2012年06月08日(金)
  「真実を語る」

「愛をもって真理を語り」エペソ4:15

「おのおの隣人に対して、真実を語りなさい」エペソ4:25

「真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。偽りの舌は
まばたきの間だけ」箴言12:
19
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「御言葉通して、ちゃんと自分の気持ちや、意見、
考えを表現しなければならないと、神様から示され
教えられました。

ずうっと、自分の生き方として、余り深く人に関わ
りたくなくて、『はいはい、いいですね〜』と、相手に
合わせるばかり。

あっちでも、『それはいいですね〜』、こっちでも、
『それはいいですね〜』でうわべの関わりしかしてなくて。

それが丁度あっちとこっちが、まるっきり反対意見
だったのに、私は、どっちにも、『いいですね〜』と
言った事に気づいて。
もう自分のいい加減さに、赤面で、恥ずかしくて、
悔い改めました。

そんな日常通して、自分の根底にある、培われた
生き方が問題だと、気づかされたんです。

その視点に立つと、ちゃんと人に向き合っていない
ことを、いろんな状況で、気づかされ、示されて。

今まで、環境的に、人と深く関わる必要もなくて、
関わらずとも済んで来たので、全然考えることも
無かった。

人と関わって行くと、言わなくてもいい事を言って、
言葉で失敗するし、誤解やらで問題が起きるし、
自分の弱さも必ず出てしまうし、弱さは知られたく
ないし、痛い。
それが嫌で、関わらなかったんだなあと。

でも、人と心が通い合ったり、理解し合えたり、
その喜びも教えられて、自分の気持ちをちゃんと
言って、真実を語って、関わって行くこと教えられ
ています」


「よくわかる〜。関わらないと、楽ですものね。
誤解や、まさつで、問題起こると面倒くさいし、
ほんとややこしいし。
でも、楽だけれど、でも喜びも楽しさも知らない
まま終わりますよね」


“おのれを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、
すべてのすぐれた知性と仲たがいする”箴言18:1

“牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。しかし牛の
力によって収穫は多くなる”箴言14:4

飼葉おけの掃除や、牛の世話が大変で、骨が折れ、
重労働だ。しかし、牛により、豊かな収穫がある。

掃除や世話が面倒で、無ければ楽だが、それだと
収穫も無い。
人間関係も傷を負ったり、リスクはあるが、それに
まさる豊かな喜びがある。


「私も神様からずっと示されて、自分の気持ちを
ちゃんと言うように練習してるんです。
真実を語るよう、練習、練習で。でも、神様、
だいぶ以前とは変えて下さって、気持ちが言え
るようになって。
ノーも少しづつ言えるようになって、以前から
思うと、すごく楽になりました。
そして、自分を好きになって来ています」





2012年06月05日(火)
  「身を委ねて平安に」

Aさんが厳しい試練に遭遇した。

いろんな事情で、経済的苦境に立つ。これから
どうすれば良いのか。
それだけ考えると、どっと思い煩いで胸がふさが
れそうになる。あれやこれや考えると心労で一杯
になる。
状況も思うように動けず、心配ばかりが募る。

思い煩いが来ては祈り、不安が来ては祈り、御言葉
求めながら、厳しい状況が続いていた。
先も全く見えない。

そんな時、御言葉が心にぐっと入って来た。

“その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、
「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われた”マルコ4:35

「向こう岸へ渡ろう」心に臨んだ時、そうだ、主は
向こう岸へ渡ろうと言われた。

弟子たちは、途中で命の危険も感じるほどの大嵐に
会ったが、主が、向こう岸へ渡ると言われたからには
何の問題もない。渡れる!!

向こう岸へ渡れるんだ!御言葉が心に臨み、
受け取った時、信仰が与えられた。

今からどうなるかまるでわからない、でもたとえ、大嵐が
やって来ても、大丈夫、向こう岸へ必ず辿り着ける。

すると、心がすうっーと、楽になって、平安にされた。

「あんなに絶体絶命で苦しかったのに、そして状況は
もっと深刻になっているのに、平安なんです。」

絶体絶命の限界状況の中で、初めて神様を頼り
すがるんですね。

それまでは、自分で何とかしようと動き回るし、自分の
知恵に頼れば頼るほど、どっと思い煩うし、本当にどうにも
出来ない無力を知って、とことんどうにも出来ないから
こそ、心が神様に頼った。


“わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、
またいのちです”ヨハネ6:63

御言葉に、身を委ねた時に、思い煩いが消えて
大海のような平安に満たされる。


Bさんも、厳しい試練が臨み、委ねることが御心で、
神様が委ねよと言っておられるのがわかる。

でも、委ねられない。どうしても委ねられない。
自分の宝、いのちであり、自分が握ってしまっていて、
自分が何とかしようとしていて、どうしても神様に
渡せない。

頭で委ねなければとわかるが、だめ。どうにも
出来ない。委ねられませんと祈り続けていたら、
もう底の底、どん底まで行って、委ねざるを
得ないようにされた。

というか、取って下さった。そこから事態が進み、
光が見えて来て、状況が導かれ行った。

すべて益にされたことが見えて来て、心から感謝できた。


2012年06月02日(土)
  「感謝の力」

「すべての事について感謝しなさい」


「『感謝すること』とても教えられます。

日常生活で、どうしても、肉の性質があり、ネガティブ思考
になって、不足の方に目が行ってしまう。

あれが無い、これが無い、家族がもっとああしてくれない
こうしてくれない・・
無いものに目が行き、無いものを数え始めると、不平と
不満が募ってしまう。すると、思うように動いてくれない、
周囲を責めてしまう。
ああしてくれない、こうしてくれない・・

無いものしか見えない。こうなると不思議に、祝福が
全く見えなくなる。神様が見えない。
イライラ、トゲトゲ、どこかに当たって行く。
ネガティブの深い淵に落ち込んでしまうよう。


ところが、違う、そうじゃないんだと、御霊様の気づき
が与えられる。

御言葉に従って、神様に感謝し、環境に感謝し、
家族に感謝し始めると・・

それが、180度変わってしまって、大きな祝福が見えて
来るんですよねえ。
夫がいて、子供がいて、幸せな家庭が与えられている。
家族がいる、何て幸せなんだろう。これ以上何が
要るだろう。

仕事も、健康も与えられている。何て感謝なんだろう。
何の不満があろう。何を言うことがあろう。
幸福感で、いっぱいになるんです。

自分は同じなのに、御言葉に一歩従うと、世界が変わ
ってしまう。どんどん感謝が見えて来る。次々と祝福が
見えて来る。喜びと平安が溢れて来る。
えらい違いですよねえ。」


「家族で食事する時、食卓を囲む時が、本当に幸せで、
ああ幸せだなあと、感謝でいっぱいになる。
家族団欒が嬉しくて、しみじみと幸福感で満たされる」

この上ない幸せは、とても身近で、平凡な、日々の繰り返し
の出来事の中にある。
神様に感謝をささげて行く時、それがはっきり見えて来る。


「すべての事について感謝しなさい」Tテサロニケ5:18

「あふれるばかり感謝しなさい」コロサイ2:7





2012年06月01日(金)
  「逃げなかった」

Aさん「仕事上で、難しい対人関係に遭遇
したんです。

対応する相手が、好き嫌いの特に激しい人で、
自分は気に入られ無かったんです。

それはもう相手側の好みの問題なので、
仕方が無く、でも相手も嫌だろうし、
配置替えを、上に相談したんです。

上司は、それはあなたの問題では全然
なく、相手の好みの問題なので、あなたには
ちゃんと仕事をして貰っているので、そのまま
続けて欲しいとのことでした。

祈っていた中なので、主からの答えと受け
止め、これを主からの取り扱いと受け入れ
たんです。

辛く当たられるので、ものすごく辛く、苦しく
しんどかったのですが、教えようとされている
事を教えて下さいと、祈っていました。

教会の学びで、私たちは反応するのでなく、
行動して行くのだと学びました。反応なら冷や
やかな相手には、こちらも冷ややか、暖かい
相手なら、こちらも暖かく対応する、寒暖計のように
相手のそのままを、こちらも示す。

それなら、すべては相手次第になり、全く自分が無い。
でもそうでなく、相手がどうであれ、こちらは
行動すること、御心を行なってゆこうと決心した。

主に仕えるように、仕えて行くことを示され、
こちらは気持ちよく挨拶し、全く返らなくても
挨拶し続けた。祈って、なすべき事をして行った時、
自分の心が平安になって、驚いた。

辛くて、苦しかった思いが消えて、心が平安になった。
相手は変わらず、自分のことを嫌いだったが、
でも、祈りのお陰で、心乱されずに、仕えて
行けた。

反応でなく、自分は自立して自分の行動をして行こう。
主に仕えるように仕えて行こう。
そうすると、主に仕えているのだと、平安と喜びに満
たされ本当に驚きで、感謝だった。

上から、どうしても苦しいなら、替えるからと
言ってもらったが、自分からはそれは言わずに
おこうと思った。
主の訓練であり、学びであり、祝福だと受け
取れた。

状況は全く同じなのに、心が平安にされ、それを続けて
いたところ、思わぬ配置替えが来た。

これも神様で、相手にとって良いし、神様が終了
させて下さったんだと思った。

逃げなかったことが、自分の中で、大きな
前進だった。信仰によって歩めたことが、
嬉しくて、嬉しくて、感謝でならない。」



「あなたがたの会った試練はみな人の知らないような
ものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることが
できないような試練に会わせるようなことはなさい
ません。

むしろ、耐えることができるように、試練とともに
脱出の道も備えてくださいます」
Tコリント10:13