2011年05月30日(月)
  「あわれみ」

小さい頃、教会に来て、神様を喜び、
小さな心で祈りもし、大声で賛美をしていた
Cちゃん。

遠方に引っ越して、ずっと教会へ行かないまま
大人になった。その小さい頃から全く教会へは
行っていなかった。

お母さんも引っ越し後、教会へ行かないまま、
もう10数年経た。

そのCちゃんが、何かあったらしく、突然教会へ
自分で行き出し、ずうっと朝早く起きて教会へ
毎週行っていると。
お母さんも一緒に教会へ行こうと誘っていると。

今、Cちゃんは窮地に立った祈りが、次々と
答えられて、神様を経験している。

Aさんは、丁度同じ頃、教会に集っていて、Cちゃんも
Cちゃんのお母さんとも知り合いだ。

Cちゃんが神様に帰ったことを、もうびっくり!嬉し!!
で、一緒に心から喜び、何でもお出来になる、神様の
御名を崇め讃えた。

「神様すごい!!本当に、すごいねー!!」Aさんの
顔が輝いた。

底の底に、神様の尽きざるあわれみがあり「あわれみ」の
ゆえに、事をして下さる。

Cちゃんママも「私も神様から離れていたんです」
親の育児がどうのこうのではない、親も関係無い。
本人の善行でもない、行いにいっさいよらない。

神様のあわれみを見せられた。

そのあわれみに、私たちも拠りすがって行ける。
どんな状況に、状態になろうと、底に、神様のあわれみ
があり、あわれみにすがれる。

Aさんと共に、その神様のあわれみを覚えて、心が喜びに
溢れた。心満たされた。


「ふたりの盲人が大声で、『ダビデの子よ。私たちを
あわれんでください』と叫びながらついて来た」
マタイ9:27

「すると、彼らの目があいた」


「その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて
言った。『主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください』」
マタイ15:22

「すると、彼女の娘はその時からなおった」


「主よ。私の息子をあわれんでください。てんかんで、
たいへん苦しんでおります」マタイ17:15

「その子は、その時からなおった」



「私をあわれんで下さい」との道が開かれている
ことを見せて下さった。


2011年05月30日(月)
  「自我」

遠方より、友来たる。
とても楽しい交わりに祝福だった。

人生の紆余曲折を経たAさん。
「今、子供が神様に反発してるんよ」

「いい事よ。神様を認めてるから反発してる。
いろんな所、通ればいいよね(^^)」

Aさん「そうなんよ!今は、大きな目で見守れる。
自分の心も穏やかで平安。
もっと小さい時に、そうしてやれば良かったと。
出来なかったんだよねえ。結局、神様の愛は全く
伝えられずに、律法だけしか伝えられなかった。

子供に、神様を押しつけていただけだった。
それって、一見良い事に見えるだけに、気づかない、
わからないよねえ。
今はこうやって、こんなに心安らかに、平安に見守れるのに、
出来なかったんだよねえ」

「Aさんが変わったんだよ」

「そう!私、変わった。ほんとに変えられた。苦しいところ
や辛いところ通ったけれど、自分が変えられるために、
どうしても必要だったんだよね。
そうでないと、自分は絶対に変えられなかった」

「自我ってすごいよね。自分の自我の強烈さ、もう岩の
ように固くて、固くて、頑固で、もうその自我がグワーっと、
煩悶、悶々、自分がどこまでもあって、自分を通したくて、
正当化したくて、物凄い強い罪の性質」

「わかる、わかる。ほんとに自我は強烈、物凄いモンスター。
信仰生活って、それが砕かれて行く歴史だよね」

「痛くて、辛いけれど、自分で、自分が変えられているのが
わかるから、ほんとに感謝だよね。以前の自分とはっきり
違うもの。」

「正しい、良いことの中に、親のエゴが隠れていて、全く気
づかない。絶対見えないね。砕かれて初めて見えて来る。
それも、あれも親の自我だったんだと。正しいことを
していると思っているから見えない」

「下の子の方も、どうしてもしたい事があって、それも
以前の自分だと、絶対に阻止!とんでもない!
絶対に許さない。
でも、今は、子供が、自分がしたいなら、見守ってやろうと、
思える。自分で責任持てばよい。心は全く平安なんよ(^^)」




2011年05月18日(水)
  「人にできないことが、神にはできる」

Aさんが、経済的に厳しくなり、不安で、あれやこれやと
収入のプランを立てていた。
しかし、平安が無い。神様のみこころか、肉の思いか、
わからないので、祈りますと。

