2012年10月28日(日)
  「神様視点」

厳しい試練にあるAさん。

「思い煩い、不安と、一日中ずうっと延々戦う感じで、
サタンも攻撃して来るので、もう、苦しくておかしくなりそうに
なるんです。

気分転換に、テレビを見たりしてもダメで、思いに襲われ
るんです。

ずっと導きを祈っていると、集中し、没頭するものを与えて
下さったんです。
仕事の一環で、仕事にも還元され、益となり、自分の身
にもついて、すべてに良くて、本当に感謝しています。

ほんとに没頭させて下さって、それをしていると、神様に
心が向いて、心が守られるんです。
祈りの答えで感謝でなりません。

以前も余りにも大きな試練で、もう思いの中にいると、気が
狂いそうになるほどだった時に、祈った時、作業を与えて
下さったんです。

一心にその作業に取り組んで、心が守られたんです。
心平安にされて、そして、素晴らしい作品が出来上がった
んです。

パウロも、とげが与えられたと言ってますよね。
私も、気がおかしくなりそうなほどの、厳しい試練なんですが、
神様からの、とげが与えらているんだと。

とげはものすごく痛くて、辛くて、苦しいんですけれど、
高慢にならないように、神様によりすがるように、祈るように
与えられているんだと、試練は痛いけれど、感謝できるんです。

恵みを数えていると、沢山の感謝が示されるんです。
海外でも、友人がずっと祈ってくれていたこと、
又海外で、別の人々にも、自分の全然知らないところで、
祈られていたこと、
持病も持っている中、進まずに、御手で保たれていること、
必要な時に、必要な霊的糧が、示しがいつも与えられ
ていること、

本当に感謝です」

試練の時は、幾らでもネガティブになれるし、幾らでも屈折
して取れるところ、神様に視点があるなら、心守られて
行き、恵みがますます見えて来る。




2012年10月23日(火)
  「災いでなく、平安と将来と希望」

「・・神がすべてのことを働かせて益としてくださる
ことを、私たちは知っています」ローマ8:28


「わたしはあなたがたのために立てている計画を
よく知っているからだ・・

それはわざわいではなく、平安を与える計画で
あり、あなたがたに将来と希望を与えるための
ものだ」エレミヤ29:11

Aさんが10数年の歳月を経て、しみじみと神様の
これらの御言葉を、身に浸みて実感した。

良かれと思い、子供のためと思い、あれやこれや
稽古事をさせ、ことごとく道をつけた。

転ばないように〃と、先回りし、石を取り除け、
転ばせないようにしていた。
今はわかるが、過保護だった。でも、心探られた時、
子供が転ぶのを見るのが、自分が痛いからだった。

親の思いを押しつけ、全く気づかなかった。
子供はそのまま従っていた。

後の日に、あれもこれも嫌だった、嫌でたまらなかった
と言ってくれた。
その気持ちを、言えるようになった事にも感謝できた。

思春期の頃、子供はつまづいた。
自分の過ちを、御言葉に、学びに照らされて、
はっきりとわかった。

とにかくあるがまま、そのまま受け入れようと心を
決めた。
進路が決まり、大金を納めたが、そこには行かなかった。
いや、行けなかったのだと思う。すぐに辞めた。

又、次の進路にも、大金を納めたが、全く行かなかった。

その渦中では、このままどうなるのだろうと、不安と恐れ、
思い煩いに襲われ、神様に委ねなければ〃と思うが、
握りしめた手を放せず、とうとう、神様が委ねさせて
下さった。

委ねた後、自分で自分の道を探し出して来て、
喜んで、充実して、その道を進んだ。
それも、バックアップし、応援してやった。

今、子供は本当に喜んで、充実して、幸せに暮らして
いる。

あのプロセスが、子供の心が癒されるために、どうしても
必要であったと、今、わかる。
子供が癒やされるために、無条件に、受け入れてやる、
状況を神様が造って下さったのだと。

その渦中は思い煩いで真っ暗だったが、神様にはご
計画があり、災いはなく、平安、将来、希望のため
だったと、今、はっきりとわかる。

神様はどこまでも、真実であられる。


2012年10月20日(土)
  「底の気づき」

目の前に様々な事態が起きて、それに対する
反応が起きる。
怒ったり、心にひっかかったり、傷ついたり、悲しかったり、
心がザラついたり・・
何でそう感じるのだろうと、考える練習を婦人会で
している。

