2011年07月20日(水)
  「祈ると、変えられる」

思い煩いや、様々なサタンの火矢が、生活の中で
出て来ると語り合う。

思い煩いや、自分が思いたくない思いは、ストップ
すること、止めることが大切と学ぶ。

Aさん「料理をしていたら、思い煩いが来るんですよぉ。
思いたくないから、止めようと、止めた。

そして料理を続けていると、又、思いが来るんです。
それで、再度思いを止めて、料理を続けた。

すると、又、来るんです(笑)又、止めて、と繰り返して
いて、料理を続けながら、「神様!!」と、神様を
呼んだんです。

すると、自分が思ったのではないのに、心に『賛美
したらよい!』との思いが突然来たんです。

それで、料理をしながら、聖歌を賛美し出したんです。
賛美を続けていたら、その歌詞に恵まれて(^^)/
気づいたら、思いが無くなってたんです。感謝でした」

Bさん「Aさんが思いを止めようと、肉でなく、御霊を
選んだから、神様が祝福して下さったんですよね(^^)」


Cさん「子供の将来について、思い煩いが来て、
すごく思い煩ってしまうんです。

思い煩いが高じて行くと、最悪のシナリオを描いて
心が暗くなって、落ち込んで行く。
そうなったためしが無いのに、最悪のシナリオを
描いて、どんどん心が沈む(笑)

『何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝を
もってささげる祈りと願いによって、あなたがたの
願い事を神に知っていただきなさい』

とあり、心がしんどくなり、気持を神様に告げて、祈った。

すると!現状の「感謝」な事が、思いに浮かんで来た。
御霊様だ。ちゃんと守られていること、今できる事を
きちんと真面目にしていること・・

思い煩いと不安が失せて、感謝が心に湧き上がった。

Dさん「わかる!あれも、これも、しなければならない
事が負いきれないほど、うわあと重荷に思える時、
祈ると、大丈夫!と思える。心が楽になる。
すると、落ち着いて、一つ一つ対応できて、結局
できるんですよね。

先の事も、不安を、とにかく祈ると、神様がおられる
から大丈夫だと思えて来る。
不思議ですよね。祈っていると、状況は全く同じで、
何も変わらないのに、心が平安になる。
大丈夫!と思える」


祈る時、心が変えられることを、経験して行く。


2011年07月12日(火)
  「待つこと」

Aさん「家で、メガネが見つからず、どうもどこかに
置き忘れたようで、その日、行った先に電話して
みたんです。

すると、見当たらないとの返事で、家の中かと、家
の中を探し回るのですが、見つからない。

それで、神様に見つかるよう祈ったんです。
1週間ぐらい祈り続けて、探しても、やっぱり
どこにも無くて。

メガネが無いと、どうしても困るし、不便で、もう
お店に行って、新しいメガネを作ったんです。
1週間祈ったんだが、どうなったのかなあ??とも
思いつつ・・。

すると、購入した次の日です。
その行った先から電話があり、忘れ物の届けがあり、
見つかってますと。
来られるかと思い、置いていましたと。

作ったすぐ後で、『えーっ!』と思ったんですが、
その間、放って置いて、連絡入れていない私も私
ですし。

しかし、目の前の事が、一つ違わず神様の御手の中
で起きていること。祈りもしたし、ここで、何を教えたい
のだろうと考えていると、

『待つこと』だと思いが至った。もう一日待てば良かった
わけで、自分で決めて、動いてしまわないで、神様を
『待つこと』を教えられました。」


Bさん「信仰生活全般に渡っての真理ですよねえ。
『待つこと』がなかなか出来ない。ほんとに難しい。
自分でこれが良いと思い、そのように自分の思いで
動いてしまう」

Cさん「でも、Aさん、その出来事の中から、神様が
教えようとされたことを、悟れてすごい!!
神様見上げなかったら、祈ったのに!とか、何で!
と不平不満、反発になりそうですよね」

Dさん「私もなかなか待てない。今まで振りかえると、
本当に導いて下さってるし、良くして下さってる。
だのに、その渦中では、神様を待ち望まないで、焦って、
自分で何とかしようとして、失敗する。

これからの信仰人生に、すごく大切で、重要
なこと学べて、メガネ代に代えられませんよね(^^)/


Aさん「ええ!ほんとにそうです!感謝です!!
生活のすべての面において、神様を『待つこと』に
焦点置いて行きます」


「主を待つ」ことを、皆で、教えられた(^^)/


2011年07月11日(月)
  「まず、主を呼べば・・」

Aさん「嬉しい事があったんです!」

「問題が起こったり、突如の事態でパニック
になる時、必ず、まず身近な人に電話してたん
です。とにかく、聞いて貰おうと。自分の心を落ち
着かせたいのでしょうね。

それが、祈りの学びで、『わたしを呼べ』と、
まず神様を呼ぶことを、繰り返し学び、今回
問題が起きた時、初めて、人ではなく、神様に
呼ばわったんです!

