2011年01月15日(土)
  「思い煩い」

思い煩いについて話していた。

Aさん「ある事に関して、どおっ〜と思い煩いに襲われ、
全く、人の力でどうにもできない事であると、頭では
わかるのに、頭グルグルで、胸が苦しくなって来て。」

Bさん「どんどん、ネガティブに行くでしょ?」

「そうです!!最悪を想像してしまって、そうすると、
それに関連して、あれや、これやと、すべてがネガティブ
へと。どんどん落ち込んで、しんどく苦しく、辛くなって」

「わかる、わかる」(笑)

「もう真っ暗で、苦しくて、苦しくて、たまらなくなった時
に、『神様!思い煩いがどうにもなりません!』と、祈った
んです。

その後、全く意識しなかったのですが、心が楽になって、
考えても、何もどうする事もできない。これは神様の領域、
神様を信じていたらいいんだと思えたんです」

「祈りが聞かれたんですね!」

「視点が変えられたんですね」

「あ!そうですね!(^^)ほんとですね。祈ったら、視点が
変えられました!
状況は何も変わらないし、そのままなんですが、心に
平安があります。神様を思う時、心が救われます」

Cさん「よくわかります。例えば、先の事など、幾ら思い
煩っても、全く見えないし、わからない。
そこを堂々巡りして行くと、心がどんどん暗くなって、
しんどくなって、不安は恐れとなって、気づくと、最悪
のシナリオを描いていて。」

Aさん「でも、ほんとに視点ですね。神様を見上げた
途端、状況は何も変わらないのに、心が平安になって
解き放たれる。全く、心が変えられる」

Bさん「経験しますね。絶体絶命の窮地の時に、心底
神様に祈ると、神様に頼ると、御心なら状況を変えて
下さるし、状況は変わらなくても、心を変えて下さる。
どちらかをして下さる」

皆で「でも、ほんと、神様信じて、心がものすごく
変えられました」(^^)

「自由に、自由にされてます」



2011年01月01日(土)
  「神様視点」

昨年次から次へと試練が続いたAさん。

ご主人が病気になり、Aさんは癒しを祈りに祈るが、
全く答えがない。必死に祈っても、祈っても、
現状は、全く何も変わらず、ご主人は苦しんでいる。

別の辛い状況も重なり、Aさん自身が心身許容量オーバー
になってしまい、倒れてしまった。

「救急車呼ぼうか!」の子供の声に、倒れかけながら
「救急車より、Bさん呼んで!」

近くであり、すぐに飛んで駆けつけてくれたBさん。
その顔を見た途端、今までピンと張っていた心が
崩れるかのように、大泣き。

心の不安、恐れ、怯えを吐露。Bさんは、夜遅くまでいて、
ずっと手をしっかり握っていてくれていた。

そのBさん通して、すぐそばにおられるイエス様がわかった。
主が共にいて下さっている。

その時を境に、Aさんが変えられて、目が状況でなく、
しっかり神様に向いた。視点が変わった。

恵みを数える言葉が口をついて出た。苦しい状況の
中で、素直にその中にある恵みを数えることができる
ようにされた。

それも、子供が「お母さん、今日はもう恵み数えた?」と
帰宅するや励ましてくれる。親子で一緒に、日毎に恵みを
数えて、数えて、感謝して感謝して行けた。

その時に、ふとAさんの子供が言った。
「世の中には長い時間を過ごしても縁の薄い親子がいる。
私の友達も仮面親子のような関係の子もいる。

親がいない方が良いとさえ言う子もいるけど、たとえ
時間は短くても、私はこの親で良かったと思う。

たとえ贅沢は出来なくてもお父さんがお父さんで、
お母さんがお母さんで良かった。
時間が短くてもこの親が私の親で良かった」と。

感謝が溢れた。毎日、毎日、恵みを数えつつ、神様の恵みが
更に見えて行った。


それを聞いたCさんが「私も、恵みを数えるように
されたんです!すると、ほんとに今まで見えなかった
恵みが見えて来るから不思議です!」

恵みが恵みを呼び、伝染して行く。

Eさん「『救急車より、Bさん呼んで!!』に感動しました!
そんな友がいるって、すごい幸せで、素晴らしい恵みですよね」