2012年08月27日(月)
  「溢れる感謝」

「神様に感謝でいっぱいです。
親の介護をしているんですが、もし、神様を知ら
なかったら、どうなっていたんだろうと、もう感謝
で、感謝で!!」
とAさんのお顔が喜びで満ちている。


状況は大変なんですが、それが心に喜びが溢れて
来るんです。

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのこと
を心配してくださる。主は決して、正しい者が
ゆるがされるようにはなさらない」詩篇55:22

重荷を主に委ねよと言われていて、あれこれ、
際限無い心配や思い煩いが来るんですが、

『これは神様に任せます!いいんですよね!
神様にお渡ししました!私が負わなくて良い
んですね!』

一つ一つ渡して行くと、ほんとに気持ちが楽
になって、『ああ、いいんだ』と安堵に満たされ
ます。

病院や施設や、次々行き先を探し続ける
これまでだったが、それが、一度も行く先が無
かった事が無い。

それが、また、自分の思いと全然違うんです(笑)
自分ではあれが、これがよいと思うんですが、
違う方向へ導かれる。

でも、結果的に、それがすべてにおいてピッタリ!
で、神わざを見せて頂きました。

それをずっと経験して、今では、自分の思いと
違っても、神様は一番良いことをして下さると
信じられます。

だから、見えるところが思い通りでなくても、
見えるところが動かなくても、今では平安なんです。
今のこの事態をどんなに素晴らしく導いて下さる
んだろうと思えて。

愛されていて嬉しいです。

私、こんなんじゃなかったんですよ。ものすごい
心配症で、思い煩い症で。
神様を知れて、言い尽くせぬ感謝です!!」

以前、非常な心配事があった時、パニックになって
教会へ飛び込んで来て下さったAさん。

Aさんを通して、周囲の私たちも、神様の素晴らしさ
を見て、主の栄光を見て、喜びが満ちる。

Aさんが窮地でどうにも出来ない中、心底神様に
頼られてるからだろうな。

主が崇められているところには、喜びと平安があり、
光がある。

2012年08月22日(水)
  「ありがとう」

Aさん「毎日、小さな『ありがとう』探しを
してるんです。

すごく小さなことなんです。
『バスに間に合ってありがとう』『ピッタリの買物
ができて、ありがとう』
『気持ちの良い朝をありがとう』『朝晩の涼しさを
ありがとう』『庭の花を今朝もありがとう』」


Bさん「あ!Cさんから朝顔貰って、全然花が
咲かなくて、花は咲かないんかな〜とあきらめ
ていたんです。
でも、つるはどんどん伸びに伸びて、日よけに
なったんです!!
それが!その伸びたてっぺんに一つ花が咲いた
んです!!もう感動で!嬉しくて、神様だー!と。
『神様ありがとう!!』でした!」

Cさん「あー!!そうなの!!育ててもらって有難う!
花が一つ咲いて、私もとっても嬉しい〜!!!」

Dさん「職場が忙しくて、ハードで、もうクタクタで
ヘトヘトの日々だったんですが、
昨日も、もう自分の仕事は終わっていて、帰ろうとして
いたところ、でも、別の人の忙しそうな仕事を手伝って
あげたんです。
自分はその作業に慣れていたので、スムーズに処理する
ことができて。

すると、その人が、よほど嬉しかったらしくて、
その人に『ほんとうに助かりました。有難うございました』
と言われたのが、心底の『ありがとう』だと伝わって来て、

自分自身が、本当に嬉しくなったんです。
心に喜びが来て、神様を賛美しました。
疲れが吹っ飛びました。」


神様への「ありがとう」人への「ありがとう」人から
の「ありがとう」・・

心を潤して、ぬくもりでいっぱいにされて、
喜びが満ちる。



2012年08月18日(土)
  「涙とともに蒔く種」

キャンプで、
「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら
刈り取ろう。
種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、
束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る」
詩篇126:5,6

