2013年05月24日(金)
  「デボーション」

デボーションを持とうとすると、サタン
からの猛烈な妨げが来る、との話になる。

Aさん「デボーション持たなくてはと
思うが、『今でなくてもいい』という
思いが来る。

結局、ずっとそれに引きずられて、デボ
ーションを持たないまま、一日が終わっ
てしまう。

祈ろうとする時、霊的なエネルギーが
いるから、なぜか『しんどい』という
思いが来る。
しんどいから、したくないという頑なな
肉の思いがある。
そこにサタンが働いて来る。
それで、ズルズルと持たないままに
なってしまう。

掃除や片付け、家事などは幾らでも出来
るのに、祈ろうとすると、出来ない。

でも、不思議ですよねえ。掃除の方が
エネルギーが要って、体力使い、しんどい
じゃないですか。
座って聖書読む方が楽なのに、それに語られる
と喜び溢れるのに、しんどい思いが来る。

たったの数分だけでも、しようと思うが
ズルズルして、できない。
できないではなく、しようとしない。
自我ですよねえ。

これはサタンにやられてると、やっと
気づいて。

これだけサタンが妨げ、嫌がるからには、
この聖書の中に真実と真理がある!!と、
心から確信します!!」


Bさん「バイトとバイトの合間に、ちょっと
まとまった時間があるんですよ。

この時間を利用して、ここで聖書を読んで、
祈ったらいいなと思うんです。聖霊様の導
きだとわかるんです。

でも、どうしても眠ってしまって。その時間
眠ってしまう。それが睡眠不足とかでは全然
無いんですよ。十分睡眠とっていて。
眠いはずは無いんですが、眠いんです。

サタンにデボーションを取られてしまって
るんですねえ。ほんとにサタンは祈られる
のが嫌なんですねえ」


Cさん「朝、デボーションしようとすると、
ぼお〜として、全然集中力が無い。とにかく
ぼおっ〜としてる(笑)祈ってるんだか、
寝てるんだか、わからなくなる。

又、頭はっきりしている時も、祈ると、
いつの間にか、考えがあちこちに飛んでい
るし、心が定まらない。ほんとにサタンが
取りたいんですねえ。肉がそれについて行く」

Dさん「朝、デボーションしようとすると、
次々と思いが来る。先に朝食の片付けをして
しまって、心落ち着けてしたいと。
すると、素晴らしい良いお天気で、洗濯機
回してしまおう、同時進行で済むと。

すると汚れが気になって、掃除機もかけて
しまおう。すっきりして良いし、掃除して
しまったら、気持ちも楽だ。

洗濯物干して、掃除して、良い天気で、外は
気持ち良さそう〜、あ、あれを買っておかな
くちゃと、買い物に出てしまうんですよ(笑)」

Eさん「わかる!わかる!(笑)ほんとに
次の事が浮かんで来るよね。それにつられて
行ってしまうと、1日デボーション持て無い
まま終わってしまう。
サタンは、祈りと御言葉が、よほど嫌なんです
ねえ。

これだけ妨害があるかには、聖書の中に真理
と真実がある!!!! 証拠ですよね」

天国へ行くまでは、霊の戦いで、妨害しようと
する敵の力が働いて来る。

2013年05月16日(木)
  「必要なものは一つだけ」

「神様との日々の交わりって、ほんとに
土台で、大切ですねえ。

多忙な日が続き、神様との交わりを持て
ない、というか持たない日が続いてしま
っていた。

交わり持たないと、信仰生活が形だけに
なって、どんどん実質から離れて行って
しまって、それすら気づかない。

そんな中、心配な出来事が起きた。不安
がどんどん膨らんで、最悪のシナリオを
自分で描いて、恐れと不安で真っ暗になり、
ひどく落ち込んだ。

これは思い煩いだとわかるのだが、どう
にもならず、気持ちが深く落ち込み、情緒
も不安定で、涙が止まらない。最悪の結果
しか思えない。

しかし、しばらくして、心が冷静になると、
自分の思い込みで、一人相撲だったとわかる。
実際に、現実に何も問題なく、不安は消えた。

しかし、この事で、生活が神様から離れて
いる事を示された。

日々、祈りや御言葉で、神様との交わりが
ある時は、聖霊様から心にいろんな示しが
あり、心のざわつきや、落ち込みに気づけ
る。

それが歯止めになったり、又、軌道修正さ
れたりする。神様と交わっているから、気
づけることで、日々御言葉に触れていること
祈っていることがいかに大切かを教えられた。

