Dozing
creation with digital methods

Gamasutra
http://www.gamasutra.com/
で掲載されている記事「Made In Japan: Western Perspectives On Japanese Game Development」の日本語訳です。
大体あってるとは思いますが結構適当な訳なので、本格的に読む方は本家を参照してください。

また、全文訳しているわけではないので、全文読みたい方も本家の方へ。
暇があったら追加します。

日本製:西洋から見た日本のゲーム開発

Ryan Winterhalter

 

日本の開発における構造とデザイン手法は北アメリカやヨーロッパとは根本的に異なる。
さらに、日本の殆どのゲームスタジオでは、非日本人労働者はほんの一握りである。

すでにゲーム産業の膨大な時間と需要に加え、これらの労働者は文化的、言語的な差異を
扱わねばならず、また、日本人のボスや仲間の要求も扱わなければならない。
外国人労働者が労働力を数パーセント占めている間、日本の商習慣、労働習慣、ゲーム開発での
経験は西洋の開発者とは異なった見方を与える。基本的な言語や文化の差に加え、
チーム形態の差、オフィス階級構造の差、そしてデザイン哲学の差はこれらの開発者の経験を
独特なものにしていく。

多くの人にとって日本とゲームは同義で「日本の貢献なしには、ゲーム産業は今日のような姿に
ならなかったであろう」とSilicon KnightsのDenis DyackはChris Kohler’sの日本のゲーム産業の論文
「Power Up」の前書きで書かれている。産業の日本側で働いている日本外から来た人よりも、
日本のゲーム開発においてより良い視点を持った人はおそらくいないであろう。
我々は最近そのような3人の「外国人開発者」にインタビューを行った。

JC Barnettは匿名時に使うペンネームで、ある会社に在籍し東京で働いているイギリス人労働者である。
彼のブログ「日本人精神」では、日本についての文化的な観察だけでなく、日本のゲーム産業における
彼の見方をもカバーしている。彼の人生に対する洞察と、外国人に接する際の日本人に対する洞察、
そしてそれらを扱うための彼の戦略(「ゲーム屋精神」として彼が述べている実践)は
日本在住者の間で彼を人気者にしている。そして、彼の簡潔で思慮深い日本の評価は産業での実践となり
他の場所では開発者や日本外ゲーム熱狂者の注目を浴びている。

Greg Tavaresは20年産業にいるベテランである。彼はオリジナルのSid Meier’s PiratesやWild 9、
Crash Team Racing、そしてLoco Rocoのようなタイトルを手がけてきた。東京で7年いた後、最近彼は
合衆国に戻ってきている。

最後に、Dylan CuthbertはイギリスでのAmiga開発からスタートしている。任天堂の目に留まった後、
スターフォックスの仕事を続ける前に任天堂での横井軍平のチームに参加した。そして
日本と合衆国のソニーに割り当てられた。2001年には京都でQ-Gamesを設立し、最近ではPS3の
カジュアルタイトルシリーズである「Pixel Junk」を公開した。

 

日本への道

「僕はここで働こうと選択したとは思わない。というよりもここに住む事を選択したんだと思う。
もしほんの少しでも(コンピュータ)ヲタクだったら東京は恋に落ちるにはたやすい場所だよ。
だから僕の決断は殆ど東京に住みたいという僕の願望に基づいてる。
日本で働くのは必要に迫られてなんだよ。」とBarnettは言う。

現代的な大学のキャンパスでは、日本で働きたいと熱望している生徒は非凡ではない。
ゲームに興味を持ちそして日本に興味を持つ人はよく手を取り合って行く。
ある日には多くの生徒が日本で住む場所を探している。
「開発経験者はそれよりももっと現実的に見えるし、長い間の話にもっと影響受けてるように見えるけれど
若い人、つまり産業に突入しようとまだ待っている人は信じられないほど熱心に見えるよ。
もちろん、その何人かは妄信的に夢中になってる。みんな次のゼルダや他のミリオンヒットした製品で
宮本氏の近くで働こうと考えてるよ。」とBarnettは言う。

