2012年12月15日(土)
  「明け渡すこと」

「明け渡すことが、信仰生活のほんと鍵で
土台というか、基本の『き』というか、日常生活
で経験しますねえ」

「もう目の前の、次から次へと起こる事態に
対応しきれず、パニックになって、不安や
思い煩いや、又、思い通りにならないイライラ
やら、わけわらなくなって。

頭、混乱状態でした。
次々と、決めて行かねばならない事があり、
でも、どうしてよいかわからない。
しかし、状況は迫っている。

もうしんどくて、心重くて、周囲を責めたり、
腹を立てたり、又、自己憐憫に陥ったり、
ああ、自分で、どうこうしようとしてるんだと。
肉で動いていて、自分の力なんだと。

もうギブアップで、全部神様に明け渡したんです。
途端に、ほんとに奇跡のように、心が軽くなって。
思い煩いが無くなったんです!!

自分でもびっくり!で、不安も無くなり、神様
が最善をして下さると思えるんです。
心がすっかり平安になって、楽で、楽で(*^_^*)

ほんとに、どのような苦境の中でも、いつも目の
前に道を造って下さって、前に進めることを
経験しました。

紅海を分けて道を造られたように、いつも、
いつも、でした!!(*^_^*)

明け渡した後、ほんとに平安なんです。
明け渡すって、すごいですね!!」輝く笑顔で(*^_^*)


「スケジュールが立て込んでいて、あれをああして、
これをこうして・・ああ、どうなるんだろうと、
もう思い煩いに飲み込まれて。

これはもう人の手は越えていると、もうどうにも
出来ないので、神様に明け渡したんです。

もう、どうであれ、御心のままでいいです。
御心に従いますと。
明け渡した時、心が楽に平安になって、神様が
最善をして下さるからいいと思えて。
心穏やかに、示される通りにして行こうと。

すると、その後、更に大変なスケジュールが入って。
でも、もう明け渡していたから、委ねたんだから、
これが御心、だから受け入れて行こうと、素直に
思えたんです。平安と喜びもあって。
ほんとに、明け渡して、感謝だったです!!
明け渡すって、力ですね」

明け渡す時、ほんとに不思議な平安で
心が変えられる。

2012年12月12日(水)
  「受けるだけでいい」

「職場が、とにかく忙しく、体力的にもハードで、
退社時間もどんどん遅くなり、身体に堪えて来て、
とうとう、病院に直行、点滴を受けるはめになり。
母に頼んで、迎えに来てもらって。

もう、とても身体が続かないと、辞めたんです。
余りにハードだったためか、精神的にも参って、
家で休養していたのですが、家から出れない
んです。
精神的なものと体力的なもの両方だったと
思います。
どうしても出れずに、こもっていた。

それが、友達が心配してくれて、遠方まで
遊びに行こうと、誘ってくれて。

こんなしんどいフラフラの状態で、家を出られない
のに、遠いし、行けるのだろうか、とてもじゃないが
行けない・・、無理だと思ってたんです。

それが、ふらふらで外にも出られないのに、
何と行けたんです!遠方まで行けて、すごく
楽しい時を過ごせて、ほんとに信じられない
ぐらいで、神様なんです。みわざです。

それで、元気が出て、気力も与えられて、
次の職を探す力が与えられたんです。

職探しも、こちらにも家から通える条件がある
ので、なかなか難しいです。

でも、スムーズに決まらなかったお陰で、今日、
時間があって、こうして集会に来れました。
神様です(^^)

御言葉にすごく恵まれて、新たな力が与えら
れました!
神様は必ず、自分のために一つ備えて下さって
いるから、信じようと思いました!!
与えて下さること信じます!!

