2012年11月22日(土)
  「明け渡す祝福」

Aさんが親族の介護をしていて、認知症も少し入って
いるので、なかなか大変だった。
体力的にも、くたくただ。もう動けなくなる時があると。
疲れ果てて、起き上がれない。
気持ちも、しんどくてたまらなくなる。

介護がしんどいと思うと、そんな自分を責める気持ち
が出て来る。更に気持ちが辛くなる。
苦しくてたまらなくなって来る。

体力的にも、精神的にも、いっぱいいっぱいになった
時、「神様、私はもう見れません。出来ません」

「神様にお委ねします」と明け渡した。
その時に、神様の不思議が起きて、心に平安が
臨んだ。
状況は全く変わらないのに、心が平安になって
しまった。

そばから見ていても、Aさんが全く変わってしまった。

「しんどいです」とずっと言っていたのが、「平安なんです!」
の笑顔に変わってしまった。

周囲にまで、平安が漂って来て、皆で、「すごいです
ねえ!」

ご親族が、突如、急変されたり、持ち直したり、
又、悪化したりの中、「みこころが成りますように」
と、Aさんが祈り続けた。

みこころが最善なので、どのようであれ、御心のままで
良いです。

持ち直された時に、又、急変で、見送る事になったが
御心なりますようにと、ずっと祈り続けていたので、
御心が成ったと、Aさんは、ずっと平安に心が守られた。


Bさん「私は、自分の心の底を正直に見て行くと、
『御心成りますように』と言えない自分がいる。

自分はまだ明け渡せない。でも、いつか『御心成り
ますように』と言えるようにして下さる、明け渡せる
ようにして下さる。

だから、出来るように助けて下さいが、今の自分の
祈りです。

まだ自分には出来ないけれど、少しづつ神様の事が
わかるようにして下さってることが、感謝です。

以前は、わからなかった神様が、今はわかる。だから
感謝です。明け渡せるよう、祈って行きたいです」




2012年11月20日(木)
  「神様に頼る」

「遠方の親族が入院したんです。
病状も思わしくなく、世話をするにも、全く思うように
できず、短期間で済むと思っていたら、長くなるし、
様々な事柄が、すべて自分の思いと正反対の方向
に向かって行く。

祈って行ったのに、一体これはどういう事なんだろうと。

時間的、体力的、距離的にも、自分にはどうする事も
できず、ほんとに全く何も出来ない、お手上げ状態で、

『神様、私は何もできません。神様がなさって下さい』
と祈った。

すると、結果的に遠方ながら、入院時と退院時に行く
事ができて、世話をする事ができ、細々とした事も
すべて驚くほどうまい具合いに導かれたんです。

何より、委ねた時に、不思議に病状が落ち着いて行
ったんです。

自分が真に何も出来ない時に、神様が働かれると
いう事を、初めて見せられ、経験しました。その事が
一番の祝福でした。
そのために、思うようにならない状況に導かれたと思い
ます。

何一つ出来ない、全くできない事って、幸いなんですね」


「神様に頼ることを教えらます。
親の介護に通ってるんですが、それが祈って行く日と
バタバタして祈らないで、慌てて行く日と、もう全然違
うんです。

祈って行った日は、親が不満や愚痴を口にしても、
こちらの気持ちに余裕があって、うまく受け止められ
るんです。

それが祈り無しに行った日は、もうダメ。こちらがイライラ
してしまって、説教口調になって、ますます相手は反発
して不満を募らせる。
こちらもしんどくなり、受け止められず、つききつい言葉が
出てしまう。
何だか、自己嫌悪になって、暗たんたる気持ちで帰る
んです。あー、祈って無かったと気づく。

神様から離れては何もできないことを、教えて下さって
いるんでしょうね。感謝です!」


『人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまって
いるなら、そういう人は多くの実を結びます。

わたしを離れては、あなたがたは何もすることができない
からです』ヨハネ15:5

2012年11月14日(水)
  「神様に向く」

デボーションの話をしていたら、

「サタンは、ものすごくデボーションを奪いたいですねえ。
ものすごいものがありますね。ほんとに嫌なんですねえ」

「朝、目が覚めて、起きた時に、なぜかすぐに『神様』に
ならない。
『神様、おはようございます』となればいいと思うのに、
何かの、しばらくの間があって。

その後、思いが浮かんで、その日のスケジュールや、
その日の心配事やら、やるべき事が次々と・・。

それについて行くと、朝のデボーションが持てないまま
仕事に出ることになる。

「サタン!」なんですよねえ。そこでサタンに気づくと、
神様に視点が向いて、デボーションをしようと思う。 

何か問題や難しい事があると、神様に祈るんですが、
生活が平穏に行っていると、もうボワ〜ンとして(笑)

