2000年12月28日(木)
  インマヌエル!!

喜びや悲しみ、様々な祝福を織りなして、今年も暮れ行
こうとしています。刺繍の裏側を見ると、無秩序と混乱
ですが、刺繍の表は、素晴らしく見事な神様の栄光!!
なのですね。神様が与えて下さったこの1年、色々な事
がありました。

年頭に愛する姉妹の離婚成立。1年に渡る話し合いの結
果であり、出来る限り回避したかった結末でした。こち
らにいた時、右腕となって助けてくれた姉妹、共に伝道
し働いた姉妹、心から愛する姉妹でした。国際電話での
やり取りに、ただ祈るばかりでした。

晴天のへきれき、予想だにしなかった事態に、人生には
不意の出来事が起る事を思い知らされました。

・・ご主人の失業、子供達の悩み、もう心配で心配で心
から血が流れるようです、との一人の姉妹。
ある姉妹は、待望の赤ちゃんを授かった、大きな喜びも
束の間、悲しみのどん底へ。赤ちゃんには異常があり育
ちませんでした。
深い悲しみや、辛さ、激しい痛み、神様はそれらを私達
から取り除けられるのではない。天国に行くまで、それ
らは私達の前にあり続ける事を見せられます。

年末、静かにこの1年を考えました。その時に、神様か
ら来たメッセージ、それは「インマヌエル」。神は私た
ちとともにおられる。
神様からの答えは、痛みや悲しみが無くなる事ではなく
神が共におられること。それが解答だと。

「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。
患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、
裸ですか、危険ですか、剣ですか」
「私たちを愛してくださった方によって、これらすべて
のことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです」
「どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある
神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

悲しみと痛みの中に、神がともにおられる。
離婚になった愛する姉妹「望んだ結果では無かったです
が、今、ヨハネ14:27にある、“わたしの平安”主
の平安を与えられて、親子3人で神様と共なる平安な生
活を与えられています。感謝で、感謝でなりません」

別の姉妹「子供の悩みを通して、神様に近づけました。
以前と全然違います。神様が近いです。嬉しいです。感
謝です。」
そして、「周囲は何でうちばかりこんな事がと言います
が、私はそうは思いません。まだ悲しみは無くなりませ
んが、神様が良くして下さっていること、信じれます」

嬉しい事、苦しい事、喜びや悲しみ、2001年も様々
通る事でしょう。でもその中で、最大の喜びは、インマ
ヌエル!!神が私たちと共におられる!!
by TAEKO

2000年12月27日(水)
  し・あ・わ・せ・って!!

外はにぎやかに、慌ただしい歳末、神様からの数え切れな
い一杯の祝福を贈り物に、今年も暮れ行こうとしている。

素晴らしい祝福の内に終えた、教会のクリスマス。
心と思いのすべてを傾ける礼拝の中で、神様のご愛が、温
かく心の芯にしみ渡った。

「神なる主よ。あなたは、私の若いころからの私の望み、
私の信頼の的です」
「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それ
はあなたです」
私の信頼の的、私の望み、心の底の憧憬を満たして下さる
お方。周囲に数々の大きな痛み、悲しみの起こった時期だ
った。しかし、神様の恵みとあわれみは更に深く、更に大
きく、心が神様の恵みでしんしんと満たされたクリスマス
だった。

この「恵みのティータイム」の相方、富士ちゃんからクリ
スマスメール。「この1年、宮本一家は幸せ者でした。私
は本当に幸せでした。神様といるって、こんなに幸せ。」

先日、B婦人も「教会へ来て、夫婦の間が全く変わってし
まった。神様を知って、私が変わったんだと思う。私、幸
せ。夫といて幸せ。」

「幸せ」って主観的なもの。自分がそう感じない限り、決
して持てないゆえに。環境に関係無い。環境が整っていて
も得られるものではないし、どんな大変な境遇の中でも、
真に幸せだったりする。環境でも、人でもない。神様と自
分の関係、これだけなんですよね。幸せって、ここからだ
けで、ここからしか来ない。

昨日、少し時間が出来て、大好きな夫と外出した。
思わず、身の引き締まる冷たい風、冬の柔らかな日射し、
ピーンと張り詰める冷気に澄んだ空気。日常が繰り広げら
れている外界。このまっただ中に神様がおられる。「わた
しだ」との御声を聞きつつ、暖かい車中、安らかな別時間
の流れの中で、心の中でずっと神様を思う。穏やかな、何
にも代えられない幸福感に包まれて。

「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせ
なのです。」詩篇73:28

2000年12月26日(火)
  幸せな一年

今年も、残り少なくなり、この一年を振り返ってみました。
一言でいうなら「なんて、幸せな年だったんだろう」。

あれよあれと、不幸のどん底に…みたいな不幸っての連鎖って
けっこう、あっという間にくるけど、幸せの勢いって、
なぜか、ゆっくり、ゆっくりという気がします。
宝くじが当たった!といっても幸せなのは当たった人だけで、
かえって人の幸せは、周りの不幸を際立たせたり。
でも神様にある幸せは、必ず周りの人も巻き込んで行くから、
だから今年の我家の幸せ指数は高いのです。