からのメッセージがあった。

救霊の種を蒔く現実は、決して楽な事はない。
チラシを蒔いても、蒔いても、なかなか人は
来ない。

A先生は開拓伝道を始めて、最初は、神学校
で聞いた、開拓の初期は壁に向かってメッセ
ージをするを、実践していた。

そのように聞いていたので、最初はそんなもの
だと思い、毎回違うメッセージを用意し、誰も
来ない中、壁に向かってメッセージをした。

だが、幾らたっても誰も来ず、壁にメッセージ
するのも空しくなり、聖書朗読をしようと、声
を上げて、聖書を読んでいた。

そんな時、管理人の人がのぞき、不審気な顔で見て
行った。一人だけがいて、何やら声を上げていて、
変に思われてもと、声を出さないで黙読しようと、
黙読していた。

それが、数ヶ月も、何年も続くと、疲れ果てて、
辛くなり、嫌になり、しんどくなって行った。
それで最後の方は、もう寝っ転がったりした。

でも、そんな中で、神様は一人でも、礼拝を献
げるということが、どういう事かを教えて行って
下さった。

一人であろうと、神様を礼拝しに行っていると
教えられて行った時、心が新たにされた。


救霊の現実は厳しい。涙と共に蒔いたら刈り取る
でなく、種を蒔くには必ず「涙」が伴うという
ことだと。でも、必ず刈り取りがあると。

バビロン捕囚から帰還した人々は、夢を見ている
ようで、口は笑いで満たされ、喜びの叫びで満た
された。

しかし、帰還したものの、厳しい現実が待って
いた。これから荒れた土地に種を蒔いて、作物
を育てなければならない。

種は、それ自体加工してパンにして、食べる事
ができた。しかし、いっときの空腹を、ひもじさを
我慢して、その種を蒔かなれば、刈り取りは絶対
に無い。

種を蒔くのは犠牲が伴う。痛みが伴う。涙がある。
しかし、喜び叫びながら刈り取ると言われている。


救霊の種、祈りの種、献げることの種、涙と共に
であり、犠牲が伴うが、必ず刈り取りがある。














2012年08月15日(水)
  「神様に従う」

Aさん「人のどうしても出来ない部分が
目について仕方無くて、自分ならそのよう
にしないと、裁いてしまっていて。

一人相撲でイライラしてしまって、自分が苦しい。
心が辛い。しんどいのは自分で、裁いてるから
ですよねえ。心がもう悶々になって。

Bさんから、『その人の出来ない所をAさんが
助けてあげればいいじゃない』と言われ、

そういう発想全然無くて、ああ、そうなんだと
思えて、神様に従いたいから、そうしようと
思ったんです。
自分の出来ることをして行こうと。

祈っていたから、祈りの答えですよね。
すると、心が落ち着いて平安になったんです。

そうしたら、その人から、その苦手な部分のことを
『助けて下さいね』と言われ、ああ、神様だ!と
神様を感じて、神様のみわざに心から感謝しました。」



Cさん「どうしても赦せない相手がいて、心が
辛くて、ずっと悶々状態でした。

考えると、様々な事が思い起こされ、恨みつらみ
が募って、ますます苦しくなるんです。」

Dさん「相手でなく、自分が苦しくて辛いんよね。
赦せない心は牢獄に自分から入る。
四六時中、拘束され、がんじがらめで、楽しいはず
の時間も、全く楽しくない。
心がふさがれたようで、暗く、重苦しい。まさに
牢獄に捕らわれの身」

Cさん「そうなんです。神様に心が向いた時、
変えられたんです!

御言葉が心に来た時、心が変わってしまって!

