2025年11月14日(金)
  「主のみわざを見せられ」

神様のみわざを見せられた。


婦人の学び会で、「再臨」の映画を観ようと話して
いた。

Aさんが、その日は、うちに来て欲しいと。映画を
観て、ランチを一緒にしようと。

皆で、とても楽しみにしていた。

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当日朝、Aさんから電話が入った。

以前から、証ししたり、教会に誘っていた友人
Bさんが、今日、突然、集会に来たいと。

「どうしましょうか?再臨の映画は、わからない
し、つまずくかもしれないですよね。
でも、皆、楽しみにしていますよね」

「Bさんに聞いてみて。ざくっと、内容話して、
映画だけど、どうかと」

折り返し、電話があり、Bさんは一緒に観ると。

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また、その再臨の映画が、物語風に作って
あり、衝撃的。

大艱難時代に、信仰もった人々が、反キリスト
とその公安のような組織から、逃げ回る。

段々、郊外や田舎、山の方へ逃げる。

捕まれば、ギロチン。

逃げて、逃げて、逃げ回り、最後にとうとう
追い詰められる。

「死」が、目前に来た時に、


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汗びっしょりになり、ハッと目が覚める。

夢だった!!!

その瞬間、「7時のニュースです」と、ラジオ
からアナウンサーの声。

「再臨が起きました!」と。


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その主人公の女性は、クリスチャンの夫から
ずっと福音を語られ、信仰を勧められていたが、
拒んでいた。


驚愕、驚きと恐怖で、夫を呼ぶ。

すると、夫の姿が消えていて、洗面所で、
髭剃り器だけが、ジージーと音を立てていた。

実際に、再臨が起きたのだった。


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衝撃的な映画だったが、Bさんは一緒に観て、

つまずくことなく、一緒にランチをし、交わり
をした。

次の週も、続けて来会、イエス様を信じ、救い
に入れられた。

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Bさんは、喜んで、ずっと毎週教会に出席、
やがて、ご主人も救いに入れられた。


救われる人は、どうであれ、救いに入れられる
ことを見せられた。
















2025年11月13日(木)
  「不安、恐れ、心配が消えた!」

教会で、クリスマスのチラシ配布が
始まっている。

なかなか教会へは来れないので、受け
取った方に、読んでもらうだけでもと、
当初から裏に聖書の簡単なお話を書いていた。

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岩国集会の案内は、いつも新聞折込みで、
その中、Aさんがチラシを見て来て下さった。

ずっとチラシが折り込まれ、それを読んで行き
たいと思っていたが、日曜出勤で出来なかった。
5,6枚取っていますと。

それがリストラになり、やっと来れましたと、
笑顔で。


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求めておられたと思うが、すぐにイエス様を
信じ、受け入れられた。


状況をお聞きすると、ご主人を数年目に亡く
され、今、貯えは無く、すぐに仕事を探しま
すと。


しかし60才で、なかなか無く、探し続けら
れた。


皆で、「祈りましょう!」と。


・・・・・・・


そんな中、
「あなたがたのうちだれが、心配したからと
いって、自分のいのちを少しでも延ばすこと
ができますか」

のみ言葉がズドーンと心に入って来て、心底
「そうだ」と思ったんですと。


すると、不安、心配、恐れが全く無くなったと。
消えてしまったと。

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めまいがあり、お身体の弱さもあり、貯えも無い
中、不安が全く無いと。平安と喜びがあると。

近隣の方々が畑の野菜下さり、まあ。今日もおじ
いさんが魚釣りに行ったと、魚をもらいと。

娘と二人暮らしですが、まあ家の中、明るくて
感謝ですと。

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周囲の皆が、もうそれはびっくり仰天で
「Aさんすごい!!」と。

皆で恵まれ。しばらくしてお仕事が与えられ
皆で喜んだ。


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「わたしがあなたがたに話したことばは、霊
であり、またいのちです」ヨハネ6:63


