2012年07月30日(月)
  「いつまでも放っておかれるでしょうか」

奇跡的な祈りの答えを見た。

ある方の親族が、○○に入信、生き方が偏ってしまい、
このままでは、家庭生活が成り立たないと、話し合おう
とするが、話し合いにならず、どうにもならない。

何度も、何度も、繰り返し、話し合おうとするが、
らちがあかず、行き詰まってしまう。
マインドコントロールで、どうにもならない。

家族崩壊寸前であった。
とにかく、何の手立てもなく、どうしようもなく、
出来ることが何もない。

「祈りましょう!!」で、一致し、関係者でとにかく
祈り続けようと、祈り続けた。周囲の方々も祈りに
加わり祈ってくれた。

“いつでも祈るべきであり、失望してはならない・・”
ルカ18:1

裁判官のもとに、やもめがやって来て、相手をさばいて
私を守ってくださいと、ひっきりなしに訪れた。

やもめがうるさくてしかたがないから、この女のために
裁判をしようと、とうとう動いた。

この世の裁判官でもそのようであり、

“まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のために
さばきをつけないで、いつまでもそのことを放って
おかれることがあるでしょうか”

“神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをして
くださいます”ルカ18:8


失望せずに、諦めずに、祈り続ける祈りを、主は確かに
聞いて下さる。

祈りしか方法がなく、ただただ拠りすがるばかりで、
数年祈り続けたその祈りは、見事に答えられた。

その方は、自らの意志で、離れられた。
神に不可能は一つもないことを、見せられた。

ご親族の深い愛情と、忍耐と、祈りの答えに
新たに神様を知り、祈りを膚で知った。

2012年07月10日(火)
  「神にゆだねなさい」

思い煩いについて話していた。

「何かねえ、ずうっ〜と思い煩ってしまうんです。

子供の就職がなかなか決まらず、祈る時はいい
んですが、少したつと、どっと思い煩いが来る。

又、祈り、祈った後は良いが、また、思い煩う。
それを繰り返し、延々思い煩い、結局、神様は
ちゃんと正職を与えて下さった。

思い煩う必要が、全然無かった!
というところなんですが。

与えられたことが、本当に感謝なのに、
与えられたら、与えられたで、ちゃんとやって
行けるのか、その会社の将来性は、とか、
又〃、次々と思い煩う。

思い煩いは尽きず、これなら、人生ずうっと思い
煩いますよねえ。

それが、他の事は、神様にお委ねできるんです。
今まで、教えられて、導かれて、神様に委ねれ
ばよい、良くして下さると思える。

いろんな事が起きても、大丈夫だと思えて、示され
た事を一つ一つして行こうと。従って行くなら、神様
は最善をして下さると信じれる。

事が起こるたびに、そのようにしてるんですよぉ。
ところが、自分の弱い所は、委ねられなくて、
しっかり自分で握っていて、神様に頼れない
んですねえ。

そこのところだけは、ひどく思い煩って落ち
込んでしまう。
委ねられないのが問題で、自分が執着している。
明け渡さないから、思い煩うんですよねえ。

明け渡せるよう、祈って行きます!!

でも、昔の事を思えば、祈りは聞かれると思えるし、
必ず良くして下さることを、ずっと何度も何度も経験
して来たし、神様に近づけられていることが感謝です。


『何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝を
もってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい』
ピリピ4:6

思い煩いが来る度に、祈れるように!

『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだね
なさい』Tペテロ5:7

ゆだねることができるように。

2012年07月09日(月)
  「主に向くなら」

「御霊にいる時と、肉にいる時は、ほんとに違いますね。

心の中では怒ってるが、それを表に出さなければ良し
としている肉がある。出さないのだから良いことだと。

心の中で、責めたり、つぶやいたりしているが、表面
は良い顔をしている。

外に出さずに、心におさめて、我慢している自分は
えらいと、自分でも錯覚してしまうが、でも、心には
全然平安が無い。
ぶつくさ言っている。

外は快晴の素晴らしい、爽やかな好天なのに、心は
全然晴れない。暗雲におおわれているよう。

自分で我慢している『肉』だと、今日よくわかった。

面と向かって言わないが、心の中では、しっかり
悪口を言って、裁いている。


何か違う・・、平安全く無いし、心重いし、おかしいと
思い、これは違うと、心で祈っていると、

さあ〜と霧が晴れて、心に爽やかな真っ青な空が
広がったんです。心がすっきり爽やかになって、
平安になった!」

「神様に心が向いたんだ。

しかし、人が主に向くなら、そのおおいが取り
除かれるのです。
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには、
自由があります」Uコリント3:16

「あ!、それです!主の御霊です。心に自由が広がって」

「ある方が、我慢は『自我』の我と『高慢』の慢だと
言っておられた。神様に全く頼らない。」

「ほんと!その通りです!我慢は自我によるものです!
自分の力で我慢しているから、心はもやもや〃していて。
全然平安など無い。
全然御霊によるものでは無いです」


「あるがままの気持ちを、神様に祈って行きます!
その時、いつも平安が戻ります!」(*^_^*)




