2010年10月17日(日)
  「主の口から出ることばで」

Aさんが、信仰人生で最大の苦しい試練を
通った。

身体にまで来て、体重はかなり減り、体調に
異常をきたし、食事も喉を通らなかった。

心身ぼろぼろだった。
その極限で、「御言葉でした」。

「もう御言葉しかない。御言葉がいのちでした。
もう神様に拠りすがって、御言葉を求めました。
あんなに御言葉を求めた事は、信仰人生の中
で無かったです。
御言葉に救われました」

「通して下さったのでしょうね。神様がすべての
すべてで、御言葉しかない、もう何もないという
ところを」


「それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、
あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなか
ったマナを食べさせられた。

それは、人はパンだけで生きるのではない、
人は主の口から出るすべてのもので生きる、
ということを、あなたがたにわからせるため
であった」申命記8:3


「主は、あなたを苦しめ・・」と言われている。
主が苦しめると。

人がパンだけでなく、御言葉によって
生きることを、わからせて下さるために。


「人間て、試練でないと、神様を求めないですね。
順境の時は、勿論、感謝してはいるけれど、
そんなに求めるわけでないですよね。

やはり試練の時に、必死で求める。だから、
試練でないと、ダメなんでしょうねえ」

「試練は痛くて、苦しくて、嫌だけれども、
感謝ですよねえ。
でも、経験的に、試練でないと、神様は
わからないですねえ」

「試練は嫌だけど、感謝ですよねえ」(^^)/


2010年10月15日(金)
  「交わり」

Aさんと、Bさんと一緒に、主に在って祈りの時を
持っていた。

Aさんが、学びに出て来た御言葉関連で、自らの
辛い悲しい生い立ちを話してくれた。

自分にいて欲しくない人が、現に存在し、自分が
存在している事が、人に苦しみを与えている、
自分は生きていて、いいのだろうか。
生を拒否されるという深い深い悲しみに、遭遇した。

幼心の痛みがトラウマとなり、今も、そんな種類の
場面に出会すと、傷がうずいて、痛む。

まだまだ培われた根深いものがあるが、イエス様
に出会って、確かに少しづつ癒されている。
自分が変わって来ているのがわかる。

Aさんがそんな悲しく、辛い、苦しい生い立ちを話して
いたら、

Bさんが、今まで誰にも決して言えなかった、絶対
に話せなかった、天国まで持って行こうと思っていた、
事・・
でも、Aさんの話を聞いていて・・と、その事を話された。

「話せたことが、神様です。神様に感謝です。
水をぶどう酒に変えて下さった神様は、私の水の
ような今までの人生を、豊かな芳醇な甘いぶどう酒の
人生に変えて下さることを信じます」と。

その場におられる、その場を支配しておられる神様を
見た。神様のわざだ。

自分の通った悲しみや辛さ、苦しみは、すべて祝福とされて、
益とされて、誰かを生かして行く。誰かを解き放って行く。

Aさん「自分の苦しみと、どうにもならなかった悲しみ、
それが、Bさんに用いられたなら、こんなに嬉しい事は
ありません。神様に感謝です」


「次にBさんが、通られたその苦しみ、悲しみが、絶対に
誰かのためで、誰かを生かし、誰かを解き放って行きますよ」

水がぶどう酒に変えられる。

神様って、何て素晴らしいのだろう。
神様に在る交わりって、何て尊いのだろう。


「もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの
慰めと救いのためです。

もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰め
のためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ
苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです」
Uコリント1:6