御言葉に触れ、祈りがある時、心が敏感に
様々な示しを感じ取れる。

御言葉や祈りから離れると、心が鈍くなって、
感じることができなくなる。
心もそれに慣れてしまって、流されている事
も気づかないまま、流されてしまうことを
教えられた。


御言葉と祈りを妨げる、物凄いサタンの力
が働いていることにも気づかせられた。

ほんの少しの時間ぐらい、合間、合間に
あるはずなのに、御言葉や祈りに向こうと
しない。

頑なな自我に、サタンが働いて来る。

ほんとに祈って行かないといけないと
教えられました」


“しかし、どうしても必要なことはわずか
です。いや、一つだけです”ルカ10:42


2013年05月13日(月)
  「神の時」

●「信仰生活で、祈ること、神の『時』が
あることを、とても教えられます。

するべき事があるが、心がどうしても
そぐわず、伴わない。出来ない。

そんな時、その状況と気持ちを、その
まま神様に祈っていると、不思議に
気持ちが整えられて、神様の『時』に、
できるようにされるんです!

それがしょっ中で、神様の『時』に
させて下さると、とにかく祈っていると、
クリアさせて下さる。

自分の力で、無理やり頑張って、しん
どい思いをして、やって行くのでなく、
祈って、委ねて、神様を待ち望んで
いたらいいこと、

御霊の力によって、させて下さることを
教えられます。

だから、すごく気持ちが楽で、御心の
ことは、神様がさせて下さるから
大丈夫と思えるんです(^^)」


●「『神様の時』教えられます。

ある事柄に関して、環境が開かれて、
何の支障なく、自由に行なう事が
できるのに、心がなぜか伴わず、
強い気持ちがない。

それと反対に、行ないたいという
強い気持ちがあるのに、どうしても
環境が開かれない。

それが、神様の時には、環境も開かれ
気持ちも備えられ、整えられ、行なう
事ができる。

日常の生活で、経験します」


●「ずっと祈っている色々な事柄が
あるんですが、今までも経験して来た
のですが、神様の時が来ないと、全く
物事が動かないですね。

幾ら、焦っても、自分が何とかしよう
としても動いても、空回りで、何も
進まない。

ところが、神様の時が満ちると、ほんと
にひとりでに、門が開いて、状況が整え
られて行く。不思議です。
目の前で、道が開かれて行くことを見せ
られます」

“天の下では、何事でも定まった時期が
あり、すべての営みには時がある”
伝道3:1

“神のなさることは、すべて時にかなって
美しい”3:11

2013年05月11日(土)
  「試練があったから」

苦しみがあったからこそ、教会に来れたし、
神様を求めることができたと、語り合っていた。

Aさん「対人関係で、どうしても自分ではどう
にも出来ない、どうにもならない悩みにぶち
当たって。その時に、以前から時たま足を運ん
でいた教会に来ることができた。

全然嫌では無いので、イベント時とかには
来ていたが、御言葉は全然入らなかった。

今、思えば、自分の強い思いがあって、
強いプライドがあり、自分の力を信じていて、
御言葉を受け入れないんです。

耳で物理的には、聞いているが、全く心に
入らなかったです。自我が立ちはだかって
たんですねえ。

自分が絶対に心に入れないから、御言葉が
入らないわけなんですが、そのため、神様
のことは全くわからなかった。
当然ですよね。

でも苦しみのその時、御言葉が心に入ったん
です!生まれて初めて!自分でもびっくり
でした!」

「きっと心が神様を叫び求めていたんだね」

「御言葉がわかることが、こんなにも嬉しい
幸せな事だと、初めて体験し、心から喜び
がもう溢れて来るんです。

振り返る時、結局すべて自我ですよねえ。
自我が、自分が正しいと思っているから、
その思いに合わない御言葉は決して受け入
れない。

だから、自我が砕かれる事が感謝なんです
よねえ。
だから、あの試練の苦しみは素晴らしく感謝
だったんですよねえ(^^)」


Bさん「私も、振り返る時、苦しみがあったから、
神様を求めることができた。

苦しい問題があって、自分の力ではどうにも
出来なくて、悶々状態で、辛くて、神様の助け
が欲しかった。
だから、来る事ができた。

もし、あの問題が無かったら、来ていない
です(^_^;)
ほんとに、神様に出会えて感謝で、あの時は
苦しくてたまらなかったが、今は、あの時の
試練を感謝できます。