にもかかわらず、好奇心は生徒や英語の教師、そしてゲーム開発者は毎年日本と交換をもたらす。
Taveresは言う。
「1995念から1996年のころ、僕はまじめに日本語を勉強し始めようとしていた。
1997年の末ごろ仕事の合間の時に、僕は考えた。
『 ん〜、僕には僕を縛り付けるガールフレンドも妻も子供もいない。
だからもし本当に日本語を学びたいのなら、僕は日本に行くべきだ。』ってね。
だから、日本語を勉強するために日本に行く事に決めた。でも僕を支える方法が無かったから
ここに住むために仕事が必要だった。」

殆どの外国人開発者が日本に住もうと意識的な選択をしているが、これは全てのケースではない。
Cuthbertは日本に住む事は考えていなかった。
「初めて日本へ渡って来た時、僕は実際には日本についてよく知らなかった。
Argonaut Softwareのゲームボーイ上での3Dデモを大急ぎで作っていた。
それから、任天堂がそれを見て、任天堂のエンジニア達に見せるために
2週間後に僕達を京都へ飛ばしたんだ。
京都と日本の人たちは僕にとても良い印象を残していった。
だから、最初の印象でここに住んで働きたいと僕は強く決心した。」

 

会社の差異

西洋では日本の商習慣は恐ろしいとの評判である。
日本での労働や生活に関する本は、厳しい階級社会の物語、壊す事の出来ない手続き
そして「出る杭は打たれる」のような日本の諺で埋められている。
幸運な事に、ゲーム産業はそれよりほんのわずかにリラックスした傾向にある。
Barnettによると。
「深くお辞儀する事は殆ど無いよ。敬語(正式な日本語)もないし、誰もスーツ着てない。
リーダーや時々現れるボスも普段の状況ならとてもリラックスしてる。
彼らと一緒に笑う事も出来るし、一緒に飲みに行ける。
もう一度言うけど、外国人として僕はより多くを避けることが出来る。
でも君が考えてるよりも少し硬くない行為でも同僚と一緒にやっていける。」

文化の差は争いを生むとCuthbertは言う。
「日本のマネージャは君のケースでは確かに西洋のものより良い。
時には外国人にとって特定の精神面に対して不快感を与える事でも
本質的により良い事もある。
しかし殆ど全てのケースで、マネージャは単に調和と序列を
維持しようとしているように見える。そして結果として能力の強化を得ているんだ。
理由無く単に悪いムードの日本のマネージャに出くわした事が無いよ。」

しかしながら、日本での多くのオフィス労働者にとって最大の問題は労働時間である。
適切な日本のエチケットによると、ボスが帰るまで誰も帰らず、自分の
直接的な監督者が帰る前までは誰も個々に帰らない。
個人でやるかどうかにかかわらず、そうするためにどんな仕事も残しておく。
Tavaresによると、これは昼の間の「スラッキング(怠慢)」による結果だという。

「日本人は長い間『働いている』わけではない。」
と彼は言う。
「彼らは長い間仕事場にいるだけだ。それは殆ど文化的な事なんだ。
日本では、『先輩/後輩』システムがある。僕は兄弟愛や
社交性がそんなシステムを多分生んだんじゃないかと信じていた(アメリカではね)。
基本的に、『初心者』としての君は誰かの下に割り当てられる。
その人(私注:先輩)は仕事のコツを君に示すと見なされ
同時に君に対してその人(私注:先輩)は責任を持つと見なされる。
そして逆にその人(私注:先輩)が君に伝えたすべき事はどんな事でも君はすると見なされる。」

