2011年03月09日(水)
  「楽しい交わり」

時々、婦人たちでランチをする。

有益な交わりは、とても楽しい。食事を
しながら、大笑いしながら、恵みをワイワイ
と語り合う。.

Aさん「私は、対人関係で、御霊の導きに従う事
を言われてる。

対人関係で、ムッとすること、腹の立つこと
言われたり、されたりした時に、怒ってはいけな
いと、グッと我慢する。

でも、我慢だから、必ず蓄積されて来る。それが
次々溜まるので、鬱積し、許容量オーバーになると
ドカーン!爆発する。

必ず爆発してしまう。その時に、あの時のあれが〜、
この時のこれが〜、その前のあれに、更に前の
これが〜もう詳細に、根に持ってる、恨み
つらみが大爆発(笑)

これを繰り返してる。我慢していて、溜まったら
爆発、又、抑え込み、満タンになると爆発。」

Bさん「Aさん、それは、自分の力で我慢してるわ」

Aさん「そうですよね。自分の力でやってるから、
自分の力で抑え込んでるから、必ず爆発するんです
よね。そうなんだと、自分でも思う。」

Cさん「時差があるだけで、結局、言いたい事全部
言ってるんじゃ」(大笑)

Aさん「そう!(笑)きれいに、一つも残さず全部
言ってる」

「結局言うんだから、いつも学んでるように、その時、
その時に、自分の気持ちとして、きちんと表現するべき
ですよねえ。
自分の気持ちを言わないと、理解し合うこともできない
ですよね。

それを、抑え込んで、良い人の振りをして、良い人に
なってて、
後日、爆発させて言うのは、余計良くないですよねえ。
自分の姿が見えて、感謝です。」


「婦人の交わりが感謝で、誰にも裁かれないから、
何でも言える。本音が言える。皆が受け入れてくれる。」

「自分の事を聞いてもらう中で、自分の心が整理
できて、自分の心が自分でわかって、自分の罪が
わかる。その事が感謝でならない」

「問題と悩みを抱えている時もあり、沈んだ重い
気持ちで来るが、御言葉と交わりで、必ず心すっ
きり、平安になり、心新たにされて帰れる。

神様が、真ん中におられる交わりは、心恵まれ、
心満たされる。










2011年03月07日(月)
  「導いて下さる主」

辛い状況にいるAさん。
「ずっと批判されて、ダメ出しされ続けると、
緊張して、普段出来ている事も、出来なくなって。
すると、又、余計に注意されて、悪循環に陥って
しまって、しんどいです。」

「わあ、萎縮してしまうね。」

「そうなんです。自分の良さが全然生かせず、
逆の方向に向かってて、仕事が楽しかったのに、
楽しくなくなって、苦痛になり、気持ちが落ち
込んで行く」

段々、職場に行くのが苦しくなって来て、ストレスが
身体にも来るようになった。

配置転換を希望すると、上の人が考慮し、努力してくれ
るのだが、どうしても状況的に難しいようだ。

すごく辛くて苦しいんだけど、祈ってて、即、辞めてしまう
のも、何か違う気がするし、神様が何か教えようとして
おられるのかなと。

「あ、Dさんが、同じような状況。
やっぱり、神様が今まで導いて下さったから、辞める
のは何か違うと感じると。

どんどんもう全く余裕の無い、苦しい状況に追い込まれ
てるんだけど、神様に拠り頼むためじゃないかと。

余裕があれば、絶対に神様に頼らない。頼る必要が
無いから、自分の力で全部出来てしまう。自分で
してしまう。

神様に頼らせて下さるためには、ギリギリの瀬戸際
まで追い込まれないと、頼らない。

自我が砕かれて、神様に拠りすがれるようにして
下さってるんだと思うと。

Aさん「あ、すごくわかります!私も、きっとそうなんだ
と思う。祈ります!!
上の人に、申し出ても、状況変わらないから、神様
が今の環境を与えておられるんですよねえ。
神様に、心底頼る時にして下さってるなら、嬉しいです。
感謝です」