祈っていると、段々と心の内が照らし出されたと。
神様ではなく、お金によって、安心を得ようとしている事に。
神様でなく、お金に頼っている事に。

「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を
滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲
とに陥ります。

金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。
ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から
迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました」
Tテモテ6:9


収入プランも、ひとまず神様に明け渡すように示された。
頭ではよくわかるが、しかし、余りにもしっかりと握っていて、
明け渡す事ができない。したくない。

「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるから
です」マタイ6:21

でも、お金に心があるなら、決して神様を知ることは
できない。そんな事は嫌だ。

しかしながら、心は執着していて、どうしても委ねる事が
出来ないので、「出来ません」「出来ません」
「明け渡したくありません」と、ずっと祈っていた。

自分のありのままの姿を認めて、数日間、心のままを
祈り続けていると、不思議な事に、神様が自分にとって
最善をして下さるのだから、自分の思いが成っても成ら
なくてもいいや、と思えて来た。

自分は出来ないので、出来ませんと祈っていると、自然
に明け渡せるように、心が変えられて行った。
自分が固執して、握りしめていた、収入の手段も、もう
いいと思えた。自然に、神様に渡せていた。

すると、何と!突然、全く思いもしなかったところから、
収入の道が与えられた。高収入のバイトの依頼が来た。
まさに天から降って来た感じだった。

握りしめていた手を放した時に、神様のみわざが
現れた。
手を放す事ができたこと自体が、神様の恵みであり、
神様に、不可能は一つもないことを、又、見せられた。


不思議だが、いつも出来ないことをありのまま正直に
認め、「出来ません」「〃」「いや、出来ないのではなくて、
したくありません」「したくありません」と本音をありのまま
祈っていると、

それが、不思議に出来るようにされる。
みこころを行なえるようにされる。
いつも経験するところだ。


「それは人にはできないことです。しかし、神には
どんなことでもできます」マタイ19:26

2011年05月13日(金)
  「赦せた」

Aさん「人が赦せたんです!!」

「え!!すごい!」

「赦せない思いが、どうにもならなかったんですが、
神様に自分を明け渡した時に、心が変えられて、
やっぱり自我ではなく、神様に従いたいと思ったら、
赦せたんです」

「あれだけ長い間、悶々状態で、堂々巡りで、どうしても
怒りでダメだったよね。
そこで止まってしまっていて、前に進まないんよね。」

「そうなんです。どうしてもダメで、ある時は赦そうと
頑張るんですが、元に戻る。
それが、私、何もしていないんですけど、自分自身を
明け渡したら、それが、不思議に赦せたんです。
すべて神様の力です」

皆で、「すごいわー!!びっくり!!あれだけ、悶々
だったのにねえ。そりゃあ、神様の力!すごいです
ねえ。奇跡だ。」

その後も、対人関係で、ちょっとしたつまづきがあった
時も、「傷ついて、嫌だなあと思ったんですが、神様
に従おうと思えて、そうすると、『へりくだりなさい』で、
こっちからへりくだって、対応できた。
すると、不思議に、また赦せて、ほんとに神様に
感謝です」

「えらいねえ」

「不思議なんです。自分でも、絶対に赦せなかったのに、
自分自身を丸ごと神様に委ねたら、不思議に、赦せる
ようになって。自分じゃないんです。神様すごいです」

「楽になったね!」

「すごい楽になった。がんじがらめで、牢獄の中でした。
自分がものすごく苦しくて。でも、赦したくなくて(笑)」

「そうそう。赦さない心って、自分から牢獄に入るん
よね。四六時中、拘束されて、自由がなくて、苦しい。
解放されたね」

「はい!解放されました!(^^)」


ほんとに「それは人にはできないことです。しかし、
神にはどんなことでもできます」マタイ26



「神様に従うということも、教えられました。一つ一つ
目の前に導かれいること、示されていることを実行
して行くと、神様の御声が、次々と聞こえて来て、

示されている目の前の事に、従わないでいると、
その神様の御声が止まってしまって、聞こえなく
なってしまうですよぉ。

目の前の一つ一つに、従順に従うことの大切さを
教えられました」

「従うと、平安ですよねえ。神様の平安は、何にも
代えられないですよねえ(^^)」




2011年05月11日(水)
  「尽きないあわれみ」

遠方から祈りの要請が来た。

Aさん。娘が一人で住んでいる住まいが、突然今月中
で出なければならなくなったので、祈って欲しいと。

車が無いので、職場になるべく近く、家賃もできる
だけ安い所を。
毎日探しているが、なかなか良い所がなく、急を要する
ので、とにかく祈りをお願いしますと。

バタバタしていて、即、返信が送れず、祈っていた。
そして、「祈ってるので!!」との返信を送った時
には、「昨日もう与えられた!」との返事。

え!! すごい!! 神様だー!!(^^)/

Aさん、娘の窮地に、ふと、マタイ6:25〜34が
浮かんで、娘に、その箇所を読ませたと。

「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れも
せず、倉に納めることもしません。
けれども、あなたがたの父がこれを養っていて
くださるのです・・

