2013年11月21日(木) 「御言葉に従うと」
Bさん クリスチャン生活長くなくると、御言葉 の知識もついて来る。 何度も聞くので、わかっている、自分は 知っていると、思ってしまう。 しかし、頭でわかっているだけで、実際 に身についているのとは違う。 頭と現実生活、実際とは全く違う。 何か心がうっとうしくて、重くて、沈む 時がある。 そんな時、今までそのままで過ぎてしま っていたが、御言葉は霊でありいのちで あること、御言葉に真に力があること を学び、御言葉を握り、信じることを 実行して行った。 思い煩いでいっぱいな時、「何も思い煩わ ないで、あらゆるばあいに、感謝をもって ささげる祈りと願いによって、あなたがた の願い事を神に知っていただきなさい」 を実行する。心の内の煩いを一つ一つ 神様に告げて行った時に、御言葉の通り、 本当に心が平安にされた。 「そうすれば、人のすべての考えにまさ る神の平安があなたがたの心と思いを キリスト・イエスにあって守ってくれま す」 何だか心が沈む時、「すべての事につい て感謝しなさい」の御言葉を実行した。 恵みを数えて、一つ一つ感謝して行くと 不思議が起きて、心が満ちてきて、喜び が湧いて来た。 突如の事態が起きて、パニックになりそ うな時も「すべての事をあい働きて益と して下さること」を「万事益」を信じま すと、信じて行く時、やはり心が変えら れて、平安にされる。 周囲に「反応」してしまって、相手が 明るいとこちらも、気分明るくなり、 相手が暗いと、こちらも影響もろに 受けて、暗〜くなってしまう。 しんどくなって、落ち込んでしまう。 御言葉を生きるという事をしていなくて、 そこで、御言葉を握り、御言葉に従い、 その通りに実行すると、本当に変えられる。 「いつも喜んでいなさい」との御言葉に 立って、相手が愚痴や不平不満で、気持 ちがしんどくなる時も、御言葉に従って 神様を喜ぼうと意志を向けて行くと、 本当に心が変えられる。 一日一日が全く違うことを経験する。 嵐の湖で、主が「黙れ、静まれ」と言わ れると、嵐が一瞬にしてなぎになった。 主の御言葉で、心の混乱や騒ぎが、なぎ にされる。 御言葉に立って、「従うこと」「実行する こと」が大切と教えられる。 その経験が一つ一つ培われる事により 信仰が培われて行く。
2013年11月18日(月) 「信仰がなくては」
Aさん 丁度先日、学びの時に「岩の上に家を建てた賢い人」 と、「砂の上に家を建てた愚かな人」の箇所を学んだ。 その箇所を聞く度に、いつも自分は絶対に愚かな人は 嫌だ!愚かな人にはなりたくない!と思う。 そして、賢い人に、御言葉を実行する人になりたいと 思う。自分は賢い人になると。 今日、礼拝の中で、気づかされた。 「さあ、自分は賢い人になるぞ!」と、それが自分で、 自分の力で、賢い人になろうとしていたことを。 神様から見せられた。 礼拝メッセージの中で、神様は信仰を求めておられ、 信仰が大切と聞き、今日初めて目が開かれたように、 自分の姿が見せられた。 御言葉に従おうとするのだが、「自分が」、「自分が」 と、自分の力で従おうとさせる、サタンの巧妙な働き に気づかされた。信仰ではない。 神から離れたり、ストレートな罪はわかりやすいが、 神に従おうとする中に、一見、良い事の中に働いて来る サタンを教えられた。 信仰ではなく、神様に頼るのでなく、肉の力で従って 行くように働いて来る。 しかし、良い事をしているので、気づかない。 それなら正反対の方向に向かう事になる。 ますます信仰から遠のき、肉の力が強くなってしまう。 「肉にある者は神を喜ばせることができません」 ローマ8:8 「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。 神に近づく者は、神がおられること、神を求める 者には報いてくださる方であることを、信じなけ ればならないのです」ヘブル11:6
2013年11月16日(土) 「心のざらつき」
何か心にざらつきがある時、ひっかかる 時、しっくり来ない時、心の底に何か がある。 憎しみや、妬みや、赦せない思い・・。 認めたくないので、ふたをして、心の 奧に封じ込める。 認めたくないもの、都合の悪いものは、 無いものにしてしまう。 薄々は気づいているが、考えたくない ので、心の引き出しに入れて、閉じて おく。 しかし、折りに触れるごとに、心がざら っとする。反応する。 自分ではわからない、心の奧を聖霊様 が光を照らし、あぶり出して、気づか せてくれる。 御霊の光によって、自分の内にあるもの に気づけて、悔い改めることができる。 Aさん「ある、ある。心の奧に、赦せ ない思い。憎しみ、いっぱいあります。」 Bさん「大嫌いな人、いる、いる。 嫌な人、表面上はいい顔をしてつき合っ てるが、嫌でたまらない人がいます。」 Cさん「大嫌いな人、赦せない思い、裁く 思い、憎む思い・・ 現に心の中にあるので、聖霊様がはっきり と示して下さって、自分がちゃんと知れる ように祈ったらいいですよね。」 「いっぱいあるざらつきが、ちゃんと 自分で認識できて、悔い改めることができ るようにですね」 「うすうす気づいている事も、逃げないで 避けないで、ちゃんと向き合って、認めて 行けるようにですね」 “神よ。私を探り、私の心を知ってください。 私を調べ、私の思い煩いを知ってください。 私のうちに傷のついた道があるか、ないかを 見て、私をとこしえの道に導いてください” 詩篇139:23
