2011年06月21日(火)
  「妨害」

サタンの妨害の話題になる。

Aさん「デボーションしようとすると、心が集中
できなくなる。集中できないから、聖書読んでも、
ぼおっ〜と読んでいて、何読んだかわからず、
嫌になってしまう。

祈ろうとすると、考え事になってしまって、
時間ばかりが、ダラダラと過ぎて、何している
のかわからない。気持がしんどくなって来る。

それが、家事をし出すと、もうバンバン出来る
んですよぉ。もう張り切って、集中してどんどん
手際よく、片づく。不思議ですよねえ。

これ、サタンですねえ。ほんとにデボーションを
取りたいんですねえ。」

Bさん「ほんとに次々見せられて、引いて行かれるよね。
ちょっと朝の片付け済ませてから、気持ち良く
デボーションしようと思う。

同時に、洗濯機回したら、時間が有功に使えるとの、
思いが来る。でも、回したら、干さないといけないです
よねえ。

ついでに、掃除機もかけて、布団も干してと、思いが
来る。ほんとに、はっきりと声が聞こえる(笑)

好天で気持良いから買い物に出よう。その声に
つられて行くと、気がつくと、夕方になっていて、
デボーションができていない。
ほんと、サタンですねえ」

Cさん「教会に行く時に、サタンが来る。朝起きるのが、
しんどくて、身体はだるいし、行きたくないなあと思う。
毎回〃来るんですよぉ。ほんとサタンです。

来てしまったら、どうもなくて。恵まれて、教えられて、
祝福される。来て良かったと思う。
いつもサタンは、祝福を奪いたいんですよねえ。」

Dさん「神様に示された御心を行なおうとする時に、
必ず来る。
したくない思いや、しなくていいんじゃないかとの
思い、後でしようと延ばそうとする思い、必ず
妨害が来る。
祝福を奪いたいんですねえ。」

Eさん「献金する時に、サタンが来る。お金に
執着する心が出て来る。献げるのを渋る心が
ふっと湧く。
それが、献金袋に入れ、手を放した途端、思いが
きれいに消える。まさにサタンなんですねえ」

Fさん「あ、同じだ!家の家計が圧迫してくると、
渋る心が出て来る。
でも、献金袋に入れた途端、思いがパッと消える。
消えるよね!サタンなんじゃあ」


「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に
立ち向かいなさい。
そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ
去ります」ヤコブ4:7





2011年06月19日(日)
  「苦しいが、感謝とされる」

Cさんが大きな試練を通った。

対人関係で、数年間、非常に辛い状況に陥った。
好きな事をしていた中での、苦しみであり、もう
余りの辛さに、その好きな事も止めてしまおうと、
何度も思った。

しかし、好きな事であり、その事自体は大きな慰
めと喜びを与えてくれた。

しかし、対人関係で辛く当たられると、しんどくて、
苦しくて、心は悶々状態だった。

一方的に攻撃され、嫌な思いをし、相手への
赦せない思いがふつふつと湧いて来る。
又、自分に何か悪い所があるのかと、自分を
責める思いが出る。

ずっと心苦しく、悶々状態であった。

その間、神様に祈り続けていた。その祈りが
あったからこそ、苦しい中も、止めないで来れた
と思う。忍耐与えて下さったと思う。

辛く苦しい悶々の日々、相手を裁いたり、
責める思いが来ると、平安が無くなる。

祈りの中で、結局は、それは相手に支配
される事になり、思いをストップすること
止めることを選択し、意志を向けた。

肉の思いを、ストップすることを選んだ。
すると、思いが消えた。悶々の思いが無く
なった。
神様のみわざを経験した。神様を実感し
感謝でならなかった。

そして、今、この辛い厳しい試練を通って
良かったと思えると。感謝していると。

今までそんなに大きな試練も無く、順調な中を
来て、周囲も良い人に恵まれていた。

初めて対人関係の苦しみに会い、ちょっとは
人の痛みがわかるようになった。

そして、人は人と、人の事が気にならなく
なった。

Dさんも、対人関係で苦しんだ。
個人攻撃されて、言ってもいない事を
言いふらされ、事情を知らない人には、変に
思われもした。

説明して歩くわけにも行かず、落ち込み、
悩んだが、御前に祈り続けた。
関係者と話し、解決に至った。

その試練を通して、人の事が気にならなく
なった。解放された。
人が気になって〃仕方がないのが自分の
弱さだった。
その所を神様が取り扱って下さって、自分を
変えるためであったと。
その事があって良かった、感謝でならないと。