‘悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に
報いず、かえって祝福を与えなさい。

あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたの
だからです’


そうだ、と思った時、心の悶々が消えて、心が
落ち着いて、すうっーと平安になったんです」









2012年08月11日(土)
  「正直であることの祝福」

Aさんに大きな厳しい試練が臨み、神様から
離れていたが、立ち返って人生をやり直したいと。

以前、信仰の交わりの中にいたAさん、こんなに
嬉しい事はない。主に心から感謝し、主の御名を
誉めたたえる。

信仰の友であるBさんから「ちゃんと教会へ行っ
たか」との電話。それも海外からの国際電話だ。
信仰の友は有難い。励まし合え、支え合える。

御霊が与えて下さった、特別な交わりだった。

集っていた皆が、経済的苦境、夫婦の悩み、
親子問題、育児の悩み、対人関係の問題・・
悩み、苦しみを抱えていた。
それも半端でない苦しみだった。

Bさんが悶々状態で、Cさんに電話した。「え?何!
恵まれん話?恵まれん話は今、聞けんから、
ちょっと、他に当たって。
今、もう自分のことで、いっぱいいっぱい」
正直でいいなあ。

でも、Cさんは、鬱状態になりかけなほど落ち込んだ
Dさんを、ずっと訪問してあげていた。

Dさん「どん底に落ち込んでいる時って、人に会い
たくないし、人がうっとうしい。拒否反応が出る。

でも、反面、こんな自分のために、こうやって
わざわざ来てくれる。嫌な思いをさせているのに、
来てくれて、ほんとに有難いなあと思う。

後で振り返って、Dさんが来てくれなかったら、
どうなってたかと思う。本当に感謝してもし
きれない」

心が混乱したり、悶々になる時は、紙に書くと、
心の整理がついたり、自分で自分がわかったり
すると、話していると、

Eさんが「今、ここで話した事を、帰ってまた
書くのか?」
Fさん「違うよね。誰にも言えない事があるで
しょうが。そんな事を書くんよね」

Eさん「え?人に言えない事なんてない。ここで
全部言っている。100%言ってる」

Gさん「私も全部言ってる。隠す事なんて何もない」

Fさん「えっー!あなた達って、いいよねえ。私なん
て、プライドがあるから、上の方の事は言えても、
一番底の事は言えやしない」

Fさんも、しっかり本音を言っている。

「ほんとに、あの頃、神様に皆が拠りすがっていたね。
すがらないと生きて行けなかった。祈る祈りが次々と、
答えられ、奇跡に次ぐ奇跡を見たね。
びんびん神様を感じ、神様がほんとに近かった。

「感謝せい言われても、出来〜ん!!ほんまに聞いて
くれとってんかあー!!ほんまにわかってくれとって
んかー!!」大声で叫び祈っていた。

聖書を片時も離さず、常に聖書を開いては、御言葉
に聞いていた。主にすがりついていた。

御霊が与えて下さった、どこにも無い、特別な、
恵みの交わりを感謝だった。




2012年08月08日(水)
  「光がある」

先日は婦人会で、1時間半学びをし、4時間半交わった。
食事を共にして、恵みを語り合い、近況を語り合う。

喋りに、喋り、尚も喋り、途切れる事も、尽きる事も
ない。
お腹を抱えて大笑いしながら、又、深刻な話に、皆で
うなずきながら、真剣に聞く。

「外では絶対に話せないから」「巡り巡って、ややこしい
事になって、大変な事になる」
「ここだと安心して話せる。皆に聞いてもらって、すっきり
して、また、頑張れる」

「誰にも裁かれない。皆に暖かく受容してもらえて、それ
だけで、生き返れて、力が湧く」

「外では絶対に言えない。ここだと、外に出ることがなく
皆に受け止めてもらえて、吐き出せて、すっきりする。
ほんとに軽くなって帰れる」

自由に自然に話す中で、互いに、互いの重荷が知り
合え、祈り合える。

誰かの問題に対し、ああじゃないか、こうじゃないかと、
御言葉に照らし合わせ、皆が自然に語り合う。
御霊の導きを探る。肉で捕らえていた事柄が、神様
視点に変えられて行く。
平安の地点に落ち着く。

「楽しかったあ〜!!!」「ほんとに楽しかったー!!!」
「もやもやしていたのが、全部喋れて、すっきりしたあ!」
皆の素晴らしい笑顔(*^_^*)

