2013年03月20日(水)
  「明け渡すと」

「神様は不思議だなあと思うんです。
いつも、礼拝メッセージやら、聖書の学びの
時に、何で、私の心の内を知ってるん?
と思うんです(笑)
もう、ピッタリ!ドンピシャ!で。

先生方は、私の状況と私の心の中を知っていて、
全部私のために、準備をしてくれたんだと
思うんです。

今日のメッセージ、今日%C

2013年03月20日(水)
  「明け渡すと」

「神様は不思議だなあと思うんです。
いつも、礼拝メッセージやら、聖書の学びの
時に、何で、私の心の内を知ってるん?
と思うんです(笑)
もう、ピッタリ!ドンピシャ!で。

先生方は、私の状況と私の心の中を知っていて、
全部私のために、準備をしてくれたんだと
思うんです。

今日のメッセージ、今日の学び、自分のため
だ!!と、もうほんとにびっくり!するんです。

それで、学びの後に、皆で恵みを語り合うじゃ
ないですか。
すると、皆が皆、今日は自分にピッタリで、自分の
ためでした!と言う。

私にピッタリで、それが他の人にもピッタリで、
これって、神様、すごいですよねえ。

私、以前は御言葉が全然わからなかったです。
だから、全然ピンと来ないし、聞いても楽しくも面白く
もないし、集会の機会など、いっぱいあったのに
恵みをザルに流してた。

でも、今、御言葉がわかることが、ほんとに恵みで
嬉しくて、感謝で、感謝でならないです。

御言葉聞きに、教会へ来ているし、御言葉を聞き
たいとすごく心に渇きがある。嬉しいです。

何で変化したのかと考えると、行き詰まって、自分
の力では、全くどうにもならない状況を通って、
神様に自分自身を明け渡したことからだなあと。
その時から御言葉が心に入って来るようになった。」


「私も、最初教会へ来たのは、もう十数年前で(笑)
でも、全然御言葉など、心に入らなかったです。
頭を通り過ぎて行く感じで。
でも、全然嫌じゃないから、顔を出しておこうかな
ぐらいの気分で。

それが変わったのが、やっぱり人生の試練です。
自分ではどうにも出来ない試練が、ドーンと
来た時に、神様!!になって、常時来るように
なり、その次の大試練で、もうどうにもならず、
神様にギブアップで、明け渡した。

その時から、平安と喜びを経験し、180度変
わって、ものすごく楽になりました(笑)」


人は、人生に行き詰まって、神様に明け渡した時に、
目に見えて変えられて行く・・。



2013年03月13日(水)
  「じっと見守る愛」

Aさんが「お母さんの説教は、長〜くて、暗〜くて、
そこに御言葉が入る」(笑)

Bさん「悩んでいる時、悶々の時は、ただ聞いて欲しい。
ただ聞いてもらって、苦しさをわかって欲しいのであって、
答えを求めているのではない。

自分で答えは、わかっている。又、親がどう答える
かも、わかっている。
すぐ御言葉を持って来る。又、どの御言葉かも、
もうわかっている(笑)
それは全部わかっている。求めているのはそういう事
ではない」

「あー。そうやってます(^^;)すぐ御言葉をもって来て(>_<)
必死に教えようとする(笑)
親は、とにかく子供に神様に従って欲しい一心で、神様
に従うことが解決だとわかるから。

そして、親は、すでに歩んだ道で、先を歩んでいるから、
人生どのように歩んだら、困らないか、うまく行くかがわかる。

だから、子供が将来困らないように、うまくやって行ける
ように、すぐ教えようとしてしまう。転ばないように、石を
取り除こうとする。

でも、子供はその時点で、失敗するなんて思っていないし、
それは実は子供のためでなく、子供が転ぶのを、
親が見たくないからですよね。自分が痛いから。
自分のため。自分が安心したいから。
自己満足のためですねえ。

でも、ダメですよね。子供が自分で困難にぶつかって、
自分で考えて、転んだとしてもそれで貴重な学びを
して行くんですよね。
石を取り除き、レールを敷くのが過保護ですよねえ。

アドバイスを求めて来たら、教えたらいいので
あって、大きなお世話で、うるさいばかりですねえ」

「どうしてもしたいなら、やってみないとわからないですね。
それで挫折しても、納得が行く。そこから学んで、又、
次に進んで行ける。
それを親がレールを敷くと、ずっと不満と恨みが残る。
肝心な事は、親の人生でなく、本人の人生ですよね」