Aさん、「何で痩せたいの?」と聞かれ、「う〜ん、彼氏
が欲しいから」
「何で彼氏が欲しいの?」「う〜ん、彼氏もいない人と
思われるのが嫌だ」
「何で嫌なの?」「う〜ん、見栄・・ですね」
「彼氏自体じゃなくて、見栄です」

Bさん「頼まれ事をしたんですが、プレッシャーで、
ど〜んと、心が重苦しくなって。

でも、何で、こんなに重くなるのか、祈りながら
心を探っていたら、良い成果を出して、人から
褒められたい、認められたい、評価されたい。

人によく思われたい価値観に行き着いて、
ほんとに感謝でした。
神様なんて飛んでいて、人しかなくて、人に褒められる
ためでなく、神様のためにするんだと示されて、
心がすっきりして、平安になりました。

どんなに小さなものでも、献げるものを受け入れて
下さると語られて、神様にお献げしたいです」

「何かを決める時に、人が気になって、例えば
寒くなったから、冬服に。でも、人は着てるの
かなとか。
それも、そこに視点が無いと、それすら気づい
ていない。
神様でなく、人が神になってしまう。
それに気づけて感謝です」

2012年10月10日(水)
  「祈りが無かった」

Aさん「ちょっと頼まれた事があって、
自分には、量的に多く、まずできないと
思いました。

そりゃあ、できたらしたいが、でもどう考え
ても、もう少し、量が少なければ、出来るが、
自分には重すぎると。無理だろうと。

何でもかんでも、言われた事を引きうける
のではなく、自分に出来ないことは、出来ないと、
ちゃんと断ることが大切とも学んでいるし、

そもそも自分の力を越えている事を、引きうける
のは良くないだろうと、

あれやこれや〜、ああでもない、こうでも
ない〜と、頭が巡りに巡る。

どうしようか、悶々としていて、ハタ!と
気づいたんです!!

全然祈っていない。ああー!!祈っていなか
った!何てことだ。

そこで、神様の御前に静まって、心の内を
ことごとく打ち明けて、気持ちも、思っている
事も全部告げたんです。

そして、神様の導きを求めると、
持っているものの、大きい、小さいは関係無い
できる、できないも関係ない。

わたしのところにそのまま献げなさいと言われ、
ああ、小さいままでいいんだ、問題無いんだ。

このまま神様にお献げすれば、神様が成し遂
げて下さる、神様の成されることなんだと、
心がすっかり平安になったんです。


そして、今日、教会に来て、学びの中で、
状況や問題が、問題なのでなく、自分の
“不信仰”が問題だとのこと、すごくわかりました。

自分の今回の目の前の問題にも、全く“信仰”
もって当たって無かった。

自分の持てるもの、目に見えるものを見る
ばかりで、不信仰だったんだと教えられて
感謝でした!」







2012年10月09日(火)
  「気づき」

Aさん「対人関係で、相手が仕事の決まり
事を守っていないので、それはルールだし、
よくないだろうと、ずっと思っていて。

それがずっと変わらずそのままなので、
ついに、それはいけないのではと、言った。

相手は釈明し、色々自分の考えを言って
来た。
でも、それはやっぱり違うと思い、こちらの
思いも言うと、関係がギクシャクしてしまった。

重苦しい心で、帰宅し、悶々状態だった。
平安無く、気持ちが重い。
どこがどうなのか、一生懸命考えた。
夜中に、ああでもない、こうでもないと考え、
よくわからないまま・・

今日が、その翌日で、教会に来た。

今日、学びの中で、神様が語って下さいました。
ピッタリでした。

自分に平安が無いというのは、相手の問題
でなくて、自分の問題であること。

自分は正しいと思い、確かに正しい事を言って
いるが、そこに愛が無かったことを教えられ
ました。
だから、平安がなく、心が苦しかったんだと。

よく祈って、明日、愛を持って接したいです。
心から神様に喜ばれるように、従いたいと
思いました。

神様が私に触れて下さり、語って下さったことが
何より嬉しくて、感謝です。」


Bさん「自分はクリスチャンだからと、対人関係
で、相手が少々身勝手だったり、わがままだっ
たりしても、我慢して、受け止めている。

でも、我慢しているのであって、心の底には
腹立ちや、裁きがある。
だから、平安なく、溜まると爆発するんです
よねえ。

我慢して、顔に、態度にも出さないで、自分は
いい顔をしている。
でも、心の中は、違う。これはぎまんであって、
欺きですよね。

だから平安が無いんですよね。溜まると必ず
爆発するし。
自分がいい顔をして、いい人になってるんです
よね。

神様に心の中の怒りや、ネガティブな思いを
ことごとく告げて行きます」


気づきを与え、霊的生活を導いて下さる御霊様に
感謝です!