2013年11月13日(水) 「神に知っていただく」
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに 感謝をもってささげる祈りと願いによって、 あなたがたの願い事を神に知っていただき なさい」ピリピ4:6 Aさん「対人関係で、何か心がざわついて、 ひっかかる事があって、ここ数日間ずうっと、 心に重たくのしかかってて。 日常のはしばしに、その事が思い浮かんでは、 煩い、心憂鬱になるし、嫌な思いも来る中で、 今日学び会に来て。 学び通して、あ!祈るのを忘れてた!この事 を祈って無かった!と気づいた。 神様のところへ持って行かないで、一人で 悶々状態だった。 “何も思い煩わないで、あらゆるばあいに ・・神に知っていただきなさい”ですよね。 気づけて感謝です。祈って行きます!!」 Bさん「何でも祈っていいんですよね。 大きな事を祈るのはわかるが。小さな事 も祈るという発想が無くて。 でも皆さんがいつも何でも祈ると言っておら れた事を思い出して、家電の調子が悪かった 時に、もうどうしようかと困った時に、祈っ たんです。 すると、突然、直ってしまって、びっくり! 何だかとても嬉しかったです。 神様を感じました。もっと祈ろうと思えて 感謝でした(^^)」 Cさん「物がなかなか見つからなくて、どこ を捜してもなくて、困ってしまって、思わず 祈ったら、それが出て来て! 神様を感じて、それがもう嬉しかったです」 Dさん「問題があって、気持ちがすごくしん どくて、自分の力で、自分が負っている事に 気づかされた。だから思い煩っている。 祈りによって、神様のところへ持って行って、 委ねた時に、気持ちが楽になり、平安になっ た。 そして、神様が助っ人を与えて下さって、 その問題が解決して行った。神様が働いて 下さった事を目の当たりに見た。 祈りに答えられたのが、すごく嬉しかった」 Eさん「対人関係で、思い煩いがあったんで す。うまく行くだろうかとの不安と、妬みも 心の底にあることに気づかされて。 それを神様に持って行って、祈っていました。 すると、ちょっとした出来事が起きて、それを 通して、協力し合う関係にされて、とても和や かな良い関係になったんです。 心に平安が満ちて、神様が働かれたと本当に 感謝しました」 “そうすれば、人のすべての考えにまさる 神の平安が、あなたがたの心と思いを キリスト・イエスにあって守ってくれます” ピリピ4:7
2013年11月10日(日) 「砕きが感謝」
Aさん「私も、神様のこと、全然わからな かったですよ。 クリスマスの人で、毎年、クリスマスには 必ず来てました(笑) 他の宗教とかは嫌だったんですが、教会は 全然嫌じゃなくて、友達に誘われるまま、 年に一度来てました。もう20年近くなり ますよねえ(笑) 幾ら御言葉を聞いても、右から左で全然、 全く入らないし、わからない。全然わから ないんですよ」 「じゃあ、教会の人たち見て、よく信じられ るなあ、とか思った?(笑)」 「いや、それが人のことは全然気にならな いので、そんなことすら思わず(笑) 全然嫌では無かったですよ。クリスマスな んか一緒に食事して、楽しかったし。 でも、神話というか、物語、お話で、頭 を通り過ぎて行ってました。 神様のことが、わからないという人のこと が、よくわかります(笑)」 「心に全然入らないんですね。心の底では 拒否してたんでしょうね」 「ああ、自分では意識していなかったけれ ど、そうだと思います。 自分でずっと生きて来たし、特に問題無く、 生きて来れたから、これからも自分で生き て行く。だから、神様は全然必要無いです ねえ。 必要なく、求めが全く無いから、わからない。 そんな人生で、行き詰まった時に、どうし ようも出来なくなった事態に遭遇し、初め て心のひび割れが出来て、御言葉が入って 来た。 もう自我はすごいですねえ。固くて固くて、 ダイナマイトで吹き飛ばさないと、吹っ飛 ばないほど、強固ですねえ。 行き詰まりが感謝でした。 行き詰まって初めて、御言葉が心で聞けて 響いて来ました。 自我が砕かれないと、聞けないんですねえ。 感謝で感謝でなりません」
2013年11月08日(金) 「従うことの祝福」