御霊の自由の中で、心が喜びに溢れ、神様に触れ、
御霊に教えられ、皆が心満ち足りて帰った。


以前もAさんが言っていた。

経済的苦境や夫婦の問題や、育児の問題、対人
関係の悩み、もう様々な試練に次から次へと、
襲われる中で、もう悩みで、大きな試練で、
心の中がぐじゃぐじゃ。

わけがわからない、悶々状態。

「そんな状態で教会へ来るから、もう心が
混乱して、ぐじゃぐじゃで、御言葉が入らない。

まず、聞いて貰って、吐き出して、心を下ろすと、
御言葉がぐいぐい入って、御言葉によって教えられ
恵まれ、心が変えられて、平安と喜びに満ちて、帰れる」


Bさん「試練が大き過ぎて、飲み込まれて、心が落ち
込み、沈んで、何も考えられなくなる。心が真っ暗な
状態になる。真っ暗闇にいるような感じになる。

でも、教会へ来る度に、全部下ろせる。悩みを吐き
出せて、御言葉が臨んで来る。神様に出会える。
必ず光があって、どんなにひどい状態で来ても、どんなに
深刻であっても、帰る時には必ず変えられて、心が新た
にされた。平安になって帰れた。

ほんとに神様がおられ、教会には光がある」



2012年08月06日(月)
  「自分は正しい」

すぐにマルタになってしまうと、話が盛り上がる。

Aさん「一人で忙しくしていると、イライラして
腹が立って仕方がない。

もうちょっと、気がつけよと。周囲を裁いてしまう。

マルタそのままですよねえ。イライラして、自分の
していることが正しいと、自分を正当化して、して
いない人を、何もしていない、自分ばかりがと裁く。

本当は、すべての事を、主のためにしているはず
なのに、主まで責めて、平安なく、いら立ちと思い
煩い。何をしているのか、わからない。

主のために始めたはずなのに、元も子もない」


Bさん「自分は、これだけしているのに、こんな
にもしているのに。しんどい目をしているのに。

ちょっとは、したらと、何もしない人に腹が立つ。
腹が立って仕方がない。裁きまくってる。

「主よ。妹が私だけに、おもてなしをさせている
のを、何ともお思いにならないのでしょうか。

私の手伝いをするように、妹におっしゃって
下さい」

自分がしているから、自分の力でしているから
裁くんですよねえ。
恵みによって、神様の力によってしていたら、
喜びと感謝しか無いですよねえ。

神様の目は全く違うんですよねえ。その人にも
事情があって、大変さがあって、神様は外側
でなく、心を見て、寄り添っておられる。

でも、神様はこんな人を裁く私をも、あるがまま
愛して下さっているんだと思う時、罪は赦されるし、

神様の愛は全く変わらないと思う時、有難いと
思えて、心があったかくなって、神様視点に立ち
たいと思える。

自分だって、出来ない事がいっぱいあって、でも
そのままで愛されているんですものねえ。

すぐ律法の下に入ってしまって、正しだけに
恐いですよねえ。間違ってしまっていて気づかない。
恵みの下に絶えず戻れるように」


Cさん「正しいというのは、くせものですねえ。
パリサイ人になっていて、気づかない。
正しいんですものね。

対人関係で、何だかギクシャクしてから、
後で振り返って、よく考えると、“自分は正しい”
に立ってたと、気づかされます。
ああ、間違ってたんだと」





2012年08月03日(金)
  「古い価値観」

不安、恐れ、思い煩いの、古い価値観
を御言葉に替えて〃行くことを教えられる。

Aさん「今、家族が皆、順調に歩んでいて、
ものすごく、もうほんとに幸せなんですよぉ。

うちは、これまでもう波瀾万丈で、義父が
倒れ、介護を通り、見送り、実母が入院し
見送り、今度は夫が原因不明の病気で
入院。もうずっと大嵐の中を通って来て、