2012年10月02日(火)
  「主は守る方」

深夜0時過ぎて、Aさんからメールが入る。

近所で夜中に騒ぎがあり、悲鳴が聞こえ、傷害事件
のようで、救急車とパトカーが来て、加害者を警官たち
が追いかけ、えらい大騒動だったと。
眠れなくなってしまってと。

その後、警官が近所を回り、いつも警戒しているので、
大丈夫ですから、との声かけがあった。

翌日も、恐いけれど、神様の許しの中で起きているので、
警官ではなく、神様が警戒して下さっていると、前向きに
今日1日を生きて行きます!と。

・・・・・・・・・・

前の会堂が一軒家を借りて、1階を集会所に、2階を
牧師住居にしていた。

幹線道路に面していて、よく目立ち、誰でもきやすい
場所だった。
それで、変な人がよく来た。お金目当ての詐欺が
20数名。
教会専門に、全国を回っている詐欺師たちもいた。

見知らぬ人が、知らぬ間に勝手に上がり込んでいて、
後で気づくと、お金や物が無くなっていた事も何回か。
時に、鉢合わせになった事も。逃げるように出て
行った。

深夜2時3時に来て、泊めてくれと。泊めるスペース
自体が無いし、不審に感じ、すぐそばの交番に行く
ようにと断ると、逆ギレした異端の男性。

こんな変な人々に遭遇して来た中、夫が他教会への
用事で留守だった。

夜、玄関の鍵を締めようとすると、鍵が具合悪く、どう
してもかからない。どれだけやってもかからない。

これももう御心、鍵は諦めて、誰でも入れて、不安なので、
主に頼って祈りに祈った。

その時に、詩篇121が与えられた。

「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから
来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る」

「見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、
眠ることもない。
主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう
陰」

「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、
あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえ
までも守られる」


鍵はかからないが、主が御手をもって守って下さる。
主の御手に委ねて、心は平安そのものに、その夜は
守られた。
主との交わりに、霊の喜びが与えられ、すべてが
益とされた。



2012年10月01日(月)
  「神の時」

神様の「時」は長い。

アブラハムは「あなたの父の家を出て、わたしが示す地
に行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる
国民とし、あなたを祝福し・・」との示しを与えられ、
神様に従った結果、

25年待って、子供が与えられた。
神様の時に、必ず成就される。

Aさんが、この間、海外宣教地訪問へ行って来た。

それが、30年前に、今から宣教地へ出ようとする
その海外宣教師のメッセージを聞き、祈りの要請、
宣教地訪問の要請に、心に強く語りかけられ、
聖霊の力強い導きがあり、その集会の招きに
前に出た。

「あれから30年、あの時の祈りが答えられたん
ですねえ・・」 感無量だった。

神様の「時」は驚くべく長い、気が遠くなるほど
長い・・けれども必ず成就する。


Bさんから、久し振りの喜びの便りが届く。

出産の時に、非常に厳しい状況で、辛い苦しい中
を通った。

Cちゃんが誕生した時に、神様が”その子は
あなたにとって喜びとなり楽しみとなり、
多くの人もその誕生を喜びます”(ルカ1:14)
との、御言葉を与えて下さった。

あれから18年

その後も、環境的に様々な試練があり、苦しい中
を通り、反発していた時期もあったが、Cちゃんが
神様を信じ、この度、バプテスマを受けたと。

「聖書を贈る時に、神様の与えて下さった
御言葉と、その時のいきさつを話してやりました」



Cさん、13年の辛い入院生活を送った。

「神様のことはよくはわからなかったけれど、
聖書を持ち、入院中ずっと、早く退院
できるようにと、神様に祈り続けていました」

「でも、今、振り返れば、あの祈りが聞かれた
んですね!!
祈りが無ければ、もっとずっと退院できなかった
と思います。
祈りが聞かれたことが嬉しいです。

その渦中では、辛くて苦しいばかりなんですが、
今、13年の意味がわかります。
自分を砕いて、造り変えて下さるためで
今は、感謝できます」


「天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある」伝道3:1

「神のなさることは、すべて時にかなって
美しい」伝道3:11