2010年06月15日(火)
  「向こう岸」

「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われたイエス様


疾風怒濤、波瀾万丈、考えられた無いほど様々な
所を通ったAさん。

今、♪「いと静けき〜港に着き〜、われは今、安ろう〜

救い主イエスの手にある〜身はいとも安し〜」♪


苦しい、厳しい問題に解決が来た。
向こう岸に渡り切った。平安と喜びに満ちた。

「こんな所を通るとは、考えもしなかったよね。すべては
砕きのためだったよね。砕かれたんだね。

自我の、もう何とも言えない強さ、根深さ、頑なさ、
自分ではもうどうしようもない、強い強い測り知れず
強いものであることがわかったよ。」

「それ、わかるよ。自我は、もう物凄いモンスター。
自分でもわからないよね。信仰生活送るほど、巨大
で強固で、どれほど凄いかがわかる。
でも、まだわかってないと思う。」

Aさんは、どん底の瀬戸際、絶体絶命を神様によって
通らされた。

「その一見絶望を通ったからこそ、神様と自分が見えたんだ
よね。そこを通らなかったら、今の解決は無かったね」

「そう。自我がどうにもならなかった。神様を頼れない。
信じきることが、どうしてもできない。自我が邪魔をして。
もう不可能だった。

自分の徹底無力を通されたから、頼れたと思う。
あの無力を通らなかったら、今も神様わからないし、信頼
することなど絶対に不可能だった」

自我が粉々に砕かれることが、向こう岸に渡ることだった。

全く変えられたAさんがいた。

「神様信頼してるよ。奇跡。絶対に自分では出来なかった。
神様に従いたいと、心から思える。
神様、愛して行きたいと思える。心が全然違う。変えられた。」

「奇跡だ!!」

「そう奇跡!」





2010年06月08日(火)
  「自分の心が平安に」

Aさん「人は様々だと思うのですが、自分に
とってもは、語る事の方が難しい。

いろんな人が、言ってしまった事で後悔したり、
黙っているのが難しいと言うが、自分は
黙っている方が楽で、幾らでもできる。

成育歴の中で、“沈黙は金”と培われて来た
からだと思う。

だから、自分の考えや意見、自分の気持ちを
言う事がものすごくエネルギーが要る。
言えない。普通にあるがままにしていると、
黙っている事が楽で、身に馴染む。

神様から、自分の気持ちを、きちんと表現する
ようにずっと示されている。

“真実を語ること” “愛をもって真理を語ること”
が自分の訓練であり、日々練習です」

Bさん「自分は言葉で、自分の気持ちや、意見、
考えを表現する事が好き。
書くのは苦手だけれど、言葉で言うのは幾ら
でも出来る。的確に自分を表現できると思う。

言葉が幾らでも出せるものだから、饒舌で、
どうしても、舌で罪を犯してしまう。
言わなくて良い事まで、言い過ぎてしまう。
だから、寡黙な人が物凄く羨ましい。舌で、
罪を犯さなくて済む。」

でも、喋ると肉が出るから、罪を犯すと、黙って
いれば良いのではない。

黙っている人には、語れと御霊が言われ、饒舌
な人には、舌で罪を犯さないよう、気をつけろと
言われる。

舌も、言葉も、主に頼らなければ、祈らなければ、
語るにしても、黙すにしても、自分で御心に適った
言葉を出すことはできない、ということのようだ。

Cさんが、黙っている方が楽だが、相手の言葉に
傷ついた時、怒りが湧いて、自分にどうにもできない
までに、怒りに支配されそうになる。

その時、御霊様が、その言葉は悲しかったと、
ちゃんと伝えるように導かれたと。
相手は知らずにしているかも知れない。そして、
それを伝えた時に、心から怒りが失せ、平安に
支配されたと。

御霊が、せよと言われる事をして行く時、たとえ
相手も状況も変わらないとしても、自分は平安に
なることを教えられる。

2010年06月07日(月)
  「境界線」

Aさん「断らなければならない事態があった。でも、
何だか断りにくい。断ると相手に悪いのでは無いか。
それで、相手に察して欲しいと思いつつ、それとなく
距離を取りながら、相手に察していた・・

尚も、断れずに、その場を何とかぐずぐずと、
中途半端にしていたら、こじれてしまって、結局、
はっきりと断らなければならない状況に至ってしまった。

相手を傷つけてしまい、自分も傷ついた。もうしばらくは
その事で頭が一杯で、ものすごく反省させられ、考え
させられた。

きちんと最初から誠意を持って断っていれば、余計な
事にならずに済んだものを。自分の心を探ると、
人に良く思われたい、ここが弱さだと示された。
良い人でいたいから、断れない。でも、学べて感謝
でした」

