〜私が愛して止まないクロノグラフのお話〜

■デカ厚時計とスーツ

ここ最近、巷では「デカ厚時計」と言うものがもてはやされて来たように思われる。

例を挙げれば「パネライ」「ブライトリング」「IWC(の一部)」等々。

一般に日本人の腕はあまり逞しくなく、その意味でこのような時計は従来は馴染まないと理解されて来た。
しかし、最近の日本人の体格の大型化や嗜好の多様化に伴い、”存在感”のある”個性的”な時計が求められて来たようだ。
すなわち、それが「デカ厚時計」である。

では、「デカ厚時計」とは具体的にはどのようなイメージなのだろうか?
まぁ、大雑把に言って、大きさが40ミリ強、厚さが15ミリ前後強、と言うところだろう。
大きさ40ミリと言ったら、実際3次元的な立体であればかなり大きい。
クロノグラフではないがあの「サブマリーナ」がちょうど40ミリくらい。
「クロノマット」で39ミリくらいである。

普通の紳士用時計なら35ミリくらいであるから大きいことは大きい。
前述「パネライ」に至っては45ミリくらいもある!
お店に行って、実際に試着されて驚かれた方も多いと思う。

ただ、このような時計達は概して重い。
あるいは重い様に感じる。
そして当然、厚みもあるので、少々邪魔に感じることも多いだろう。
また、その重みでずれ易いこともあろう。

結局、「デカ厚時計」はその存在感と引き換えに快適性を少々失っていると言えよう。

しかしながら、私はそんな「デカ厚時計」を愛用している。
何故なら、私の腕はちょっと太いからだ(笑)。
別にぶくぶく太っている訳ではないけれども、私は腕と指は大きいのだ。

つまり、私は人それぞれ似合う時計とそうでない時計があることを言いたいのである。
思うに、売る方も単に商品を売るのではなく、その時計を買う人間にコーディネートすることが求められているのだと思う。
特に価値観が多様化し、商品数も大変増えた現在、そのようなニーズは高まっているようだ。

そう言う訳で、多少の不便があるのは重々承知していても、「デカ厚時計」を私は支持している訳だ。
確かにこのような時計は最近もてはやされて来た。
しかし、時計に関して言えば、流行があるとかないとか言うのも如何なものかと思う。

自分が気に入った時計を長く愛用する、この姿勢が一番大切なのは言うまでもないだろう。


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最近、某所で次のような熱い論議が交わされている。
「スーツにクロノグラフが似合うか否か?」
イメージとしてはスーツにスピードマスターを連想して頂きたい。

シャツの袖にオメガが見えたら、皆さん如何思われるだろうか?
某所では実に様々な意見が出ている。
確かにそれらの意見はもっともだ。
勿論、賛成派と反対派がいる。
賛成派は「個人の自由」だとか「カッコイイ」とか「時計で全てを判断すべきではない」とか・・・。
反対派は「マナーが悪い」とか「ビジネス用のもっと地味なものを着用すべき」とか「オタクっぽい」とか・・・・。

結局、TPOだと思う。
同時に本人がクロノグラフを着用していることを自覚していればいいのではないかとも思う。
ただ、あまりに時計に拘って、仕事が出来ない(ように見える)人間もいるかも知れない(笑)。

私はどうか?
私は、仕事でも勿論クロノグラフをしている。
まぁ、普段考えているのは「時計に負けないような人間でありたい」と言うことだ。
他人から見て、時計だけ浮いているような人間に見られないようにしたい。
そもそも自意識過剰で能無しと言う事態は避けたいものだ(苦笑)。

価値観が多様化し、個人の個性が発揮出来る可能性が高いこのご時世、多少の個性的な演出は認められても良いのではないかと思う。
それより、いかに自分自身を高めるような努力をしているかが問われて来るだろう。

クルマが好きな人間(特にラテン車)はモノに拘る傾向が強いと思う。
当然、腕時計はその最右翼に来るものだろう。
クルマもそうだが、時計に対してもオーナーが負けないよう頑張らなければならないだろう。

そのように真摯に努力する姿勢から、素敵な雰囲気が醸し出されて来ると思うのだ。

(2003/06/03)
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