素直な心の土地に、みことばの種が落ちると、

素晴らしい実がなる。





2025年11月11日(火)
  「何でも、おできになる主」


★主の全能、何でも出来るお方であることを
いろんな場面で経験する。


平日の婦人の学び会で、時に新しい方が
来て下さる。

その時は、急遽、福音をお話したり、わか
りやすい聖書のお話に変更する。


しかし、その時の、集まっている人々の状況が
大きな苦しみ、半端ない試練、厳しい試練の
人々ばかりだった。

祈らなくては、絶対にやって行けなかった。
祈り無しに、一歩も歩めない状況だった。


初めての方に、祈りと言ってもわからない。
その時間が、じっと待ってもらう事になる。


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しかし、祈りが命であった。

そこで、新来者に、ちょっと聖書のお話の前に
祈りをしたいのですが、いいですか?と。
了承を求めると、

とても気持ちよく、明るく「あ、いいですよ。どうぞ、
どうぞ」と。

そこで、もう心を注ぎ出して、全身で主に拠り頼
んで、皆で心を一つにして祈った。


しばらく祈り続け、皆で主におゆだねした。

平安を与えられ、感謝した。

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すると、その新来の方が、「ずっと、祈りを聞いて
いたのですが、涙が出て来ました」と。


待たせて申し訳ないとの思いだったが、主はその
方に、祈りを持って、働いて下さった。

驚き、感謝した。


その後の御言葉の学びを、とてもよく聞いて下さ
った。

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ふとした事の中に、

主が働いて下さったことに、心が満たされて、喜んだ。








2025年11月10日(月)
  不思議な「神の時」

「神のなさることは、すべて時にかなって
美しい」伝道3:11

「天の下では、何事にも定まった時期が
ある。
すべての営みには時がある」3:1

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主が、事を行なわれる「時」がある。

「神の時」

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Aさんが、ある重荷のある事態があり、

何とか方策を求めて、あちこちの方面
に、訪問し、聞き回り、動き回った。

しかし、幾ら動いても、どの方面からも
道が全く開かれなかった。

あらゆる窓口を訪ねても、全く開かれ
なかった。

どんなに動いても、だめだった。

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それが、数年を経て、突然、ある人の
一言で、その方面に動いて行くと、

スルスル、スルスルと、次々と、ひとり
でに、門が開いて行った。

一つから、次へと関連して行き、次々
と不思議なほどに、スムーズだった。


使徒 12:10 
「彼らが、第一、第二の衛所を通り、
町に通じる鉄の門まで来ると、

門がひとりでに開いた。そこで、彼らは
外に出て・・」



みこころの時に、門は、ひとりでに開く。

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「神の時」を待つこと。

ひたすら待ち望むこと。


神の時に、必ず門は開く。

★★★★

Bさんが、ある時、遠方の実家に、とても
帰省したい思いが来た。

久し振りに、実家の親族に会いたくなった。
長い間、帰ってないし、顔を見せたら、親や
親族も喜んでくれるだろうと。

夫も賛成してくれ、具体的に日にちを段取り
しようとすると、突然のスケジュールが入る。

子どものことや、仕事のことや、自分の責任
の事で、次々急な事が入って来る。

どうしても身動き取れなくなり、これは環境が
閉ざされたと気づいた。今では無いのかなと。
主におゆだねした。


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しばらく時を経て、予定が特に無い日が続き、
今なら、環境的に可能と思えた。

しかし、不思議であったが、その時に、気持ち
が無かったのだった。

あれほど、帰省したく、状況も大丈夫なのに
気持ちが動かない。不思議だったが。


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そして尚も日が経過した後、環境が開かれ、
気持ちも与えられ、環境と思いが一致して、
帰省できた。
良い交わりを与えられ、素晴らしく豊かな
祝福にあずかれた。

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「神の時」を思わせられた(*^^*)













