2013年06月16日(日) 「求め」
来教のAさんを通して恵まれる。 友人から誘われて、教会へ行こうとしていて まだ行く前に、聖書を自分で読んでいた。 そんな時に、小さな子供と歩いていて、子供 が車にひかれて、1メートル吹っ飛んだ。 もう頭真っ白で、子供が死ぬと思った。 その瞬間、聖書の神様に叫んだ。 「子供を助けて下さい!」 大けがしても、おかしくないところ、どうもなく 本当に奇跡のようだった。 瞬時の祈りに答えて、神様が守って下さった。 又、人生で大きなつまづきがあった時に、あち こち、人に相談すると余計わからなくなった。 混乱してしまい、もう直接、直に神様に祈り 求めた。 必死に、真剣に、一途に、求めに求めた。 その時に、神様から語られ、御言葉を与えられて、 慰めや励ましを与えられ、指針を与えられ、方向 を示されてた。 切なる求め、真剣な求め、一途な求めに、神様 は、必ず答えて下さることを見せられ、大変励 まされた。 丁度、エマオ途上の弟子たちの箇所を学んで いた。 エマオ途上の弟子たちが、主が十字架にかかり、 死なれたので、失望落胆、絶望で、暗い顔で、 郷里に帰る途上にあった。 主のほうから、近づかれ、かたわらを共に歩 まれ、御言葉を語られ、旧約聖書からご自身 のことを解き明かされた。 心に灯がともり、あったかくなり、赤々と 燃えて来た。 目的の村に近づいた時、主は先に行かれそうで、 弟子たちは、「無理に願って」、「せがんだ」 ので、主は一緒に泊まられた。 そして、目が開かれて、主だとわかった。 「求め」を求められ、その求めに喜んで答えて 下さることを見せられる。
2013年06月13日(木) 「どこにおいても主を認める」
「あなたの行く所どこにおいても、主を 認めよ。 そうすれば、主はあなたの道をまっすぐ にされる」箴言3:6 「あなたの行く所どこにおいても」、 前の前に起きる出来事をに、主を認めて 行く。 その時に、視点が変わって来る。 自分を中心に、自分軸から物事を見ていた ところが、神様視点に変わる。 Aさんが「日常生活で、自分の思い通りに ならないと、イライラ〃して、目の前の 相手にも、害毒を流してしまう。 それは、自分の思い通りにしたくて、目の 前の主を認めていないからですよねえ。 信仰の目で見ると、一つ一つの事は、神様 から送られて来てるんですよね。 思い通りにならない、自分の思いとは違う が、この事に、神様の計画があって、益と されるし、この事を通しても、何かを教え て下さりたいということですよね。 そこに立っていたら、対応が違ったと 思う。 少し前の出来事を振り返っても、あの時、 この時、その事柄に、主を認めていたら イライラせずに済んだと思える」 Bさん「夫が、ちょっとミスった事があって、 私も忘れてしまっていて、注意不足だったん ですが、その事で、ああ、ちょっと出費に なるなあと。 それが家族で行楽に出た時に、気づいて。 ああ、何で忘れたんだろう、不注意だったと ガッカリで、これから楽しい時なのに、心沈 みそうになり、これはいけないと、 心の中で神様に祈ったんです。 すると、自分を責めたり、夫をも責めそうに なる心が変えられたんです。 夫が、悔やんでいたので、 『まあ、いいよ。それくらい大丈夫!』と言 うことができて、神様の働きだった。 もうその事と、心の落胆は、そこでストップし、 ひきずる事無く、気分も切り換えられた。 そして、楽しい、良い時を過ごすことができて 感謝でした。 せっかくの行楽が、重い気分でぶち壊しになる ところでした。 生活の中に、神様を認めて行きたいです」 ネガティブな事態に、神様を認めて行く時、 そして、今はわからないが、ご計画があるから、 『すべての事について感謝』して行く時、 まず心が落ち着いて、平安になるから不思議だ。
2013年06月11日(火) 「祈りの答え」
Aさん「主人から頼まれた事があったんです。 でも、心にはあるんだけど、なかなか その事が出来ないまま、日が過ぎていて。 ちょっとその事の経済的負担やら、労力 がいるので、心にはあるが、腰を上げら れないまま。 普段、毎日、祈っていることがあるんです。 心の中のざらつきや、重たい事に 平安を与えて下さい。 そして、私にわかるように、教えよう として下さっていることを教えて下さいと。 そんな中、主人が用事で出るついでに、 一緒に行って、その頼まれていた事を 主人が自分で対応してくれる事に。 それが、その材料もその日、安くなって いて、普段の半額で購入できた。 経済的なこの事も、神様だと感謝でした。 帰宅し、主人と一緒に二人で、その材料 で、仕上げる事が出来た。 心合わせて、二人で協力できて、 神様の大きな祝福を感じた。 そして、この事も普段祈っている 心の中の重たい事に平安を与えて下さい の祈りの答えだとわかり、ものすごく 嬉しかったです」 Bさん「その祈りいいね!!(*^_^*) 私も、その祈り真似て祈ってみよう!!」 Aさん「日常生活で、教えようとして下さって いること、沢山あると思うが、自分は なかなかわからないので、自分にわかる ようにというのが祈りなんです。 でも、わかって、祈りに答えられて 嬉しいです!!」