あなたがたがのうちだれが、心配したからといって、
自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけが
ありましょうか。

そういうわけだから・・心配するのはやめなさい。

だから、神の国とその義とをまず第一に求め
なさい。そうすれば、それに加えて、これらの
ものはすべて与えられます」マタイ6:25〜

祈るなら、必ず、必要を与えて下さる、一番
ふさわしい家を与えて下さると。

娘も、自分の聖書を読みかけており、その箇所
を読んだ。

そして、数日後、娘が一つの住まいを見に行くと
行った時、母親の彼女に、再度マタイのその箇所
が浮かび、なぜか「そこに決まる!」と確信めいた
ものが心に来た。

結果的に、家主さんに、娘が大変気に入られ、「明日
から来てもいいよ」と、即、その家に決まった。


祈っていた時には、もうすでに答えが与えられていた。
そうなんだと、目の前に見せられ、とても恵まれた。

今、様々な祈りを献げている。まだ答えを、目にはして
いないが、御心にかなった祈りは、すでに答えられて
いる!!
神様の時に、目に見える形で、目の前に現して下さる。


そして、神様のあわれみは、尽きないこと。

母親のAさん「実は私は随分神様から離れていたのですが、
なぜか、御言葉が心に浮かんで来て」

どんなに神様から離れていても、窮地に神様を見上げる
なら、神様は、即、手を延べてあわれんで下さる。

どんな時にも、何があろうと、最後のギリギリの所に
あっても、最後の砦がある。
主の「あわれみ」に拠りすがることができる。

「主よ。私をあわれんで下さい」と言える。



「主のあわれみは尽きないからだ。
   それは朝ごとに新しい」哀歌3:22

2011年05月08日(日)
  「拠りすがる」

前述のAちゃんが、神様のもとへ帰った朗報と、
連休に、次男を訪問、丁度その土地へ行った
事で、様々な神様の恵みが思い出された。

あの頃、なぜか、試練に次ぐ試練の人々ばかり
が集っていた。
余りの試練の厳しさに、皆で、神様に追いやられ
心底、神様に「拠りすがる」経験を与えられた。

神様に拠りすがるしか、何のすべも無かった。
「すがる」ことの実際を経験させられた。

そして、バンバン祈りが答えられた。
祈る祈りが、次から次へと答えられ、奇跡に次ぐ
奇跡を見せられた。

Bさん「あの頃、思い出すたびに、ああ、神様は
あんなにも祈りに答えて、ずうっと奇跡を見せて
下さったと、もろに、神様のすごい働きを見た事に、
どんな時も、今一度励まされて、感謝です」

経済的苦境のCさんが「神様、米が無い!どう
してくれる!」と、祈った途端、引っ越し作業を
していたDさんが来て、
「今からしばらくホテル住まい。これ、お米使って
くれん?」沢山の米が来た!
Cさん「神様、ごめんなさい。感謝します」

Dさんの子供達に寒くなる中、防寒具が無かっ
た時、丁度、子供クリスマス会に誘われた。全員
もれなく、くじによる豪華プレゼント。当たったもの
を開けてみると、子供達の防寒具!それもサイズ
がピッタリ!

Eさんが出産費用が無くて、泣いていた時、
全く知らない方から、出産費用にと40万の愛の献金が。
皆で驚いて、主の御名を崇めた。神様は何でもお出来
になる。

赤ちゃんのミルクもおむつも無くなり、食糧も無くなった
時、神様に祈ると、お見舞い金が入り、当座のミルク
とおむつが買え、無名の愛の献金があり、丁度開店
した大型スーパーが破格の激安商品で、山盛りの
食糧が与えられた。

Fさんも出産費用が無かった時、パニックだったが
無名の愛の献金があちこちから溢れるばかりに献げられ、
完璧に満たされた。

子供に修学旅行に行くお金が足らなくて、子供が「行か
なくて大丈夫だから」と言ったと。
大丈夫じゃない、幾ら足らないのかと聞くと、2万円。
「え!」その日、預かって来た無名の愛の献金が2万円。
神様が生きて働いておられる、みわざにびっくり!!
修学旅行へ行けた。

