2002年02月25日(月)
  問題は自分

あるホームヘルパーの方のお話。

「様々な方々をお世話します。中には気難しい
お年寄りもおられて、いつも自分が試されます。

こちらの思い通りには動いて貰えず、なかなか
難しい時、こちらの心が、イライラしたり、腹
が立ったり、ムッとしたり、その微妙な心の動
きが、まるで以心伝心のごとく、相手にそのま
ま伝わってしまうんです。

すると、相手のお年寄りの心もその通りに反応
して心を閉じ、固くなり、関係がますます難し
くなります。その敏感さが恐いほどです。

反対に、相手がわがまま言ったり、ムッとして
も、こちらが柔らかく穏やかに受け止めて行く
と、相手の心が柔らかく、穏やかになって行く
のです。

特に関わっていて、これまでの人生で愛情を受
けて来なかった方々が、この感情に、ひときわ
敏感なような気がします。

これは神様に祈りながら、助けられながら、お
委ねしながらでないと、出来ないなあとつくづ
く感じます。」

いつも神様が教えて下さるように、相手の問題
でなく、問題は自分であり、相手を環境を変え
るのでなく、自分が変えられて行くこと。

相手を、人を、環境を見ている限り、相手が悪
いと思っている限り、深い泥沼に落ち込むばか
り。的がはずれているので、どれだけもがいて
も、いつまでたっても何の解決も無い。

「私を変えて下さい」の祈りには必ず答えて下
さる。そこが鍵。そこに光が射し込む時、解決
の糸口が。゛「自分を」変えなさい゛

゛この世と調子を合わせてはいけません。いや
むしろ、神のみこころは何か、すなわち何が良
いことで、神に受け入れられ、完全であるのか
をわきまえ知るために、心の一新によって自分
を変えなさい゛

by多恵子

2002年02月19日(火)
  出て行こう。

1年前から、トールペイントを習い始めた。
記念すべき第一作目は多恵子先生の家の玄関を
華々しく?飾るウエルカムボードだった。
(今もあるだろうか?)
油絵や水彩は好きだが、トールペイントは、嫌いの
部類に入る。子供達もあの、アーリーアメリカン調
のブリブリは嫌いと言うが、私には近所の人付き合
いの接点がまるでない。
誘われるままに、多恵子先生にも相談し祈りながら
はじめたが、月に2回がしんどい。

引きこもり主婦と、自分で決めて家にジーといるほう
が、楽だしちっとも困らないので、ずっと礼拝と学び
会以外は家族としか話をしない事が多かった。
       
ある時、パソコンの前に座ってあるホームページを見
ていたら、
(抜粋)
「情報通信技術が発達したことによって、私たちが見失い
がちなものがあると感じる。
それは実体験というか、自ら経験することで心や体に刻み
つけられる外界との接触感、すなわち「リアルな記憶」だ。
メディアの無批判な垂れ流しによって、虚像の体験が増え
れば、その分、自らの存在は希薄になろう。
リアルな自己が希薄になると、他者の存在への気配りの心
もまた希薄になるのではないだろうか。
(中略)
誰とともに生き、誰とともに歩むのか――。
そして、私がこの場を立ち去った後、どのようになってい
くのか――。」

と言う記事があり心に刺さった。
同じ時期に、近所の婦人の心の病や、体の病、夜逃げに、
自殺…。とこの狭いわが住居周辺にも、いろんな出来事
があった事をトールペイントを通して知らされた。

家の中で「実を結ぶものになりますように。善き証人とな
れますように」と祈っていても、失際の触れあいを拒んで
いたら、虚しい。
同じクリスチャンとだけ、新しい人同士のとだけの交わり
は心地いいものだが、いったい何人のためにクリスチャン
として意味ある生きる方が出来るのだろう。
今のサークルを通して、どうか意味ある生き方へと導かれ
ますようにと祈っている。
by 富士子