信じるだけでいいんですね。信じて探して行きます。
集会来れてほんとに嬉しかったです(*^_^*)」


皆が、いつもAちゃんのために祈っている。
祈られているAちゃん、ほんとに神様が働いて
おられることが見える。


Aちゃんママから
「楽しかったようで私に『恵みは受けるだけで
いいのよ。凄くない?』と喜んでいました。

皆さんと、ただただ楽しい時間を過ごしたようです。
まだ仕事が決まらずへこむこともあったけど、
神様が絶対与えられるからと信じています(^^)」

2012年12月11日(火)
  「神様を知れた」

「毎朝、子供のために、祈るのですが、いつも
『今日も子供が守られますように』と祈るのが、
その日はなぜか『子供に触れて下さい』と
祈ったんです。

すると、その夜に、県外で働く子供から、『急病
で急遽入院した』との電話」

「うわっ!触れて下さったんじゃ」

「そうなんです。一人暮らしで、気が気でなく、
とりあえず週末に主人と一緒に駆け付けました。

一人でフラフラで入院になったようで、着替え
や荷物も持って来ておらず、身の回りの物を
整えてやり、一人暮らしの住まいにも行き、
そのままだったので、片付け、掃除もして。

40度の高熱が、なかなか下がらず、心配で
ならなかったが、一人でも残りたかったが、家
の事情もあり、どうしても帰らざるを得なくて、
後ろ髪を引かれる思いで帰宅。

自分には何もできない、どうもできない、
何一つできることがない、何も無い、その時に、
神様に心底、拠りすがりました。
心の底からすがる、初めての経験でした。

そして、祈りが答えられて、時間をかけて
ちゃんと回復与えて下さり、退院し職場に
戻れました。

崖っ淵を通ったが、生けるまことの神様を
体験し、実感できて、神様は子供に触れ
て下さって、それを通して、私にも触れて
下さった。祈りに答えられたんですね」


「恐れと非常な不安と、もう気が気でない所を
通ったが、でも、だからこそ、神様を知れた
んですよね。

子供も、元の通りに回復できて、すべて益
で、神様を知れたことが、何より感謝で
ならないです」

2012年12月10日(月)
  「信じるだけでいい」

地区集会で、早い目のクリスマス会があった。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」
ルカ2:14

「平和」をもたらすために来て下さった主イエス様。

「あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝て
おられるみどりごを見つけます。
これがあなたがたのためのしるしです」ルカ2:12

神様は救い主がわかるように、しるしを下さった。
それは飼葉おけのみどりご。

高貴な場所で、宮殿で、生まれたなら、生まれ
つきの価値観に合致するので、わかりやすいが、

不衛生な、世から捨てられた、蔑まれた場所で
の誕生、肉の価値観に合わない、見つけられない。

王の王、主の主、光の中に住まわれていた方が
へりくだって、人間となり、へりくだって家畜小屋で
誕生された。

十字架で、私たちの罪を贖い、死ぬために生まれ
て下さった。

「平和が、御心にかなう人々に平和があるように」

御心にかなう人々とは、この主イエスを信じた人々の
こと。主を信じて、受け入れた人々に、罪の全き赦し、
心の平安が与えられる。

ただ、信じた人々のみが、平和を受け取る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Aさん「以前は、クリスマスと言うと、何もなく、ただ
飲み食いをし、ばか騒ぎをしていた。何の感動も無しに。

要するに、イエス様は死ぬために、生まれられたんじゃ
ないですか!
私のために十字架で死んで下さって、罪の赦しが与えられ
て、心に本当の平和を与えて下さる。生きる感動を与えて
下さる。そして、これらすべてが、信じた人に与えられる。
ただ、信じることなんですよね!」

Bさん「受けるだけでいいんだ。神様は、有難うと受け
ることを喜んで下さるんだ、すごいと思います。
今、目の前に厳しい現実があるのですが、信じて
行きたいと思いました」

Cさん「自分も、高貴な豪華な宮殿で生まれたなら、
立派な救い主と思えるが、世から捨てられた飼葉おけ
での誕生が、主と受け取るのが難しいと思う。
信じることができたのが、奇跡で、神様の恵みです」


余りにもへりくだっておられて、わからない。

信じるだけでいい。ただ信じた人が、平安を受け取る。

高慢な心に、この信じるという余りにも単純な簡単な
ことが最も難しい。

「信じるだけでいい」・・クリスマスに、大きく深く心に
語りかけられ、神様の御声を聞いた(*^_^*)

