2011年11月16日(水)
  「やめよ」

「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。
わたしは国々の間であがめられ、地の王
であがめられる」詩編46:10

「やめよ」
「わたしこそ神であることを知れ」

何かが起きた時に、
自分の思いと自分の力で、動き回ることを
「やめよ」

「初めに神・・」
まず、神様の御前に静まって、神様のみ思い
を尋ね求めること。


Aさん「これが全然出来ない。つまりは、神様
を信じることができないから、自分で動く。

自分で動くと、必ず失敗する。ちぐはぐになり、
物事がうまく行かない。これを繰り返して来て
いる。
自分の思いで動き、落ち込んでは、これは違う
と気づき、その時は、信じて行こうと思うが、
しばらくすると、同じパタンに戻っている。

何かしなくちゃと焦るし、どんどん不安になるし、
見える所しか、見えなくなって、更に落ち込む。
神様が見えなくなるんですね。
とにかく動いて、何かしていると、肉は安心
するんですねえ。
じっとしていると、不安で、不安で。

でも、教会に来て、流されていた事に気づく。
気づけることが感謝で、どんな時にも、帰れる
所があって感謝です。

御言葉学んで励まし受けて、今一度、立ち返れて、
信じて行こうと思える」


Bさん「自分の思い通りにならないと、落ち込ん
だり、イライラして、神様を『待つこと』ができない
事に気づかされる。

信じて待ちたいと、神様信じていたいと思う。
その事を祈っていた。

ある時、学びの集いに行く時に、ちょっとした
トラブルが起きてしまった。
用を済ませて行こうとしていた時に、相手の手違い
で、時間が取られてしまったのだ。
でも、相手は全く悪気が無い。手違いだ。でもイライラ
しかける。しかし、相手に悪気が無い事なので仕方が
ない。

思い煩いといら立ちが来そうな時、あ!そうだ!!
学びを実践すべく、神様が目の前に事態を送られた
のだと。

目の前のこの事態に、神様の主権と支配を認めて、
神様にすべて委ねることにした。実践した。
神様に委ねて、神様を信じて、待った。

用が終了し、向かった結果は、学びの集いに遅れて
しまい、終わってしまっていた。

しかし、その後、Bさんとお弁当を買い、ゆっくりと
自然の中で、神様に在る交わりが与えられた。
神様からの思いもよらぬ、素晴らしいプレゼントが
備えられていた。

目の前の事態に、神様の主権と支配を認めて、
委ねて、待つという信仰を、体験させられた。」


自分が立ち上がって、事態収拾するのでなく、
主を認めて、主が働かれることを信じて、待つ。

そこで初めて、信仰が少しづつ成長させられて
行くことを教えられる。


「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」
箴言3:6







2011年11月15日(火)
  「静かにできない」

「立ち返って静かにすれば、あなたがたは
救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがた
は力を得る」

「しかし、あなたがたは、これを望まなかった。
いや、私たちは馬に乗って逃げよう
私たちは早馬に乗って」
イザヤ30:15

いつも、この後のほうをしていると、皆で語り合う。
静かに信頼することを望まず、自分で行動を起こす。
自分で動き回る。

静まって、神様を待ち望むことができない。
肉は、どこまでも動こうとする。
肉には、ものすごく強いものがある。強烈だ。
じっと信じていることができない。自分が動くほう
が楽なのだ。


何かが起きた時、即、何とかしなければと
まず、頭がぐるぐる回り、方策を巡らす。

そして、イエス様がぶっ飛んで、まずは自分で
動く。動き回った後に、いつも気づく。
そうではない、まず、神様に祈るということを。


Aさん「私は、いつも全く同じ、培われたパタン
がある。心配な事態が起こると、神様は全く
飛んで、即、ネガティブな「思い」が次々と起こり、
それはサタンと肉だと、わかるんだが、それを
選んでいる。
自分は「思い」です。思いに引きずり回されてる。

必ずそれが最悪のシナリオを描き、しっかり
完成する。最悪のシナリオが出来上がる。
そして、どつぼに落ち込む(笑)

同じ事を、繰り返している。これが自分の思考
パタンですよね。これを断ち切り、御言葉に立
たないと、成長が全く無い。
そこで止まっていて、前に進まない事がよく
わかる。

