2013年08月28日(水)
  「わたしを呼べ」

皆で、わいわいと話す(*^_^*)

「目の前に突如の事態が来た時に、神様が
飛んでしまって、いつもパニックになる。

頭では、まず神様!とよくわかっているのに、
状況に飲み込まれてしまって。
頭真っ白。何とかしなくちゃ!!と目の前の
ことしか頭に無くなる。

これを何度も〃繰り返していて、ほとに神様に
申し訳ないです(^^;)」


「うん!『どうしよう!何とかしなきゃ!』と、
まず思うよね。
後で、ああ、自分の力で何とかしようと、肉で
動いて、自分の力に頼ってたと、わかる。
『自分が』と、自分が、まず出てしまう。

自分の肩に全部かかってるから、もう真っ暗に
なって、押しつぶされそうになって、平安無く
なって、落ち込んでしまう」


「少し冷静になると、あ!!神様だ!!と、
神様に目が向く(^^;)これを繰り返してる」

「私、親が倒れるという、今まで経験した事の
無い大きな問題が来た時、やはり神様が飛んで
もう大パニックだった。

介護、病院、施設の問題・・走り回らねばならず、
煩雑な書類整え、すべてが初めての事なので、
ノウハウも無く、わからない。

もう疲労こんぱいとしんどさで、自分の胸がもう
ほんとに苦しくなって来て、どうにもならず、
『神様ー!!』と叫んで、助けを求めた。

苦しくて〃もうどうにもならない、任せます!!
と。ほんとにもう身動きがとれず、委ねた。

すると、180度心が変わって、すうっーと平安に
なってしまった。ほんとに心が楽になって。

勿論それ以後も、すべき事は多々あって、走り回ら
ないといけないが、心が全然違う。心が楽で、
苦しくない。

あの、最初のしんどくて、苦しくてたまらなかった
時、何もかもすべて自分で、しようとしていたんだ
なあと。
その時は、もう必死で、目の前の事態に対応し、
次々と対処して行かねばならないので、わけが
わからない。

皆の祈りがあったから、守られて、導かれて行った
んだと、もう神様に、皆に感謝しかないです」

「心がしんどくて、苦しくて〃たまらない時、
何か、自分でしようとしているんですねえ。

『神様!』と、神様に目を向けた時、心が変わ
るのが、感謝です!!」


「ほんと、ほんと!!神様に確かに触れる。
ほんとに感謝です」

「すぐに神様を呼べずに、申し訳ないが、でも振り
返る時、自分自身がものすごく変えられている
のがわかる。ただただ感謝です」

皆が「いや、もう全然昔の自分とは違う。
神様を知らなかったら、どうなっていたか
わからない。
家庭もほんとに神様によって守られ、助けられ、
支えられているのが、ひしひしとわかります」



‘わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなた
に答え・・’エレミヤ33:2


2013年08月19日(月)
  「証し」

主に在る遠方の方から久しぶりの
電話。

高齢にかかわらず、張りのあるお元気
そうな生き生きとした声。

バイタリティを感じる。主の恵みによって、
お元気であることが伝わって来る。
歳を重ねるごとに、ますます壮健だ。

救いのきっかけが、クリスチャン達の
親切だったと、証して下さっていた。

結婚で渡航、何も全くわからない異国の
地で、現地の日本人クリスチャン達が
一つ一つ手を取って、至れり尽くせりで、
助けてくれて、何でこんなにというほど、
親身になってくれた。

