下記の写真は筆者が中学生の時に発見した遺跡です(無名・無登録です)。関原丘陵の西側にあり河岸段丘面の淵にあります。昭和40年代に土地改良事業で山林が切り開かれ、畑地になった所で、三十稲場遺跡から西南に300mくらい離れています。黒土の表土がほとんどなく、遺物は希薄ですが、くぼみ石などもあり、キャンプ地のようなものでなく、小集落であったことが想像できます。1年に数回気が向いたときに表採に来ますが、めぼしいものはここ数年拾ったことがありません。
久しぶりに上除町の転び堂遺跡に行ってきましたが、畑に人がいたため、表採はしませんでした。周りが家に囲まれているため表採するのは結構勇気が必要です。土器片がたくさん落ちている遺跡で、火焔型土器の破片も見つかっている中規模遺跡です。数年前、左に写っている家の新築時に急きょ発掘が行われ、土偶などの遺物が見つかったようです。畑の周囲に大きな石が並べてありますが、縄文期に使用していた石も含まれているかもしれません。
4.春の表採に行ってきました。 2016.3.6
この冬は久しぶりの小雪だったため、この時期に表採に行ってきました。地元はまだ雪がありますが、降雪の少ない寺泊町の横滝山遺跡に行ってきました。残念ながら先人の足跡が点々とあり、遺跡の中心部は籾殻が撒かれていて、さらに耕作放棄の畑も増え、拾える畑は少なかったですが、若干の石器を拾ってきました。
藤橋遺跡 2015.12.23 7:00
松葉遺跡
松葉遺跡(中央)
真ん中の枯草色の畑が遺跡中心です。殆ど拾えるところはありません。
弥彦山が、もう目の前にあります。
今回は松葉遺跡の玉斧のような磨製石斧を見るのが一番の目的でもあり、楽しみでもありました。以前博物館の個人集収展で見てからずうっと気になっていた石器です。手に取ってみるとその素晴らしさにますます感激しました。硬玉(翡翠)かどうかというと、違うかもしれませんが(緑でないところがむしろ翡翠ぽいです)、こんな色をした磨製石斧は見たことがありません(この辺では)。刃先の使用痕もなく、大きさの割に薄く、実用品ではない使い方をされたものかもしれません(埋葬の副葬品等に)。
関原丘陵の頂上から馬高・三十稲場遺跡方向を写しました。この景色は40年前とほとんど変っていません。中学生の頃、新しい遺跡を探して、この中を歩き回りました。
5.春の表採は終わりました。2016.4.2
小雪のこの春は、3月で表採がすべて終わりました。ただし一番乗りできた遺跡は三仏生遺跡のみで、他はすべて先人の足跡だらけでした。その足跡の合間を歩き、拾いこぼしを数本拾えたのみでした。今までこんなことはなかったのですが、ある意味ブーム(?)なのでしょうかね。
おまけ
9月に糸魚川に翡翠拾いに行ってきました。翡翠は大した成果はなかったので写真はなしですが、翡翠峡で有名な姫川上流の明星山まで行ってきました。そしてフォッサマグナミュージアムもリニューアルしたので見学してきました(本当はクラシックカーフェスティバルの見学がメインです)。
上並松遺跡は殆ど拾える畑はありません。
12月の遺跡風景です(2015.12.23)
週末から雪マークが続いているので、今日が最後の表採です。朝7時で寒い日のため凍った畑を歩いてきました。ほとんどの遺跡が耕作放棄で拾える畑が少なくなっています。
3.今年最後の表採結果です。2015.12.25
公私ともいそがしい日々が続いていて、表採時間が作れず、更新が遅くなりました。12月に入りようやく時間ができて数か所回ってきました。まったく拾えなかった遺跡も多いですが、ちょっとだけ拾えてよかったです。
藤橋遺跡
尾立遺跡
三仏生遺跡
三仏生遺跡
側面に3本の擦り込みが入っている。他に例を見ない形態です。いわゆる巴形の勾玉への移行期のものかもしれません。宝石屋さんがクリーニングもしてくれて、当初のグリーンが蘇りました。
翡翠片
土器片
土器片
土器片
三十稲場遺跡
尾立遺跡
三仏生遺跡
社会人になった頃、箱スカGTRが中古で160万円で売ってました。買っておけばよかったなーーと後悔していますが、当時この金額を親に頼むのは気が引けて言えませんでした。
若いころ、オーバーフェンダーのある車に憧れました。だからギャランはMRよりもGS-Rの方が好きでした。いまだにオーバーフェンダーを見るとワクワクします。ヨタハチは昔、結構安く中古で買えました。買っておけばよかったなーと今でも後悔します。
尾立遺跡
藤橋遺跡
三十稲場遺跡
尾立遺跡
三仏生遺跡
別当山遺跡
大平遺跡
Yさんが地元の郷土誌に執筆した一本杉遺跡の資料(国上山の近くの小さな遺跡だそうです)。
松葉遺跡
藤橋遺跡