2003年02月24日(月)
  喜びのバプテスマ式

昨日は、この恵みのティータイム係の相方、
富士子ママのお嬢さんのバプテスマ式だった。

父と子と聖霊の御名により、教会の全員に祝福
されて、神様の恵みに満ちた式だった。

富士ママがハンカチを取り出して、涙を拭いて
いた。「よもやこんな日が来るとは」と思って
いた日々を思い出し、感無量だったと。

いつだったか、もう3年も前か、富士ママのお宅
で家庭集会をした。婦人方が集まって、学びと
食事の楽しい時間を持った。

その時、大学生だったお嬢さん、B子ちゃんが
ちょうど帰省中だった。
よく気がついて、お茶を出したり、食事の手伝い
をしてくれて、とても感じの良い、きれいなお嬢さん。
礼儀正しくて、可愛い笑顔を見せてくれるが、心が
しっかり閉じていることを感じた。

初対面の時、このB子ちゃんといつか必ずイエス
様にあって、心打ち解けた交わりがしたい、喜び
を共にしたい、という強い願いを持った。

婦人会での、毎回の富士ママの祈りのリクエスト
に皆で、B子ちゃんのために祈り続けた。
祈りが重ねられ、祈りが積まれ、神様はその祈り
に答えて下さった。母の愛は強し!!

神様の時が来て、B子ちゃんは神様のもとへ自分
から帰って来た。涙と共に、招きに前に進み出て
新しくされた。それから、喜んで教会へ集い、バプ
テスマ決心へと導かれた。

そして、喜びのバプテスマ式に至った。
2年前から、B子ちゃんとは学びの時を持って、
親しい霊の交わりを与えられている。
私の願いも、見事に叶えて下さった素晴らしい
神様、有難う!!

そして、B子ちゃん、バプテスマおめでとう!!!
by 多恵子


2003年02月21日(金)
  続・コンサート・そのテーマ

そのコンサートの今回のテーマは「希望」。

その「希望」というのが、死に打ち勝つことの
できる、ギリギリの死線を越えた、先にある
「希望」。
これは、神を信じることによって、与えられる
「永遠のいのち」。神なしには、あり得ない。

ナチスによる迫害下のユダヤ人達が受けた、
悲惨な言語に絶する苦しみ、死を目の前に、
極限ギリギリに置かれた状況の中で、尚も
彼らには「希望」があった。

それは唯一神信仰による、永遠のいのちの
希望。死の先にある、溢れるばかりに豊かな
満ち満ちたいのち!!

Tさんの語られた「希望」は、死を前に極限ギリ
ギリの苦痛の中でも、決して失せることのない
希望。それは、神からのみ来るもの。

バッハをはじめ、当時の音楽家達は、聖書の神
を信じていた。そもそも「音楽」というものの本来
の姿は、聖書の詩篇にあるような、神への賛美。

「だから、神がわからなければ、音楽はわかり
ません!」明快に断言された。
そして、「このコンサートを通して、ただ音楽を
聴くのでなく、人生を考えて頂きたい。」と。

一つの曲の後で、ピアノ奏楽者に、一つの箇所
を再演させられた。トトン、トトン、トトン、トトン・・
「これは何の音か、わかる人いますか?」
「心臓の音を表わしてるのです」
トトン、トトン、トトン、トトン・・いつまでやってても
切りが無いですが、少しづつ少しづつ音が小さく
なって、最後に消えて行くのです。
これが死です。

思わずギヨッ!!とした。大変な衝撃で、インパクト
だった。「人はいつか必ず死がやって来ます。
死への備えはありますか。」

心身に及ぶ、悲惨な迫害の中で、肉体の命
は断たれたとしても、その先にある光、希望、
永遠のいのち。誰も奪うことのできないいのち。

重く、深い、荘厳なテーマであった。それが妥協を
許さない、研ぎ澄まされた最高の演奏と、相まって
もの凄い厳粛さとインパクトで迫って来る。
極めて濃密な、別世界のような二時間であった。

ある方「友人がルンルン気分で、気楽に好きな
バイオリンを聴こうと来たら、余りにシリアスで、
重くて驚いてしまって、恐かったと」(笑)

「でも、その友人が、お話がずっと心に残ってて、
2,3日ずうっと考えた。本当にその通りだと思えた。
と、又、来年も来てくれそうです!!」・・奥が深い。

「希望というから、私も、ほんわかした何か春の
ような、のどかな感じかなと思っていたら全然違
いました!」(笑)

極限の死に直面して、尚且つ決して失せること
のない、死に勝利した、永遠に輝く「希望」。

ただ一方的な恵み、プレゼントによって、その希望
を与えて下さった神様。今、私がそれを持っている
ことに全身の感動を覚えつつ・・。

深〜い厳粛な余韻の残るコンサートであった。
by 多恵子


2003年02月21日(金)
  バイオリンコンサート

先日、私達の教会でバイオリンコンサートが開かれた。
クリスチャンのプロバイオリニストによる演奏だった。

毎年恒例の開催。そして、企画、運営はすべて
教会の青年達が準備してくれる。

何ケ月も前から、何度もミーティングを重ね、下準備
を積み上げ、数週間前からは近隣への案内チラシ
配布。近所の方々に、一度でも教会へ足を踏み入れ
て貰える機会にとの、祈りと願いだ。

前日は、遠方からのピアノ奏楽者を出迎え、又、
ピアノ調律の手配、食事の準備から、翌日本番
の会場整備・・すべて準備終了は夜10:30。

「お疲れい〜!!」と、玄関で別れる。寒さ身にしみる
外は真っ暗。それぞれ車で、バイクで散って行く。
一日中、夜遅くまで奉仕を本当にご苦労様、青年
達の後ろ姿に、心が恵みで一杯にされて、胸が
熱〜くなる。

