2014年03月10日(月)
  「主のはかりごとだけが」

神様のみこころの道は、すべて門が開かれ、道を
整えて行って下さる。

Aさん、進むべき道について、一つ一つ祈り、
具体的に、難しい状況の中に、道が一つ一つ
と、開かれて行った。

ほとんど奇跡ぐらいに、備えられて行った。
そして、主のみこころの道に、前進という時に、

思いがふっと来る。「自分の思いではないか?」
「自分の行きたい道に、行こうとしているわがまま
ではないのか?」
「むしろ自分の自我ではないのか?」
「とんでも無いことをしてるのではないか」

そして、それらを祈ると、サタンの火矢だとわかった。
サタンがみこころの道を妨害しようと、前進を
妨げようと、攻撃して来ていた事がわかった。


“神は、みこころのままに、あなたがたのうちに
働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださる
のです”


“すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ない
なさい”ピリピ2:14


思いに、サタンの猛攻が来たが、祝福を奪おうと
するサタンと判明し、御心を確信し、進むことが
できた。

御心を行なった結果、平安に心満たされ、喜び
の中に生活が与えられている。


Bさん「自分も別の形ですが経験あります。祈って
祈って、御心示され、道が開かれ、祈った結果なので、
導きを確信して、進んだ。

すると、非常に厳しい、難しい状況にぶち当たり、
行き詰まってしまった。その時に、もしかして、御心を
間違ったのか、御心ではなかったのか、との思いに
揺れた。

しかし、結果的に、その行き詰まりによって、更に次の
段階の御心へと導かれ、主の御名を崇めた。
更に主を知れる結果となった。

御心の道は、何となくスムーズで、障害なくうまく
行くと思ってしまっていて、御心を行なって行く中で
試練があることを教えられた。」


“必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの
計ったとおりに成就する”イザヤ14:24


“人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごと
だけが成る。”箴言19:21




2014年03月08日(土)
  「苦しみにあったから」

Aさん「10数年前に引っ越して来たのですが、
引っ越して来たものの、もう大変でした。

子供たちは、なじめず、いじめに会ったり、
親が倒れたり、経済的必要があり、自分
も働かざるを得ず、しかし、その職場も
大変で、様々な対人関係にも悩み、
隣人からも嫌がらせがあったり、

もうわけがわからないほど、大変でした。
引っ越して来なければ良かったのでは
と思ったり。

四方八方からの苦しみで、でも、だからこそ
神様を求めることができたと、思います。

支えや悩みの指針やら、心の拠り所を
求めていたんだと思います。
神様に追いやられて、感謝だったんです
よね。

やはり、振り返ったり、考えたりする時に、
こういう事が無ければ、神様のところへ
行っていなかったと思います。

何もかも順風満帆であれば、絶対に行って
無かったです。
これらもすべてご計画の中で、神様を求め
させるために、量って与えられたものですよね。

苦しい事が多かったが、今、一つ一つの事
がそれぞれのおさまるべき所におさまり、落ち
着いています。平安にされました。

苦しい時に祈った祈りが、見事に答えられて
形になって見せられています。

今、できない事も、神様が必ず時間をかけ
ながら、出来るようにして下さると思える
ので感謝です」


“苦しみに会ったことは、私にとってしあわせ
でした。
私はそれであなたのおきてを学びました”
詩編119;71

2014年03月06日(木)
  「主が成し遂げてくださる」

Aさん「父と母の介護をして、父母共に見送って、
今、幸せ感でいっぱいなんです。
幸せです。」

「最初はパニックになって、それぞれの病院や
施設を次々と探さなくてはならず、介護は初め
てで、全く何もわからず、不安と思い煩いが
いっぱいで。

でも、もう自分でどうにもならず、神様に委ね
ざるを得ない状態になって、ギリギリのしんどい
中で、明け渡したんです。

すると、突然思い煩いが消えて、平安になって
しまって。こんなに平安でいいのかしらと思う
ほど。
驚くほど、目の前に、門が開かれて、次々と
病院も施設も与えられて、ほんとに驚くばかり
に、神様の御手を知りました。
もう何の心配も無かったです。神様すごいです!」