静かに主を待ち望むことをせず、肉の思いが
うわっ〜と、物凄い勢いで駆け巡り、それを止める
事をせず、肉のままに任せている。
ここが自分の問題です」


Bさん「私はすぐに口に出してしまう。言って
しまう。後で、後悔する。

子供にも、ああしろ、こうしろ、口うるさくなって
しまい、後で、あ、違った、間違ったとわかる。
主を待ち望んで、子供をじっと見守ることをせず
すぐ行動してしまう。

それは、子供のためでなく、親が自分の不安な
気持ちを解消したい、自分を安心させたいため。
エゴですよねえ。
だから、子供がムッとして、嫌な顔をし、何も伝わ
らない。

自分で動かず、神様を待ち望んで、子供を見守って
行きます!!(笑)」


Cさん「わかる。相手のためでなく、自分の不安を
解消させたいために言うから、ぐじぐじと愚痴、
小言みたいになる。

結局、相手への愛でなく、自分のための自我、
だから、御霊によらないから、実を結ぶことがない。
余計、関係が悪化して、双方不愉快な、嫌な気持
になる。

神様にまず自分の思いをすべて告げて、神様
のもとにおろして、委ねて、御霊に導かれて、
御霊に言葉を与えられて、対応して行くことが
みこころですねえ」


2011年11月12日(土)
  「感謝できる」

Aさんが、3年前に、苦しい、辛い、厳しい所を
通った。非常な苦悶、激痛を伴う試練だった。

以前も、厳しい試練を通った。気がどうにかなり
そうなほどの苦しみだった。
朝、目が覚めて、ひと息、息を吸うことがやっと
なほどの状態だった。憔悴しきった。
そんなに人生最大の試練だと思ったが、でも、
感謝できた。

しかし、この3年前のそれに次ぐ試練は、絶対に
無理と思えた。以前の試練は感謝できたが、
これは絶対に不可能。感謝なんて出来る日が
来るなどと思えなかった。絶対に感謝できない
試練。

Aさんが言った「あれから3年たって、今、感謝
できる。あの時は、今も、これから将来も、その
事で、感謝など絶対に出来ないと思ったけれど、
今、本当に感謝できる!
その事があって、ただただもう感謝でならない」

「神様はすごいよねえ。奇跡だ」

Aさん「自分の高ぶりに気づかされた。砕きの
御手だった。砕かれた。
その時は、全く見えなかった。自分が正しいと
思うばかりで、相手をどんどん責めて行くが、
全く気づかない。

自分は正しいというメガネをかけているから、
そのメガネを取らない限り、間違っている事
がわからない。

時を経て、苦しみを通して、砕かれ、冷静に
見えるようになった。

今だと、何で、あんなに、相手を責めたの
かわからない。
何で、あんな風に考えたのかわからない。
今は、受け止めることができる。
自分が変えられた。砕かれたんだと思う」

「あんなに絶対に感謝など不可能と思った
事が、今、心から感謝できるんだから、これ
から何が起きても、ほんとに神様にあれば、
大丈夫で、感謝しかないんだなあと」


「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせ
でした。私はそれであなたのおきてを学び
ました」詩編119:71




2011年11月09日(水)
  「幸せです」

「無力を知る事こそが大きな祝福で、
無力を認める中に、神様の大きな力が働く」

ということの学びをして、色々語り合って
いた。

Aさんが「今、夫と子供との、この生活が、私、
幸せです。私、本当に幸せです。嬉しいです。
神様を知れて、感謝しかありません」
と言われた。

皆で、涙が出そうに、恵まれた。そこに神様
の栄光が輝いていた。

Aさんは、元気に過ごしておられた子供さんが
成長途上で病にかかられた。
来られた頃は、ずうっと泣いて泣いておられた。
話すと涙、涙の日々だった。

どんなに辛い、苦しい、悲しい日々を送って来られ
たか、察するに余りある涙であった。

それが、御言葉を学ぶ日々に、御言葉に触れられ、
歳月の中で、いつしか苦しみの涙が、恵みの涙に
変わって来られた。

神様のご愛や、慈しみ、神様には大きなご計画がある
事、災いではなく、平安と将来と希望のためであること、
すべては益とされること、何よりもひとり子を賜うほどに
愛されていること、