御言葉の通り、試練て感謝なんですよねえ」


“苦しみに会ったことは、私にとってしあ
わせでした。私はそれであなたのおきてを
学びました”詩篇119:71


“私の兄弟たち。さまざまな試練に会うとき
は、それをこの上もない喜びと思いなさい”
ヤコブ1:2


2013年05月09日(木)
  「すべての事について感謝」

カンボジアで、300キロの引っ越しが、
無事終了した途端、孫Aが39度の発熱。
何も食べられず寝ていると。

1日経っても下がらないので、心痛み、
心配する。

熱が下がるように、回復を祈っていると、
「すべての事について感謝しなさい」の
御言葉が心に響いて来る。

神様の事を考えていると、「雀の一羽でも、
あなたがたの父のお許しなしには地に落ち
ることはありません」マタイ10:29

「わたしはあなたがたのために立てている
計画をよく知っている」
災いではない。

「イエスはご自分では、しようとしている
ことを知っておられたからである」

すべての事が、主の主権の中にあり、ご計画
があり、しようとしていることを知っておら
れるのであり、益となる。

だから、感謝していなさいと。

「熱が下がりませんが、感謝します」と祈ると、
不思議な事に、心が落ち着いた。
状況は変わらないが、自分の心が平安になった。

そして、感謝していると、翌朝、熱が少し下が
ったとの連絡。その夕方にはすっかり元気に
なったと。

喜びが満ちて、すべてが御手の中にあることを、
感謝した。


以前、倒産で仕事を失ったBさんも、次の職を
探すがなかなか無かった。

養わねばならない家族があり、貯えもほとんど
無く、尚も必死に職探しをするが無い。

貯えも底をついて来て、不安と恐れに襲われ
る中、神様に切に祈った。
その時に、与えられた御言葉が「すべての事に
ついて感謝しなさい」だった。

それで、その御心に従って、「仕事が無いこと
を感謝します」と祈った。
すると、やはり状況は厳しいに関わらず、心に
平安が来たと。
そして、感謝を続けていると、その後、仕事が
与えられた。




2013年05月07日(火)
  「主のみわざ」

カンボジアで、宣教師家族の引っ越しがあった。
300キロ離れた地への移転だ。
何もない大平原を通って行く。穴ぼこだらけだ。

引っ越し業者などは無く、トラックを借りて、
教会の男性方が手伝って下さった。

屋根の無いトラックだ。
南国では、スコールが普通にある。

現地で何度か経験したが、突然当たりが暗くなり
暗雲が立ち込め、風が吹いて来る。
何だか不気味な気配の中、風はどんどん強くなり
台風時の、暴風のようになる。
そして、滝のような雨、バケツをひっくり返した
ような豪雨だ。

ブルーシートをかぶせたとしても、あの豪雨では
荷物はぐじゃぐじゃで、大変な事になる。
天候も支配しておられる、神様頼みで、とにかく
300キロの間、スコールが無いように。
皆で、祈りに祈った。

ひたすら神様頼みで、祈っていると、祈りの中で、
「スコール無く守られ、無事着」のメールが届いた
光景が浮かんだ(*^_^*)

そして、それが現実に。
スコールから守られ、無事着いて、手伝って下さっ
た方々により、荷物もすべて無事運び入れられたと。

メール連絡が来た(^_^)v
皆が祈りに祈って下さった、祈りに答えられた。


この事で、昔の神様のみわざが思い出された。

30数年前、毎年、教会学校で夏休みに1泊2日
のテントキャンプを行なっていた。
40名ほどの子供達とスタッフ10数名で。
その年も、3食分の食材や、消耗品、日用品、
すべての必要物を買い整え、準備万端だった。

すると、何と突然の台風発生で、翌朝出発を控えた
前日は強雨だった。予報によると翌朝も雨。
夜になっても、強雨は止みそうにない。

夜に、一人の教会学校スタッフが、心配して教会
に来た。家でじっとしておれなくて、教会に祈り
に来ましたと。

そのAさんと一緒に、心を合わせて切なる祈りを
献げた。

神様はキャンプの日にちを知っておられる。
そして、台風が来る事も予め知っておられた。
多額の食材購入済みもご存じだ。

Aさんと一緒に御言葉を読んで、祈る中で、明日
は晴れにして下さる確信が来た。
今は豪雨だが、雨を止めて下さって、キャンプに
行ける!
予報は雨だが、晴れになり、キャンプができる!
Aさんと神様を信じて別れた。

そして、予報は雨の翌朝、見事に太陽が顔を出し、
雨は止み、晴天だった!!
素晴らしい神様のみわざを見せられた。

そして、尚も1泊2日のキャンプの間中、雨が止め
られ、キャンプが祝福の内に終了した。
テントをたたんで、片付け、皆が車に分乗し、帰ろ
うと出発した途端!!雨が降り出した。

