2013年10月10日(木)
  「感動!」

カンボジアで、豪雨のため、川が氾濫し、
大きな洪水が起きて、一帯が水に浸かった。

N宣教師宅も、敷地内にどんどん水かさ増し、
家に水が入るギリギリ一歩手前だった。

教会内外のあちこちで皆が「うわあ、大変ですねー」
「祈ります!!」「床上浸水など、初めての経験で、
大変でしょうねえ」「それも異国の地で、どんな
に不安かと」

「食べ物はあるのでしょうか」「子供たちも
心配ですね」

庭は池のように、川のようになり、もう一度
大雨が降れば、もう確実に水が入るところ、
皆も祈りに祈って下さっていた中、感謝な事に、
3日ぐらいすると、水が引いて来た。

雨が降らないで、このまま引いて行くよう
に、続けて、切に祈りに祈る。

すると、どんどん水は引き、地面が見えて
来た。ほっと安堵。

「良かった−」

「わあ!すごい!良かったですね!
祈りが聞かれたんですね」

「もう、必死で祈りましたよ!」

「わー!やっぱり神様凄いですね!信じて
心穏やかに待てる!素晴らしさ!皆の祈りは
きかれる!

神様を信じる者には感謝の気持ちが出て、信じて
いない人には、諦めが…を感じることが最近あり
ました。

現実を受け入れているのは、同じなのですが、
信じている者には、どんな時にも、どんな状況
の中でも、希望がありますね!」



「ほんとに同じ状況、同じものを見て、
神様知らないと、偶然で、たまたまそう
なったことになるが、

神様を知っている者は、そこに神様を
見て、神様の愛や真実に触れて、
心が感動でいっぱいになる」

「その神様に触れる時、心が幸福感で
いっぱいになりますね」


2013年10月05日(土)
  「心の内を告げる」

「神様に心の内を告げること」がとても
大事だと、生活の中で教えられる。


自分の心に湧く思いを、それがネガティブ
な思いなら、抑え込んでしまう。

腹が立つ時、ムカッとする時、相手を
裁いている時、相手を嫌う思いや、イラ
イラする思い・・

そんな時に、こんな事を思うことは、
クリスチャンとしていけないと思い、
心に押し込める。

押し込めているだけで、無くなったので
はなく、そこにある。

世の人々は、腹を立て、ムカつく時、顔の
表情に出て、態度に出し、言葉で発散する。

しかし、顔に出さず、言わないのだから
良いこと、自分は良い人に、自分でして
しまう。

又、憎しみ、妬み、怒り、敵対心等・・
よくないのだからと、抑え込んで、無い
ことにしてしまう。

しかし、現にあるものを無いものにする、
それも自分を欺いていて、ごまかして
しまっている。


気持ちを、思いをそのまま、あるがまま
主に告げて行くと、自分で自分の思いを
認識できる。

イラ立っている事を抑え込むと、イラ立
っていない事になってしまう。

「イラ立っています」「妬んでいます」
「憎んでいます」「いやです」

そのままの気持ちを、主に持って行く
時、自分で自分の気持ちがわかり、
祈りに持って行くことができる。

A「ずっとクリスチャンがこんな事を
思ってはいけないと、抑え込んでいた。

抑え込むことが良いこと、それで良し
としていた。
でも、溜まりに溜まって必ず爆発する。
爆発して、抑え込んで、鬱積していた
怒り、恨みつらみが全部出てしまう。

証しが滅茶苦茶で、又、やってしまった
と思う(笑)

肉で抑え込んでいたからですよねえ。

自分は抑えて、怒らない、憎んでいるが
表面には出さず、良い対応しているから
むしろ自分は良い人になってしまう。

それで、罪がなかなかわからなかった。

心の内を、神様に言うことは大切だと
思います。

神様に心の内を、いつもそのまま告げて
行きたいです。」






2013年10月02日(水)
  「従うことの祝福」

A「ずうっと神様のことが、なかなかわか
らなかったんだけど、最近気づかされた。

何だか、神様がわからなくて、それが、
御言葉は何年も何年もずっと学んでいるが、
聞いた御言葉をずっと流してしまっていた。

心にひっかかって来る御言葉がある時に、
『そんな事、無理、無理』『やっても
どうせ、出来ない』『犠牲を払うのが
大変だ』『人にどう思われるか』

そんな思いが、必ず同時に来ていて。
サタンと肉で、肉の思いに、サタンが
働いて来るんですよね。

御言葉を長年の間、ずうっと流して捨て
てしまってたんだと、今、わかります。

御言葉と同時に思いが来ていて、それが
肉の思いだと気づかずに、無意識に
捨ててしまっていた。

御言葉が来るが、ずうっと流していた
から、従うことをしていないから、
神様のことが、頭でしかわからなかった。

学びをすると、知識は増えるけれど、
わからないんですよねえ。

それが、とにかく従おうと思って、
示されることに従って行った時、神様
が少しづつわかって。

以前とは全然違う。

御言葉を学ぶだけでなく、従って
行くことを教えられました。」


B「私も、御言葉を示されて、御心を
行って行こうとする時に、必ず肉の
思いが来ます。

『大変だよ』『しんどいよ』『時間を
とられるよ』

そっちに聞いて行くと、段々『しなくて
もいいんじゃない』となって来て、ほんと
にそう思えて来るから、サタンの攻撃
ですねえ。

御心行おうとすると、サタンが来て
妨害します。祝福を奪いたいんでしょうね。

御言葉に立って、一歩従うことをとても
教えられます」


“いのちのことばをしっかり握って、
彼らの間で世の光として輝くためです。

そうすれば、私は、自分の努力したことが
むだではなく、苦労したこともむだで
なかったことを、キリストの日に誇る
ことができます”
ピリピ3:16