「信じます」と、神様を仰ぐようになって行かれた。

1,2年経た頃、一緒に学びをしていた若いBさん
が「Aさん変わられましたねえ!(^^)
来られた頃、いつも泣いておられたのが、ものすごく
明るくなられて、いつも笑顔と笑い声が絶えない」

そして、そんな頃、学びの中で「すべての事に
ついて感謝しなさい」が出て来た。

ラッキーだから、ハピーだから感謝するのでなく、
どんなマイナス事態でも、「すべての事」を感謝
することを学んでいた。


すると、Aさんが言われた「私、感謝です!感謝
します!子供こと、子供の病、感謝できます。

神様が、神様に出会うために、この事を与えて
下さった!
そして、御言葉学ぶ中で、自分が変えられました。
平安が与えられ、希望が与えられました。
感謝でなりません」

もう驚いた。神様にしかできない、神様のみわざ
だった。


そして、「私、今、幸せです」

「今も子供の小さい頃の写真を見ると、涙が出て
来ます。でも、私、今、幸せです」

2011年11月07(月)
  「みことばにとどまる」

「もし、あなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、
あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
そして、
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由
にします」ヨハネ8:31

みことばにとどまるなら、主の弟子であり、
みことばにとどまるなら、真理を知り、自由にされる。

Aさん「自由にするとの、みことばを思い巡らしながら、
今の目の前の自分のストレスは何だろう。何を窮屈に
思っているだろうと考えて、祈ったんです。

するとすぐ目の前の、ものすごく具体的な事なんですが、
今朝、急に寒くなって、冬服が要ると思ったんです。

服が身体に合わなくなってるので、どうしても必要。
でも、買えないし・・と、心がストレスで窮屈になってる
事に気づいた。

その事を思った時に、それがその前に、丁度今朝
デボーションで与えられた御言葉がヘブル13:5
だったんです。

「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持って
いるもので満足しなさい。
主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決して
あなたを離れず、また、あなたを捨てない』」

新しい冬服を買うのでなく、「いま持っているもので
満足しなさい」と語られ、これがが御心だと、主から
示されて嬉しかったです。

「見栄えが悪い」との声も来たが、神様の御心が
はっきりしているし、その声より、神様の声に
従おうと、祈ると、知恵が与えられて。

持っている服を出して来て、これとこれを合わせ
れば、色が合う、行ける!と(^^)/
心の窮屈が解かれて、自由にされ喜びが来たんです。

ほんとに御言葉の通り!でした(^^)
神様の御声を聞きながら、一つ一つ従って行きたいです。



Bさん「対人関係で、理不尽な出来事があって、帰宅後、
ふつふつと怒りが沸いて来る。自分は悪くないのに、
赦せない思いが出て来る。
翌日、きっちり言いつけようと思った。

しかし、『人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の
前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それ
は喜ばれることです』

『ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても
おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せに
なりました』

御言葉に従って、いいや、黙っておこう、神様はご存じ
だと思えた。言わなかった。

すると、神様が本当に対人関係に働いて下さって、
気持の良い関係にして下さった。心が平安と喜びで
一杯になった。
言わなくて良かったと心から思った。」



御言葉のほうを選んで、御言葉に従って行く時、
ますます、自由に自由にされて行く。


2011年11月04日(金)
  「受け入れる」

「受け入れる」こと・・
信仰生活においても、これがなかなか出来ない。
難しい。

Aさん「『受け入れる』って、出来ないですねえ。
結局、自分が死ぬことですよねえ。受け入れ
られたら、楽になると頭ではわかるが、できない
ですよねえ」

Bさん「うん。自我が邪魔をして、出来ない」

Cさん「受け入れられたら、事態は『解決』ですよねえ。
受け入れられないから、ずうっと引きずり、悶々とする。
事態も人も、そうですねえ」

Dさんの知り合いの方々が、お子さんの障がい
を受け入れられずに、ずうっと苦しんでおられる
事を聞く。

受け入れられない事による、苦悶だなあと感じる。
親御さんの方も、いや親御さんの方が苦しくて、
苦しくてたまらない、辛さの中におられることが
伝わって来る。

知り合いのEさんが、お子さんに障がいが
わかった時に、泣いて、泣いて、もう涙の日々
だったと。
「何で?」「なぜ?」「どうして?」が渦巻き、
特に、同じ年頃の子供さんが、普通に元気な姿
を見るのが一番辛く、見ては涙、涙だったと。