去年の今頃、神様に残りの生涯を献身しました。
ガタピシしているこの身だけど神様は返品もされず受け
取ってくださいました。
献身した次の朝、いつものように洗濯を干しながら、
「なん〜も劇的な変化は無いなぁ」と、あたり前だけど
昨日と何も変わっていない自分を少々心もとなく感じたり。
でも、こうして振り返って見ると、有形無形の多くの恵み
を神様が与えてくださった事がわかりました。

今年になってすぐ、潤が献身して、卒業後は福音伝道の働きに
つきたい、との思いが与えられ、神学校への道も開かれました。
なぜか、将来「これがしたい!」と熱く語れるような進路が見つ
からず、「まぁいいか」と決めた進路で、お嫁に行くまで、
しっかり海外旅行に行きたい!なんて言っていたのに。

夏には、ずっと恐れていて長年、思い煩っていた
クリスチャンの信仰の告白を義父にする事が出来ました。
この夏、義母が亡くなりましたが、看病の合間に神様が時を与
えてくださいました。
そして、何度も、何度も頭の中でこの場面を想像しては、
体が冷たくなるほど、恐れていた葬儀の時に、全ての
偶像の儀式から守られました。
ただ悪魔は私に恐怖心を与える事しか出来ない、神様に
頼ればいいんだと学べた事も感謝でした。

そして、秋になって佳依が信仰告白して、バプテスマの決心が
与えられました。
長い間、神様との絆は、けして太くなく、いってみれば伸びた
ゴム紐でつながっていたような私達でしたが、
 天から、もつれた糸をほどくように…と言う感じの神様の
取り扱いで、それぞれが、おるべき所にきちんと配置され
思い煩いも一つ一つ消えて行った一年でした。

 私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。
 主はおまえに、良くしてくださったからだ。(詩篇116:7)
by 富士子

2000年12月20日(水)
  今年のテーマは?

続けて今日は、今年最後の婦人学び会でした。

巷は慌ただしい年末。コーヒーを飲みながら、
語らいタイム。ホッと、心和むひと時。この世界
と別領域の別時間が流れる。恵みのコーヒーブレ
イク。心解き放たれて、楽しい。婦人方と近況を
語り合う。

この1年、神様が教えようとして下さった自分へ
のテーマは何? と聞くと、私の今年の神様からの
テーマは、これこれ・・と、皆がはっきりと答え
られる。
一人一人がしっかりと、神様のお心を受け取って
神様がはっきり見えている事に驚く。

B婦人「この1年、“夫婦の学び”が良かった。
夫婦関係が変わってしまった。以前は、夫に腹が
立つ事を溜めて、爆発すると攻撃してた。コンチ
クショウ!!と思ってた。(笑)でも、私が変わっ
た。夫は口に出さないが、私の事も思ってくれて
るのがわかる。夫婦の間がものすごく良くなった」

今年来広のC婦人「この婦人学び会で、自分を出せ
たのが感謝でした。心の内をさらけ出せた。何もか
も言えた。今まで20年クリスチャン生活して来た
が、こんな交わり初めてです。今までずうっと心に
あったが、気づかなかった根深いものを、今年取り
扱われました。感謝でした。」

愛する婦人方の生きざまに、様々な悩みに問題に関
わって来たこの1年、本当に数え切れない、いろん
な事があった。

そして、私へのテーマは?富士ちゃんじゃないが、
残る年末「私は、あなたのなさったすべてのことに
思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう」

2000年12月19日(火)
  心が触れる

昨日、一つの地区集会で、今年最後の集会を終えました。
感謝し合い、「1年間有難うございました。来年もよろしくお願いします。」に、しっかり年の瀬を感じながら。

その集いでは、今年、78才の婦人がイエス様を信じられた。
字の大きな聖書を購入され、見てくれと、皆に見せて下さる。「よく見えますね!」「ずっしり思いですね」持ってみてくれと、一人一人に回される。ニコニコとそれは嬉しげに、柔らかい素晴らしくいいお顔で。

私も教会で初めて聖書をプレゼントされた時、物でなく、心の宝物をもらったように嬉しかった・・
お顔を見てると、こちらまで心暖か〜くなる。

一人の婦人「集会からの帰途、いつも心暖かくされて帰れるんです。私、この集会好きです。最近自分に余裕が無く、子供をガミガミ叱りつけ、小言の多い毎日でした。子供に悪かったです。今日、帰ったら子供を精一杯愛してやります。」

心が暖かく、安らかさで一杯になる。「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです」と言われたイエス様が、真ん中におられるゆえに。イエス様に触れるのだ。

帰りの車の中、クリスマス聖歌をかけていた。歌詞が心にぐいぐい迫り来る。「神は愛です」「キリストは・・ご自分を無にして・・死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われた」「私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子」・・車の中に、神様の暖かいご臨在を感じる。イエス様に心がビンビン触れる。「クリスマス、神は愛!!」心の中一杯に、車の中一杯に、目に入った日常の外界一杯に、響き渡る。