書類一つにも、何をどうして良いかも
わからず、途方に暮れていた中で、本当
に有難く、親切が骨身にしみた。

それで、お礼のつもりで、教会に行った。
信仰持つ気などは、さらさら無かった。
義理だった。

しかし、返礼のつもりで出席していたが、
何と、聞く御言葉がどんどん心に入って来た。
心動かされ、御言葉が響いて来る。
とうとう神様を信じるに至った。

クリスチャン方の熱心な執り成しがあった
事は言うまでもない。



ある時、一人の婦人が平日の学び会に、
来会、初対面だった。

「実は・・」と話し始められ、国際結婚で、
丁度、子供たちと里帰りした途端に、現地
の義父が、急遽亡くなったんです。

今から、準備して戻っても、葬儀は間に
合わないし、子供連れで大変だし、せっかく
の実家滞在だから、葬儀は帰らなくて良いと。

でも、自分の気持ちで、今日は葬儀なので、
どうしても、その時間は、自分も義父の愛
した同じ場所にいたいと思ったんです。

ここで、平日に学び会があると、以前知り
合いから聞いていたので、今日は来ました。

義父はクリスチャンで、私を本当に愛して
くれました。とても良くしてもらったんです。
その義父の信じる神様を私も知りたいです、と。


亡くなった時に、その人の愛した場所に
自分もいたいと思う・・義父さんは、素晴らしい
証しとなられたんだなあと、強いインパクト
を受けた。

2013年08月16日(金)
  「従う祝福」

続けて一歩づつ導かれることについて。


その宣教師さんは、アメリカのミッションボード
から日本宣教に遣わされて来ていた。

ある時、神様から日本を出て、ハワイ宣教に出る
ように語られたと。

教会員である私たちに話して下さったのは、2年
後だった。

本当に神の導きなのか、間違いではないのか、2
年の歳月をかけて祈り続けたと。しかし、神の導き
は無くなるどころか、ますます深まるばかりだった。

そして、確信が揺るぐことが無くなった時点で、私
たちに話して下さった。

聞いた私たちは、突然のことで皆で非常に驚いた。
だがあ、2年間祈り続けて確信が変わらないとの
ことで、神様が、そのように導いておられるので
あれば。

自分たちは無牧になるが、受け止めて、皆で送り出
そうと話し合って決めた。

日本宣教ということで、母国のミッションボードから
サポートを受けていたので、日本でなくなると、
そのサポートは打ち切られてしまう。

しかし、神の確かな導きなので、ミッションボード
からのサポートが切れても、神ご自身に頼って
行くと。

ハワイは、誰も知り合い無く、神様だけを頼って
行きますと。

渡航少し前に、日本にいる友人のアメリカ人宣教師
がお別れだからと、遠方から会いに来られた。
1週間滞在され、最後の交わりをされた。

そして、いよいよ渡航当日、私たちは空港まで行き
見送った。

無事にハワイ着との連絡が入り、何とサプライズ!!!
そのお友達の宣教師さんの親しい知人がハワイにいて、
迎えてくれるよう連絡しておかれたと。

空港に着くと、迎えが待っていて、先生たちは本当に
驚き、めどがつくまで滞在するようにと、家に招かれた。

先生はバイトを探し、バイトをしつつ、ガレージを
集会所に模様替えし、ハワイ宣教を初めて行かれた。


主は、従う者に、常に、必ずすべての必要を、完璧に
備えて下さる!!


2013年08月15日(木)
  「一歩づつ」

「神様に従う」ことを学んでいた。

エリヤが、アハブ王に雨が降らないことを
告げるよう示され、従った後、
次の示しが来た。

ケリテ川へ行くようにと。カラスが食べ物
を運んで来るからと。

アハブに告げに行く時も、大変な勇気と信仰
が要ったに違いない。アハブの機嫌を損ねた
なら、即、討ち首になっても不思議はない。
実際、そのような人物だ。

しかし、エリヤは神の示しに従った。
そのエリヤを、神はケリテ川にかくまわれた。

普通は、カラスが食べ物など運ばない。
あれほどゴミを荒らす貪欲なカラス、自分が
食べてしまう。

それがちゃんと運んで来て、川の水を飲み、
神に従ったエリヤは飢饉のまっただ中に養
われた。日照りで、その水が涸れた時、

また次の示しがあり、ツァレファテへ導かれ
た。従うなら、次々と一歩づつ示しを与え、導
かれた。

救われた時の宣教師の先生を思い出した。

経済的に非常に厳しい中、神様だけに頼って
生活しておられた。

瀬戸内海の島で開拓宣教されて、その教会をその
地の日本人牧師に委ねて、私が住んでいた地に
来られた。

その島の教会の特伝に招かれ、行かれることに。
フェリーのチケットは、その教会から送られて
来た。
家中の小銭を集めて、そのフェリー乗り場まで
の電車賃にされた。後は全くお金が無かった。

そして、無事、祝福された特伝奉仕を果たされ、
謝礼は、はなから辞退されていたので、帰りの
費用は全く無かった。

祈りながら、フェリー乗り場まで牧師先生と
歩いていた。乗り場に近づくと、牧師先生が
小走りに、チケット売り場へ行き、切符を購入
して、渡して下さった。

感謝して受け取り、それでフェリーに乗船。
フェリーを降り、そこから家までの電車賃が
無かった。

そこから帰れず、「主よ、どうしましょうか」
と祈りながら、その辺を歩いていると、

バッタリ!友達の宣教師さんに出会った。
すると彼が「おお、良かった!私、あなたに
お金を借りていましたね。丁度返せます!」と。

そのお金で、家まで無事に帰れたと。

救われてまだ神様のことがよくわからなかった
私は、神様だけに、拠り頼んでおられる信仰に
もうただただ驚いた。

従うなら、一歩一歩と全責任を持って、導いて
下さる神様を見せられる。


2013年08月09日(金)
  「平安」

「悔い改めという事を教えられ、日常の中で
一つ一つ悔い改めて行くと、すごく生活が変
わりました。
悔い改めをおろそかにしてしまっていたが、
そのつど、悔い改めると、神様がすごく近く
感じさせられる。
神様が共におられて、ずっと守られていると
いう実感があります。平安があるんです。悔い
改めって本当に大切なんですね」