Bさん「明け渡す前と後のAさん、使用前、使用後
みたいですよね(笑)」

Cさん「顔が全然変わってしまった。介護であんなに
大変な中なのに、いつも平安なお顔で」

Aさん「神様が無理しなくていい、できる事をすれば良いと
言って下さっているのが、わかって。ものすごく気持ち
が楽になったんです。
前は無理して、無理して、頑張っていて、心身すごく
しんどかったです。」

Dさん「見送って、今、幸せです。と言われるのが、
すごいです!介護はもう大変で、神様のみわざ
ですねえ」



“あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ
主が成し遂げてくださる”詩編37:3

2014年03月04日(火)
  「祈っていると」

信仰者には、古い性質と新しい性質があって、常に
二つの性質があらがって、そして、成長へと導かれる。


Aさん「ちょっと最近傷ついた事があって、腹が立って。

その怒りや、いら立ちや、ネガティブな思いが来ると、
祈っていたんです。

祈って、平安になり、しばらくすると、又、思いが来る。
又、祈って平安になって、又又、しばらくすると来る。

それを繰り返していたんです。

ネガティブな思いが来た時に、幾ら祈っても、思い
が来て、だめじゃないかと思ったんです。

でも、その途端、『あ!思いに気づけてる!』その事
に気づいて。御霊様でした。
祈ってるから、思いが来る度に、気づきが与えられて
いる。祈りによるのだと。

以前は、そこに神様を感じることもなく、思いの度に
気づくこともなく、こういうふうに感じなかったし、
思いに流されたままだったので、神様が働いて下さって
いることに、本当に感謝しました。」


Bさん「肉の思いが来る度に、『愛せません。愛した
くありません』、又、『できません。したくありません』
と、ずうっと自分のありのままを認めて、祈り続けて
いたんです。

ずうっと祈り続けていたら、不思議が起きて、相手
が嫌でなくなって来たんです。
奇跡です。とにかく祈っていたら、助けられると
日々に経験させられます」

祈りには、大きな力がある。



2014年03月02日(日)
  「核心」

祈りに関して、神様に率直に求めること、核心を
突いて求めることを学んでいた。
ともすれば、核心ではなく、そのまわりを、ぐるぐる
祈っているのではないかと。

それは「ノー」の答えが恐かったりするから、核心から
逃げて、回りをうろうろしているのかも知れない。


Aさんが「それが丁度最近のことなんです。
私は、ものすごく喋っているが、核心の部分は
全然出て来ない、話していないと、親しい何人
かに言われたんです。

自分でも、うすうす思い当たるところがあって、今まで
の自分の生き方自体がそうだったんじゃないかと。

芯の、重要な部分は全く話せてなくて、周辺のことばかり
話している。ものすごく話しているのに、実は肝心な
ことは、全く話せていない。

ずっとそうだったのではないかと。自分でも何となく
そう思う。でも、自分でも核心の部分が、わからない
んですね。
今日まず、それを口に出して言えたことが、一歩
前進ですよね。感謝です。
この思いを、ありのまま祈って行きます。」

「核心が言えてないから、言葉が多くなるんでしょうね」

Bさん「自分の祈りが核心を突いているのか、どうなん
だか、自分もよく御霊様に心探ってもらい、考えたいです。
自分の本当の気持ちは、全然言ってないかも知れないです
よね。」

「それより、自分の本当の気持ちも、わからなかったりして。
神様に向き合って、よく交わって行きたいです。」


“神よ。私を探り、私の心を知ってください。
私を調べ、私の思い煩いを知ってください

私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て
私をとこしえの道に導いてください”詩編139;23