「信じるだけでいい」感謝に溢れる。

2012年12月05日(水)
  「万事益」

婦人会で、一年の恵みを語り合っていた。

Aさん「両親が一度に倒れてしまって、もうパニックだった。
二人の行く先を次々探さねばならず、一人づつなら良かった
のにと切に思った。

でも、それは神様の配慮だった。一人が倒れていたなら、
一人を独りで家において、病院や施設に通わねばならず、
そっちの方が大変だった。

どちらもが、病院や施設にいたので、安心して双方の
いる所に通えた。結果的に本当に感謝だった。


自分で全部やってしまうタイプで、今までやって来たが、
もう体力的に、時間的に、労力的にどうにもならなず、
許容量オーバーで、主人に協力を頼んだ。

すると、気持ち良く助けてくれて、主人も休みたいで
あろう土曜や日曜も付き合ってくれた。

病院や施設の帰りに買い物したり、夫婦で動く事が
多くなり、自然話す時間も多くなり、夫婦仲がものすごく
祝福された。夫婦にとっても大きな恵みだった。


最初は自分の力でやっていて、もうしんどくて、しんどく
て、一歩も歩めず、もう限界で、神様に自分自身を明け渡
した。その時から。全く変えられてしまった。

あんなにしんどくて、苦しかったのに、苦しみや辛さが
全く消えてしまって、平安になってしまって。
心が楽で、楽で、ずっと喜びがある。

明け渡すことが鍵なんですね。
ほんとに感謝で感謝でならない。

神様に自分の気持ちを、ありのまま言えるようになって、
ありのまま受け止められていることがわかる。

『今日は行きたくない。行きたくないんです。神様』と
素直に祈れるようになって、楽になった。
感謝と喜びが伴って来て、ほんとに嬉しい。


以前は、祈って貰ってるのに、自分が感じることが
なかったが、今は、背後の祈りをすごく感じて、ほんと
に祈りによって、支えられていることが実感できた。

もう神様がいなかったら、どうなってたかわからない。
自我をぶつけて、家族に当たり散らして、家族のせいに
したり、周囲のせいにしたり、対応もできていなかった
に違いない。
もうただただ神様に感謝しかない。

結局は両親が倒れた事があったから、明け渡すことが
できた。
ほんとに御霊の平安と喜びを知れて、親の行く先も、
目の前に来ると、次々道が開かれて、すべてが導かれて、
ほんとにすべて益です」

2012年12月03日(月)
  「主のおられる所に」

以前、ずっと一緒に集い交わっていたAさんが、
神様から離れていた期間を経て、帰って来た。

Aさんが喜んでいる姿に、ほんとに恵まれ励まさ
れる。神様の栄光を見せられている。

「ねえ、神様から離れていた期間って、神様のことと
かはどうだったの?」

「全然、全く、無い」(笑)

「目に見える生活が、順調で、思い通りに行って
いる間は、神様のことなんて、何も無かった」

「ああ、飛んでたんだね」(笑)

「で、どうやって、神様のこと思うようになったの?」

「やっぱり、うまく行かなくなったから。ローンの返済
のために、仕事に追われて、一つでは足らなくて、
かけ持ちで仕事したりしていて、こんなの、何のために
生きてるんだろうと、心がものすごく虚しくなって」

