2010年08月15日(日)
  「きっぱりお渡しする」

日常の小さな事に、主に委ねるという経験をした。

一つのカードが見あたらず、アレ??どうしたかな??
思いつく所を、一通り探したが無い。
キャッシュで使えるので、もし、外で無くしたなら、すぐに
止めないといけない。大変な事になる。不安もよぎる。

しかし、今から礼拝に出かけるところ、時間がない。
祈った後、この事を完全に神様に、渡した。
委ねた。「私の手から完全に、御手に渡しましたよ」と
祈った。

きっぱりと渡した。すると、神様の手に渡ったという感覚
が来て、いっさい、何も心配する必要がないと思えた。
神様が心配して下さっている。
委ねた結果、全く心配無くなった。そして、教会に向かうや
その事も全く忘れてしまっていた。

全く思いにも上らず、1日の奉仕を終えて、夕刻に帰宅した。
途端、思い出した。「今から探します。神様はどこにあるのか
ご存じですよね。見つけさせて下さい」と祈った。

神様は知っておられるんだと、不思議な感覚、そして、祈り
続けていると、はっきりと一つの場所が浮かんだ。
「あ!あそこだ!」あそこに入れ忘れた!引き出しを開けて、
その財布を開けると、そこにカードがあった!
「神様有難う!!」

小さな事だが、委ねるという経験が、又、恵みとされた。
きっぱり神様に渡すと、いっさい全く不安が無くなる。
きれいに無くなった。

その事を話すと、後日、Aさんが、

「あの話、私、すごく恵まれたんです。委ねるという事が、
ものすごくわかったんです!
今、失敗もするが、練習しています!

仕事で、翌日は人が一人お休みと聞き、どうしよう、どう
やって仕事を回そう、あれをああして、こうしてと、考え
ていると、どんどん思い煩いに落ち込み、気持ちがしんどく
なって来る。

あ!そうだ!明日のことは明日が心配する。この事を
心配して下さっている神様に、委ねよう!と思った。

そして、きっぱり!お委ねしたんです。もう、私は何も
考えません、煩いませんと。すると、ものすごく平安に
なったんです!!感謝で、感謝で(^^)/

で、もう委ねてますと、翌日行くと、何と、ボランティア
の方が来ていて、実習生も何人も来ていて、手が一杯
あって、びっくり!もう、ほんとに神様でした!
何も心配する事無かったんです!
委ねること、又、一つ経験できて、心に喜びが溢れました。

思い煩いが来る度に、きっぱりお渡ししますと、練習中
です!!(^^)/」


皆で「でも、人生、明け渡して、明け渡して行くと、もの
すごい平安ですよねー、すごい平安じゃないですか!!」

2010年08月12日(木)
  「自我」

信仰を妨げて来るのが、いつも「自我」だとの話
になった。

Aさん「職場で、仕事が非常によくできる人がいて、
テキパキとスピーディで、ほんとに上手に仕事を
するんですよぉ。

自分は遅くて、速くする事が難しい。時間がかかる
んです。どうしても時間がかかって、何であんなに
速くできるんだろう。それも手抜きでなく、ちゃんと
できていて。感心する。

で、職場の人が、今日は○○さんがいるから、仕事
がスムーズに行くねと、何気なく言うんですが、その
言葉がなんか、自分で勝手にひっかかってしまって(笑)
何か落ち込んでしまう。

いつも同時に仕事をしているから、○○さんのして
いるところは見た事がなくて、どうやってやっておられる
んだろうと」

周囲「聞けばいいじゃん。教えてもらったら」

「そう!それなんですよ!(^_^;) それが聞けないのが
プライドで、自我なんですよねえ。聞きたくないんです。
今日、ここに自分の自我がある事が、よくわかりました」

Bさん「でも、よくわかる〜」

「目上の人にでも、注意されると、素直に聞けないんです。
へりくだって、受け取れないから、必ず同じ失敗を繰り返す。
聞けていない。
だから、前も言ったでしょう!と、更に注意される。自分
も更に心が固くなって、聞けない。これが自我なんですねえ。」

Cさん「ずうっと同じ事を繰り返していて、心配事が
目の前に来ると、どうしてもパニックなって、もう
不安でたまらない。
信じなくては、委ねなくてはと思うけれど、自分で
何とかしようとするのがわかる。
だから、もう恐れと不安と思い煩いのどつぼ。
でも、毎回、必ず良い結果へと導いて下さる。

それがわかっているのに、パニックになる。
これは自我だとわかる。信じようとしない自我。
信じることを選ばない自我。
自分の中に、物凄く頑なな自我があるのが
わかる。砕かれたいと思う。