放蕩息子の父親は、息子に財産を渡せばどうなるか
はわかっていた。
でも、あえてしたい事をさせてやり、連れ戻しにも
行かず、説教もせず、そして、見放すのではなく、
じっと見守った。それが父の愛。






2013年03月10日(日)
  「肉の頑張り」

Aさん:ある事で、神様は無理をしなくてもよい
と言って下さっているのが、わかる。

身体がしんどくて、疲れていて、どうにも動けず
に休んでいた。

神様は休んだら良いと言って下さっている
のに、いや、もっと頑張ったら、できるんじゃ
ないか、それをしない自分の怠けではないかと、
自分を責めて、とがめが来る。

頭では、神様は休めと言って下さっている
とわかるのに、やればできるのに、自分にやる気
がないからではと。
そこで、自分を責めて、気持ちがもやもやと、
暗く、落ち込んで、しんどくなる。

その時、正直な気持ちをそのまま祈った。
「神様、しんどくて、私は、したくないんです。
神様は良しと言って下さっているのに、心に
とがめが来ます」

すると、その時、突然、別な用が入って来て、
本当に、その事をしなくても良くなった。

神様が、正直な祈りに答えて下さったと、
神様が関与され、身体も、心も、守って下さった
のだとわかって、心に喜びが湧いた。

対人関係もからむ事なので、しんどい、強いら
れた、義務的な気持ちで、嫌々、その事をしても、
相手にはわかる。そんな状態で、行っても、相手を
傷つけてしまうだけだ。

身体と心が十分休息が取れた、その翌日、
不思議な力が来て、「よし!行こう!!」と思えた。
気力が与えられ、喜びと平安をもって、前向きな気持
ちに変えられていた。
必要な力が上から来た。


無理やり、自分の力で、肉で、嫌々、事をしなくて
良かった。神様の力とみわざを見せられた。

「頑張ったらできる。頑張らないから出来ない。
怠けだ。もっと頑張らないと」とささやいてくるサタン。

神様に頼らせないで、自分の力に頼らせ、自分で、
肉の力で、立たせようとする攻撃だ。
又、巧妙に自分を責めさせるサタン。

“ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む
責任を、肉に対して負ってはいません”ローマ8:12


肉とサタンに聞いて行くと、御心と反対方向へ
引きずられ、向かってしまう。

とにかく主に呼ばわり、祈る時、守られる(*^_^*)

2013年03月08日(金)
  「喜びが満ち満ちたものと」

Aちゃんが、仕事が余りにハードで、身体に来て、
身体を壊して、辞めることになった。

それから仕事探しを始めて、4ヶ月ほど、なかなか
無かった。仕事はどうしても必要だ。
その期間も、勿論祈りに祈るが、忍耐の時を与え
られた。
皆で、祈りにあずかれた。

でも、その間中ずっと、クリスチャンお母さんは、Aちゃん
と共に「今このような時も必要で、神様はこのような
期間を与えて下さっている」と、ずっと信仰に立ち、神様
視点で捕らえていた。
「忍耐を培って下さっていると思います」と。

“さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない
喜びと思いなさい。

信仰がためされると忍耐が生じるということを、
あなたがたは知っているからです

その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば・・
成長を遂げた完全な者となります”ヤコブ1:2

待つ期間が無ければ、信仰が試されることもなく、
忍耐が生じることもない。
待つことで、信仰が試される。そして忍耐が培われる。

祈り続けていると、必ず神様の時に与えられると、確信
めいたものが来るから不思議だ。

そして、とうとう神様の時が来た。
「採用が与えられました!」。「うわあ!良かった!!」
皆で喜びに喜んだ。
「祈っていれば、祈りは必ず聞かれるんだと、ものすごく
励まされました!今、自分の祈っている祈りも、諦めずに
祈り続けようと」。

“あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを
手に入れるために必要なのは忍耐です”ヘブル10:36

開拓宣教をしているBさんも、3月で今の職場が閉鎖に
なるので、どうしても仕事が必要で、予め次の仕事を
祈っていた。
皆も一緒に、ずっと以前から祈りを積んで、祈ってくれていた。

そして、そろそろ仕事を探し始めようとし、とにかく最初の
求人に応募した。すると、何も知らずに面接に出かけ
たが、何と募集主はクリスチャン。

「今日、面接に来る方のために祈って待っていました。
神様があなたを送って下さいました」と。
即、採用になり、何もかもにびっくり!!