Bさんと、「うん、うん。でも、わかるよねえ(^_^;)」

Bさん「ある、ある。頼まれ事をして、断れずに、何とか
なると引き受け、よく考えてみたら、時間的に、労力的
に、無理というか不可能。

結局、謝って、断る羽目になる。迷惑かけてしまって、
こちらも恥をかくし、これなら最初からきちんと断って
おけば、何の問題もないものを。

やっぱり、根は良く見られたい。良い人でいたい。
断ると、相手が傷つくのではと思うが、きちんと断らない
事で、返って傷つけること教えられる。」

「境界線の学びであったけれど、誰の心にも“親を喜ば
せたい子供”の部分があって、子供は親を喜ばせたい、
その親が、目の前の人となり、喜ばせようとする。
だから、ノーが言えない」

“御言葉通りですねえ。「はい」は「はい」、「いいえ」は
「いいえ」とだけ言いなさい。それ以上のことは悪い
ことです。”マタイ5:37

Cさん「ノーを言うこと、自分の気持ちをきちんと表現
する事は、練習、練習ですよね。

自分は、自分の気持ちを全く表現できない事がわか
った。
きちんと表現しないから、相手は全くわからず、通じず、
相手を苛立たせてしまう。
自分の気持ちを伝える事は、自分の責任だし、これは
練習ですよね。」

「まず、自分の気持ちが、自分でちゃんとわかる事が
必要ですよね。」


2010年06月06日(日)
  「逆発想」

先日の新聞に、ミャンマーが異常気象で「死の猛暑」
と出ていた。
首都が44度、中部は45度にもなり、38度以上が
45日続き、5月のある週末は230人死亡。
4月からの毎日の葬儀が、例年の2倍。特に高齢者と
幼い子供が犠牲になっていると

日本も、今年はずっと寒くて、おかしい。世界的に
異常気象なのだろう。

若いAさん「私は物心ついた時から、異常気象、異常気象
と言われていて、もう異常が異常でなく、普通です」(笑)

「ほんまじゃね」(笑)

カンボジアも異常に高温が続き、現地の人も今年は異常
だと言うほどだと。
ベランダ40度で、夜になっても、気温下がらす、昼間外に
出るとめまいがしそうと。

こちらでも、36度7度になった事があり、外に出た途端、
もわ〜〜 暑さを通り越えて、クラクラしそうだった。

今年は特別に又、異常なのだと思い、カンボジア一家の
身体が守られるようにと、ひたすら祈っていた。

そんな時に、いろんな祈り会で、AさんやBさんが「カンボ
ジアの気温が下がりますように」と祈ってくれた。

その時、祈りを聞いていて、「えっ?」で、目からうろこ
だった。

今年は異常気象、それはもう定まっていて、変わらない
もの、との固定観念があって、身体の守りの発想しか
無かった。

固定観念が崩された感じだった。あ、そうか、状況が
変わるようにも祈れるんだ。

そして、数日後、今まで夜も朝も高温だったのが、夜は
少し涼しくなったよと、カンボジアから。

すごい!!祈りが聞かれた!!(^^)

祈りの原則で、神様は御心なら状況を変えて下さるし、
状況を変えられないなら、こちらの心を変えて下さる。

自分が変えられる事ばかりに発想と視点が行って
いたが、御心なら、状況も変えて下さるんだ(^^)


以前、駐車場の出口の前に、壁があり、非常に
狭くて、出るのがまさにギリギリだった。
毎回、四苦八苦しながら、車を出していた。
余りの狭さに、一度こすってしまった。

目の前に、ガンと立ちはだかった壁に、ため息つき
つつ、よろしくお願いしますと神様に祈りつつ。

ところがある日、その前の家をが建て直される
ようで、壁が見事解体となり、目の前の壁が
無くなってしまった。

ものすごく象徴的な出来事で、そうか!目の前に
立ちはだかった城壁を崩して下さる、山を動かして
下さるのだと。

目の前の事を祈って行こうと思えた。





2010年06月04日(金)
  「認める」

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐに
される」箴言3:6

目の前に起こる出来事、自分の思い通りに
ならない事柄、目の前の状況・・
すべてにおいて、主を認めることを教えられる。

Aさん「ああ、主を認めてないです。
仕事で、うまく出来ない時に、注意されるのが、
受け入れられなくて。
自分がちゃんと出来ないということを、認められ
ないんですよね。認めたくないんですよね。