2025年11月07日(金)
  「まず、主に求める」

携帯が出て来る前は、家電話、黒電話だった。

Aさんが、突如の試練が臨んだ。突然の事態
にパニックになり、教会の人々に聞いて
もらいたくて、まず牧師宅に電話をした。

留守録だった。

次に、Bさんに電話した。

又、留守録だった。

そこで、Cさんに電話した。

又、留守録だった。

えー、と思うが、必死で、焦ってるので、Dさんに
電話した。、

何と、留守録だった。

尚も、Eさんに電話。

やはり、留守録。

どうしても、誰かに聞いて欲しくて、あと、数名に、
電話したが、全員出かけて、留守だった。

こんな事、初めてだった。

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その時になって、突然、思い出した!!!

今週の集会での学びが、まず、初めに、何よりも
先に、イエス様のもとへ行くようにと。

「わたしを呼べ」と言われる、主のもとに行くことが
大切だと。

あ〜、自分を愛して、取り扱って下さっている
ことがわかった。

まず、祈ることができて、感謝があふれた。


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その後も、Aさん宅、給料日を前にして、手持ちの
お金が尽きてしまった。

赤ん坊のミルクとおむつが、無くなってしまった。

すぐ給料日で、すぐに返せるので、夫が、ちょっと
行って、友だちに借りて来ると。

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Aさんは、人に借りるのでなく、まず神様に祈り
たい!!

心の中で祈っていた。

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すると夫が、その前に、家が近くで、体調を
崩し、伏せっている親を見てくると、出た。

主の導き!と感謝し、一人になり、ずっと祈っ
ていた。


数10分経た頃、ふと、人の気配がし、振り
返った。

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そこに、夫が、ミルク缶とおむつのビニール
袋を両手にもって、立っていた。

突然、え?と驚き、どうしたのかと聞くと、

親の家へ行くと、職場の親方が見舞いに来て
くれて、見舞金と、置いて行ってくれた。

それで、とりあえず必要なものを買って来たと。


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何よりも、何よりも、神様が祈りに答えて
下さったこと、

取り扱って下さったことが、嬉しく、喜びで
いっぱいになった。


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リストラになった、Kさんも。

貯えは無い。身体も弱い。一見、不安要素
しかない。

しかし、神様に祈った時に、

「あなたがたのうちだれが、心配したからと
いって、
自分のいのちを少しでも延ばすことができますか」
マタイ 6:27 

の言葉が、ズシンとドーンと、心に来た!!

不安も、恐れも、心配も、何も無くなった。
全く無いと。
それより喜びと平安なのだと。

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もう、定年のお年で、周囲の皆が、びっくり!!!

「Kさん、すごいー!!!!!」

周囲の皆も、ものすごく恵まれた。

近隣、野菜畑ばかりで、あちこちから、野菜が
届けられると。

釣りをする、近所のおじいさんが、魚をくれる
のだと。

神様が、カラスを送って、食べ物を運んで
おられる。

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やがて、しばらくして、職が与えられた。

神様は素晴らしい!!