2013年06月09日(日) 「良いものを下さる」
神様は「すべての事について感謝しなさい」 と言っておられる。 Aさん「最初の頃は、全然「感謝」ができな かった。 自分の思い通りでないことを、思いに反する 事態に感謝なんて、とても出来ない。 神様は、感謝しなさいと言われるが、感謝 したくない。 自我ですよねえ。頑なな自我があって、意地 でも感謝しない(笑) でも、通り過ぎてみると、ああ、こんな事が 教えて下さりたかったんだと、後でわかるん ですよね。 思い通りでない事を通して、色々なことが 教えられる。 痛かったり、しんどかったりするが、ほんと に、自分にとって必要だったと、わかるん ですよね(笑)痛かったが、通って良かった、 それも本当に良かったと思えるんですよねえ。 それで、少しづつ変えられて。 思い通りでない目の前の事態は、『これ嫌だ、 でも、感謝します』にちょっと変化して(笑) そして、段々『とりあえず感謝します』に なって。 今、ほんとにすべての事は感謝なんだと思え ます。 振り返ってみる時、本当に最善をして下さっ ているんです。 親が倒れ、入院先や施設や、どうしていいか わからない。すぐに入所先があるとも限らない。 その時も、目の前に次々と道が開かれ、そのつど の必要が完璧に備えられ、神様のわざを見せられ た。何の心配も無かった。 それを通して、夫婦も助け合うので、ほんとに 祝福とされています。 今は、心から感謝です。 神様に明け渡した時、思い煩いが消えて、 楽になってしまって、こんなにノウテンキ でいいのかと思うほど。 今は、一つ一つの事柄に、神様のご計画が あって、与えられていると思えます。 自分に、いつもさじ加減ピッタリの事態を 目の前に与えて下さっていると。 そして教えられるんですよねえ。 本当に、良くして下さっています。 神様を知れて、感謝でならないです。」
2013年06月07日(金) 「感謝は力」
「万事益」「神がすべてのことを働かせて 益としてくださる」「すべての事は感謝」 などを語り合っていたら、 Aさん「生活の中で、イライラしている時は、 考えると、自分の思い通りにならないから、 イライラしている。 自分の思い通りにしようとしている。 そして、思い通りにならないので、どんどん 落ち込んで行く。 どこまでも「自分の」思い通りにしようとする 事で、そういうパタンになっているので、 思い通りにならい事をも、神様は益として下 さることを、信じて行きたいです」 Bさん「ほんとに平安は状況からではない。内側 から、御霊様から来るものだと、教えられます。 目の前の状況は、家族の一人一人についての 心配事が様々あり、また、将来を考えると不安で たまらない。不安と思い煩いでいっぱいになる。 でも、神様は最善をして下さる、神様は愛して 下さっている、すべてを益として下さると信じ、 感謝なんだと、祈って行くと、本当に心が平安 にされるんです。平安になるから、不思議です。 家族に最善をして下さる、そして、今日のこの 一日に最善をして下さると思えるんです。 すると嬉しいなあと、喜びが来る。 心平安にされて、こんなに感謝な事は無いなあと。 感謝をして行くと、サタンの足場を砕くって、 本当ですね。 サタンが思い煩いを持って来ると、いや、神様 は最善をして下さると感謝するんです(^^)」 Cさん「神様を知らない時は、自分で、自分の 力で、頑張って、頑張って生きて来ました。 でも、色々な現状の事や、将来を考えると、もう 恐れでいっぱいで、不安で不安で、たまらなかっ たです。 神様を知って、心の底に安堵があります。目に 見えるところは、色々大変な状況があるのです が、真っ暗闇のトンネルの中なのですが、でも 光があるんです。 先は、全く何も見えないが、光がある。感謝して、 光を見つめて、生きて行けます。 本当に感謝です」 Dさん「どうしても自分が中心にある。だから、 神様の御心とかでなく、自分の思い通りにした いんですねえ。 でも、思い通りにならなくても、そこに神様を 認めて、感謝して行く時、恵みに変えられること も、生活の中で経験させられています。 全然思い通りでない状況を、感謝して行く時 ほんとに自分の心が、まず変えられますね。 状況は変わらずとも、自分が平安にされますね。 経験します。 目の前の状況に、神様を認めて、感謝して受け 入れて行きたいなと思います」