必ず神様は良くして下さって、ああ、信じて
いればよかったのにと後悔する。
神様に申し訳ない。でも、この自我は自分で
どうしようもないから、砕いて貰いたいです」




2010年08月08日(日)
  「生き方」

信仰人生には、苦しい事、悲しい事、辛い事、様々、置かれている。
大きな事、ちょっとした事、取り混ぜて、次々とでくわす。

御言葉によると、偶然は一つもなく、運、不運なのでなく、
又、サタンにほんろうされているのでもない。
神がそれら一つ一つを量って、送っておられる。

「イエスは、ご自分では、しようとしておられることを
知っておられた」ヨハネ6:6

「わたしはあなたがたのために、立てている計画
をよく知っている」エレミヤ29:9

しよとしておられる事があり、ご計画がある。


苦しい事が起きた時に、そこに「状況」だけを見るか、
「神」を見るかで、方向が全く違って来る。
天地の差となる。

そして、その自分の捕らえ方が、人生を決定して行くのだと
見せられる。

ハピーな事があったから幸せ、マイナスの事態があった
から不幸せなのでなく、自分の捕らえ方で、幸、不幸が
決まる。自分が決定している。

Aさんは、以前は、もう極度の煩い症、心配症で、
不安材料が来ると、もういても立ってもいられない。
最悪のシナリオが頭をよぎり、ネガティブ思考に陥り、
ダメだ、ダメだと沈み込む。

マイナスの事態に遭遇するや、もうとことん落ち込ん
でいた。
どうにもならない絶体絶命に陥った時に、イエス様を
求めた。

そのAさんが、イエス様を信じた途端、何と別人になった!!

「いやあ、祈るんですよぉ。そして、神様が絶対に良くして
下さるから、信じていようと思うと、思い煩いが全く無いですよ。

目の前の事が、全然自分の思い通りでは、無くても、
神様の思っておられるプランの方が、絶対良いし、最善だと
思えるから、委ねていようと。すると、もう平安なんですよ。

あの事も、この事も、一番良いようにして下さると思うと
全然不安が無いんです。そう言えば、私、以前ものすごい
心配症でしたよね(大笑)」

目の前に、大変な事態が来ても、全く動じず、その中での
恵みを一つ一つ数えて、感謝して行く。
安らかな笑顔で、それは幸せそう(^^)/

幸、不幸は、自分が決めるのだと、教えられる。
自分の選択だ。

2010年08月06日(金)
  「見方」

視点の違いで、どんなに「平安」と「喜び」の中に
おれることだろう。

Aさん「子供がリストラになったんですが、資格試験
の勉強をして受験していたり、スポーツをあちこちへ
行ってしていたり、私はリストラになって良かったなと
思うんです。
若いし、長い人生の一つの勉強で、こういう期間も
有益な、良いことだと。だから、感謝してます。

神様が何とかして下さる、良くして下さると信じている
ので、全然不安も、心配も、思い煩いもないんです(笑)」

Bさん「えっー!それはすごいですよ!この不況時に、
リストラというと、もう次が無いのではと、パニックに
なって、不安のどつぼで普通ですよ」

Aさん「主人は心配でならないようです。毎日、優雅に
過ごしている子供に」(笑)「でも、私は焦る事もないし、
神様が一番ふさわしい時に、ふさわしい仕事を与え
て下さると思ってるので、全く平安なんです(笑)」

「すごい、信仰じゃ〜!」

Cさんはご親族が入院中で、この夏越せるかどうか
わからないといった大変な状況。

そのCさん「私、もう感謝で、感謝でならないんです。
皆にいつも祈って貰って、祈られているから、こうやって
守られてて。皆の祈りのお陰です。祈りによって支えられ
ています。感謝しかないです。

私も子供のリストラ、親が倒れ、入院、そして葬儀と、
次から次と、もう大変な事態が続いたのですが、神様が
それは良くして下さって。

私はずっと仕事で、子供がリストラだったから、親の介護
を手伝ってくれて、危篤の時も、丁度子供が病院に行って
くれていた時で、すぐに対応ができて。

すべての経済的必要も満たされて。すべてが済んだ後に
子供は、感謝な素晴らしい仕事が与えられて、もう時も
何もかもピッタリに、神様が導いて下さっていて感謝しか
ないです。」

Cさん「Aさんすごい!!見方がすごい!どれ一つ取
っても幾らでもネガティブになれるじゃないですか。

リストラ何で!入院何で!経済的苦境何で!神様ひどい!
と、それを全部恵みに、感謝に見ている、神様視点で見て
いる、そこがすごい!」

「ほんとに、すごい!!」

Aさん「いえいえ、Cさんが神様を信じて、もうそれは
それは180度変わって、極度の心配症だったCさんが、
『大丈夫!大丈夫!!神様が絶対に良くして下さる、助け
て下さる』と励ましてくれて、Cさんから恵みが、
どお〜っと伝染して来るんです」

Bさん「私も同じような事がありました。親族が入院した時、
私が丁度仕事していなかったので、手が空いていて、役に
立てて、皆に喜ばれて、神様だ!と感謝でした」


不満も愚痴も全くなく、一つ一つの出来事に神様を見ていて、
恵みを見ていて、神様に感謝している姿に、心が大きく
引き上げられて、恵まれて、恵まれて、喜びに満たされて
ほくほくで、帰った(^^)/

神様有難う!!