「虚しくなった時、思ったのが神様だったんだ」
「そう、神様だった」

「一番最初のクリスチャンの友に、どうしても会いたく
なって、遠方まで会いに行った。

そこで、一緒に教会に行った時に、御言葉がびんびん
心に響いて来て、入って来て、もう涙が出て仕方が
無かった。

今までの歩み思う時に、とても神様のもとへ帰れないと
思ったが、その時に『医者を必要とするのは丈夫な者
でなく、病人です』の御言葉語られて、また、涙で」


救われた人は、神様のもとへ帰るんだと、見せられた。


同じように、クリスチャンであっても、何をしているかでは
なくて、どこにいるかが一番大切だなあと。
でなければ、クリスチャンであっても虚しい。

「あなたがわたしに下さったものを、わたしのいる所にわたしと
いっしょにおらせてください・・わたしの栄光を、彼らが見るよう
になるためです」ヨハネ17:24

「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中に
とどまります」


ある人が、自分の力で歩む、油の切れたような、しんどい
苦しいクリスチャン生活を通り、主に自分自身を明け渡す
ことができた。自分自身と自分の人生を主に委ねた。

その時に、確かに自分自身が変えられたのがわかったと。
その後も、霊的アップダウンはあるけれど、底の方に
大きな川のような平安が流れていて、それは決して
変わることがないと。

そして、変わったのが、生活の小さな事の一つ一つに
気持ちがあり、感動がある。以前はそんなことは
決して無かったと。


何をしているかでなく、主にとどまっている時に、
する事の一つ一つに気持ちがあり、喜びがある。
御霊の働きだ。

どんなに有意義な事をしていても、目の前の事柄を
次々と、ただこなすだけなら、何の感動もなく、気持ち
もない。しんどいばかりだ。

御霊に導かれて生きる時、確かな歩みへと導かれる。

イエス様のいるところに、常にいっしょにおれますように。





2012年12月01日(土)
  「神様に頼ること」

「仕事の中で、子供に対応する事があったんですが、
良きに指導しようとするが、子供は全く別方向へ
向かい、全く思うようにならない。

何とか、うまく導こうとするが、思い通りに行かない。
もう四苦八苦して、一日終わる頃には、疲れ果てて
しまい、あ〜あ、今日は何だったんだろうと。

やっぱり自分は向いてないわで、終わっていたところ
だったんですが・・。

でも、いつも学んでいる、底にあるものを考えてみよう
ということで、神様に祈って、考えていたら、やっぱり
神様とかは吹っ飛んで、神様に頼ることも、祈りも
全く無く、自分の力で、自分の思い通りにやっていたと
気づかされた。
だから、もう、自分の思いばかりがあって、それが何もかも
思い通りにならず、バーンアウト。

だから、実がなく、徒労に感じてしまう。
仕事も、祈って、頼ることを覚えさせられました。
そこに神様を認めて行くなら、どのような結果であれ、
自分自身は平安ですよね」

・・・・・・・・・

教会学校で、思いきり遊ばせて、今からお話という
時に、『さあ、座ろうか』と声をかけるが、子供たちは
ざわざわしている。
『ちょっと静かにしよう』と2,3度声をかけるが、余計に
子供同士はしゃいで、むしろざわつきが広がって行く事に
気づいた。

あ、肉の力で、自分の力で、おさめようとしていると気づき、
心の中で、神様がおさめて下さるようにと、祈った。

すると、すうっと静かになり、お話の間中、しーんと静まり
返って、皆が真剣に耳を傾けた。聖霊様がおさめておら
れるのを感じた。

どんな小さな事でも、神様に頼ることを教えられる。
頼って、頼って生きて行けるって、何て安堵だろう。

・・・・・・・・・・・

印刷機が調子悪かった。
原紙がからまりついて、止まってしまう。
急ぐ印刷物なので、機械にからまりついた原紙を
取り除こうとするが、ローラーにまきついて取れない。

先のとがった物で、引っ張り出そうとするが、うまく
行かない。延々時間ばかりかかる。

心の中で祈った。「神様助けて下さい」。
挟めるようなピンセットのような物を、探すが無い。
台所で、何か無いかとごそごそ探すが無い。

すると、Aちゃんが「何、探しているんですか」と声を
かけてくれる。
「挟むようなものが無いかと思って」

「これ、どうですか」、何とピッタリのトングを差し出して
くれた。びっくり!!
「何で、あなたがこれ持ってるの?」
その日の教会学校のイベント用に、家から持って来て
くれていたものだった。

きれいに、からまった原紙が取れて、びっくり!!
神様だ!!

もっともっと、日常生活で、神様に頼って行けますように。
何と嬉しいことだろう。