特に休みなど、仕事の緊張も無くて、家にいる時
などは、時間があるからデボーションすれば良いのに
ボオ〜〜として、一日が過ぎてしまって(^^;)

まだ仕事をしている時は、緊張があるから、仕事の
中で、神様に祈ったりするんですが。

冷静に考えると、サタンに妨害されていると。サタンて
すごい力ですね。これほど妨害するのは、ほんとに
デボーションが嫌なんでしょうねえ」

「サタンだとわかるから、すごいですね。自分は、
朝起きて、一日のあれやこれやが来て、特に気に
なる事があると、もう思いがそちらに、即、飛んで
しまう。

飛んでしまったまま、まず気がつかない。肉にいると
肉に気づけないですよねえ。

サタンが的確に次々となすべき事を目の前に浮か
ばせる。ほんとに急を要するように見えてしまう。

それについて行って、それをして行くと、もう1日が
あっという間。神様が飛んだまま夜になる。

朝、祈って始めた1日と、祈らないままの1日は
全然違います。それはものすごく明白にわかる」


「肉がデボーションを、今、持ちたくないと思う。
疲れていたり、する気がしなかったりして拒む。
でもそれなら、「今、持ち無くないと思っています」
と神様に言って行ける。「嫌です」と神様に言える。

そう言って行くと、不思議に持てるようになる。
すでに「嫌です」と神様に言う事自体、神様に
向いている」

とにかく、「神様に向く」ということが、すべてだから、
向きさえしたら、あとは導かれて行くから、
サタンは、向かせたくない、神様に向かないように
ありとあらゆる手で、妨害して来てるんでしょうねねえ。

でも、こうして今も保たれて、導かれているから、
御霊様がずっと共におられて、導いて、気づきを
与えて下さっていることに感謝。











2012年11月10日(土)
  「本当の気持ち」

「何か、気持がもやもや、もやもやして、心が
重くて、しんどいです」

「神様に、ありのままの気持ちを言うか、書き
まくるといいよ。自分の姿が見えて来て、
何が問題かが見えて来る」

「ああ、そうですよね。自分でもわからない、
もやもやだから、書き出すと、きっと見えて
来ますよね」

「そう。思いがサタンとの戦場だから、思って
いると、ますます混乱して、苦しくなるから、
書くのはよいよ。サタンから守られる」

「でも、書いて、残るのが絶対に嫌なんです。
絶対に人に見られなくないから、書くと残り
ますよねえ」

「書いて、破って捨てたらいいよ」

「あ!そうか。破って捨てたらいいんですよね。
じゃあ、書いてみます!(*^_^*)」


「書くといいですよ。私、悶々状態の時に、
ずうっと、状況も気持ちも何もかも、書き
連ねて行っていたら、まず、心がすっとして、

すると、ワンクッション置けて、冷静になって
来て、色々考えることができた。

『何でこういうふうに思うのかな?』とずっと
突き詰めて考えて行くと、
自分のプライドが問題だったとわかった。

プライドが傷ついて、悶々状態になって
いたんだと。

神様が高慢を砕こうとして下さったこと
が教えられて、ほんとに感謝でした」


「話を聞いてもらっていても、自分の姿が
見えて来て、考えていることが自分でわかったり、
自分の気持ちが整理できたりしますよね」


「あるある。話している中で、自分の気持ちに
気づく」
「気持ちを言葉にして出すと、色々気づく」

「声を出して祈りをしていると、祈った言葉と
自分の気持ちにズレがある。違うと気づく。
正直な言葉ではないとわかる。
声を出して祈るは良いですね」

2012年11月07日(水)
  「思い通り」

Aさん「先日も、思い通りにならないことがあったんです。

でも、いつも学んでいる通り、人生、信仰生活は思い
通りに行かない、思い通りではないという現実を、まず
しっかり受け止めようと思い、祈って受け止めて行った
んです。

