2025年10月16日(金)
  「無力こそが、主の力を知る」

Aさんが証しをされた。

体調を崩し、激痛に襲われ、動けず、どうにも
ならず、救急車で、病院に。

そのまま入院となり、歩けず、じっと、ベッドの
上で動けず。

自分で、いっさい何もできず、どうにも出来ない
状況で、無力になった時、

それが、感謝でいっぱいになったと。心が平安
で、感謝があふれた。


・・・・・・・・・・・・

そして、少しづつ回復し、少しづつ動けるように
なり、ベッドの上で座ることができ、

やがて、自分の足で歩けるようになった時、

あんなに感謝のみで、感謝にあふれていたのに、
ふつふつと不平や不満が出てきたと。

・・・・・・・・・・・・・

いっさい無力の時にこそ、主の恵みと力を知る
と教えられた。

無力から脱却すると、肉で歩き回ってしまう。
するとそこに感謝が消えて、不満や怒りとなる。

へりくだって、肉に従わず、主に従って行かなけ
れば、サタンに引き回されてしまう。

そのつど、御霊の気づきを与えられて、御霊に
助けられて、御霊の導きの方を選択し、意志
を向けて、従って行けますように。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Bさん

わかる〜。よく、わかる。

重めの病気をして、ずっと伏せっていて、
回復した時、感謝しかない。

起きて、立ち上がれることが感謝で、歩けること
が感謝で、動けることが感謝でならない。

当たり前でなくて、ほんとに主の恵みなんだと
心底思う。

・・・・・・・・・・・・・・

ところが、しばらくして、忙しい日常に戻ると、

恵みが当たり前になって来て、不平不満、思い通
りにならないと、腹立ち、怒りが湧いて来る。


イライラする日常。

本当に、喉元過ぎると熱さを忘れる。
肉は強く、自我は強固だ。

祈っていないと、すぐサタンに引っ張られてしまう。

・・・・・・・・・・・・・・・

「絶えず祈りなさい」

瞬間、瞬間、気づきが与えられて、
助けられるように!!


















2025年10月11日(土)
  「気高いもの」

その誘いで、初めて、教会へ行った。

そこで、講師の先生が、笑顔で迎えて下さって、

「あなたも、今日、救われるかもしれませんね」
と言われ、

「救われる??」何のことか、全然わからなかった。


・・・・・・・・・・・・

講師の先生の子どもさんを、3才の時に交通事故
で亡した話をして下さった。

雨で、視界の悪い中の事故だった。
相手は同じ年頃の男性だった。

先生は「私はクリスチャンです。あなたを赦します」
と言ったと。

しかし、帰宅し、息子の物を見ると、涙が出る。
可愛い盛りだった。辛いばかり、悲しいばかりだった。

夫人は部屋にこもったまま、ずっと泣いていた。


・・・・・・・・・・・・

赦すと言ったのに、ふつふつと思いが湧く。

「雨さえ降っていなかったらなあ」「もうちょっと気をつけ
運転してくれていたらなあ」

どんどん苦しくなり、もう苦しくて、どうにもならなくなり、
主の御前に行き、すべて打ち明けて、助けを求めて
祈った。

その時、光のように

「七度まで、などとはわたしは言いません。七度
を七十倍するまでと言います」マタイ18:22

ペテロが、主に「何度まで赦すべきか、七度までか」と
問うた答えだった。

御言葉が臨み、包まれて、心が全き平安になり、
「わかりました。主よ」と。


・・・・・・・・・・・・・

翌朝、すぐに相手の男性の家に行き、

「私を赦してください」と言った。

「私は、あなたを赦すと言いながら、心の奥では
責めて、憎み、さばいていました。私を赦して下さい」と。



相手は、もう驚いて、「これが、あなたの神なら、私も、
今、その神を信じます」と。

どちらも日系二世で、抱き合って泣いたと。

もう何十年も前のことだが、今も、ずっと親友で、家族
ぐるみの付き合いをしていますと。


・・・・・・・・・・・・・・

先生夫妻が、一人の子どもを亡くして、あんなにも苦しみ、
悲しみ、辛さの中に。

天の父が、たった独りの子どもイエス・キリストを十字架
で殺された、ことがよくわかった。


その日、生まれて初めて教会へ行って、初めて福音
を聞いた。

「今日、信じたい人は、その場に立って下さい」
と言われ、立った。

初めて聞いて、信じたいと思った。

・・・・・・・・・・・・・・・

自分が、小さい頃から求めていたものと、合致した。

これを求めていたのだと、わかった。

自分の求めていたのは、何か「気高いもの」だったと
気づいた。

・・・・・・・・・・・・・・・


イエス様に会うために、生まれた。

感謝!!!!(*^^*)