2012年07月07日(土)
  「夢を見ているよう」

Aさんが10数年振りに、神様に立ち返った。
重大な出来事があり、神様に立ち返って、
人生やり直したいと。

立ち返ろうとした途端、神様の豊かな恵みの
数々の備えが。

仕事を辞し、旅行に出た先で、溢れる恵みに。
友人Bさん宅で滞在時に、ずっと友人と一緒に教会へ。
びんびん御言葉が心に入り、ピッタリに語られた。

御言葉与えられ、クリスチャンたちと恵みに
満ちた、交わりの楽しい日々が備えられ、
すっかり恵みに満たされて帰着。

Bさんも転勤前、同じ地区集会で一緒に
集っていた。
そのBさんから電話があり、Aさんとの交わり
が本当に恵まれたと。

BさんとAさんで、同じく以前集会に集って
いたCさんに電話した。
Cさんは、心がぼろぼろになってもおかしくない、
ほどの、非常に厳しい試練を通った。
が、「感謝することを教えられたよ」と。

Cさんが「今、感謝している」と。その電話の交わり
で、ものすごく恵まれて、心励まされたと。

Bさんからその事を聞いて、私の心の恵まれて
引き上げられた。神様の御名を崇めた。
試練を通ったBさんも、「私も感謝しているよ」

「以前の皆で会いたいね」と話したと。

「わあ、同窓会だね」


そのAさんが帰着後、教会にやって来た。
以前一緒に集っていたDさんを誘って。

AさんとDさんに、10数年振りに会った。
心が喜びと恵みで一杯に溢れた。

「主がシオンの捕らわれ人を帰されたとき、
私たちは夢を見ている者のようであった。

そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、
私たちの舌は喜びの叫びで満たされた」


ルツ記の学びをしていて、ナオミが立ち返ろうと
決心した時から、すべての恵みが備えられていた。

帰郷が丁度「大麦の刈り入れの頃」
ルツの落ち穂拾いが「はからずもボアズの畑」
「丁度その時、ボアズがやって来た」

神様のあわれみ、慈しみは尽きない。




2012年07月04日(水)
  「心配無用」

ご両親の介護をしているAさん。

「祈りの力を教えられます。祈って施設を回ると
全然違うんです。
こちらの心に余裕があって、受け止めることが
できる。愚痴や不満も、良いように対応できるん
です。

交わりも祝福感じて、帰る時に、ああ行って良か
ったと思えて、心満たされて帰れるんです。

でも、バタバタ〃して、急いて、祈らずに出ると、
もうギクシャクギクシャクして、ちょっとの言葉も
イライラしてしまって。
心に余裕が無くて、受け止められないんですよね。

言わなくて良い事を言ってしまったり、帰る時に
ああ〜あ、と暗たんたる気持ちで、行かなきゃ
よかったという気持ちになって。

ほんとにもう、祈って行く時と、祈らずに行く時
と、もろに違うんです。
祈って行くと、神様のみわざを見ることができて、
祈らずに行くと、見えない。
神様に拠りすがって、頼って行きたいと思います。


振り返ると、父も母も、病院や施設を次々と
適切に、神様は見事に与えて下さいました。

次に移らないといけないのに、次の転院先が
全く無く、「神様、神様」と祈っていると、それが
いつもギリギリに、行く先が必ず与えられて。

それが、いつもギリギリなんです。信仰試されて
るんですよね。
あの施設に、もうすこし身体の状態が〜なら入れ
るのに・・というような事が、何回かあって、

でも、そのプロセスを通る必要があったんだなあ
と。通らないとわからない。

『信じて待つ』・・教えられました。


今は、すごく気持ちが楽ですよ。明け渡したので、
絶対に、みこころの時に、転院先をすでに備えて
下さってると、信じてます。

明日の事は、全くわからないから、神様が愛して
いて下さり、最善を考えていて下さるから、もう
思い煩わないんです。

必ず道が開かれたから、これからもずっと同じ
ように良くして下さると(*^_^*)

平安が与えられていることが、何より感謝です」


「だから、あすのための心配は無用です。
あすのことはあすが心配します。
労苦はその日その日に、十分あります」
マタイ6:34

2012年07月01日(日)
  「祈りが答えられた」

祈りについて学んでいたら、

Aさん「祈りの答えを丁度、先日経験したんです。

ちょっとした事で夫婦関係で、ギクシャクして
しまったんです。
心がすれ違って、悶々として、モヤモヤ重苦しくて、
その場では、自分で自分のごちゃごちゃになって
る心もよくわからず、言葉にならない。

二人で黙ってしまって、気まずい空気が流れ、
夜も遅く、その内、相手は寝てしまった。

しかし、自分は気持ちがおさまらず、重苦しく、
眠れなかった。
それで、深夜、起き出して、何だか悲しくて、
心沈むし、もやもやしてるし、自分で自分の
気持ちもわからない。

祈ろうと思うが、悶々状態で、言葉が出て来ない。
自分の心の状態がよくわからないまま、何と祈っ
たらいいのかもわからない。
でも、悲しくて、辛くて、沈み、涙が出て来た。

それで、祈りの言葉も出ないまま、神様の前
で泣いていた。気持ちを受け取って下さいと。

すると、翌日の夜、仕事から帰宅した夫に、
自分の気持ち、自分の思いを言葉で伝え
ることが出来た。

すると夫は、「なんだ、そうだったん。そうなら、
もっと早く言ってくれたら良かったのに」と、
心通い合わせることができた。心あったかく
喜びでいっぱいになった。

どう祈って良いかもわからなかった、ただ泣いて
いた、あの祈りを、主が聞いて下さって、見事に
答えて下さった。
その事が、何よりすごく嬉しかった。」