2002年02月13日(水)
  三原伝道応援

昨年4月から始まった沖宣教師による三原
開拓伝道。多くの祈りに支えられ働きが続
けられている。

今までに2名の大人と10数名の子供達が
来会。しかし、継続してではないので、今
は集っていない。

先日、集会応援で三原に行ったJちゃん「
沖先生はいつもここで一人でやってるんだ
なあと思った。大変な働きで、沖先生は召
されてるから、出来る。自分にはとても出
来ないと思った」

毎週、一人で集会が守られ、毎週、毎週、
チラシ配布が続けられ、種が蒔き続けられ
ている。沖先生を通して、魂への神様の招
きの手が延べ続けられている。

今週の月曜日、母教会から、30数名で三
原伝道応援に来て下さった。休日の休みを
神様に献げて、遠方から時間と労力を神様
に献げて、犠牲を払って来て下さった。

雪の舞う凍るような中、子供や婦人やご主
人、青年達が皆でチラシ配布をして下さっ
た。その方々に、神様の愛を感じた。

そして、神様が三原の魂を愛し、慈しんで
おられる、その神様のお心を感じた・・。

「神は、実に、そのひとり子をお与えにな
ったほどに、世を愛された」


2002年02月12日(火)
  バイオリンコンサート

待ちに待ち、祈りに祈ったバイオリンコンサ
ート、いよいよ当日。
朝早い時間からリハーサルと打ち合わせ。

「沢山の人がいるんですが、一人一人のため
に弾くんですよ。すると、皆が耳を傾けて聞き
出すんです。ただ弾いていると届かない。一人
一人のために弾くと、届くんですよねえ。」
と、辻井先生。

「一人一人のために」、とても印象的な言葉だ
った。

司会者に、「終了時の挨拶にちょっと注文がある
のですが。一人一人に向かって、一人一人に
届くように、よく来て下さって、よく聞いて下さって、
有難うの、心からの感謝を伝えて欲しい」と。

心があったか〜くなる。何かが心の底で共鳴す
る。救霊の働きを思う。この働きをして、ずっと
思って来た、一人のために働こうと。
一人一人の婦人の学びのために、岩国へ通い
続けた時、神様は必ず結実を与えて下さった。

会堂が人々で埋まった。80数名の人々が集ま
った。何だか聴衆全体が一つとなっているよう
に感じた。人々が真剣に聴いている。じいっと
聴き入っている。
そして、最後の牧師によるショートメッセージ、
聖書の御言葉を、皆がしーんと聞き入ってい
る・・。

心が満ちて、そのままそこで浸っていたい、大
きな余韻を残して、コンサート無事終了。

出口へ向かう人々と挨拶を交わし、しばしの時
を経て、皆が去った会堂で。

辻井先生「いやあ、びっくりしました!!もう全員
がよく聴いていて、ものすごく聴いてましたよ。こ
んな事ないですよ。聴く方も、長い時間大変です
よねえ。ものすごく演奏しやすかったですよ。」

「まさしく、先生が一人一人に向かって演奏され
たからでしょう。」(笑)

「いやあ、そうですが、すごく祈られたんでしょう。
祈りですよ。これは、祈りの力ですねえ。」

「ええ、皆で祈りました。」
神様の臨在が集会に満ち、来られたすべての
方がイエス様に触れて下さるようにと。

祈りの答えを、目の当たりに見せられ、神様
素晴らしい祝福を有難う!!今も、心に余韻
が・・

by多恵子




2002年02月07日(木)
  変えられる

昨日の学び会で、

C婦人「私、変わった。教会に来て学び
をしてて、夫婦の事とか学んで良かった。
今まで、夫とギクシャクすると、夫の気
持ちなど考える事がなかった。
もうウジウジと、めんど臭い、ええわ、
で終ってた。

この間、私の対応に夫が不満気な顔をし
た。その時、気持ちに添うようにしてあ
げようと思えて、そのように取り計らっ
た。すると、夫は満足気で、親子間も和
気あいあい、私も嬉しかった。

以前の自分だと、そういう発想が無かっ
た。自分が変わると、相手も変わる。夫
はとても優しく、夫婦間は和やかで、暖
かで、好循環。

最近やっと、そんな事がわかって来た。
自分が変わらねばならない事、相手を変
えようとしていた事。
何よりも夫婦の関係が、すべての根底。
夫婦間がうまく行っていると、生活すべ
てに喜びがあり、平安があり、嬉しい。