従うことについて学んでいた。 Aさん「従うことの大切さを教えられて います。 忙しさの日々に追われてしまって、 デボーションが出来ていなかった時に、 朝一番に、少しの時間でいいから祈る ことを示されて。 その少しの時間さえ、なかなか持て なくて。でも、学びで、示された事に 従うことの大切を教えられ、とにかく 従おうと決心したんです。 サタンも働いて来ますよねえ。 サタンにいつも妨害され、デボーション を妨げられている。 デボーションを取ってしまいたいんです ねえ。 サタンが働いて来るので、朝一にデボー ションが持てるように、前の晩に助けを 求めて一言祈って寝るようにしたんです。 すると朝に祈りがずっと与えられて。 すると、不思議が起きて、生活のあの 分野、この分野、一つ一つと、次から 次へと示されて、どんどん軌道修正され て行くんです。 御霊の働きはすごいなあと。もう生活 全般の見直しになって。 また、心の態度や、姿勢まで、心の内 も次々と示されて行って、信仰生活全体 の大改造です。 それが最初に、「祈りなさい」に、決心 して一歩従った時から、すべてが始まった。 「従うこと」の大切さを、身をもって教え られます。 でも、従うことって、自我を砕いてで ないと出来ないですね。 従う時に、いつも自我が妨げて来る。 一つ一つに従う時に、自我に死ぬこと を教えられます」 み声を聞いて、示された事に従って 行けますように。 “わたしに従う者は、決してやみの中 を歩むことがなく、いのちの光を持つ のです“ “すると羊は、彼の声を知っているので、 彼について行きます”
2013年11月06日(水) 「砕かれて知る神様」
救われた時のことを話し合ってた。 Aさんが「私は、10年かかったんですよ。 神様のことは嫌ではなくて、知りたいなとは 思い、教会にも行っていましたが、それが わからないんです。 どうしても神様がわからない。雲をつかむ ようで、わからない。まあ、わからなかった です。 10年ですよ。10年わからなかったんです。 でも、今、思えば、御霊様によらなければ ほんとにわからないんですねえ。 そして、砕かれなければ、わからないんで すねえ。砕かれました。砕かれて、神様を わかるようにされました。 今は、もう感謝で感謝でならないです。 振り返って、神様に無駄は一つもなく、自分 には10年が必要だったとわかります。 神様は決して見放さず、捨てられないことを 身をもって知り、刻みつけられました。 それは10年でないとわからないですものね。 この10年ずっと愛し続けていて下さったと 今はわかります(^^)感謝でいっぱいです」 Bさんも「私は、教会は全然嫌でなく、友達 が誘ってくれるから、別に抵抗なく来てま した。特にイベントの時は、食事会があって、 楽しかったです。 でも、私は、全然御言葉を心に入れてなか ったです。わからなかったし、右から左で、 自分の力で生きていたし、生きて行きたか ったから、全然心の耳では聞いてなかった。 物理的には聞いてるんですが、心ではシャット アウトしてましたね。 神様に頼る気はないし、従う気も全然無か ったので。 でも、大きな試練が来て、自分ではどうする事 もできない状況に陥った時に、それこそ教会に 飛んで行き、その時に初めて、御言葉が心に 入って来たんです。 頭ではなく、心に入って来て、救われました。 10数年前から教会に来てますが、御言葉を心で 聞いたのは、その時が初めてでした(^^;) でも、拒否してたのは自分です。自分が入れ なかった。 それからも試練は色々ありますが、試練って 感謝なんですね。 試練によって、神様に近づけて、神様を更に 知れて、試練の後、喜びが増し加わることを 経験します。 神様って、砕かれて、知れて行くんですねえ」
2013年11月04日(月) 「窮した者の祈り」
祈りが答えられる素晴らしさを経験した。 Aさんが厳しい試練を通っていた。 何度も何度も繰り返される辛い状況、苦しい 事態、繰り返されては落ち込み、なすすべ なく、いつも限界状態になった。 瀬戸際状態だった。落ち込み、心は折れん ばかりで、苦しいトンネルのようだ。 また、落ち着いて、平穏な状況が続く、 かと思えば、どーんと真っ暗闇に落ち込む ような、状況が繰り返されていた。 祈りに、祈り、解決の道は、これこれの方法 しかないとわかるのだが、その一つの方向 へ事態はなかなか進まない。 どうやっても進んで行かない。 もう人の手では、どうにも出来ない、どうし ようもない。 本当に祈りしか手段が無い所へと追い やられた。 祈りに、祈り、更に忍耐して祈り続け、 神様のみに期待し、信じ、待ち望ませ られた。 そして、ついに、その祈りが答えられた! その一つしか無い方法へと導かれて、道が 開かれた。 Aさん「祈りが答えられたのですね。本当 に夢のようです。