当日は朝7時に集合。朝食を一緒に取り、準備を
する。青年達が、今まで祈りに祈りを重ね、一生懸命
に準備して来た本番、胸ワクワクの期待と、緊張が合い
混ざる。

バイオリニストTさんを朝早く、青年達が迎えに。時間
が無く、毎年当日の本番前にリハーサルをする。
本番ギリギリまで。

プロのTさんの気迫に圧倒される。司会者とのリハ
ーサルに、ビシバシと厳しく注意される。私は、わあ、
M君凛々しくて立派と思ったが、もっと細部にまで、
遠慮なく注意が及ぶ。
完璧を目指し、真剣そのもので、厳しい。若いM君も
真剣に懸命にそれに応える。その場に、とがれた
ピーンと張り詰めた空気がみなぎる。

司会者の目線から、身体の向き、言葉一つ一つを
まっすぐに指摘され正される。言葉も語調も、真剣
勝負そのもの。身が引き締まる。

グランドピアノの開き具合を徹底的に合わせる。
「音量があって音質が無い。」微妙な小さな音で、
ピアノとからませる箇所があり、エアコンの音で聞こ
えなくなる。「エアコンが邪魔!最初から切って下さ
い!」前日ピアノの調律をし、当日朝も、もう一度
調律をする。

「はっきり言ってね、クリスチャンなんてどうでもいい
んです!!
これは新しく来られた方のため。新しく来られた方
にね、絶対につまづきが無いように。
特に、年の行った方が、教会へ来て、え? と思う
ことがあると、もう二度と来ないです。続けて教会へ
来てもらうために、この事を、しているのですから、
言葉、態度、細心の注意が必要です。」

単なる演奏会でなく、救霊のため、人々の救いを
見据えて、今この事をして下さっている。そこに
ピッタリと、一つ思い、志を感じる。
私達の、青年達の、切なる思いも同じ。生涯、絶対
に教会へ足を踏み入れることの無い人々に、一度
でもいいから、イエス・キリストに、福音に触れる
機会を持って欲しい。これを機に、いつか又来て
もらいたい。

Tさんは、聖なる神の御前で、教会だからこそ、
ご自身の持てる最高のものを与えて下さろうとした。
その事が、ビンビンと伝わって来た。

ある方「証しやコメントに、生Tさんを感じました。
激しさをそのまま出されて、イエス様に救われ、
今の自分があるんだと。繊細な表現と、厳しい
ほどに本質をとらえようとする姿勢が、入りまじ
って、ものすごい迫力を私は感じました。」

私が、コンサートで特に感じたのは二つ。
極みまで最高のものを献げたいと、妥協を許さ
ない、厳しいまでの、ギリギリのところで、神様の
御前にいるTさんを見て、圧倒された。だからこそ、
心の琴線に触れて来る演奏なんだと。

そして、もう一つ、我が教会の愛する青年達に感謝。
演奏中も、駐車場の整理、子供達の世話、途中で
来会する人々のお世話・・自分達は全く聴けないで、
陰ですべて取り仕切り、労してくれた。
犠牲的に、喜んで、新しい人々の救いのために、
懸命に働いてくれた。有難う!!私達の教会の誇り。

教会の婦人「M君の司会がもう驚くほど立派で、
未信者の主人を連れて行ったが、もう鼻高々
でした!!」素晴らしい立派な司会を有難う!!

by 多恵子





2003年02月01日(土)
  続・夫婦を変えるもの

宣教師S先生は、南米の国へ行かれて、文化、習慣、
考え方、価値観の違いに戸惑われた。

時間の観念が全く違う。約束の時間には絶対に来ない。
2,3時間ズレるのは普通。どれだけ強く言い、約束
しても、守られる事はない。
語学の個人レッスンの先生さえ、その日に来ない。

ゴミは床に捨てる。床に捨てるのはよくないと、親に
言うと、親が外に捨てる。
クラスのお話の最中、子供は座らない。ウロウロして
いる。
小さな事から大きな事まで、「おかしい」「違う」
「間違ってる」の連続。
こちらの価値観で、物差しで、物事を見ると、「おか
しい」。正そうとすると、全くうまく行かない。

挫折し、打ちのめされ、それが「文化」だと理解する
のに時間がかかった。非常識ではなく「文化」なのだ。

それを受け入れて、自分を変えて行った時、初めて
相手と信頼関係が生じ、心の交流が生まれた。相手
が心を開いてくれるようになった。暖かな関係が生
まれた。

これって、すべての対人関係に言えることだ
なあ、と。特に夫婦関係などまさに。

婦人会で、一人の婦人が「夫の矛盾を追及したら、い
けませんね。(笑)」「え?」「男性のプライドゆえに、
つじつまの合わない事を、言ったりしたりする。それを
突き詰めて追い込んだら、ますます泥沼に入り、
関係は悪化するだけで、いい事何もない。全く無い。
これは実経験から、ああ、夫の矛盾は追及したら
いけんのんじゃなと、わかった!!」(大笑)

「うわっ、すごい。真理じゃ。」

夫婦関係がうまく行かない原因を見る時、「自分は
正しい」。自分は正しいのだから、相手が悪いとしか
見えない。相手を変えようと、不毛の戦いをする。
相手は反発するだけ。関係はますます悪化するのみ。

自分が変わろう、自分を変えようとして行く時、夫婦
が変わる。建て直され、建て上げられて行く。
夫婦の祝福を、目の当たりに見て行く。

「うちは相思相愛なんじゃけえね」「ラブラブなんじゃ
けえ」 婦人達の声が弾む。

by 多恵子