2010年10月10日(日)
  「まず祈り!」

Aさん「対人関係で、ちょっと言われた事が
気になって、そっちを心に入れてしまうと、
心暗くなり、落ち込んでしまう。

くよくよしてしまい、頭にずうっとあって、楽しく
ない。楽しいはずだったのに、心が憂鬱だ。

夕方になり、家族が帰宅した時も、心が沈んでいて、
子供にも心ここにあらずで、接してしまい、子供
にも良くないし、結局、家族にも影響を与えてしまう。

又、怒りの感情だと、自分自身が苦しく、辛い。
苦しいのは、ただただ自分で、相手ではない。

目の前の状況に反応してしまって、本来なら
喜びと平安で、生き生きと生きる事のできる
今日一日が、ネガティブな思いに支配されてしまう。

支配を許している、自分の選択だとわかる。
常に自分の選択であり、心沈む思考を選択して
いる自分。
逆に、それを拒否して、神様に目を向けて、
感謝と喜びを選択する事もできる。

状況でなく、御言葉を選択して行きたい。

そのために、まず、物事が起きた時に、祈ること
を今日学んだ。
まず、自分で方策を巡らすのでなく、即、行動
するのでなく、まず、祈ること。

その時に、ネガティブ思考に支配されずに、
神様に支配されて、状況のまっただ中で
平安でいる事ができる。」

Bさん「私も、まず、祈りだと思いました。
様々な事態が起こる時、パニックになってしまう。

何とかしなくちゃ!というのが、まず来て、祈り
は飛んで、まず自分が出て、対応してしまう。
自分の力でやるので、ますます、ややこしく
なって、糸がからんで、ほどけなくなってしまう。

まず、神様を呼ぶ、まず祈ることの大切さ、
ほんとによくわかります」

2010年10月06日(水)
  「状況でなく、心が平安に」

Aさん「対人関係で、心無い言葉に、ちょっと
悲しく、辛い事があったんです。
心傷ついて、すごく暗く重たくなって、心沈んで、
又、同時に、相手を裁く思いもあり、そんな時、

いつも学んでいるように、神様に胸の内を
ぶつけたんです。辛い気持ちも、相手を責め、
裁く気持ちも苦しく、そのまま祈ったんです。

すると、不思議に、辛い、重苦しい気持ちが
消えて、心が穏やかになったんです。
別に状況は何も変わらないのに、心がすうっ〜と
穏やかに平安に、胸の悶々が無くなったんです。

神様を経験しました!これからも神様に全部打ち
明けて、祈って行きます!」


Bさん「私も、この間、あったんです!

ちょっと相手が言った事を忘れてしまっていて、
こちらにしたら、言われた通りにしていたら、
違う事を言って来て、頭に来てしまって、思いきり
腹を立ててしまった。

でも、あ、これは肉だと思って、そこで神様に
自分のありのままを、祈ったんです。
「腹が立って仕方が無い!」「思いきり言い返し
てやりたい!」

神様に思いきりぶつけると、心がすうっと平安
になってしまって。
すると、相手に会った時に、心が平安なので、
全然腹も立たず、穏やかに接することができて。

すると、何と相手が、悩みを話し出して、2時間も
聞いて上げることができたんです。
良かったです。腹を立てたままだったら、とんでも
無い事になってたし、相手が心開くなんてこと
絶対になかったですから。

ほんとに、祈りに答えて神様が働いて下さった
ことが、もろにわかりました。

Cさん「お祝い事があって、お祝いして上げ
ようと、食事もプレゼントもすべてセッティグ
して、延々待ってたのに、現れなかったんです。

自分の用が、したい事があっての事だった
のですが、こちらにしたら、もう腹が立って、
腹が立って、プレゼントももうキャンセルに
しようと思って。

でも、その時、いかに腹が立つかを、怒りを
神様に告げたんです。ずうっと神様に話して
いると、ほんとに怒りが消えて、心が平安になって
きて。
やっぱりちゃんとプレゼント上げようと思えて、
祝って上げられました(^^)/」


「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝
をもってささげる祈りと願いによって、あなたがた
の願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が
あなたがたの心と思いを、キリスト・イエスに
あって守ってくれます」ピリピ4:5


心の思いを神様に打ち明け、告げるなら、状況が
変わるのでなく、心が平安になると言っている、
御言葉の通りだ(^^)