生涯忘れることの出来ない、神様のみわざだった。


2013年05月04日(土)
  「導いて下さる主」

厳しい試練が臨む時に、神様は苦しい中で
祈る、切なる祈りに答えて下さる。

その祈りの答えも、その時〃に応じて、
御霊の導きのまま異なるが、御心の通りに
答えて下さって、神様のご計画が成し遂げ
られて行く。

ある時は、苦しい状況下、祈り続ける時に
状況の方を変えて下さる。

又、ある時は、状況は変わらないが、祈り
に答えて、心に平安を与えて下さる。

心が平安になるので、問題があっても、自分
自身は平安なので、問題が問題でなくなって
しまう。


Aさんが対人関係において、非常に厳しい状況
が臨んだ。

辛くて、大変苦しい状況に、泣きながら祈り
続けていた。
いろんな御言葉から、今の苦しみには主の
目的があり、計画があり、自分に必要だか
ら与えられていると示され、苦しいが、
主からの試練と、受け入れようと決心した。

すると、苦しく辛い事に変わりはないが、
涙も出て来るが、心の底が何か変わって、
神様がこの事で、色々な学びを下さること
必ず祝福して下さることを信じることが
できた。

この状況の続く限り、忍耐して行こうと、
心も定めていた。
ところが、不思議が起こり、対人関係の
相手の態度が変わり、平和が与えられた。
神様の関与に驚かされ、みわざに感謝した。

どこまでも忍耐しようとした時に、状況
が変えられた。

Bさんも、仕事上で、相手が自分の事を気
に入らないという状況い遭遇した。
それはもう相手側の事で、相手の好みの
問題で仕方が無いので、自分は精一杯仕事
をしようと思った。

仕方が無いが、嫌われていると思うと
何だか辛い。そのままの気持ちを神様に
訴え、告げて、祈り続けた。

だが、これは環境を支配しておられる、神様
から来ている事。
逃げずに、教えようとして下さっている事を
受け取り、取り扱いにあずかりたいと思えた。

そうした時、現状は、見える所は、確かに
しんどいが、心の底の部分に不思議な平安を
経験した。

人にでなく、主に仕えるように仕えて行こう
と思って、仕事をして行くと、不思議に、
段々心も落ち着いて来た。
主と共にならやって行けそうに思えた。

そんな時、部署替えが決まった。

逃げずに、神様の取り扱いにあずかれ、
神様を新たに知れた事が本当に感謝だった。


近隣から、謂われなき誹謗、中傷
を受けて、まさに理不尽だった。自分は全く
言っていない事を、

2013年05月01日(水)
  「まず神が愛して下さった」

教会に来た方から「愛とは何ですか」と
質問があった。

牧師が、Tヨハネ4:10「私たちが
神を愛したのではなく、神が私たちを
愛し、私たちの罪のために、なだめの
供え物としての御子を遣わされました。
ここに愛があるのです」
の箇所から説明した。

愛とは、私たちが神を愛したのではなく、
神が私たちを愛して下さった。
そして、御子を十字架につけて下さった
ことですと。

信仰生活が長くなっても、培われた「行ない
による救い」の価値観は根深い。

「私たちが神を愛したのではなく」が
「私たちが神を愛した」になっていて気づ
かない。

聖書を読んで、祈って、きちんとデボーション
したから、愛される。
朝から、デボーションしたから、今日は
晴れ晴れとする。

逆に、デボーションできないと、とがめが
来て、何か心が落ち込む。

「そうなんです。例えば時間が少しあって、
聖書読めるのに、読まない自分に、すごく
とがめが来る。
だから、自分はダメだ、ダメだと落ち込む。
心が沈む」

「でも、そうじゃなくて、行ないで受け入れ
られるのではない、行ないで愛されるので
はないから、何もできない私を、まず愛して
下さっているですよね。

デボーションが出来ない私を、愛して下
さっている。
そう思う時、すごく嬉しくなって、心に
自由な喜びが来て、デボーションをしたいな
と思う。これが恵みなんですよね。

『ねばならない』から解放して下さって、
愛されて嬉しいから、主の愛に応えて行き
たい、これが本当なんですよね」


律法は罪を教えてくれる。
「〜せよ」と言われた途端、したくなくなる。
「〜してはならない」と言われると、したくなる。
罪の性質だ。

律法のはまって行くと、泥沼だ。幾ら頑張って
も出来ない。すると、ますます頑張ろうとする。
自分が足らないから出来ないので、更に頑張る。
しかし、出来ない。すべてが自分の力だ。

ギブアップした時に、自分の力を止めた時に、
御霊の力を経験する。
頑張るのでなく、ギブアップすることが
御霊に導かれる道だ。