2025年10月08日(水)
  「救いのための・布石」

人が、救われる時には、それまでに「布石」
が必ずあると言われる。

神様は、「布石」を置いておられる。


自分自身も、子どもの時に、なぜか、大きく
て、温かくて、包み込まれるような、本当の
もの、真実なものが、あると漠然と思って
いた。


中学生の時に、「レ・ミゼラブル」を読んだ。
とても感動し、その背景にキリスト教がある
と知った。

高校生の時、クラスにクリスチャンがいた。
毎週、くじ引きで席を決めていた。すると
その彼女と、必ず前後や左右になった。


不思議だった。
「あー、又、一緒だ!嬉しい〜。お話がで
きる〜」それでよく話をし、色々な話をした。


彼女といると、とても心が安らいだ。
それを告げると、彼女も「私も、安らぐよ」と。


ストレートに、ガンガン聖書の話をするので
なく、やわらかく、時間をかけて、少しづつ
伝えてくれていたような気がする。


互いの考えやら、思いやら、感じている事
やら、とにかくよく話した。

そんな中、彼女が、日記を読んで欲しいと
言った。


びっくりして、人の日記なんて、読めないと
言うと、いや、読んで欲しいと言われ、
受け取った。

神様のこと、罪のこと、日々のこと、心の内
のことが記してあった。
今、思えば、それも用いて証しになるようにと、
救いを祈ってくれていたのだと。

誠意と真実を感じた。


その中で、聖書を貸してくれて、読み始め
「あなたの敵を愛しなさい」
「迫害する者のために祈りなさい」
「右の頬を打たれたら左の頬も向けなさい」等々
が、心に響き入って来た。

クラブもあり、とにかく忙しくて、いつかゆっ
くり読もうと思っていた。


そのクリスチャンが、特別集会に、教会へ
誘ってくれた。

2025年10月06日(火)
  「伝道での不思議」

★<続>福音を伝える不思議な機会。

神学生の時に、「伝道学」の授業で、個人伝道の
方法を学んだ。

ひと通り学んで、実践になり。

・・・・・・・・・・・・

次の伝道学の時間に、外に出て、神学校の近く
の公園に出かけた。

たましいのために用いられますようにと、よくよく
祈って出かけた。

公園で、神学生たちが、それぞれ一人で、違う
方向に向かった。

・・・・・・・・・・・・・


午前11時台だった。


私は、公園を歩きながら、人を探す。なかなか
時間帯のせいか、人影が無い。
公園は割と広い。


すると、一人の高校生らしき女子が、ベンチに
座っていた。

この時間に、一人でいるのは、不思議に感じた。
授業中では?