Cさんが、海外宣教から一時帰国で戻っていた間に、
健康診断で、しこりが発覚。
更なる検査を次々と経て、最終検査で良性か悪性かが
判明することに。
皆が心配し、心砕き、皆で祈りに祈った。
結果、良性と判明。皆で大喜びし、安堵した。

しかし、Cさんも家族も、結果がわかる前から、主の平安
に守られていて、結果がどちらでも平安です。何より日本で
わかって良かったですと。

これら3つの祈りの答えが、一度に来て、喜びが弾け、
「春が来ましたねー!!」(*^_^*)


“求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがた
の喜びが満ち満ちたものとなるためです”ヨハネ16:24





2013年03月07日(木)
  「祈りはすごい」

祈りって、ほんとに大事ですね。

何かある時、目の前の突如の事態に、パニックに
なってしまって、祈りが飛んで、神様が飛んでしまう。

もう状況に反応してしまって、時には飲み込まれ
てしまって、自分が出て、とにかく自分で何とかしよう
と頭がまず回る。

「何とかしなければ!」「どうしよう!!」がぐるぐる回って、
対処法を考えている。
神様がまず「わたしを呼べ」と言っておられるのに、
飛んでしまう。
自分で何とかしようとするから、平安無く、しんどくて、
落ち込んで、心が重くなって行く。

そして、時間がたつと、神様が思い起こされて、ああ
祈らなくてはと(^^;)

でも、その時間が、クリスチャン年月と共に、少しづつ
短くなって来てると思います(笑)

「神様!」と思ったら、もう解決ですよね。祈れるし、
祈り始めると、神様視点に立って来る。

ああ、すべての事について感謝なんだ。ご計画が
あるんだ。益とされるんだ。愛されてるんだと、
見方が180度変わって来る。



「祈りで、事を始めると全然違うんです。
日々、もろに経験します。
特に難しい対人関係の前に、祈って、会いに行くと
口から出る言葉が、神様に導かれるんです。
心が本当に守られる。
そして、相手との間に、潤いや温もりが感じられて、
交わりも、ああ、良かったと思えて。
ほんとに神様が働かれるのを感じます。

時間に追われてしまい、バタバタと出かけてしまっ
た時にも、もろにわかります。
祈らずに、出かけてしまうと、それが自分の心が
ザラザラしていて、相手を受け止めることもでき
ないので、ついきつい言葉が出てしまい、
ギクシャクしてしまう。

相手も受け止めてもらえないので、愚痴や不満
になって返って来る。
帰りは、自己嫌悪で、暗澹たる気持ちになる。
ああ、行かなければ良かったと。

ほんとに祈りって、すごいですね。祈ると祈らない
では、全然違う。

神様に頼ること、祈ること、弱さの中に恵みが十分
で、神様の力が働くこと、もろに教えられています」



2013年03月06日(水)
  「無いことが感謝」

Aさん「親族が、いつか必ず救われて欲しい。
そのために、良い証しをしなくてはと思い、
愛そうとするが、愛せない。

『愛せますように、〃』と幾ら祈っても、正直
な本当の自分の姿を認めていないから、
全然その祈りは聞かれない。

愛そうとすると、できないので、苦しくなって、
その苦しさがどんどん高じて、すると、もういい
と切れてしまい、どうでもよくなってしまう。
何も全く変わらず、堂々巡り。

相手から愛情が感じられない、思い
やりの無い言葉や態度に、悲しさ、
寂しさ、怒り、恨みとなってしまい、
こちらも心が冷めてしまい、そこで
尚かつ愛することなど出来ない。

親族も愛せないのに、『敵を愛しなさい』
敵などとてもじゃないが、愛することは不可能。
ほんとに愛が無い、とことん無いことを思い
知らされる」

Bさん「わかる、わかる。職場でも、人を裁いたり、
見下したり、自分の自我がものすごく強い
と思い知らされる。
相手じゃなくて、自分の自我の問題ですよねえ。
言われた言葉にカチンと来るし、ちょっとした事
でも腹が立つし、ムッとなるし、自我に触れて来る
からですよねえ。
ほんとに自我が強いとわかる」