すると、本当に答えられて、事態が導かれたん
です!もう、驚きの喜びでした。
人へ行く前に、まず、神様のもとへ行くことを
教えられました。大きな祝福でした」

以前にBさんが、まだ携帯が普及していなかった
頃に、対人関係でトラブってしまった。

心は波風で騒ぎ、じっとしておれず、主に在る
人々に電話をした。次々とあちこち、〃電話を
するが、それが、全員留守。

「こんな事ってある??あり得んですよね」
次々電話すれど、全員かからない。こんな事
かつて無かった。いつも誰かがつかまった。

「え!?」と思った途端、丁度その週の学びを思い
出した。「祈り」についての学びで、まず主のもとへ
行き、主に呼ばわれ、というものだった。

「あ!!」と思い、御霊は神様に祈れと言って
おられるとわかった。その場で、胸の内やら状況
やら、何もかも神様に申し上げ、祈って、神様と
交わった。

すると、祈りの中で、対人関係のトラブルだったが、
自分の非も気づかせられ、相手に謝ろうと素直に
思えた。
そして、謝罪の言葉まで、的確に一言一句が浮
かんで来た。御霊を感じた。
まず主を求め、主に祈ったことで、大きな恵みを
経験した。

Cさん、ある時、経済的苦境を通った。手持ちが
全く無くなってしまって、取り急ぎの赤ん坊への
ミルク代が無い。
困ってしまい、友人に少し借りようと、ご主人が
言った。給料が入ったら、すぐ返せるからと。

そう言って、ご主人がとりあえず先に、病気療養中
の親を見に出て行った。

その時、一人になったCさん、自分はクリスチャン、
人に借りるより、絶対に神様は与えて下さるはず、
とにかく、まず祈ろうと、その場にひざまずいて、
御前に心静めて、祈り始めた。

30分した頃、ふっと後ろに人の気配を感じて、
振り返った。すると、ご主人がミルク缶と紙おむつ
を両手に持って立っていた。

主を呼べば答えて、即、与えて下さった!!
びっくりして、聞くと、職場の社長が見舞いに
来てくれて、見舞金を手渡されたと。

取り急ぎ、必要な物を買って来たと。


「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに
答え・・」エレミヤ33:3






2011年07月10日(日)
  「神の思いと自分の思い」

「天にいます私たちの父よ・・」
主の祈りから、祈りに二つの部分があることを
学んでいた。

「御名があがめられますように」
「御国が来ますように」
「みこころが天で行われるように地でも
行われますように」

「私たちの日毎の糧を今日もお与え下さい」
「私たちの負い目をお赦し下さい」
「私たちを試みに会わせないで、悪からお救い
下さい」

「神の御名が崇められ、神の栄光が現れるように」
&「私たちの必要」を求める、二つの部分から成ると。

学びを通して、自分たちの必要ばかり祈っているの
では、と話し合った。それは必要だが、二本立てで
あるので、主の御名が崇められること、主の栄光を
求める事がまず大切だ。


Aさん「最初はそういう事も全くわからなかったが、
信仰生活を送り、御言葉を学ぶにつれて、段々、
神様の思いと、自分の思いが違うということに、
気づいて来た。

御心がなりますようにという事は、自分の思い通りに
ならない事だと、わかって来ると、『御心が成りますよう
にでなく、自分の思いが成りますように』との思いを、
心の底ではしっかり持っている事に気づく。

全然わからない内は、自分の願いのみだったが、段々
わかって来ると、『御心がなりますように』が祈れない。
一応口先だけで祈る、上っ面だけの祈りだった。

自分の思い通りになる事は心地良い。自分に都合良くて、
肉にフィットしていて、肉には快適そのものだ。
だから本音は、『御心が成って欲しくない、自分の思いが
成って欲しい』
御心が成るって、自我が砕かれて行くことで、自分には
痛いことと、薄々わかるので、ずっと避けていた。

自分が変わるのは、痛みを伴い、エネルギーが要る。
だから、自分は変わりたくない。
ずっと今まで、自分でなく、人を変えようとして来た。
それだと自分は楽で、それが平安と勘違いしていた。

でも、自己中心な祈りは、幾ら祈っても叶えられない。
今、自分を明け渡して行くことを、祈って行きたい。
御心が成りますようにと、心底祈れるように、自分が
変えられたいと思う。」



「御心成りますように」が祈れないと、わかっている
ところがすごい。
御心が成りますようにと、自分も御心を求めている
「つもり」だと、本当は違うのに、それにも気づか
ない。




2011年07月09日(土)
  「主に告げる」

Aさんに厳しい試練が臨んだ。

以前は試練が来たなら、思い煩いの
負のスパイラルに、どっと落ち込んだ。

神様に委ねなければと、頭ではわかるが、
実際は、自分が取り込んでしまって、心配で、
不安で、どおっと真っ暗闇に落ち込んでしまう。

それを繰り返していた。
神様に渡すこと、頭ではわかるが、自分が
握ってしまっている。心は重く、辛く、苦しい。
どうしても状況に左右され、目に見えるところ
を見てしまう。