Eさん「私、苦しい状況があったんです。自分の力量を越え
ていて容量オーバーかなと。
それで、もし御心なら、取り除いて下さい、御心教えて
下さいと祈った。

すると、しばらくして、取り除かれたんです!自分から退いた
のでなく、状況的に、しなくて良くなって。
気持ちが楽になって、感謝でした。

自分の能力越えてて、ほんとに自分にはわからないし、
出来ないなと思っていて、周囲に迷惑かけることになるし、
心平安で、感謝です」

「現実ちゃんと認めれて、Eさんのへりくだりすごいなあ」

神様はそれぞれに応じて、個々人を愛して、ふさわしく導いて
下さることに感謝だ。


2011年03月05日(土)
  「委ねること」

Aさんが話して下さった。

イエス様を信じて救われ、自分としては、イエス様
のためにと、一生懸命に奉仕し、頑張っていた。

人々が救われなければ滅びるので、救われるようにと、
熱心に伝道に励んだ。
集会に出席し、できる奉仕は引き受け、頑張りに
頑張った。

そんな歳月を経る内に、それが、良い事をしているのに、
どんどんしんどくなって行った。
イエス様のためにと、頑張っているのに、やがて心に
喜びも平安も全く無かった。
しんどくてたまらない。これは一体どういう事なのか。

力も尽きて行き、そんな時に、イエス様が教えて下さった。
自分の力で突き進んでおり、自分がイエス様を背負って
いたことを。
自分がイエス様を背負うので、重くなり、疲れ果てて、
辛くなり、負いきれなくなってしまう。

その時に、イエス様が「わたしがあなたを背負う」と
語って下さり、もう瀬戸際の中で、自分自身を明け渡
した。

イエス様が自分を背負って下さった。

その時から全く変わった。180度変えられた。
自分が主を背負うのでなく、明け渡して、主に背負って
いただいた時に、心が喜びでいっぱいになった。

嬉しくて、嬉しくて仕方がない。
あれほど、辛くて、苦しくて、しんどかったのが、全く
自由にされて、主のための働きが楽しみと喜びに
変わった。

「今は、全然しんどくないです。楽しいんですよ」

「イエス様を背負わずに、背負って頂くことですね」


「この明け渡すことが、なかなか出来ないですね」

「委ねるというのは、言葉にすれば簡単だけれど、
出来ないですよねえ」

「自分でやりたいし、自分でしてしまう。
それに、神様がよくわからなければ、とてもじゃないが。
恐くて委ねられない」

「瀬戸際で、せっぱ詰まって、どうしようも無くなって
委ねることができたのは、感謝なことだったと思います」

2011年03月02日(水)
  「ノー」を言う

「ノー」が言えない、「境界線」の問題を話し合う。

心の中では、「ノー」なのに、表面上は断れずに
「イエス」と言う。

しかし、心では「ノー」なので、嫌々、強いられて
事を行なうことになる。

それがしたくて、しているわけではないので、
それが重なると、しんどくなり、心の中は、怒り、恨み、
つらみで、悶々状態になる。

「それ、自分だ。すごくわかります。

対人関係で、相手からトラブルを持って来られる場合
がある。
こちら側では、迷惑かけないようにと注意を払っている
のに、相手から、迷惑をかけられる。
その時に、いつも自分は嫌な気持ち、腹が立つ気持ちを
抑え込んで、我慢していた。

我慢をしているが、心の中では、相手に対する怒り、裁く心、
憎しみが渦巻く。
そして、そんな事を思う自分が嫌で、自分が嫌いで、自己
嫌悪に陥る。
その繰り返しだった。

「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」と言いなさい、
という御言葉、境界線の学びを通して、

初めてきちんと、相手に「〜〜そのようにしないで下さい」
と、自分の思いを言った。

相手は怒って、暴言を浴びせて来た。

一方的な罵りだが、心に堪えて、辛かった。しかし、ずっと
祈っていると、心が段々落ち着いて来た。

そして、数時間経た時に、初めて、きちんと言えて
良かったと思えた。

今まで、心では思っているのに、我慢するので、怒り
恨みがふつふつと湧いたが、それが無かった。

きちんと自分の思いを表現したので、怒りも恨みも心に
無く、それで自分を嫌になることも、自己嫌悪になる
ことも無かった。

きちんと境界線を引くことの大切さを、身をもって
学べた経験だった。