2013年06月04日(火) 「主の名のために」
Aさんが、対人関係で、ずっと心に重くある 関わりを、このままではいけない、いつか 解決しなければと思っていた。 しかし、なかなか出来ないまま、重い心で いた。 祈りを積む中で、自分にも問題があり、罪 がある事が御霊により示され、謝りたいと 思った。 祈って、謝ったが、なかなか受け入れて もらえなかった。しかし、これも仕方の無い ことと思え、受け止めることができた。 誠意を示して行きたいと心から思い、気持ち を行動に表して行こうと決心した。 祈っていると、御霊はなすべき事を、一つ一つ 示して下さった。 御霊の示しが、はっきりとわかった。 その示された事を、一つ一つ実行して、誠意 を示して行った。 受け入れてもらえなくても、示された事に従う 中で、「主の名のためにする」ということを 初めて経験した。 クリスチャンになって何十年にもなるが、一度も 「主の名のために」、した事がないとわかった。 心の目が開かれた。 主のためと思っていたが、すべて「自分の名のため」 だった。自分の満足、自分の都合、自分の賞賛、 「主の名のため」にした事など一度も無かった。 今、「主の名のため」にできる。その事が平安で、 喜びでならなかった。嬉しくて、喜びが満ち溢れた。 こんなに喜びに溢れたのは、クリスチャン人生 で初めての経験だった。 すべてが益で、対人関係で苦しんだことも益と されて、それがあったから、霊の目が開かれて、 こんな素晴らしい恵みにあずかれた。 もう、ただただ感謝で、感謝でならないと。 主の御名をほめ讃えるばかりと。 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従っ て召された人々のためには、神がすべてのことを 働かせて益としてくださることを、私たちは 知っています」ローマ8:28
2013年06月01日(土) 「すべての事について感謝」
Aさんが、対人関係でとても苦しい状況だった。 長年の確執があり、自分の方も辛いので、向き合わ ずに、逃げてしまっていた。 何とか修復しなければと、このままではいけないと 思うが、気持ちが苦しくてたまらなかった。 しかし「すべての事について感謝しなさい」との 御言葉に、この事は必ず良きに導かれると思おう とした。 そう思うのだが、現実は厳しく、うまく行かなかった。 争いになり、ギクシャクしてしまった。 この事が導かれたくて、主の御前に静まり、祈り の時を持った。 すると、自分は被害者で、相手の問題だとしか見え なかったのが、そこにしか視点が無かったのが、 自分の様々な罪、悪い態度、心の思い・・ 聖霊様に、自分の内側が照らし出され、初めて 相手でなく、「自分の問題」だとわかった。 心から悔い改め、主に委ねて、聖霊様の示される ままに、従って行きたいと思えた。 向き合って行くこと、コミュニケーションを持っ て行くこと、仕えて行くこと・・具体的な行動の 一つ一つを御霊様が示して下さった。 感情を横に置いて、それに一つ一つ従って行った。 すると、自分が変えられて行った。 あれほど苦しかった、悶々とした心に、平安が満ち て喜びが溢れた。 驚くべき主のみわざだった。 相手には全く関係なく、御霊の導きに従うと、自分 の心は、何にも代えられない平安に満たされた。 御霊に支配され、導かれる経験をした。 御霊に導かれているので、目の前の事態がどのよう であれ、主が必ず良くして下さると、信じること ができた。信仰が与えられている。 初めての経験だった。心底、「すべての事について 感謝しなさい」が、心からアーメン!だった。 あの苦しい出来事が、状況があったからこそ、こんな 素晴らしい主のみわざにあずかれた。喜びと平安に 満たされる経験を与えられた。 本当に心から感謝でならない。 「すべての事について感謝しなさい」の意味が わかった、と。 主にはご計画があり、しようとされている事が ある。 すべての事は、何かを教えたくて、主のみわざ を現わして下さるために、与えられている。 だから感謝なのだと。