認めて、受け止めると、自分の心がはっきりわかった。
自分の強い思い込みがあることを示された。
自分は、やはり思い通りにしたいと思っているし、又、
目の前の状況を早く何とかしたい、すぐに何とかしたいと
思っている。

神様に祈って、御心求めて、待ち望むのではなく、
すぐに、解決したい。すぐに、楽になりたい。
それも自分の思い通りに、と思っている。

だから、焦って、肉で動いてしまう。蒔いたものは
刈り取るので、肉の実を結んで行く。

御心示されるまで、祈って、待つことを教えられる。
自分の思いで、どうこうしても、何の良いことにも
ならない。
待つのが、一番難しいが、待つことを教えられて
いると思います」


まず、そのままの気持ちを、神様に祈って行く
時、自分の本当の心が見えて来る。


Bさん「神様に従って来て、今、信じる前のこと
を思うと、ほんとに変えられていて。

以前は、まさに自分の思い通りに生きて来て。
思い通りにして行こうとするから、周囲とけんかに
なる(笑)
今は、だいぶ受け入れられるようになり、思い通り
でなくても、神様の最善のご計画があるんだと。
自分がものすごく楽になりました。

以前は、嫌で嫌でたまらなかった事が、今は
全然嫌じゃなくて、受け入れられて、神様の
みわざだなあと。こんなの奇跡ですよねえ。

対人関係でも、受け入れられなかった人が
受け入れられて、神様の力を感じます。
自分じゃないです」

思い通りに生きて行きたい自分が変えられて
行くこと、自我が砕かれて行くこと、
神様の奇跡(*^_^*)





2012年11月04日(月)
  「神の御力により守られて」

旧知のBさんと思い出話を色々語り合っていた。

「神様に感謝で、感謝でならない事があるんです。
宣教師の先生と旅先で知り合って、トラクトをもら
ったんです。
そこに教会名があって、帰ってから日常生活がまた
始まり、仕事の毎日だったが、どうしても気になって、
何だか気になって、教会へ行きたいと。
それで、教会へ足を運び、福音を聞いて、イエス様
を信じました。
教会がものすごく、暖かかったんです。心が引き込ま
れるようでした。

それから、信じただけで、聖書の事も神様の事も、まだ
初心者でよくわからないまま、事情で帰省する事になり、
郷里に引き揚げたんです。

田舎で、教会は近くになくて、カセットテープを送って
もらい、メッセージを聞いていました。

その後、異教の人々が訪問して来て、救われ
ただけで、何もよくわからなかったので、同じ聖書
かと思い、学びに来てくれると言うので、知らない
まま学びをしてもらってたんです。

自分自身がまことの神様について聖書の学び
もまだしていないので、判別がつかなかった。

聖書のイロハも、わからないような状態だった
けれど、イエス・キリストは神でないと聞いた時、
これは違う!!と、心にピピッと来たんです。
拒否反応が来て。

その時に、学びをお断りしました。その時は
その異教の団体の事も知らなかったんです。
今思い返せば、イエス様を信じて、聖霊様が
内住して下さってたんだなあと。
まだほんとに生まれたばかりのようで、何もわかって
いないのに、ちゃんと守って下さったんだと、
感謝で感謝でならないです」

神様の大きな御力に守られていることが感じられ
とても恵まれた。

あれ以来、数10年、本当に波瀾万丈、疾風怒濤
のような人生でしたが、本当に守られました。
あらゆる危険からも守られ、保護され、霊的に心的に
身体的に、経済的に、すべてにおいて守られました。
守られて、守られて、今があります。


「あなたがたは、信仰により、神の御力によって守
られており、終わりのときに現わされるように用意
されている救いをいただくのです」Tペテロ1:5

「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるから
である」Uコリント12:9

2012年11月03日(土)
  「幸せのかたち」

久し振りに会った旧知の友Aさん。

ご主人が事故に会い、九死に一生を得られ、
身体に傷がいを負われた。

10年の自宅介護の後、天に召された。
自宅で規則正しい生活をプランし、介護無しに
は動けず、肩を貸して支えながら、トイレへ。

何か言いたいのに、それがわかって上げられない
事がもどかしいでした。
傷がいで言葉が出ないので、あれか、これかと推測し、
なかなかわからずに、懸命に考え尽くして(笑)
それが、カーテンを開けて欲しいとか、窓を少し開けて
欲しいとか・・当たった時は、ほんとに嬉しくて。