これがこうで、あれがああだったから、時間が
足らなかったから、外部事情が入ったから、
ああだ、こうだと、必ず心で言い訳している。

決して、自分は、出来なかったと認めない。
自分を正当化しています。本当なら出来るのに、
たまたま、あれこれの事情があって出来なかった
のだと。

だから、同じ失敗をするし、それを繰り返すん
ですね。よくわかった気がします。
主を認め、自分の本当の姿を認めて行ける
よう祈ります」

Bさん「目の前に置かれている嫌な人、
目の前のしんどい状況、それが主から来て
いると認めることですよね。
自分を訓練するために、砕くために、成長
させるためですよね。
それが見えないと、不平不満、愚痴、すべて
方向違いの、的はずれになりますよね」


Cさん「自分は、自分の弱さや、自分の出来ない
ところは認めたくないんですよね。
認めてしまったら、負けみたいな。自分が否定
されてしまって、自分が無くなってしまいそうな
気がして。突っ張ってしまって。

でも、自分の本当の姿を認めて行くと、
本当に祈りに答えられるし、自分が変えられ
て行くのがもろにわかる。

デボーションできない。でも、出来ないんじゃ
なくて、やる気がないとわかって、やる気が
全然しないと、祈ってたんです。

本当の自分の心を更に探ると、やる気がな
いのも、これじゃあダメだと危機感も全然無い。
思っていない。

やる気がないままで、いいやと思っている。それで
いいやと思っていますと祈って、ほんとに自分の
心を自分でどうにもできませんと祈った。

それで、何とかして下さいならいいんですが、
何とかして欲しいとも思っていない。

助けて欲しいとも思っていません、こんな私
ですと、認めて、告げて、祈ったんです。

すると、不思議な事に、心が変えられて、祈れた!
祈れるようにして下さったんです!」


2010年06月02日(水)
  「二つの心」

霊と肉の二つが、内側にはっきりあるのが
日常生活で、鮮明にわかる。

Aさん「この間も、目の前にちょっとした問題
が持ち上がった。
御霊と肉がはっきりわかる。

御霊は、相手も救われなければならない。
その人の救いのために祈りなさい。祈り
に置いて、証しをして行きなさい、と言って
おられる。

ところが、肉は、サタンが来て、今までの
様々な事を思い起こさせる。その人の自分
勝手さ、迷惑を受けたこと、心に様々受けた
傷、どんどん思い起こさせて、関わりたく
無いと思う。

はっきりと御霊と肉の二つがわかる。
肉に思いをつけて行くと、どんどん腹立ちや
裁く心が湧き上がる。

しかし、神はそれを望んでおられない。
肉とサタンを拒否し、無視し、御霊に従おう
としています!!」

Bさん「よくわかる。私は、肉とサタンが来て
るのがわかっているのに、楽な方、心地良い
方に流されてしまっている。

ずうっと楽な方へ楽な方へ、行ってしまって、
あ〜あ、となる。サタンにやられてしまってる。
御霊様が気づかせて下さることが感謝です」

Cさん「対人関係で、相手の言葉に、ムカッと
きたり、イラッと来る。そいういう言い方せんで
もいいじゃんと。
肉は腹立ちや、敵対心がむくむくと湧き上がる。
でも、それじゃあいけま、との思いも、同時に来る。
二つの心があらがうのがわかる。

“わたしを呼べ”と言われる神様をすぐに呼ぶ
ことですよね」

Dさん「肉と御霊の二つのの反応が、はっきり
わかる。自分の心に真逆の二つの心がある
のがわかる。

人に何か言われるとカチンと来る。腹が立つ。
一言言い返したい。そちらに思いを持って行く
とカッカ来て、おさまらなくなる。
しかし、もう一つの心は、この事の、主のお心
は何だろうと思う。へりくだって、事態をよく考え
てみようと思っている。
まず祈ってから、対応しなくちゃと思っている。

肉に従って行くと、とんでもない事になり、刈り
取らねばならない事も、ずっと経済みなので
御霊に従えるよう、一歩とどまって、祈りが
大切ですねえ」

Eさん「肉と御霊の真反対の二つの反応、生活
の中でよくわかる。
が、御霊を選べない、選びたくない自分がいる。
怒っていたいし、さばいていたいし、嫌っていたい。
でも、それは苦しい。自分が辛い。
選びたくない自分を認めて、助けて下さいと
祈ることですよね」


いつもいつも葛藤する二つの心。
御霊様に従えるよう祈っていよう。