2013年01月13日(日)
  「行く所どこにおいても、主を認めよ」

Bさん「仕事の中で、自分のした事に対して、文句を
言われた。しかし、自分としては、考えて一つ一つ
それが最善と判断して、した事だった。

ダメ出しに対して、『自分は〜〜思って、〜〜しました』
と言うと、それがまた余計に気に入らないのか、更に
高圧的に、非難される。
もうああ言えば、こう言われるで、もうどうしようもない。

自分としては配慮したつもりなので、ガックリ来て、
又、余りにきつく言われるので、カチンとも来て
しまった。
何だか、気持ちが萎えて、仕事に身が入らない。
すると、失敗してしまい、こっぴどく叱られてしまった。

叱られるのは痛く、辛かったが、ほんとに自分の
ミスなので、謝った。

その日、最後の仕事を片付けながら、神様を覚え
色々考えさせられた。
自分にも非があるので、悪い態度や、言動を、
その日の報告と一緒に、書いて謝罪して置いて
帰った。

帰宅後、神様に祈りつつ、今日の出来事を思い
返して、神様が何を教えて下さりたいのかを求めた。

仕事に慣れてしまって、こなしているだけで、心が
無いこと、全く心を込めていないことを示された。
人のお世話をするのに、心がこもっていない。
相手は敏感にそれを察知し、わかっていたんだと
思った。

心を込めて仕事をしたいと、神様に祈った。
次に行く時に、強く叱られた事もあり、行きにくかった
が、よくよく祈って、神様に助けられて職場に行った。

心を込めて、祈りを込めて、一つ一つ対応した。
すると、驚くべき事が起きた。相手に褒められたのだ。
『よく出来てるよ』『すごく良いよ』

本当に嬉しく、神様に感謝した。
そして、拒否され辛く、厳しく叱られた事は痛かった
が、それが神様の取り扱いで感謝だった。
砕きだった。
もし、それが無かったら、いい加減な気持ちで仕事
をしていたままだったと。


そして、以前は起こる一つ一つに神様の御手を
認めるということも無かった。
ただ、事象があるだけで、それだけだった。

神様が何を教えようとして下さっているのか、
神様とリンク出来るようにされた事、そこに神様を
認めて、教えようとして下さっている事を求める
自分に、変えられている事が、嬉しかったです」


“あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる”
箴言3:6



2013年01月10日(木)
  「風がやんだ」

Aさんが、心身共にハードな、非常に辛いしんどい
状況にいた。

身体にも堪え、薬を飲みながらの日々だった。
状況がもう少し楽なものに変わりますように、が祈り
だった。

何ヶ月も祈り続けるが、一向に状況が変わらない。
ますますハードになるばかり。

愚痴と不満が溜まって行く。でも、御心なら頑張ら
ないと、忍耐しなければと思うが、実際しんどい
ので、不平が募りに募る。

何とかして下さいと、祈りに祈り続けるが、環境は何
も全く変わらない。


状況を支配しておられるのは神様で、祈りに祈って
それが全く変わらないなら、それが答えだと思うよ。

それを受け止めて、祈りを変えてみたらは。
「自分には辛く苦しい状況ですが、これが御心なら、
この状況を自分が受け入れられるよう、助けて下さい」
と。状況は変わらなくても、自分自身はきっと
平安になるよ。

そうしますと、Aさんは、「御心ならこの状況を受け
入れます。導いて下さい」と祈った。

すると、祈った途端、身体的ハードは同じだが、対人
関係に突然の変化が生じて、和やかな関係に。
精神的に厳しい状況だったのが、きれいに解かれて
しまった。
嘘でしょうと思うほどに、突如、変化してしまった。

身体はハードだが「心がすっかり平安になりました!」
と。驚くべき神様のみわざを見た。


礼拝メッセージで、弟子たちが湖で、大嵐に遭遇し、
慌てふためき、風と波にあらがい、悪戦苦闘する。
そこに主が海の上を歩いて来られた。

ペテロが、主のもとへ行きたいと言い、行くが風を
見て沈みかける。「主よ、助けて」と言った途端
手を伸べて、つかんで下さる。
ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。

「風がやんだ」
イエス様が舟に乗り移られると、風がやむ。

イエス様を受け入れると、風がやむ。
心の愚痴、不平不満の大嵐がやんで、
平安になる。



2013年01月07日(月)
  「神の栄光が現れるため」

昨年末のクリスマスに祝福があった。

教会から遣わされている国内宣教師家族の
家電が・・、丁度、時期なのか、次々壊れた。

炊飯器、冷蔵庫、そしてエアコンも。
余りに次々なので、へこんでしまったとの事。

エアコン、修理見積もりが高くて、これなら
新しいものを買った方が良い。が、高額だ。

しかし、「信じるだけでいい」。神様は「すべて
の必要を与える。何の心配もしなくていい。
信じているだけで良い」と言われた。

「信じてるだけでいい」
Aちゃんではないが、まさに「すごい!受けるだけ
でいいんだよ。これ、すごいよね!」

天から与えて下さる。「何の心配も、思い煩いも
無用。信じるだけでいい」と主が言われた。

教会から、いつも宣教師家族に、クリスマス
プレゼントをしている。
リクエストを聞くと、お金を貯めてエアコンを買う
事にしたので、今回はその足しにするので、エア
コン献金にと。