確かにそこにおられる主。生きておられる主。
確かに触れて、内なる心が満たされる。目に見える世界の、まっただ中にある、目に見えない素晴らしい世界。

「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」

2000年12月14日(木)
  クリスマス

イルミネーションがきらめき、クリスマスソングが流れ、街は
クリスマス色に彩られています。

小さい時、クリスマスの朝は大きな楽しみでした。目を覚ます
と、枕元に必ず素晴らしいプレゼントが置かれていたからです。

16才の時、イエス・キリストを救い主として信じ、救われまし
た。本当の意味を知って迎えた、17才のクリスマスは、それ以
前のものとは、全く違いました。

文字通り、“本当の”クリスマスでした。神は、実に、そのひと
り子をお与えになったほどに、世を愛された。神様の愛を知った、
嬉しい、喜びの感動のクリスマスでした。教会の皆で、夜の礼拝
後、キャロリングに出ました。聖歌を歌いながら、特別礼拝に出
てくれた、教会学校の子供達を、順番に家に送りました。

子供から若者、大人まで、皆で、神様を賛美しながら、街を歩い
た、あの家族のような一体感、暖かい、包み込まれるような、安
らかな安堵感、忘れる事が出来ません。神様が共におられました。
平安な、嬉しい、初めての本当のクリスマスでした。

やがて、主催者側(!?)に回り、新しい人々に神様の愛をお伝え
するクリスマスになりました。若い頃の思い出は、チラシ配布で
の明け暮れ。当時はもっともっと寒く、クリスマスの季節は、雪
でした。朝に夕に駅前で配布。日暮れの早い夕方は、もう指が動
かず、感覚がありませんでした。神様の愛を知って欲しいとの一
心で、以後は神様と共に働く恵み、伝道のクリスマスでした。

クリスマスの準備をしていた、今年。愛する姉妹に悲しい出来事
が起こりました。お腹の赤ちゃんが、育たず、天に召されてしま
いました。二度も続いた悲しみでした。赤ちゃんの異常を知らさ
れた時、泣き明かした姉妹。泣いても、泣いても、涙が止まらな
い、辛いです、悲しいですと、心の痛みを表わしてくれる姉妹。
何も出来ず、祈る事しか出来ないけれど、祈り続けました。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛さ
れた」たった独りの御子を、私のために殺して下さった、それほ
どに愛して下さった神様の愛。御父の側の気持ちを思いました。
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたをがたを愛しま
した」父がわたしを愛された・・どんなに御子を愛しておられた
でしょうか。十字架を見ておられた御父は、どんなお心だったの
でしょうか。

愛する姉妹の、言葉に表わせない悲しみと、御父のお心、このク
リスマス、ずっと心の中で、命の御言葉が響き渡り続けています。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛さ
れた。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである」

2000年12月4日(月)
  あなたのみわざを静かに考える。

夏場はしっかり西陽が入っていた我家の窓が、最近
和室の南側の窓しか陽が入ってこなくなりました。

思いきって和室の窓の障子をとってレースのカーテンにしてみたら
思ったより、大きな窓で一日中サンサンと陽が入って来るように
なりました。
朝、家事をすませて、ちょっと、おそめのデボーションをする時が
最高にしあわせで、炬燵に入って聖書を開いていると、心のなかは
ほんわかした気分になってきて、何物にも変えがたい、この平安な
一時を心のそこから神様に感謝しています。

  
+++++ 詩篇77:12
 私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし
   あなたのみわざを、静かに考えよう。 +++++++++++++                            
先日読んだみことばです。

住宅ローンに、子供の仕送り、さらに主人が今年から単身赴任になった
無謀な三重生活の我家では、普通ならば、私もパートにでもと思うところ
なのですが、神様が与えてくださった、リウマチという病のおかげで、
朝からボ〜ッと、至福の時を過ごしています。

リウマチといっても、感謝なことに今は軽いもので、あちこち「いたた!」
とつぶやきながらも、もともと、家にいるのが好きだった私は、
家にいる良い口実を神様が与えていてくださっているようで
「貧乏暇ばっかり」を楽しんでいます。

私が働いたとしても、入ってくるお金はわずかなもの。
その割に、仕事を持っていた時は、朝から夜まで慌ただしく
走り回っていたようで、失った心の余裕は結構おおきいものでした。

後まわしにしてきた一番大きな物が、神様との交わりの時間で
聖書を読んだり、また誰かのために祈ったり、といった
 今すぐしなくても、誰からも責められない事が、後まわしに
なって行きました。
いま、神様から「身体も仕事も元に戻してあげようか?」と言われたら
なんと返事をするだろう。

与えられた病も、また時間もみんな感謝して受け取れるから
全てを大切にして行きたいと思う今日この頃です。


投稿者:富士子

2000年12月1日(金)
  新しくなりました。

ボードが新しくなりました。
今までのボードは以下の場所にあります。
http://www.ae.wakwak.com/~hbbc/diary/bbs3b.html
ご覧ください。

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