「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせ
でした。
私はそれであなたのおきてを学びました」
詩編119:71


試練は、その時は苦しいが、後に、神様のみわざが
わかり、感謝と喜びに変えられる。


















2011年06月17日(金)
  「いやし主」

Aさんが死線を通られた。

突然の病の宣告で、先も全くどうなるかわからない。

ご主人はクリスチャンだが、教会へは行っていなかった。
それが、転勤でこちらに来たと同時に、教会へ行きたい
との思いが与えられていた。

そんな時に、奥さんの病が発覚。
「妻に是非教会へ行って欲しい、神様を知って欲しい」と
ご自分も教会へ、神様のもとへ導かれた。

Aさん「もうただただ不安で、心は真っ暗でした。
先が全く見えず、暗闇の中でした。

周囲のクリスチャンの方々が親切にして下さって、
Bさんは聖書を下さって、Cさんは訪ねて下さって、
一人一人の人との「出会い」をすごく感じました。

そんな時に、牧師先生が病院に訪問して下さって、
聖書のお話をして下さった。
イエス・キリストの十字架のことを聞いた時に、
すうーっと心に入って来て、心に染み渡って、
もう涙が出て、溢れて来て、止まらなかったです。

信じたいと思い、その場で信じました。
すると、不安で、不安で、真っ暗だった心から、
不安が消えたんです。

心が安らかになって、その後の治療も
体力的にも精神的にも大変なんですが、治療が
やり遂げられ、終了できました。
本当に神様の助けと神様の力を感じさせられ
ました。

先日、その結果が出て、癒されていました。」

神様の癒しに、一緒に集っているCさんは、
泣いて喜び、皆でほんとに喜び与えられ、
主の御名を崇めた。

「振りかえると、神様が、病の宣告から
一つづつ、すべての備えがなされていた
事がわかります。
神様のことをもっともっと知って、信じて
行きたいです」


「わたしは主、あなたをいやす者である」
出エジプト15:26

暗闇の中から光へ、平安へと、霊肉ともに
癒して下さるお方。


イエス様の十字架の血潮によって、信じる
兄弟姉妹の心と心が交流し、喜びがふつふつと
湧き上がる。

2011年06月12日(日)
  「できません」

Aさんが話してくれた。

「どうしても、タバコが止められなかったんです。
自分では、止めよう、止めようとし、しばし止め
るのですが、ダメで、吸ってしまう。

少しは続くのですが、ふっとした時に、勝手に
手が伸びて、吸ってしまう。

禁煙の会にも行き、悪戦苦闘、様々な事をし、
止めようとするが、身体に染みついているの
でしょうね。ふっと元に戻る。

それをずっと繰り返していて、もうどうしても、
どうやってもダメだと、心底わかって。

『神様、できません』と、主に委ねたんです。
すると、止められました!!奇跡です。
神様です!神様です!!神様しかないです!」

Bさん
「どうしても執着して、神様より大事になってて、
手放せないものが幾つかあったんです。
偶像ですよねえ。でも、どうしても放せない。

お金だったり、好きな事だったり、でも執着
してると、神様が見えなくなることもわかる
んです。
太陽の前に10円玉を置くと、太陽が見え
なくなるように。
平安が無いし、喜びもない。でも放せない。

それで、明け渡したくありません、ダメです
できません、と祈り続けていたんです。

そうすると、不思議だけど、明け渡したいと
思えるようになって来て。
神様から離れたり、神様のことがわからなく
なるのは嫌だと、思えて来て。
きっぱり明け渡すことができました!

すると、心が変えられて、どうもなくなったんです。
執着が無くなった。不思議です。
平安が戻って、神様の御声がどんどん聞こえ
嬉しいです!」


いつも「できません」「したくないです」と祈り続けて
いると、不思議だが、御心を行なえるようにされる。

「したくないです」と祈ると、「したい」に心を変えて
下さる。


2011年06月03日(金)
  「思い出」

久し振りに会ったAさん、一緒に教会生活をしたのは
もう17,8年前になる。思い出話に花が咲く。

「あの頃、楽しかったね」「まあ、色々あったね。試練の
人たちばかりで、もう必死に祈ったね。懐かしい」

いつも夕拝後、午前0時まで喋りまくり、0時の声を聞くと
「そろそろ帰ろうか」

すると、CさんとDさんが「今からマックに行く」とか、
EさんとFさんは「ファミレスにコーヒーを飲みに行く」
「先生たちも一緒に行こうよ」。「ひえ〜〜」(>_<)だった。