それでも、自宅で身体を動かす事が少しづつ
リハビリになり、身体を支え、ドアの外へ出ること
ができた。

一歩から、二歩三歩と進み、肩で肩を支え、公園
へ出られるまでになった。
手が少し動くようになり、物を持つ事ができるように。

目は全く離せない中、家族や友人、ヘルパーさん、
親切な近所の人たちやら、常に、必要な様々な
助けが備えられた。

周囲から、どんなにか大変でしょうと、よく言われるが
介護できることが幸せだった。楽しかった。

「ずっと一緒で、幸せでした。主人は仕事で忙しく
毎日夜も遅い生活でした。
それが、思いを越えた事態に導かれ、神様に拠り頼み、
祈りながら一日一日過ごし、本当に不思議ですが、
嫌だとか、しんどいとか思ったことが無いんです。
神様としか言いようがないんです。

介護が楽しかった。この10年があったから、夫婦の絆
が強められ、深められ、主人が自分に必要で、自分も
必要とされ、夫婦がひとつでした。

人生、こういうふうになるとは、思ってもみなかった
ですが、本当に神様の深いご計画の内なんだなあと。

リハビリで、意識もくっきりしてきて、心通わせ合えて
神様の恵みに感謝で、この介護の日々、本当に
幸せでした」

「ずっと片時も離れず、二人でひとつだったから、喪失感
が大変だったでしょう」

「今はもう寂しくない?」

「ええ、歳月たって、今はもう全然寂しくない。
自分も、もういつ天国かわからない。笑
あとは、天国への備えですよねえ(^^)」


人生の、また、日々の「幸せのかたち」・・いいね。

2012年11月01日(木)
  「幸せ」

周囲は山、畑が広がり、家もまばらな郊外の地で、
塾をしているAさん。

塾も大変難しいこの時代に、口コミで、生徒さんが
どんどんやって来る。

「いつも授業を始める前には祈って、準備する時にも
祈って準備するんです。
すると、不思議に教材のアイデアや知恵が与えられる
んです。
ふと、あ、あれはああすればいい、これはこうすればいいと
アイデアが浮かぶんです。神様です。

一生懸命、教材の準備するんですが、すごく喜びが
あるんです。この仕事が大好きで、神様が与えて
下さっていることが感謝でならず、本当に幸せです」

生徒さんがその科目のコンテストで優勝や2位入賞。

「でも、結果が出てるところが、すごいですよねえ。
教え方が上手なんですねえ」

「いえ、神様なんです。それが、伸びる生徒さんたちを
送って下さってるんです。一生懸命教えるんですが、
それを吸収して、どんどん伸びて行くんです。
こちらも、もう驚くばかりなんです。

同時に、成績が振るわない子供さんも、親御さんから
頼まれるんです。
神様からだと思い、どう教えて上げたらいいかと、祈り
ながら、何とかわかるようにと、懸命に努力するんです。

子供も、ちょっとでも楽しさがわかると、頑張るようになって
行くんですねえ。それを見るのも喜びです。

教えたくても、生徒がいなければ教えられない。
生徒を送って下さっている神様に、本当に感謝です」

いろんな試練を通られているAさん。
「私、今、本当に幸せです」。


Bさん「私、優しい夫がいて、子供がいて、生活も別に
不自由なくて、仕事もせず専業主婦でおれて、周囲から、
まあ、あなたは幸せねえと、言われるんですよぉ。

でも、外から見て、幾ら幸せそうに見えても、自分が幸せ
だと感じていないなら、幸せでないですよねえ。

不平不満や愚痴ばっかりで、神様に申し訳ないです。
そっちばかり見てるってことですよねえ。

幸せって、全然状況によらないですよねえ。外側の事は
関係無いですね。どんな状況だとしても、自分が
神様にあって、幸せだと思うなら、幸せですよね。

要するに視点がどこにあるかですよね。神様にあるか、
状況にあるか。恵みを数えて、神様に感謝して行き
たいです。
教会に来れて本当に良かったです(*^_^*)」


「しかし、私にとっては、神の近くにいることが
しあわせなのです」詩篇73:28

神様につながって、何かをしている時に、心に喜び
があり、心満たされ、しあわせだと感じる。
神様にとどまっていることが幸せ。