.嵐の中、表採に行ってきました。2013.4.7

 全国的な大嵐の中、朝5時起きして表採に行ってきました。奇跡的に早朝は風もまだなく、雨も降っていませんでした。最初に三仏生(清水上遺跡)に向かいましたが、着いてがっかり、まだ雪がありました。さらに雪が一部解けていた北側の畑には農作業する人がすでにいて、ダブルでがっかり。てことで車から降りずに引き返し藤橋遺跡へ向かいました。すでに足跡だらけでしたが、2本の石鏃を拾えました。10分くらい拾い始めたあたりから、雨がポツポツ、そして段々大降りとなってきました。家を出るとき晴れていたので傘を持たずに来たため、尾立遺跡はあきらめ、帰ることにしました。ところがもうすぐ家に着くあたりから雨がやんできたので、急きょ鎌田山遺跡に行くことにしました。しかし着いてがっかり、またもや農作業するおばあさんが一人いたため、畑には入らず農道を散歩するふりをして、道脇に農家の人が石出した箇所を数か所回って石斧と石皿を拾ってきました。






馬高遺跡全景 2014.12.7

三仏生遺跡南東の畑で表採した珠の未完成品です(穿孔の途中です)。石材は何かわかりませんが、柔らかそうな感じです。全体は既に丸く整えられています。

別当山遺跡

三仏生遺跡

三十稲場遺跡

尾立遺跡

藤橋遺跡

別当山遺跡

三十稲場遺跡

三十稲場遺跡

三仏生(清水上)遺跡

左の写真:内側
右の写真:外側

拾い上げた時、あまりにも赤色が鮮やかで現代のものかと思いました。洗ってみたら裏面(外側)にも朱彩がありました。何十年ぶりに拾いました(三仏生南東の畑)。

藤橋遺跡

立矛遺跡

三十稲場遺跡

藤橋遺跡

早春の立矛遺跡 東に向かって(上の写真) 北に向かって(下の写真

知らない間に馬高遺跡に竪穴式住居ができていました。2棟目の今回は円形の標準(?)タイプです。まだ完成していないので中は見れませんでした。

尾立遺跡

藤橋遺跡

三仏生遺跡