「文化的に、君が帰るのを超えて全ての人が帰るまで仕事場を去るとは一般的に見なされない。
だから、もし君の先輩かボスが帰ってなければ、君は帰るべきじゃない。
全ての人がそれに従うわけじゃない・・・けどそれは一般的なルールだ・・・
もし君がガイドラインに従わなければ、昇進しそうに無くなるよ。
でも、日本の経済のせいで、殆どの会社は生活時間を雇用時間に出来なくなってきているよ。
(でも)殆どの日本人はまだそのシステムのように振舞ってるけどね。」
とTavaresは付け加えた。

Barnettによると。
「外国人でいることは確かにカビる事を防ぐ助けをしてくれる。
でもそれはゆっくりしたプロセスだ。新しい仕事で、僕は普通
僕の仲間と長い時間従う。でもゆっくりとスケールダウンして始まる。
みんな長い間ゆっくりと働く事に慣れてしまった。
いったん僕がいつも最初に仕事場に入ることにみんな慣れてしまうと、
毎日僕が最初に仕事場を出て行く事実に受けるショックがより少なくなる。
過程の合間で、僕の仕事が全て命令どおり時間通りに終わっている事を確かめないといけない。
僕の仕事が遅れていても、計画に追いついていなくても
それから逃れられるとは思わなかった。」

彼は続けた。
「僕が日本時間に従う事をボスは期待してると確信した。でも彼らはやってくる。
実際には、僕の経験に従う仲間と一緒にある傾向を作っていた。それは早く来て早く帰る事だ。
そして「ルール」は僕とともに壊され、それを免れた。
僕はこれがとても励みになるとわかったよ。」

日本の労働時間は悪名高いものであるが、だからこそそれはゲーム産業の時間になっている。
1日に多くの時間の中で、最大労働時間があり、この視点では日本は西洋で言うほど
悪いものではないのかもしれない、とCuthbertは述べている。
「世界の労働時間で最も悪いのはアメリカだ。僕は約3年間アメリカで働いた。
だから直接知っている。でも、いまだに週末の両方を働いている事そして
1週間とても長い時間働いている事をアメリカで働いている人から聞いてる。
僕は日本で一生懸命働いたけど、そんな程度では決してなかった。」

労働時間は会社から会社で変化するように見える。
Barnettのブログでは同僚が夜中まで引っ張っているという物語で埋められている。
Tavaresは言う。
「セガでは10amから11:30pmまで1週間5日、会社寮から片道1時間20分のところで働いた。
僕は日本にいることが誇りで幸せだったから、それを我慢した。
2回目に日本に来たとき僕の仕事は一般的にもっと普通の時間だった。
時々不規則な時間があったけどね。」

 

言語と文化の問題

言葉の壁は日本で働く外国人労働者にとっての問題を証明する事が出来る。
長い間日本に住んでいながらもレストランで注文できない日本在住者に会う事は少なくない。
合衆国防衛省は日本語を(韓国語、中国語、アラビア語と同等の)レベル4に分類している。
それは、ベトナム語、タイ語、ロシア語のようなレベル3言語に要求される43週と比べて、
「専門熟練者(limited working proficiency)」とされる集中講義が63週も必要になる。

日本人と外国人開発者がともに言葉の壁を改善しなければならないと、Tavaresは言う。
「彼らはすぐ僕の日本語がとってもひどい事に気づいたと思う。それでも僕の
プログラミングスキルはとても良かったから、他の人が出来ないような多くのことを
割り当てられた。僕のチームには英語を話す男がいて、彼は僕を助けてくれたけど
出来るならよりよく日本語を学べるようにと、僕は彼に英語で話しかけないように頼んだ。
コミュニケーションの多くは絵だったよ。」

Cuthbertもまた最初に言葉の壁に直面した。彼のケースではどのように改善したか
彼に尋ねたときに彼は言った。
「彼らは英語を勉強してた!!・・・宮本の英語の多くはスターフォックスチームから学んだものだ。
でもスターフォックスの終わりへ向かうにつれ、僕の日本語の進行状況は彼らの英語の 進行状況よりも
早くなりはじめた。そしてスターフォックス2では完全に日本語になったよ。」