皆が半端でない苦しみの中にいたから、交わりが支えで
あり、交わりに交わった。

Kさんが夜中の2時に、Jさんに電話をして「今から行って
もええ?」Jさん「ああ、ええよ」。
KさんもJさんも、大変な試練の中にいて、「神様の話
しかしない」。

厳しい試練にあったBさんが、もう大声で、全身で
力いっぱい、叫び上げると言っていた。

「神様ー!苦しいーー!感謝せい言われても、
感謝でき〜〜ん!!ほんまに見てくれとってんかーー!!
わかってくれとってんかー!!」

少しでも時間があれば、とにかくすぐに聖書を開いて、
食い入るように、読んでいた姿が浮かぶ。
苦しい試練の中で、神様をあがき求めていた。

当時、正直に祈るということを、神様から教え
られていて、気持のそのままを神様に訴えた。

Oさんが、アメリカ人のご主人が教会でクラスを
持つのを一緒に奉仕することになった。

夫婦で祈った時に、Oさん「神様。私はしたくありません。
私はしたくありませんが、でも、神様に従いたいので、
神様にしたがうゆえに、夫に従い、この事をします。
お委ねしますので、私を助けて、導いて下さい」と祈った。

「もう、主人が目を丸くして、それはびっくりしてたよ。
今、日本人集会で、神様から正直に祈るることを、皆で
教えられてるんだと話すと、

主人が、ほんとに驚いて、しーんで、しばらくして、
『うん。僕もその方がいいと思う』と。」

「沢山の祈りが、次から次へと答えられて行ったね」

「目の前で奇跡に次ぐ奇跡を見て行ったね」

自分自身も神様から、ものすごく教えられた
交わりだった。


2011年06月01日(水)
  「彼らの行いはついて行く」

1ヶ月半ほど前に、ご高齢のAさんが天に帰られた。

Aさんを知る人々に連絡を送り、海外にも送った。

Bさんが「Aさん天に召されたのですね。穏やかな、
キリストの香りを放つ姉妹でしたよね。
私も、Aさんのように、老後を穏やかに過ごしたいと
思います」

70代になってから、イエス様を信じられたAさん。
なかなか御言葉がわからず、どうしてもわからない
中、学びにずっと来られていた。

Aさん「牧師先生が、私にわかりやすいように、紙に図
を描きながら、それはまあ、一生懸命に説明して下さる
のですが、全然わからないんですよ。

毎週〃、聖書の御言葉を聞くが、どうしても神様が
わからない。わかりたいのに、わからない。
私は、もう先がありません。そこで、祈りのお話を
聞いて、もう必死でお祈りしたんです。
『神様、わかりませんから、わからして下さい。
わからして下さい』

まあ、祈りに祈りましてね。必死でした。神様が
わからして下さいました!イエス様を信じることが
できました!

それから毎週〃、礼拝に出席されるようになった。
神様を素直に信じられて、素直な信仰を献げて
おられ、
Aさんからは、不平不満はいっさい無く、
「有難いです」「お陰です」「変えて貰いました」
「嬉しいです」この4つが順番に、出て来ていた。

独り身で、身寄りが全く無く、施設で暮らしておられた。
4人部屋で、プライバシーが無い中で、対人関係も
難しい中で、Aさんは平安でおられた。施設の模範で
あられた。

ある時、「もし神様が何でもして上げると言われたら
何が欲しいですか」「もう何でも下さるんですよ。環境が
変わることも、家族が与えられることでも。何でもいいん
ですよ」とお聞きすると、

「はい、今のままでいいです。今のままで、幸せです」
と平安そうな、穏やかな笑顔で言われた。
強烈インパクトであった。


以前、Aさんが教会の機関紙に証しを書いて下さった。

Dさん「私ねえ、Aさんの証しにもう恵まれて、恵まれて。
自分の不信仰さに、自我の強さに、いつもガックリ、落ち込む。
その度に、職場の机の中に、Aさんの証しを入れていて、
出しては読んでるよ。
ああそうだと恵まれて、我に返れて、神様見上げることが
できて、助けられるんよ(^^)/」

天で再びお会いできることが、本当に楽しみだ(^^)/


“また私は、天からこう言っている声を聞いた。
「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は
幸いである。』」御霊も言われる。

「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むこと
ができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」
黙示14:13