しかし、Eさんには、避け所である神様がいる。
泣いて、祈って祈って、又泣いて、祈りに祈って
「受け入れることができました!!」と。

会いに行った時は、笑顔で、笑い声と共に、
ほんとに芯から受け入れていることが伝わって来た。
受け入れられるって、神様のみわざで、奇跡
だと感じる。

受け入れると、本人自身がどんなに楽になるかを
目の当たりに見せられる。


対人関係で、受け入れられない相手がいると、
牢獄にいるような状況になる。
自分から牢獄に入り、そこは真っ暗闇で、四六時中
拘束され、自由が全く無い。
苦しくて、辛くてたまらない。相手でなく、苦しいのは
自分だ。

受け入れる事ができると、牢獄から出る、解放される。
自由になって、喜びが来る。

神様のみわざで奇跡だ。求めて行くなら、与えられる。
 

2011年11月02日(水)
  「祈りが聞かれる」

教会に来られ始めたAさんの祈りがどんどん
答えられて驚くばかり(^^)

神様は、特に救われた頃、祈りに次々答えて
励まして下さると聞くが、神様がまことに生きて
おられることを知れる。

以前に、特に経済的に大変で、困窮状態にあった
方々のために、皆で祈る祈りが、必ず答えらた。
すべて答えられて、神様の奇跡に次ぐ奇跡を
見たことを思い出す。

子供たちも抱えて、お米が全く無くなったBさん、
「神様おってなら、何とかして!」と訴える舌の
乾かない内に、ガラッと玄関に教会のCさん。

「引っ越し準備中で、もうお米要らないから
食べてくれん?」と、ドサッと置いて行った。

Dさんは真冬なのに、子供達に防寒具が無い。
困って、祈った。
アメリカ人教会で、孤児を招待し、少し早めの
クリスマス会が開かれ、友人がスタッフで労して
いた。
友人が、そこに子供達も一緒に連れて行って
くれた。豪華なプレゼントが全員に用意され、
くじ引きだった。
そのくじを引くと、何と!二人共素敵な防寒具!が
当たった。それぞれサイズがピッタリ!!
こんな事ってある?神様有難う!!

Eさんにお目出たがわかったが、出産費など全く
無く、喜びであるのに、それより先に不安が募り、
不安で一杯でずっと泣いていた。
しかし、神様は絶対に与えて下さるから、一緒に
祈ろうと皆に励まされ、上を見上げた。そして
信じて行きますと。

その直後、神様に示されて、出産費用を献げた
いという方が現れた。それが全く見ず知らずの
方で、もう驚いた。Eさんは感謝と喜びで大泣き
だった。

子供の紙おむつとミルクが無くなってしまい、
介護の親ごさんの紙おむつも無くなった。
買うお金がなくて、ご主人が友人に少し借りよう
と言った。
でも、人にで無く、神様に頼りたいと、ご主人が
親の介護に出かけた間、必死に神様に祈った。

祈っていた中、人の気配でふっと振り向くと、
ご主人が何と子供のミルクと紙おむつを両手
に下げて立っていた!

びっくりし、「どうしたのか!」と聞くと、会社の
親方が見舞いに来てくれ、見舞金を置いて行っ
たので、とりあえず買って来たと。
祈りの即座の答えに、びっくり!!した。

親の紙おむつは、ヘルパーさんが注文して
くれていて、月末に振り込めば良いとの事。
これも与えられた!

小学校の修学旅行費が払えず、子供は「行かなく
てもいいよ」と親を心配して気遣って言った。

「いいや!そんなのダメ!行かないとダメ!!」
と皆で、「幾ら足らないの?」と聞くと「2万円」と。

丁度その日、前もってEさんのための無名の愛
の献金を預かっていた。それを開くと、2万円!!
こんな事ってある?!
皆で歓喜の声で、神様に感謝を献げた。