しかし、今回、学びでずうっと、祈れ、祈れと
学んでいて、大きな試練が臨んだが、今まで
と違って、とにかく、祈って、祈って、祈った。

ピリピ4:6「何も思い煩わないで・・感謝を
もってささげる祈りと願いによって、あなた
がたの願い事を神に知っていただきなさい」

思い煩う前に、祈りが来て、ひたすら祈り
続けた。
すると、具体的な示しが来て、ああすれば
よい、こうすればよいと、心に思いが与え
られた。

御霊の示しの通りに、実行した。そして、
助けられて、実行できた。

すると、心に平安が来て、全き平安が
心に広がった。思い煩いが全く無かった。

御言葉の通りだった。御言葉に従うと、
その通りに、自分の身に成就した。

「そうすれば、人のすべての考えにまさる
神の平安が、あなたがたの心と思いを
キリスト・イエスにあって守ってくれます」

今まで、祈る前に、まず思い煩っていた。
今回は、思い煩う前に、まず祈った。

この違いが、心に安堵と平安をもたらし、天地
ほどの差になった。



いっさい思い煩わないで、心の内を主にことごとく、
何もかも告げて行く時に、状況は変わらなくとも、
心を平安にして下さる。

2011年07月03日(日)
  「委ねられない」

「委ねること」について、わいわい話していた。

Aさん「サタンからのしつこい誘惑が来て、
自分の弱い所に働いてくる。
思いに働いて来て、神様から離そうとしている
のがわかる。

でも、自分のしたい事、好きな事を絶対に放し
たくない。持っていたい。握っていたい。
でも、それらの事に平安は無い。神様の御心でないと
わかる。

でも、自我は、肉は、放したくない。ずっと悶々状態
で、放すのは嫌だけど、神様から離れるのは嫌だ。
中途半端で、平安も喜びも無いし、肉の喜びは
虚しいこともわかる。

宙ぶらりんの状態が続き、こんな状態でいても
何の実もなく、喜びもなく、とうとう神様に手放す
決心をした。神様に献げた。

すると、あんなに手放せなくて、執着していた
思いがきれいに取られて、思いが消えて、
心が平安になってしまった。

神様のみわざ、奇跡!自分で何一つ頑張った
わけではない。ひとりでに無くなってしまった。」

皆で神様のみわざに、びっくり!!

Bさん「え!ほんとに??ほんとに無くなったん??」

Aさん「ほんとに、思いが消えてしまったんよ」

Bさん「すごい励まされるわ。私も、委ねられるように
祈って行きたい」

Cさん「ほんと、委ねられますように、よね。なかなか
委ねられないから、これが問題なんよねえ」

Dさん「御霊の働きで、神様の恵みですねえ。自分
では出来ない。委ねることが出来ないのが、よく
わかる。肉は絶対に握りしめて放さない。

聖歌「おどろくばかりの」に

♪ めぐみはわが身の 恐れを消し
       まかする心を 起こさせたり ♪

委ねる心を起こさせるのは、めぐみだとある。


「委ねたくありません」の祈りから始める時、
本当に神様が働いて、みわざをして下さる。

Aさんも「神様、嫌です。委ねたくありません」
「委ねられません」とずっと祈っていたら、
神様が委ねられるようにして下さった。



2011年07月01日(金)
  「思い煩い」

「思い煩い」の話をしていると、

Aさん「不安で心配な事があると、ほんとに神様
が見えなくなってる。どんどん不安が募って、心が
真っ暗になる。
最悪の結果を予想してしまって、どよ〜んと
落ち込む。

状況だけを見てるんですねえ。神様見えなくなってる。
以前、必ず試練を乗り越えさせて下さって、素晴らしい
結果をいつも与えて下さった。
振りかえる時、本当にすべての事、良いように導いて
下さって、溢れる祝福、沢山の良いものを与えて下さった。

でも、それが全然見えなくなる。自分の視点の問題なん
ですねえ。」

Bさん「いろんな出来事が目の前に起きる。仕事に
失敗したら、周囲に迷惑かけるし、実際叱られるし、
ひどく落ち込み、思い煩う。

次の対応が不安になる。でも、いつも学んでいる
ように、そこで、神様に委ねたんですよぉ。
すると、本当に神様のみわざを見たんです。
神様の直の助けを経験できて、感謝でした!」

Cさん「そこで、委ねられるからいいよねえ。
委ねることができないのが、問題なんよねえ。
委ねられない。自分がしっかり握りしめて。
自分が何とかしようと思ってる。」

Bさん「わかる。神様に頼るより、自分でした
方が早いと思ってしまう。自分でしてしまう
んですよねえ。でも、実が無いですよねえ。

『わたしを離れては、あなたがたは何もする
ことができない』ヨハネ15:5

Dさん「委ねることが出来ないのは、自分が握り
締めて、偶像、宝になってるんですよねえ。
それで、自分で何とかしようとするから、思い
煩いになる。心が苦しくなる。

神様どうもできないから、そばに立って見ておら
れますよねえ。

『委ねることができません』との祈りから始め
たらいいですよね」

Aさん「そうなんです!以前も委ねられず、〃
どうやっても委ねられずに、心が握ってしま
っていて、でも『出来ません』と祈った時、
委ねることが出来たこと経験しました。
祈ります」