「最近、悔い改めたことがあるんです。
神様の恵みがわからないと、必ず人を裁
いて行くんですね。
自分の力でやっていて、それに気づかない
んですが、自分でしているから、出来て
いると、必ず自分を誇る。
知らず知らずの内に、自分を誇っている。
神様に頼っていないから、栄光を神様に
帰さずに、自分に帰しますよねえ。


だから、やっていない人、出来ていない
人を見ると裁く。やればできるはずと。
神様によってでなく、自分で、肉でして
いるから。肉が肉を生んで行く。

恵みの下でなく、律法の下にいるから、
自分の力で歩んでいるので、心からの感謝
もないし、喜びもない。平安がない。

自分の出来ていることが、神様から与えら
れたもので、神様の恵みだとわかると、
感謝が溢れて、平安になる。
そして、自分でしていないので、人を決して
裁かない。
人のために祈るようになる。
天と地の差がありますよねえ。
御霊の気づきが与えられることが、何より
感謝です」

「人を裁くのは、あくまでも自分の思い通り
でないからですよねえ。自分が中心。
自己中心。そこに愛は無い。
だから、人を裁いている時って、絶対に平安
が無いですよねえ」

「自分が苦しくて、しんどいばかりですよね」

「赦せない思いもそうですよねえ。自分が苦
しくてたまらない。平安が全く無い。
自分で牢獄に入り、自分が苦しいばかり。
でも、自分で選んでいるんですよねえ」

「人が求めるものって、結局、神様の下さる
平安、御霊の平安ですね。
平安が欲しい。御霊の平安さえあれば、状況
はどんなに大変だとしても生きて行ける」

「だから、罪を悔い改め、肉の思いを捨てて、
感情は横に置いて、意志で、御霊様のほうを
選択して行くんですよね。
ほんとにそれを行なって行くと、平安が来ます!」


‘わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるの
とは違います’ヨハネ14:27

2013年08月06日(火)
  「平和」

原爆の日だった。

教会学校に来ているお友達が合唱団に入って
いて、式典で合唱するというので、久しぶり
に式典をテレビで見る。

少し前に、アメリカ人宣教師さんが来日時に、
原爆資料館を見たいと、関西から来られた。

数日後に、引き続き、別の同じくアメリカ人
宣教師さん方が来広。長らく日本滞在の宣教師
さんが、彼らにどうしても見せて上げたいと。

で、案内のため、2週続きで資料館を見た。
じっくりと見られるので、こちらもじっくりと
2回見た。

2回目は、入るなり、何だか悲しくなって、
気持ちが滅入る。

爆風、大火事、建物は破壊、人々は焼けただれ、
水を求めて人々は川へ。川は遺体で埋まり・・、
悲惨で、余りの惨状に正視できない。

カンボジアのツールスレン博物館で、ポルポト
の惨禍を見た時も、余りの惨劇に非常な衝撃を
受けた。夜、眠れなかった。

裁判も無く、捕らえられ、無実で拷問にかけられ、
次から次へと殺されて行く。トラック一杯の遺体
をキリングフィールドに運んでは捨てる。
赤ん坊は、木に叩きつけて殺して行く。


日曜は、原爆の日に併せて「平和」テーマの集会
を行なった。

「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが
あるのでしょうか。
あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因では
ありませんか。

あなたがたは、ほしがっても自分のものにならない
と、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れる
ことができないと、争ったり、戦ったりするのです」
ヤコブ4:1

対人関係の争い、喧嘩、国家間の戦争、それらの
原因は人間の「罪」によると。人殺しをしてでも、
自分の欲望を遂げようとする。

アダムとエバが、エデンの園でサタンから誘惑
を受けて、罪を犯した時、その誘惑が

「あなたがたが神のようになり・・」だった。
自分が神になって、誰にも指図されず、自分の思い
通りに生きたい。自分の利得が最優先だ。

皆がそう思っているので、欲望がぶつかり合い、
利害が衝突する。相手を押しのけ、戦う。
それが国家間になると戦争になる。


一世を風びした、世界的ミュージシャンがいた。
世界平和を、人類愛を声高らかに謳った。
若者たちは、彼をカリスマ的存在として、心服した。

その人が離婚した時に、熱狂的ファンが、肩を落と
し、インタビューに答えていた。
「人類愛と言いながら、身近な一番大切な人を
幸せに出来なかったことに、失望した」と。

全世界は愛する事はやさしいが、目の前の人を
愛する事は難しい。

全世界の平和を願うことはやさしいが、まず
自分の心に平和、平安が無い。


問題は「罪」にある。強烈な自我があって、
愛すること、平和に過ごすことを妨げる。

解決は、主の十字架だ。
十字架の血潮で、罪が赦され、新しい人にされる。

「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、
私たちの主イエス・キリストによって、神との平和
を持っています」ローマ5:1