こんなみわざの数々は、もう枚挙にいとまがない、
書ききれない。

神様を呼べば、ビンビン響き、答えられ、生ける
まことの神様を皆で見せられ、経験させられた。

その頃の皆に会う度に、「あの時はすごかったね。
ずうっと奇跡だったね」

恵みはいつも十分で、神様の力が「弱さのうち」に
完全に働くことを見せられた。


2011年05月05日(木)
  「種」

遠方から、祝福の便りが来た。

小さい頃、大喜びで、お母さんと一緒に、教会に来て
いたAちゃん。
礼拝で、大きな声を張り上げて、嬉しそうに一緒
に賛美していた。

Aちゃんはいつもナースリーで遊んでいたが、少人数の
時は、時に礼拝に出る事もあり、そんな時、牧師は子供
にもわかるように、やさしい言葉で、又、ジェスチャー
も入れながら、メッセージした。

すると、身振り手振りでの表現に、大笑いし、大喜びし
ながら、Aちゃんは、身体で喜びを表現していた。
メッセージを理解しているのがわかり、大人にも笑みが
こぼれた。

家でも、聖書の絵本を大喜びで、見ていたり、お祈りを
よくしていると、お母さんから聞いていた。
神様のことを本当に喜んでいた。神様が子供に与えて
下さる素直な信仰を、いつもAちゃんに見て恵まれて
いた。


天真爛漫で、明るくて、そして賢いAちゃんだった。

遠方に引っ越してから、教会に行けなくなり、もうすっ
かり大人になって、教会へは行っていない事を聞いていた。

大人になって一度も会った事がないので、小さい頃の
思い出、面影があるばかりだった。

そのAちゃんが、何か色々あったらしくて、最近ずっと
自分から教会へ行っているとの素晴らしい知らせが
届いた。

毎週教会へ行き、日曜はずっと昼まで寝ていたのに、
朝早く起きて、バスで自分で教会へ行っていると。
神様に祈ることをし、良い仕事が与えられたと。

本当に喜びの知らせだった。心に喜びが溢れた。

そして、神様から見せられた。
どんなに神様から離れていても、小さ時に、蒔かれた
御言葉の種は、確かにAちゃんに宿り、根付き、
こうやって、神様の時に、芽吹き、実って行くことを。

種にいのちがあり、力があり、神の霊があり、
御心のままに、芽吹かせて下さることを。


小さい時に御言葉の種が蒔かれている
Bちゃんも、Cちゃんも、Dちゃんも・・
祈り続けて行くことを、大きく励まされた。



2011年05月02日(月)
  「従うこと」

Aさんと話していて。

Aさん「神様の御言葉を聞くことの大切さを
教えられて、心して御言葉を聞くようになった
のですが、聞きっぱなしだと気づかされた。

心に何か平安無く、思い煩いや不安感やらが
ずっと堂々巡りしている。全然前に進まない。

聞いた御言葉を行っていない事に、気づかされ
た。御言葉を聞くだけ聞いて、そこで止まったまま。

御言葉に従う事には、信仰と決心と勇気がいる。
自分にとって、ものすごく出来ない、難しい事だった
けど、決心して、御言葉に従った。

ほんとに、もろに自分の弱さの箇所で、手放したくない、
握っていたい。だから従いたくない、従えないんだけど、
でも、このままでいたくないし、心を決めて、従った。

すると、悶々としていた心が、すっかり平安になって
しまった。心が明るくなって、すっきりして、また御声
が聞こえて来るようになった。

従わない時って、御声が全然聞こえなくなるんです。
ばったり途絶えてしまって。
今回よくわかった。一つ一つ、目の前に示された事
に聞くだけでなく、従って行くことを学ばせられました。

従うことは、自分にとって痛いことがある。捨てたく
ないものや、自分の思いを通したいことなど、なか
なか、すんなり行かない。

けれど、そんな時って、心に全然平安がなくて、虚しいし、
神様が見えなく行ってしまう。
そして、自分の欲望ばかりが、どんどん大きくなって
行ってしまって。
示されていた事に、従えたことが、神様の恵みで、感謝
です」


自分の思い通りになっていても、心に平安が全然無い
事が、わかる事が感謝だ。

目の前の一歩に従わないと、そこに止まったままで
あることがよくわかる。

聞いた御言葉に、目の前に示されている御心に、
従って行けますように!!


「あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたの
ひとり子を惜しまなかったから、わたしは確かにあなたを
大いに祝福し・・

あなたがわたしの声に聞き従ったからである」
創世22:18