神様がおられる!何の心配も無い!全く心配無い!!


2010年08月03日(火)
  「つもり」

Aさんの職場の仕事で、クレームの多い顧客がいた。
次々とスタッフが替わりながら対応するが、
クレームは絶えない。

とうとうAさんに順番が回って来て、対応しなければ
ならなくなり、不安で、憂鬱で、嫌な思いに襲われる。

祈るのだが、又、考え出しては、ネガティブになる。
心が沈んでしまう。暗い、重い思いで心が塞がれていた。

そんな時、御言葉に触れて、自分の心が探られた。
祈っているのに、不安や思い煩いは消えない。

思い煩いや心配を委ねるなら、人知では測り知れ
ない平安が支配するはず。

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝
をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの
願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安
が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって
守ってくれます」ピリピ4:6

祈っているが、恐れと不安は全然無くならない。
委ねている「つもり」、信じている「つもり」で
実は、自分は全く御言葉を信じていないし、神様を
信じていないことに気づかされた。

御言葉がそれはそれでと、御言葉と現実がリンク
していない。それぞれ別々なのだ。

「あ!わかりました!自分の姿が見えました。
自分の問題が『不信仰』だとわかりました。
悔い改めます。

御言葉信じたいです。でも、何だか心が平安に
なってきました!」


Bさん「よ〜くわかる!私も、なかなか委ねられない。
心配事、不安な事、思い煩いが来た時に、頭では
信じて、委ねてとわかるんだけど、頭だけで、
しっかり自分が固く握りしめていて、明け渡せない。

だから、Aさんと同じ状態で、祈ってはいるだけど、
不安でいっぱい、恐れでいっぱい、祈っている時も、
祈った後も、何も変わらず、同じ状態(笑)
自分が渡さないから、そのままですよね。

自我が妨げているとすごくわかる。信じないから
明け渡せない。ほんとに不信仰だとわかる。でも、
不信仰でいたくない。
信じることを選び取って行きたいです。」


信じている「つもり」で、実は全然信じていない。
状況や、自分の思いのほうを信じている。

明け渡さない根に、固い自我がある。問題は、自分の
不信仰にあることを、よく教えられる。
悔い改めて、信仰を選び取って行きたい。

2010年08月01日(日)
  「主の平安」

Aさんが、ある非常に困難な事態に向かわねばならなかった。
恐れと不安でいっぱいだ。もう恐怖だ。
ああなればどうしよう、こうなればどうしたらいいのか、
どんどん最悪のシナリオが出来上がる。

もう勝手な思いで、妄想は膨らみ、不安で、わけわからなくなる。
思い煩いや、又、関連して昔の出来事を思い出しては
怒りも出て来る。
恐れ、不安、思い煩い、怒り、心は疲れに疲れ果てる。

もう気持ち的に限界で、感情も思いも、すべて神様のもとへ
持って行き、あらゆる感情、思いをことごとく言い表して、又、
ぶつけて行った。

瀬戸際の中、心底拠りすがった。

すると、不思議な事が起きた。あれほどの恐怖、不安、
思い煩いが消えた。

そして、心に何の不安もない、平安と安堵が臨んだ。
初めての経験だった。
更に、思い煩いどころか、神様がどのように事態を良く
して下さるのか、導いて下さるのか、楽しみにさえなったのだ。

初めて「主の平安」を経験した。心底、拠りすがったゆえ
だった。

「こんな平安があるなら、人生、何があろうと、大丈夫じゃ
ないですか。すごい人生に招き入れて下さったんですねえ」

Bさんは、初めて経済的危機に陥った。
今まで、仕事をしていて、必ず毎月決まった収入があり、
普通に生活をしていた。
その仕事を、辞めざるを得ない事情が生じ、収入が無くなった。
もうパニックだった。不安で不安で、ほとんど恐怖だった。

「必要は絶対に与えられるから、大丈夫!何の心配も無い!」
と言っても、初めての経験なので、わからない。

ところが、神様は、天から思いを越えて豊かに降らせて
下さった。溢れるばかりに必要が与えられた。

その経済的必要が満たされる経験を、一つ、一つ、重ねて
行く中で、ある時、最初の頃から見ると信じられない言葉
が出た。

「今度もまた、経済的危機なんですが、今まで満たして
下さった神様は、今回どうやって与えて下さるか、楽しみ
です!平安なんです」と微笑みながら。

小舟のともの方で、大嵐のまっただ中で、熟睡しておられた
イエス様。全き平安と安堵の中におられた。

嵐の中で「主の平安」を下さる。
明け渡して、委ねて、この主が下さる、世には無い、「平安」
の中におらせて頂きたい。


「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違い
ます」ヨハネ14:27