2010年10月04日(月)
  「ありのまま祈る」

Aさん「この間、疲れか、ふっとした寂しさか、
気力が全く湧かなかった。
しないといけない事も、色々あって、頭では
しなくちゃと思っているが、どうしてもする気
がしない。

ぼおっ〜としてしまって、神様のこともする
予定が、手がつけられず、状態で、疲れて
いるのか、何だかよくわからない。

それで、いつも、あるがままの気持ちを祈る
ように言われているので、『やる気がありません、
何もしたくありません・・』と、気持ちのままを
祈った。

その日は終わったんですが、それが翌日、自分
では、何も意識しなかったのに、テキパキと
スムーズに、すうっと、神様の奉仕が出来てしま
ったんです。自分が頑張ったわけでなく、上から
与えられた。」

皆で「祈りが聞かれたんじゃ〜」(^^)/

「ありのままの祈り、ほんとに聞かれるんですねえ」


Bさん「ちょっと家庭内で、家族に対してだと、
どうしても甘えが出てしまって、ああしてくれたら、
もっとこうしてくれたら、と要求が出るんですよねえ。

この間も、もうちょっとこうしてくれたら、とイライラ
しそうになって、文句を言いそうになり、あ、いけない
と思い、「神様!」と今の自分の思い、気持ちを
ありのまま、告げたんです。

すると、心がすうっーと平安になったんです!

目の前の些細な事に、何で、あんなにイライラした
んだろうと。
どうもなくなって、受け入れられて、神様なんですねえ。

ありのまま祈ったら、神様が働いて下さったんですねえ。
嬉しかったです。
もっともっと、生活の中で、神様を味わって行きたいです。


Cさん「自分の本当の気持ち、正直な気持ち、心を
よくよく探ったら、『愛せない』じゃなくて、
『愛したくない』でした。

頑なな自我にぶち当たる。ドロドロの自分の心が
苦しい。でも、これが自分だと認めます。
自分の心は暗闇で、でも光があるから、暗闇であること
がわかる。
聖霊様の光に、本当に感謝です」


2010年10月02日(土)
  「わたしの平安」

人生の海の嵐に、もまれ来し、この身も〜

♪「いと静けき、港に着き、我は今、安ろう〜
救い主イエスの手にある、身は、いとも安し」♪

罪の嵐、自我の暴風雨にもまれ、なかなか受け入れ
難い事態を、受け入れる時に、いと静けき港に
着いて、平安に満たされる。

Aさんと「もう、主の平安、この平安だけが何に
も代えられないですよね。
人を赦さなければ、平安は無いし、事態を受け入れ
なければ、平安が無い。

平安が無いということが一番苦しくて、辛い。
もう平安が欲しいですから、従います!になります
よね(笑)

人を赦さない心は、苦しくて、苦しくて、心が重く
暗く、ほんとに牢獄ですね。真っ暗闇の牢獄の中」

Bさん「赦せない、じゃなくて、赦したくない自我
ですよね。赦せないじゃなくて、赦さない(笑)
でも、自分は苦しいばかり。平安が全く無い」

Cさん「そうそう。でも、自分の選択で、意志で
受け入れることを選びますと、自分に死んで行く
時、すごい、平安に満たされますよね。
もう、大海原のような、大海のような、平安に
飲み込まれる感じ。」

「わかる、わかる。この平安があれば、もう何も
要らない。心が満ちてて、天国のようで、この
平安と何ものも、絶対に代えたくない。
何とも、交換したくない。」

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたし
は、あなたがたにわたしの平安を与えます。

わたしがあなたがたに与えるのは、世が与える
のとは、違います」ヨハネ14:27

世のものではない、「わたしの平安」、主の平安
が、心の隅々にまで染み渡る。

友人が人生最大の危機を通った時、心裂かれ、
心身ボロボロ状態であった、そのまっただ中で、
この「わたしの平安」を経験したと。

御翼の陰に、かくまわれ、外は気が狂いそうな
大嵐、暴風雨の中、心は全き平安だったと。

人生何が襲い来ても、この平安に守られること
に感謝だ。