2025年11月05日(水)
  「お腹いっぱい」


福音を伝えていた時、

ある人が言われた。
「今、やっと、ずっとしたかった事、願って
いた事が、実現して、喜びでいっぱいです。

生活が、楽しくて〃、すごく充実した毎日な
んです。
お腹がいっぱいで、入らないです。

満腹の時に、豪華なご馳走でも、入らない
ように、今、そんな感じです」と。

・・・・・・・・・・・・・・

Aさんが「今までで、厳しい苦しく辛い事を
通りました。

何で、こんな事がと、絶望のように思いま
した、

でも、それらがあったから、教会に来れて、
イエス様のもとに来て、救いを受けました。

その苦しみが無ければ、来ていないです。

幸せの中にいたら、必要が無いです。

だから、辛く苦しい事が、感謝なんです。

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「苦しい時の神頼み、楽しい時の神離れ」


救われた後も、順境だと、順風満帆だと、
主に頼らなくても、生きて行けるので、

自分の力で、やって行けてしまうので、
自分で生きて行く。

肉は強く、根深い。
そうしていて、気づかない。

外側、信仰者なのだが、主に頼らないで、
生きて行ってしまう。


・・・・・・・・・・・・・

ある例えがあった。

自分で歩んでいる時、主は、ご自身の方を
向かせたい。

ビルの工事現場の例えで、下を歩いている
人に、危険があり、上を見て欲しい。

その時に、小さな小石を落とした。
小さ過ぎて、落としても、人々は気づかない。

そこで、中くらいの石を通過する、
それなら気づいて、上を見上げる人々が。

しかし、それでも気づかなければ、大きな
石を持って来られる。
気づかせるために。

・・・・・・・・・・・・・・・・

懲らしめは、主の愛だ。

放っておかれたなら、糸の切れた凧の
ように、どんどん世にまみれて行ってしまう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・


痛みを通して、気づけることは多い。

今までも、沢山のことを気づかせて下さった。

・・・・・・・・・・・・・・

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うとき
は、それをこの上もない喜びと思いなさい。


単に、喜びでなく、「この上もない」喜びだと。


試練により、忍耐が生じ、忍耐を働かせる
ことにより、成長を遂げた感っ全な者と
なると。


何よりも、豊かな恵みが、


「成長させて下さる」こと!!




2025年11月02日(日)
  <続>

<続>

ある時、主が、「向こう岸に行こう」と言われ、
それに従い、弟子たちが湖に漕ぎ出す。

途中で、大嵐に見舞われた。

小舟は沈没、転覆してしまう。
もう死にそうに感じ、恐怖でパニックになり、
恐れ、怯える。

主はと、見ると、舟のともで、熟睡されている。
その主を、起こす。

主は、風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と
言われると、風が止み、ピタリと大なぎになった。

・・・・・・・・・・・・・・

弟子たちは、驚愕だったことだろう。

大きな恐怖に包まれて、一体この方はどういう
方なのかと。


自然界をも、支配されていることに驚いた。


弟子たちは、死にそうなほど、恐怖体験をし
たが、結果的に、主のみわざを見、

主が、神であることを見せられた。

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日常生活の中で、大パニックになるような事が、

ある時、突然、起きる。


右往左往で、大慌てで、ただただ立ち尽くす。

しかし、主に信頼して行く時、

必ず、手を取って、導いて下さる。

後に、すべての事を益として下さる主を
知る。

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そして、弟子たちのように、

イエス様がまことの神であることを、又、知る。


これが一番の恵みかも知れない


痛いが、新たに知ることの恵みに、喜びが
溢れる。







2025年11月01日(土)
  「みことばで、心の嵐がなぎに」

御言葉が力、いのち、御言葉によって生か
されること、道を示されることを学んでいた。


ずっと以前に、実家は330キロ先だが、
父から急な電話が入った。

「お母さんが倒れて、めまい、嘔吐で、
倒れて、動けなくなり、救急車を呼んだ。

今から病院へ行ってくるから。とりあえず
知らせておく。また連絡する」と、切れた。

・・・・・・・・・・

電話から伝わる、バタバタの様子に、胸騒
ぎで、不安で真っ暗になる。

様子が全くわからないだけに、命に関わる
重大な事なのかと、不安は増幅し、思い煩
いが来る。


主のもとに行き、ありのまま、祈っていると、


「恐れないで、ただ信じていなさい」
マルコ5:36


のみことばが臨んで来て、不思議に心が
すう〜と、平安になってしまった。


嵐がしずまって、ピタリとなぎになり、
不安も、思い煩いも、きれいに消えた。

・・・・・・・・・・

数時間後、子どもたちのための集会が
あったが、全き平安の中で、働きができた。


その後、父から連絡が来て、診断は過労
だったと。
しばらく病院で休んで、帰宅できると。

休めば大丈夫、心配ないという事だったと。


主に心から感謝した。

御言葉の力を、見せられた。