罪が解決されるので、神との交わりが復活し、神と
の平和を持つ。

真の平和は、神との平和で、それが人との平和に
繋がって行く。


アメリカ人宣教師さん方は、関西からわざわざ原爆
資料館だけを目的に来られ、とんぼ返りで、戻られた。

そこに誠意を感じた。

そして、アメリカから、神様の愛を伝えに、日本に
来ておられる。


主の十字架で罪が赦され、神との平和を得て、それが
目の前の人々への愛と平和へと繋がって行く。


2013年08月03日(土)
  「感謝があふれて」

交わりの中で、恵まれる。

「祈りについて、反省し、見直させられます。
ただただ、自分の願いばかりを、神様に求め
るばかりで、あれを、ああして欲しい、これを、
こうして欲しい、自分のことしかない。

神のみこころは何か、神に喜ばれることは
何か、神が求めておられることは何か、
その視点が全く無くて、神様に申し訳ない
気持ちです。
神様が求めておられること、神様のみ思いは
何かを、求めて行きたいです。」


「日曜に、礼拝堂に来て、まず礼拝が始まる
前に、心を静めて、祈り、心を備え、整え
ようとする時、悔い改めに導かれるんです。

その悔い改めも、自分が思う悔い改めと違う、
思ってもみない、天からの悔い改めが与えられ
るんです。
礼拝堂で、献げる礼拝の祝福を覚えさせられ
ます。まことにここに神様がおられると」


「心が何か満たされない時がある。あれが無い、
これが無い、これがあれば、あれがあればと
思うが、そうでなく、神様ご自身によるしか
満たされないことを教えられる。

外側のものでなく、心を整えられて行きたい。
心の底を、あいまいにしているのでなく、
直視したくない自分の醜さも、罪も認めて、
すみずみまで、導かれたい。

見たくないものは見なかったり、ふたをしたり、
ごまかしているなら、偽りのままなら、心を
整えることができない。
神様は、私の告白を待っておられる。
満たして下さるのは神様で、自分が自分の罪を
ちゃんと認識できるよう、御霊に導かれたい。

神様が常に招いて下さっていることを忘れずに、
神様を意識して生活して行きたい」


「体調が非常に悪く、大変なAさんが、朝、起きた
瞬間から、まず『立てますように』と、祈りが無
いと始まらないとの言葉に、自分がいかに薄っぺら
い吹けば飛んでしまうような、1日を送っているかを
知りました。
祈りで始まり、祈りによって支えられて行く、少し
でも、祈りの生活をして行きたいです」


「神様は、いつもご計画をお持ちで、私にもご計画
があることを信じます。
今朝も、心配していた一つ一つのことが、すべて
備えられていて、神様を見せられました。何の心配
もないことをまた教えられました。
神様を見て、ささやかな毎日を大切にしたいと
思います」


2013年08月01日(木)
  「気づきが感謝」

「なかなかデボーションを持て無い日
が続いていたんですが、

前の晩から、翌朝に与えられるようにと
祈ると、それが翌朝ちゃんと与えられて。

祈りに答えて下さる神様に触れて
感謝です。

それで、デボーション持てていない時
は、日常生活も、何の問題も無くて、
平穏に毎日が過ぎていると思っていた
のですが・・、

実は、そうではなくて、何も見えていな
かったんだということがわかりました(^^;)

問題が色々あるのに、何も見えていなく
て、何の問題も無いと思っている。

祈り始めると、色々な問題が見えて来て
現実に直面させられています。

祈りって、改めてすごいなあと。
祈っていないと、見えないんですねえ。
祈り始めた途端、見えることが感謝です。

真っ昼間の、光があって、陽光がさんさん
と降り注いでいるのに、自分が目を閉じて
いるので、何も見えない状態。

以前から問題はあったのに、全く見ようと
していなかったことがわかります。

だから、何の問題も無いということになる
んですねえ。

でも、祈りが無いと、ほんとに現状も
ちゃんと見えないんですねえ。
気づかないんですねえ。

うすうす気づいているが、向き合いたく
ないので、無視したり、ふたをして
しまっている。

それをちゃんと祈りに持って行けることが
感謝です。

感謝です。神様に向き合い、問題に向き合い、
自分に向き合って、一つ一つ祈って行きます。

祈って行くと、取り扱いと、解決に導かれ
て行きますよね。」


「信仰生活の中で、御霊の気づきが、何より感謝
ですよねえ。
気づきが与えられているなら、見えているから、
祈りに持って行けますものね。
そして祈るなら、その祈りは聞かれる。

でも、問題に気づけていないなら、祈りにも
持って行けないですものね。」