「そんなはずはない。愛が無いはずはないと、
どこまでも頑張ってみるが、幾ら頑張っても
どこまで行っても、愛は自分の内に無い。

でも、肉は尚も頑張るから、頑張ったら出来る
という錯覚があるんでしょうねえ。
頑張っても、頑張っても、愛せなくて、
疲れ果てて、愛は無いことがわかるのに、
なぜか尚も頑張る。

肉は自分に愛が無いことを認めたくないん
でしょうねえ。
どこまでもやってみようとする(笑)
そして、神様にギブアップした時に、平安へと
導かれる」

「愛したくありません。愛せません。無理です。
顔も見たくないです、とあるがままの自分を
認めて、祈って行くと、不思議に心が変え
られる」

「愛が全く無いとわかることが感謝で、
愛せると思ってたんだなあと。
愛が無いまま、神様に愛されていること、
慈しまれていることが嬉しいです」



2013年03月03日(日)
  「自分の問題」

Aさん「仕事していて、なかなか時間無いが、
でも、次の仕事との、合間のちょっとした時間が
あるんです。
そんな時、『ああ今、聖書読んで祈ればいいなあ』
と思うんですが、できない。

眠ってしまったり、ダラダラと時間を過ごしてしまう。
出来ないんじゃなくて、選ばない、しないんですよね」


Bさん「昼間も夜も仕事をしていて、とにかく忙しい。
自由になる時間が無い。
デボーションも、なかなかゆっくり出来なくて、
ああ、時間が欲しいと思っていた。
ゆっくりした時間があれば、デボーションできるのに、
とずっと思っていた。

そんな時、突然の休みがもらえた。
すると、もう何をしようかと、嬉しくて、嬉しくて
舞い上がった。
結局、デボーションをしなかった。

その時に初めて、時間の問題でなくて、自分が持とうと
しない、自分の心の頑なさが問題なんだと気づいた。
ずっと時間のせいにして、自分を正当化していた」

Aさん「で、ダラダラして、聖書を読めなかった時に、
『あ〜あ、今日もまた読めなかった』で、終わってた。

でも、変えられて、「今、読みたくないんです」と
自分のあるがままの気持ちを認めて、神様に
初めて向かうようになって。

自分がものすごく楽になった。今まで、そんな事
は神様に言ってはいけないと思っていた。

本音を神様に言うようになって、神様ってほんとに
すごいなあと、しみじみ思わせられて。
それを受け入れてくれる神様って、ものすごい
ですよねえ」



2013年03月01日(金)
  「主のみわざ」

教会で、必要経費のために、特別献金をした。
一人一人、皆で祈り、それぞれが御心に従って、献げた。
すると、素晴らしくすべての必要が満たされた。
主の栄光が現された。

Aさんが、どうしても欲しい物があり、欲しくて欲しくて
たまらない物があった。かなりの高額だ。
ちょうど、そんな時に、教会の必要のための祈りが来た。

葛藤がきて、その物が欲しい、どうしても欲しい。
しかし、神様の御心を行ないたい。
とにかく、この状態も、神様に告げて、祈った。
献げるよう導かれたので、決心して御心に従った。

すると「主の喜びが心に来ました。心の中を賛美
が流れていて、嬉しくて、御言葉が心に入って
来ます。御心に従って良かったです。その時から
ずっと喜びがあります」。

Bさん「すごいですねえ。神様が生きておられること
がわかります。教会に来てから、いつも急遽の必要
が生じた時、皆で祈り、皆で献げ、必ず満たされる
ことを見て来ました。
満たされなかった事が一度も無い。神様を感じ
ます」

開拓宣教を始め、小さな集まりの中で、赤字が
出ては、皆で祈って、それぞれ示されるままに
献げた。その繰り返しだった。

Cさん「不思議でした。ある時は、祈ってこれこれ
献げようと志を与えられた。でも、尚も祈っていると、
もう少し増やすことを示されたんです。
その額でないと、平安が無い。それでその通りに
献げると、教会の必要が満たされて、驚きました。
それが無かったら、不足していて、自分の献げ
物が用いられたことに、感謝で喜びが溢れました。

ある時は、とても献げたかったが、家計に突如の
必要が生じ、少ししか献げられなかった。
でも、祈っていたら、教会のすべての必要が満たされ、
誰かに御霊が働かれた。
誰も相談しないのに、すべての時に必要が満たされ
驚きでした」

すべてを益として、神様がまことに生きておられる
ことを現して下さることに、感謝だ。


“それは香ばしいかおりであって、神が喜んで
受けてくださる供え物です”ピリピ4:18