今、夫も奇跡的に身体が回復して、仕事に
復帰できて、家族で幸せな生活が与えら
れていて、もうこんな感謝なことはなくて。

でも、それが古い価値観、肉の価値観が
妨害して来るんです。
古い思考パタンがあるんですよねえ。
こんな幸せが続くはずがない。絶対に
今に悪い事が起きる。

不安と思い煩いが交錯、感謝していれば
良いのに、不安のシナリオを自分で描いて
悪い事が起きる、起きると。恐れている。

今日学びして、感謝していれば良いんだ(*^_^*)
神様は極みまで愛して下さっている、その神様
は善いものしか与えられない、試練もご計画
であり、良いものであり、益とされ、成長とされ
祝福とされる。

与えられている幸せを、喜んで、楽しんで、
感謝していようと思いました!!」


Bさんも、現在、順風で、問題も無い穏や
かに日常が流れている時に、不安で不安
で仕方がない。

こんな良い事が続くはずがない。今に
必ず悪い事が起きる。
ドカンと落とし穴があるんじゃないか。
恐くて、恐くて、たまらないと。

親に小さい時から常に言われた事が
大きいと。
「気をゆるめるんじゃないよ。引き締めて
いるんだよ。今に悪い事が起きるからね」

不安、恐い・・でも、神様はそうじゃない。

神様は愛していて下さる。御胸に抱かれて
いる。わざわいは無い。どんな時も平安と
将来と希望がある。
罰と呪いは十字架でかたをつけられている。
一見マイナスの事態はバチではない。

主を見上げ、御言葉に立つ時、心に安堵と
平安が来る。

古い性質と新しい性質がいつも二つあり、
御霊に導かれる新しい性質に、立って
行けるように。




2012年08月01日(水)
  「素晴らしいみわざ」

遠方の大切な友から、喜びの知らせが。

施設に訪問し、お姑様を、ずっと介護
する中、神様の素晴らしいみわざが。

スタッフ方と共に、少しづつ弱っておられる
お姑様の、ケアを話し合う中で、「何か、して
欲しい事はありませんか?」との質問。

「え?して欲しいことって・・」
施設側が「最後の願いを叶えて上げよう」と。

思わず「義母と私はクリスチャンです。教会で
礼拝を・・」と、心からの願いが口から。

すると「教会ですか、いいですよ。お手伝いします」!
「本人の体力が心配なので、教会の方に来て
頂いたら良いじゃないですか」!!
「賛美歌を歌えるお部屋を用意しましょう」!と。

「思いもかけない展開に胸が一杯で、今、思い出
しても涙が溢れます」と。

当日。施設側が、部屋を空けて、礼拝場所を準備。
お姑様が車椅子に座り、牧師先生と教会の婦人方。

「主我を愛す、主は強ければ、我弱くとも 恐れはあらじ・・・」

歌い始めると、お姑様も一緒に賛美!
「本当に夢を見ているようでした」と。
牧師先生からのメッセージ。よ〜く聞かれ、集会後
には表情がすっかり変わっておられたと。

更なる恵みが加えられ、スタッフ方の好意で、
再度の礼拝。
可愛い子供達による、特別賛美も加えられ。


神様の素晴らしい栄光を拝し、恵みのみわざの報告を
聞く心にも、喜びが溢れた。

神様は何て素晴らしい!!

・・・・・・・・・・・・・

恵みを聞いていて、
以前、施設に、ご高齢のAさんを訪問した時の
ことがよみがえった。

お身体がしんどいのか、表情がしんどそうで、
お元気が無かった。

でも、よく来て下さってと、申し訳なさそうに
されていた。

それが、一緒に賛美して、御言葉を聞かれるや
表情がどんどん変わられて、喜びが溢れて来て、
お顔が喜びで輝かれていた。

御言葉の力、御霊の力を、目の当たりに見せ
られた。


“いのちを与えるのは御霊です。
わたしが、あなたがたに話したことばは、霊であり、
またいのちです”ヨハネ6:63