・・・・・・・・・・・・

そおっと、近寄り、「こんにちは」と、声をかけ、
挨拶する。


「こんにちは」と、応答してくれ、嫌な感じは全く
無かった。


それで、名前とクリスチャンであることを告げて、
聖書を伝えていることを話す。

「少し、お話してもいいですか」と聞くと、

大変好意的で、「はい」と、笑顔になった。

・・・・・・・・・・・・・

そこで、福音を伝えた。

すると、
「実は、悩みがあって、今日ここにいました」と。

「信じたいです」と。

素直に、応答され、驚いた。

・・・・・・・・・

その後、教会に行かれたことを、聞き、

主が、この時のすべてをご存じで、彼女を
ここに置かれたことに、主のみわざに驚き、
主を崇めた。





2025年10月05日(日)
  「福音を伝える」

今日は、礼拝前のバイブルクラスの時間に、個人伝道
の学びをした。

特伝を控えての学びだった。

グループに分かれて、具体的に練習をする。

未信者とクリスチャンの役をして、聖書から、キリストの
十字架の救いを、御言葉を順番に示し、伝える。

・・・・・・・・・・・・

福音を語る機会を、主が与えて下さることに、
ふと、以前ことも思い出した。


・・・・・・・・・・・・・・

もう20年前に、
教会で、親の葬儀式を終え、焼き場へと葬儀社のバス
で向かった。

小さい頃、よく遊びに行き、お世話になった叔母、転居も
あり、もう長い間、40年会っていない。

非常に懐かしく、しかし葬儀でバタバタの中、その焼き場
へのバスで、たまたま前後になった。

長年の積る話をずう〜っと、双方で話し続ける。

その中で、福音を話すことができた。こんな突如の機会
に、心から感謝した。

帰宅後、未信者への証しの本を送付。

ぶ厚かったが、全部読ませてもらったよと・、

神様は不思議な機会を、突然に与えて下さる。

・・・・・・・・・・・・・・

私が生まれた時に、もう双方の祖父は、戦争と病気で
亡くなっていた。

二人の祖母は元気だった。

★田舎の、父方の祖母は、遠方でなかなか、ほとんど会え
ない。
高校時代に救われたが、部活に勉強にと、非常に忙しい。

祖母に、福音を伝えたく、祈っていると、文書伝道を
導かれ、祖母と文通をするようになった。

手紙で、福音を伝え、証しを伝え、日常生活での
色々な様子、証しを手紙で伝えた。

伝え続けていた時に、祖母から手紙が来て、

イエス・キリスト様が罪の身代わりに、十字架で死んで
下さって、何と有難い、嬉しいことか。信じているよ、と。

お小遣いが同封されていた。


・・・・・・・・・・・・・・


★母方の祖母は、子どもが小さい時、こちらに子どもの
手伝い兼ねて遊びに来てくれた。

毎日、夜寝る前に、子どもに聖書のお話をしていたが、
祖母も一緒に加わった。

その時に、御霊が強く働いて下さり、祖母に、みことばが
心にぐいぐい入り、祖母がイエス様を信じると言った。


不思議な時と機会に、感謝にあふれた。


2025年10月02日(木)
  「祈っていると・・」

Bさん

夫に、ものすごく、腹が立つことがあったんです。

もう、怒りで、激怒で、でも、祈りながら、遅い朝食の
片付けをし、

その日は、夫が休みだったんです。

ずっとソファで、横になって、本を読んでました。

・・・・・・・・・・・・・・・


私は、その回りで、わざと、ガアガアー音を立てて、
掃除機を、かけまくってました。


しかし、音も平気で、本を読んでいて。

こちらは、洗濯やら、片付けやら、バタバタしていて。

・・・・・・・・・・・・・・・・

次に、夫は、テレビを見ていて。

怒りで、わざと、バタバタ〃大きな音を立てて、片付け
をしていて。

しかし、気にならず、平気で、見てるんです。

こちらは、もう怒りマックスで。

でも、心の中で、神様に、『腹が立ちますー!!』と
祈りながら。

・・・・・・・・・・・・・・・・


やがて、お昼になり、夫が、「外に食べに行こう」
と言ったんです。

行きたくなんかないが、まあ、ついて行きました。

すぐ近くのお店に入り、夫は、その店の雑誌を取り、
ずうっ〜と見てるんです。

そして注文の品が来て、夫は、その雑誌を横に
置いて、食べつつ、目をやっていて。

私は、にらみつけながら、食べて。

・・・・・・・・・・・・・・・

帰宅し、夫は、昼寝をしました。

夕方になり、

その日、私は、「一言もしゃべっていない」

ことに、夫は全く気づかない。

私が、「怒っている」ことにも、全く気づかない。

・・・・・・・・・・・・・・


もう、可笑しくなってきて、笑いが出てきて。


赦してあげようと、思えました(*^^*)


これは、怒りつつも、祈っていたからだと思います(*^^*)


祈りは、心を変えてくれるのですね。


2025年10月01日(水)
  「肉の自分を通した結果・・-」

Aさん
田舎から柿が送られて来た。仕事をしていて、
毎日忙しい。柿の段ボール箱を見ながら、
開く余裕が無かった。

時間に追われ、毎日、柿があるな〜と見なが
ら、開けることもできず、日が過ぎた。

段々、匂いが出て来て、日も経過し、いよいよ
どうにかしなければと、ついに段ボールを開けた。

・・・・・・・・・・・・・・

もう熟していて、限界だった。勿体無いし、とう
とう意を決して、柿をむき始めた。

時間がかかる。夕食片付け後に、始めたので
遅い時間になっている。

しかしやってしまおうと、もう深夜だ。

1時頃、起きた夫が、台所に来て、「何をやって
るんだ。明日仕事だろ。明日にして、早く寝なさ
い」と言った。

・・・・・・・・・・・・・・


だが、夫の言うことは聞かず、聞き流し、ジャムに
すべく、続けて作業をした。

もう未明になって来た。台所は、散らかり放題で
ひどい事になっている。

早朝出勤の夫が、起きて来て、状況を知った。

夫婦の間に気まずい空気が流れ、ぎくしゃくした。

・・・・・・・・・・・・・・・

疲れ果て、ふらふらで、夫の弁当も作れず、
途中で購入してもらうことに。

自分も、へとへとクタクタに疲れ、夫と気まずく、
夫との仲が重苦しく、弁当も作れず、秩序がガタ
ガタだ。

平安が全く無かった。

・・・・・・・・・・・・・・・

自我を通した結果だった。夫が、身体を心配して
言ってくれた気持ちも、踏みにじった。

柿ではなく、夫の気持ちに沿って、従うべきだった
それが御心であったとわかる。

・・・・・・・・・・・・・・

一見、柿は悪いことに見えないが、自分を通し、
自分の思いを通して行く、強固な肉を見せられた。

これが自分なのだと。

神様に悔い改め、夫に謝り、平安が戻った。

・・・・・・・・・・・・・

尚、柿はそのままなら、ツルンとすべりジャム
にならなかった。

徒労であった。


神様の秩序をはずれると、すべてに害を
及ぼし、何の益にもならないことを学んだ。