心底の安堵と平安が与え られています」 “そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、 私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。 そのとき、国々の間で、人々は言った。 主は私たちのための大いなることをなされ、 私たちは喜んだ” 詩篇126:2 “窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろ にされなかったからです”詩篇102:17 窮した者の祈りが、見事に答えられること の喜び、“私たちの口は笑いで満たされ、 私たちの舌は喜びの叫びで満たされた” を何度も経験した。 癌を患った両親の、まさに今際の際の救い、 同じく癌の叔母の、病院訪問の際の救い、 祖母たちの今際の際の、救いの確信・・ 愛と慈しみの御手が、常に共にあることに 喜びと感謝で溢れる。
2013年11月02日(土) 「聖霊はすべてのことを教え」
Aさんが、目の前の状況に際して、どうすれば良い のか、どう判断し、対応すれば良いのか悩んでいた。 ああすれば、こうなり、こうすれば、ああなり〜・・ こうすれば良いのか、ああすれば良いのか・・ あれをああすれば、これはこうすればと、 いろんな思いは巡るが、とにかくまず祈ろう! と、その事について、皆で祈った。 すると、祈りから顔を上げた途端、「あ! 心が平安になりました!!」とAさんの笑顔。 祈る前の、ああでもない、こうでもないの 煩いや不安が、祈っていたら消えて、全く平安 になってしまった(*^_^*)思い煩いが無くなって しまった。 「全部神様にお任せできたので、今どうこう決め ないで、当日、環境も見ながら、御霊の導きを 探って判断します。 御霊が、必ず状況や思いを導いて、御心へと 導かれることが信じれます!」 そしてAさんは、当日、頭を空にして、すべてを 主に委ねて、御霊が導かれることを信じて状況に 臨んだ。 すると、何とその通りに!御霊が力強く働かれ、 なすべき事、言うべき言葉、すべてを示されて 最善の結果へと導かれた!! 皆で、驚き、喜び、主の御名を心から崇めて 感謝した。 Bさん「一緒に祈れて、神様の素晴らしさを、 一緒に目の当たりに見れて、嬉しいです」 “助け主、すなわち、父がわたしの名によって お遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべての ことを教え・・”ヨハネ14:26 御霊は常に共にいて、すべてのことを教えて 下さる(*^_^*)
2013年11月01日(金) 「神の時」
「神の時」があることを見せられる。 “天の下では、何事にも定まった時期 があり、すべての営みには時がある”伝道3:1 “神がなさることは、すべて時にかなって 美しい”伝道3:11 90歳を越えた義父がイエス様を信じ、救われた。 奇跡で、40数年来の祈りの答えだ。 信仰には大反対で、神様にも敵対心を持 っていた。頑固な固い〃心だった。 段々年齢を重ね、孫にも囲まれ、心は少し やわらぎ、反対をすることは無くなった。 しかし、根は固く、信じようとすることも 無かった。 人生の晩年を迎えて、身体が弱り、気力 が弱って来た時に、何かが少しづつ変わって 来た。 「聞く」ようになり、心が少しづつ柔らかく なって来た。 そして、神の時が到来(*^_^*)奇跡が起きた。 「信じる」と。 救いの奇跡は、その前でも後でもなく、ピッタリ と「神の時」に成されると見せられる。 祈りを積みながら、信じて待てば良いことを 教えられる。 祖母の時も、「神の時」を見せられた。 聖書のこと、神様のことも、孫の言うことで、 満面の笑みで「はい、はい」と喜んで聞いて くれ、教会に誘っても、来てくれるが、 のれんに腕押し、ぬかに釘で、入らない。 私が救われて10年ほど、そんな状態が続いた が、とにかく祈りに祈っていた。 証しも続けていた。 そんなある時、突然、「神の時」がやって 来た。 子供たちに聖書絵本を開いて、聖書のお話 をしていた時に、祖母はいつものニコニコ顔 でなく、真顔になって聞いていた。 今まで、のれんに腕押しだった感じでなく、 お話が心に入って行く感触があった。 御霊の強い働きを感じて、今一度、福音を語っ た時に、「信じる」と言った。奇跡だった、 丁度翌日が特別集会で、自分で招きに応じて 前に進み出た。 老齢で、教会へもなかなか行けなかったが、 今際の際に、はっきり天国への確認ができて 感謝だった。 一つ一つの事柄に「神の時」を信じ、続けて 待ち望みたい。 “ですから、あなたがたの確信を投げ捨てて はなりません。それは大きな報いをもたらす ものなのです” “あなたがたが神のみこころを行なって、 約束のものを手に入れるために必要なのは 忍耐です” ヘブル10:35