それで、プレゼントとして、エアコン献金を献げた。

すると!何と!家電店で、次はこれが欲しいと
思っていた価格とピッタリだった。

多くも少なくもなく、ピッタリ!!
神様だと、身震いしたと。

神様であること、神のみわざである事を、現して
下さった。

皆で、御名を崇め、栄光を拝する事ができ
感謝だった。

エアコンを使う度に、皆の愛を覚え、身も心も
暖められる事となる。(*^_^*)

「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、
恵みがますます多くの人々に及んで感謝が
満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるため
です」Uコリント4:15

負の事は、負ではない。
神様の栄光が現れるようになるためだ。

2013年01月05日(土)
  「信じるだけでいい」

12月始め、かなり早めのクリスマス集会で。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、
平和が、御心にかなう人々にあるように」ルカ2:14
から

「平和が、御心にかなう人々にあるように」との題の
メッセージだった。

主が私の罪のために死んで下さり、罪の赦しを与え、
永遠の命を与え、天国への道を開いて下さった。
この世においても、喜びもって、平安もって生きる
道を与えて下さった。

これらがすべて、信じる人にだけ与えられる。
御心にかなう人とは、信じる人であり、受け取る人。
信じるだけでいい、受け取るだけでいい!!

平安が、信じる人々にあり、受け取る人々にある。

12月は特別忙しい日々だった。
次々のクリスマス集会の準備、山となす雑用、
渡航準備、不在中の準備、帰国後の奉仕の準備・・
何が何だかわからないほど、する事がある。

「信じるだけでいい!」「〃」と声に出して言い
ながら、一つ一つして行くと、思い煩わずに、思
い煩いから守られ、肩に荷がかからない。

「信じるだけでいい」気持ちが楽になり、平安
な中で、準備できる。そして次々と神様が成し
遂げて行って下さった。

まさに「平安が、信じる人々にあるように!」を
身をもって体験する。

Aさんが「自分の力でやっていて、神様に頼って
いない事を教えられました。
神様に頼らず、自分の力でやっていると、しんどく
てたまらなくなりますよね。

イライラして、ピリピリして、うまく行かないと
人を責めてしまい、いつも平安が無い。

砕かれて、自分の力でどうしても出来ないところ
を通されて、感謝でした。
自分がすると、自分の肩に全部荷がかかるから、
しんどくて当然ですよね。自分が背負ってるん
ですものね。

それもなかなか気づかず、突き走ってしまって
いて、ほんとに感謝でした。

楽になりました。一つ一つ神様に頼らざるを得
なくて、頼れることが感謝です。嬉しいです。
神様に頼ると、自分の肩にかかって来ないので、
重荷が下ろせて、ほんとに楽なんです。

心が平安です。ほんとに自分がするのでなく、
神様がして下さる事を受け取ることがよく
わかります」






2013年01月3日(木)
  「良い地に導き入れる」

明けましておめでとうございます。
2013年、主の豊かな祝福がありますように。
本年もどうぞよろしくお願い致します。

今年年頭の礼拝メッセージは

「あなたの神、主の命令を守って、その道に歩み、
主を恐れなさい。あなたの神、主が、あなたを良い地
に導きいれようとしておられるからである。」
申命記8:6、7

礼拝後、祝福を語り合った。
「良い地」に導き入れて下さる。

「主が良い地に入れて下さるが、その『良い地』が、暗に自分
の思う『良い地』と勘違いしてしまうんだよね」

「そうそう!そうです。そうです」

「自分の思う『良い地』は、問題が無いこと、悩みが無いこと、
病気をせずに、順調であることなんよね。それが祝福。」

「無病息災、商売繁盛、家内安全、五穀豊穣・・この世の
ご利益宗教と同じですよね」

「でも、良い地とは、問題の無い、順風を漠然と連想します
ね」

メッセージの『良い地』とは、神の愛の中に捕らえられて
いるという生活、神の愛の中に生きること。

試練があって、その中で、神様の愛を知って行けるなら、『良い
地』ですよね。その中でしか知る事のできない神様の愛を経験
出来るなら、すごい恵みですよね。

順調が良いこと、うまく行くことが善なら、病気になったり、物事
がうまく行かない時、不幸せ。
自分は、その口です。自分の思い通りに、うまく行くことが幸せ
との価値観がどうしてもあるんですねえ。

だから、試練が来るとつまずいて、つぶやいて、何で!何で!
と、神様を責めて行く。

今年、変えられたです。試練が来た時に、愚痴って、神様
を疑ったり、責めたりしないで、受け止める者にされたい。」

神様は、明確に、訓練すると言っておられる。
訓練の中で、更に深く高い神様の愛を知って行けるので、
試練を通して、良い地に導かれること、信じて行きたい。

幸せとは、順調なこと、思い通りになること、快適なこと
でなく、
「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわ
せなのです」詩篇73:28

神の変わる事のない愛の中に捕らえられている事を
知る事が幸せだ。