夫婦間がうまく行っていない時は、心が
暗く、沈み、落ち込み、生活が灰色にお
おわれる。楽しくなく、平安がない。
神様が、夫婦をますます建て上げて下さ
る事、ますます一つとして下さる事が嬉
しい。」

C婦人、祈る事を始め、生活の中に祈り
が定着してきだした。祈りの力だと思う。
学んだ事が、祈りによって生活の中に実
践される。生きて働かれる神様が、祈り
を通して働き、みわざをしておられる。
祈りの力はすごい。

by多恵子

2002年02月04日(月)
  嬉しいー!!

昨日の礼拝で、青年女子のMちゃんがイエス様
を信じていることを、皆の前で表明した。

今日、ずっと地区集会に集っておられた87才
の婦人が、以前からイエス様を信じていました
が、はっきりと言いたいですと、表明。

「ですから、わたしを人の前で認める者はみな
わたしも、天におられるわたしの父の前でその
人を認めます」
魂が滅びから天国へ。喜びが満ち満ちる。

私達の教会は、去年、創設20周年を迎えた。
創設10周年時に大々的に記念会をした事が
心に上る。
あの10年前、まだ新会堂の気配も何も、皆無
だった・・
しかし、10年後の今、素晴らしい新会堂が建
っている。

新会堂が与えられたのは、人々の救いのため。
これからの10年、立派な新会堂を、主は救わ
れた人々で一杯にして下さる。沢山の人を天国
へ移して下さる。

主への大きな「期待」に胸が弾む。「期待」が
あるって嬉しいー!!心踊る!!

来週のバイオリンコンサートも今までで、最高
のコンサートにして下さるとの期待が来る。
主に期待して、期待して歩めることの喜び!!

by多恵子


2002年02月02日(土)
  神様に触れる喜び

「祈り」の学びをし、実践しようと1週
間を経た集会で。

M婦人がとても嬉しそうな顔で「祈り
が聞かれたんですよ!!」

印鑑と通帳は別に保管しておいた方が
良いと聞き、早速実行。だが、印鑑の
置き場所をきれいに忘れてしまった。
家中、捜しに捜しまくるが見つからな
い。幾ら捜しても無い。
諦めかけて、新しい印鑑を作ろうと思
った時、「そうだ!祈ろう!!」
何と!祈ると、すぐに出て来たんです
よー!!もう嬉しくて、嬉しくて!!

その神様に触れた喜びを、N婦人にす
ぐメールで送った。
基地内に住むそのN婦人。若い兵士に
呼び止められ、ステッカーの色が違う
と威圧的に言われ、しかるべき所に行
くよう言われた。そこへ行くと、まず
免許証の提示を求められた。なんと免
許証が無い!親切な係官が再発行はす
ぐに出来ますよ、と言ってくれる。
一応家の中を捜してみますと帰宅。

M婦人のメールに、「そうだ、私も祈
ろう!」と神様にこの事態を祈った。
すると、ゴミと一緒に誤って免許証を
捨てた、そのシーンが頭に鮮明によみ
がえり、免許証は捨てたと確信できた。
祈りの答えだった。それですぐ再発行
を頼んだ。
数ケ月間、免許不携帯だったのに、全
く気づかなかった。感謝だった。

結果的に、ステッカーの件はその兵士
の間違いだった。そのお陰で多大な時
間と労力を使わせられた。
その兵士に文句の一つも言いたいとこ
ろだったが、何も言わず許そうと思え
た。
その兵士は怒られるとビクビクしてい
た。会った瞬間、「あなたが僕を許し
てくれて、神に感謝する」と一方的に
言ってきた。思わず苦笑だった。

この事態に神様をはっきり感じた。
これを通して、免許不携帯に気づかせ
られた。祈った時、鮮明な思いを下さ
り、捨てた事がわかった。兵士を許す
ことができた。

N婦人「私に働いて下さっている神様
を知れて、嬉しくて感謝でした!!」

by多恵子